1946年2月14日、ペンシルベニア大学ムーア電気工学スクールで、世界初の汎用電子計算機「ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)」が華々しく公開された。
真空管17,468本、総重量30トン、消費電力150kWという巨大マシンは、軍関係者、科学者、報道陣を前に鮮やかなデモンストレーションを披露。翌日の新聞各紙は「電子頭脳」「未来の計算機」として大々的に報じ、開発者のJ・プレスパー・エッカートとジョン・モークリーは一躍時の人となった。
しかしその舞台裏では、6人の女性プログラマー——キャスリーン・マクナルティ、フランシス・ビーラス、ベティ・スナイダー、マーリン・ウェスコフ、ルース・リヒターマン、ジーン・ジェニングス——がマニュアルなしで配線を繋ぎ変え、試行錯誤しながらプログラムを完成させていた。彼女たちなくして、ENIACは”ただの箱”だった。しかし長年、その功績は歴史から「消去」されていた。
華やかな式典と、配線だらけの作業室——2つの2月14日
1946年2月14日、ペンシルベニア大学でENIACは報道関係者や関係者に向けて披露され、翌2月15日には正式な献呈(dedication)行事が行われました。ENIACは「巨大な頭脳(Giant Brain)」などの言葉とともに“電子頭脳”として注目を集め、新聞でも大きく報じられました。
一方、同じ建物の別の部屋では、まったく異なる光景が広がっていました。
6人の女性たちは、数メートルにわたるパネルの前に立ち、プラグボード(plugboard)とパッチコード(patch cord)を使って物理的に配線を繋ぎ変える作業に没頭していました。ENIACは初期のコンピュータのような「プログラム内蔵方式」ではなく、計算内容を変えるには配線(ケーブル)や多数のスイッチ設定を手作業で組み替える必要がありました。再設定には相応の時間と試行錯誤が伴い、場合によっては数日かかることもありました。
この作業は極めて高度な論理的思考を要求しました。まず紙の上で計算手順を設計し、それを物理的な配線パターンに「翻訳」する。どの演算ユニットをどの順序で接続すれば意図した計算が実行されるのか——マニュアルは存在せず、すべてが試行錯誤でした。
“Computer”という職業名が意味したもの
当時、「Computer(計算手)」とは人間の職業名でした。特に第二次世界大戦中、砲撃射表(大砲をどの角度で撃てば標的に命中するかを示す表)の計算には膨大な人手が必要とされ、数学に強い女性たちが「計算手」として雇用されていました。
1945年6月、ムーア・スクールで働いていた女性の「計算手(human computers)」たちに向けて、新しい電子計算機ENIACの運用・設定に関わる要員(のちに“プログラマー”と呼ばれる役割)への参加を呼びかける内部メモが出されました。
しかし実際には、彼女たちは世界で初めて「プログラミング」という行為を定義する立場に置かれたのです。
歴史から”消去”された理由——そして51年後の「再発見」
公開式典の写真には、6人の女性たちの姿も写っています。しかし長年、彼女たちは「モデル」だと思われていました。
なぜ彼女たちの名前は記録されなかったのでしょうか?
1つの理由は、当時の社会構造です。技術的成果は「ハードウェア開発者」のものとされ、「プログラミング」はまだ独立した専門分野として認識されていませんでした。配線を繋ぎ変える作業は、電話交換手や事務作業と同じく「女性の仕事」として軽視されていたのです。
転機は1997年でした。弁護士でテクノロジー史研究家のキャシー・クレイマン(Kathy Kleiman)が、歴史的な写真に写る女性たちの正体を追跡。生存していたプログラマーたちへのインタビューを実施し、20時間におよぶ口述歴史を記録しました。
同年、Women in Technology International(WITI)は、ENIAC女性プログラマー6人を殿堂入りさせ、彼女たちは初めて公式に「世界初のプログラマー」として認められました。
なぜ”最初のプログラマー”が女性だったのに、今は逆転しているのか?
データが語る逆転現象
1940年代:初期の電子計算機の現場では、女性がプログラム設定や計算業務の中核を担う例が少なくありませんでした。
近年(例:2024年の公的統計):
- 米国:コンピュータ・数学系職種に占める女性の割合は26.4%(BLS)
- EU:ICT(情報通信技術)専門職に占める女性の割合は19.5%(Eurostat)
- 日本:IT技術者に占める女性の割合は21%(内閣府資料:賃金構造基本統計調査等に基づく)
何が起きたのでしょうか?
