【取材】人間以外の知性が生まれた世界で「真の人間であること」を証明する試みー「人間証明」の意義:東京大学 松尾教授×Tools For Humanity 日本代表 牧野氏

人間とは何か。この問いは、これまで多くの哲学者が考え続けてきたテーマでした。しかしいま、AIの発展によって「人間だからこそできること」の輪郭が揺らぎ始めています。
文章を書くこと、対話すること、画像を見分けることさえ、もはや人間だけの能力ではなくなりつつある。これからは、自分が本当に人間であると証明すること自体が、AIと共存する社会の重要な条件になっていくのかもしれません。

メディアイベント概要

OpenAIの共同創業者サム・アルトマン氏らが立ち上げた。「World」の運営会社のTools For Humanityと東京大学(松尾・岩沢研究室)との産学提携に関するメディアイベントが行われた。

『Worldプロジェクト』とは?

「AI時代における人間性の証明(Proof of Personhood)」を目指すプロジェクト。主な取り組みとして自分がAIやロボットではなく、「実在する唯一にして正真正銘の人間であること」を証明するための世界唯一のIDである「world ID」の取得サービスを提供。「World ID」の取得はOrb(オーブ)と呼ばれるデバイスで行われており、それには、Orbにより、個人は自分が固有の人間であることを確認し、安全で匿名性の高いWorld IDをスマートフォン上に作成することができる。

東京大学との提携内容と「人間証明」の意義

今回のイベントには、Tools For Humanity日本代表の牧野友衛氏と、東京大学 松尾・岩澤研究室の松尾豊教授が登壇した。

牧野友衛- Tools For humanity 日本代表

2024年9月より現職。Worldプロジェクトを支援するtechnology企業である。Tools For humanityの日本事業を統括する。Tools For Humanity以前の経歴として、GoogleやYouTube、Twitterの事業責任者や、トリップアドバイザー、Activision Blizzard Japanの代表職を歴任。米国テクノロジー企業で20年以上の勤務経験で、イノベーション、事業戦略、リーダーシップの実績から、政府や自治体の有識者や専門委員も務める。

牧野氏は、World IDについて「匿名性を保ちながら、一人に一つのIDを実現する仕組み」であると説明した。背景にあるのは、オンライン上で深刻化する詐欺やなりすまし、不正アカウントの問題である。

従来はメールアドレスや電話番号を使った認証が一般的だったが、これらは複数取得が可能であり、不正利用を完全に防ぐことは難しい。政府発行のIDも有力な手段ではあるものの、不要な個人情報との紐付けが生じやすく、プライバシー上の懸念が残る。さらに、国や地域によって制度や普及率に差があり、戸籍を持たない人々の存在も踏まえると、グローバルに通用する仕組みを政府主導で整備することは容易ではない。

こうした課題に対し、World IDは不要な個人情報を開示することなく、インターネット上で「人間であること」を証明することを目指している。認証には、バレーボールほどの大きさの専用デバイス「Orb」を用いる。メールアドレスや電話番号に依存せず、一人に一つのIDを付与できる点が特徴だ。特に、複数アカウントを用いて不正に利益を得る「シビル攻撃」への対策として有効性が期待されている。

写真左の球体が「Orb」

また、AIによるなりすましが現実的な脅威となる中で、人間とAIを見分ける仕組みの重要性は一段と高まっている。イベントでは、Zoom上で映っている人物が本人であるかをリアルタイムで確認する取り組みにも言及があった。Orbで認証した本人と、現在画面に映っている顔が一致しているかを判定し、会議参加者に「Human Badge」を付与することで、人間であることを示す仕組みだという。

さらに、AIエージェントが本当に人間から委任を受けた存在なのかを確認する試みも、すでに社会実装に向けて進みつつあるという。

画像左:牧野友衛

東京大学との連携については、匿名化マルチパーティ計算(AMPC)のノードインフラ運用を担うパートナーとして参加するものだ。東京大学に加え、フリードリヒ・アレクサンダー大学やカリフォルニア大学バークレー校なども参加しており、今後さらにアカデミアからの参画を広げていく予定だという。この取り組みにより分散化をさらに進め、World IDの運用基盤をより安全なものにしていく考えだ。

松尾教授は、この提携について「非常に先進的な取り組みであり、まさにSFのような話だと思った」と述べた。そのうえで「人間とAIをより分けることが難しくなる社会に向けて、人間証明の仕組みを築くことは先進的な意義がある。その分散化の一助を担えることを光栄に思う」と語った。

画像左:松尾豊教授

また、「なぜ大学や研究機関との提携を主に行っているのか」という質問をした際に、牧野氏は、Web3やAIを研究している大学との連携が多いことに触れながら、「AIがこれから普及していくなかで、それにどう向き合うかが重要になる。そうした意味でも、専門性との相性を考えている」と語った。

クロストーク

「提携のきっかけは何ですか?」

牧野もともとのきっかけは、アレックスCEOが日本でIDを普及させるにあたって、TFHとして日本を訪問したことです。その時点では、まだAMPCができていない段階でしたが、その中で『日本でパートナーとして一緒にできないか』という話が出たのが始まりです」

松尾「まず、アレックスが来た時に、人類やAIの進展についてかなり意見が一致していて、内容もとても先進的だと感じて盛り上がりました。その流れでAMPCの話も出てきて、さらに議論が深まりました。私は、いわゆる『インターネットの父』と呼ばれる「村井 純」という人物を敬愛しているのですが、彼の行ったような、世界を変える技術の日本での拠点づくりに関われるのは非常に光栄なことだと思い、ぜひ進めたいと感じました

クロスセッション中の様子

「『人間証明』とは、学術的な視点からどのような意義がありますか」

松尾氏
もう、画面の向こうにいる相手が人間なのかAIなのか、わからなくなってきた時代ですよね。最近はエージェント技術もどんどん進んでいます。例えば、給付金やベーシックインカムを配るような場面で、もし配布先がAIだったら困るわけです。そんなことが