1960年代以降、コンピュータが高額な軍事・商業資産となり、プログラミングが「高度な専門職」として再定義されると、男性が主流となりました。大学のコンピュータサイエンス学科が設立され、「技術職=男性の仕事」という文化が形成されていったのです。
これは、ENIAC女性プログラマーたちの功績が歴史から消された過程と、構造的に同じメカニズムです。
プロンプトエンジニアリングは「配線プログラミング」の再来なのか?
ENIACの”配線”と生成AIの”プロンプト”——驚くべき類似性
| 1946年ENIAC | 2025年生成AI |
|---|---|
| 配線を物理的に繋ぎ変える | プロンプトを言語で組み立てる |
| マニュアルなし、試行錯誤 | ベストプラクティス模索中 |
| 「どう繋げば意図通り動くか」 | 「どう書けば意図通り生成されるか」 |
| 論理構造の可視化が必須 | 思考プロセスの言語化が必須 |
| 計算手順を紙に設計→物理配線に翻訳 | タスクを分解→プロンプトに翻訳 |
ENIAC女性プログラマーたちが持っていた能力——問題を分解し、論理的な手順に組み立て直し、マシンが理解できる形に”翻訳”する力——は、まさに現代のプロンプトエンジニアリングに求められるスキルと同じです。
プロンプトエンジニアリングには、コーディング能力は必ずしも必要ありません。重要なのは:
- 批判的思考(Critical Thinking): 問題の本質を見極める
- 構造化能力(Structuring): 複雑なタスクを小さなステップに分解する
- 明確なコミュニケーション: AIが理解できる指示を設計する
これらは、性別やバックグラウンドに依存しない、普遍的な認知スキルです。
ノーコード/ローコードの時代は、再び”多様な才能”を呼び戻すのか?
生成AI、ノーコード/ローコードツールの普及により、「プログラミングの民主化」が進んでいます。これは、ENIAC女性プログラマーたちが実践していた「ロジック構築力」が、再び誰にでも開かれたスキルとして認識される転換点になるかもしれません。
しかし同時に、新たな「見えない労働」が生まれるリスクもあります。プロンプトエンジニアリングが「誰でもできる作業」として軽視され、再び歴史から”消去”される可能性——それを防ぐには、私たちが歴史から学ぶ必要があります。
【編集部後記】
1946年2月14日、世界はコンピュータという新しい道具を手に入れました。しかしそれを”動かす”方法を発明したのは、6人の女性たちでした。
彼女たちは単なる「オペレーター」ではありませんでした。彼女たちはプログラミングという概念そのものを発明したのです。
もう一つの「隠されたヒロイン」物語——NASA女性計算手との共通点
興味深いことに、同じ時代、別の場所でも似た構造が生まれていました。
NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)では、アフリカ系アメリカ人女性たちが「人間コンピュータ(計算手)」として雇用され、ロケットの軌道計算を担当していました。その中心人物が、映画『ドリーム』で描かれたキャサリン・ジョンソンです。
1962年、ジョン・グレンの有人軌道飛行を前に、IBMの計算結果についてキャサリン・ジョンソンに検算させてほしいと求めた―というエピソードが知られています。伝えられる言い回しには複数のバリエーションがありますが、要点は「彼女の確認が取れれば出発できる」という趣旨でした。
ENIAC女性プログラマーとNASA女性計算手——2つの物語には、驚くべき共通点があります:
- 同じ時代(1940〜60年代)に、女性たちが計算・プログラミング分野で中心的役割を果たしていた
- 「計算」という仕事が「女性の仕事」として社会的に位置づけられていた
- 技術が「高度専門職」として再定義される過程で、女性の貢献が歴史から消されていった
- 数十年後に「再発見」され、ようやく正当な評価を受けた
しかし、1つ決定的な違いもあります。
NASA女性計算手は「人間 vs コンピュータ」の信頼性対決で勝利した存在として記憶されています。一方、ENIAC女性プログラマーは「コンピュータを動かす側」として、未来のテクノロジーを切り拓いた存在です。
つまり、同じ「計算する女性たち」でも、片方は「人間の計算能力の限界」を象徴し、もう片方は「機械を制御する新しい知性」の始まりだったのです。
(関連記事:8月26日【今日は何の日?】NASAはなぜコンピュータより人間を信頼したのか?)
80年後の今、私たちはどちらの道を選ぶのか
80年後の今、私たちは再び「コンピュータとどう対話するか」を再定義する時代に立っています。配線からプロンプトへ—インターフェースは変わっても、本質的なスキルは変わりません。
そして今度こそ、その技術を生み出した人々の貢献を、性別やバックグラウンドに関わらず正しく記録し、評価する責任が私たちにはあります。
2月14日は、単にコンピュータが公開された日ではありません。人間とマシンの対話が始まった日であり、その対話を最初に設計したのは、歴史から長く忘れられていた6人の女性たちだったのです。
Information
【用語解説】
ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)
1946年に公開された最初期の汎用電子計算機。真空管17,468本、総重量30トン、消費電力150kWという巨大なマシンで、弾道計算用に開発された。プログラム内蔵方式ではなく、物理的な配線の繋ぎ変えによってプログラミングを行う必要があった。
プラグボード(Plugboard)
ENIACのプログラミングに使用された配線盤。数百本のケーブルを物理的に接続することで、演算ユニット間のデータフローを制御し、計算手順を設定した。電話交換機の仕組みと類似している。
プログラム内蔵方式(Stored-program concept)
プログラムをメモリに格納し、データと同様に扱う方式。ジョン・フォン・ノイマンがENIACの後継機EDVACで提唱し、現代のコンピュータの基礎となった。ENIACはこの方式を採用していなかったため、プログラム変更に数日を要した。
プロンプトエンジニアリング(Prompt Engineering)
生成AIに対して適切な指示(プロンプト)を設計し、意図した出力を得るための技術。論理的思考力、問題分解能力、明確なコミュニケーション能力が求められ、コーディングスキルは必ずしも必要ない。
ノーコード/ローコード(No-code/Low-code)
プログラミング言語を書かずに、あるいは最小限のコードでアプリケーションを開発できるツールやプラットフォーム。プログラミングの民主化を促進し、非エンジニアでもソフトウェア開発に参加できる環境を提供する。
【参考リンク】
ENIAC Programmers Project
キャシー・クレイマンが設立した、ENIAC女性プログラマー6人の業績を記録・顕彰するプロジェクト。20時間におよぶオーラルヒストリー映像や、ドキュメンタリー映画「The Computers」の情報を提供している。
Women in Technology International (WITI)
1989年に設立された、テクノロジー分野で働く女性を支援する国際的非営利組織。1997年にENIAC女性プログラマー6人を殿堂入りさせ、彼女たちを公式に「世界初のプログラマー」として認めた。
Society of Women Engineers (SWE)
1950年に設立された、世界最大規模の女性エンジニア支援組織。エンジニアリング分野における女性の機会拡大、キャリア支援、教育プログラムを提供し、STEM分野のダイバーシティ推進に取り組んでいる。
Computer History Museum – ENIAC展示
カリフォルニア州マウンテンビューにある世界最大級のコンピュータ史博物館。ENIACの歴史的文脈、技術的詳細、開発者や女性プログラマーに関する資料を公開している。
ペンシルベニア大学 ENIAC展示
ENIACが開発された場所であるペンシルベニア大学工学部による公式ページ。現在もムーアスクール1階にENIACの実物パネル4基が展示されており、歴史的背景や技術解説が提供されている。
【参考動画】
ENIAC Programmers Project創設者キャシー・クレイマンによるTEDトーク。写真に写る女性たちが「モデル」ではなく「プログラマー」であることを突き止めた経緯と、20年におよぶ調査の成果を語る。(約15分)
Vintage Computer Festivalでの講演。ENIAC女性プログラマーたちの具体的な作業内容、配線プログラミングの技術的詳細、そして彼女たちが歴史から消された理由について詳述している。(約1時間)
ペンシルベニア大学公式チャンネルによる解説動画。ENIACの開発経緯、技術的特徴、1946年2月14日の公開デモンストレーションの様子を、歴史的映像とともに紹介している。(約5分)





































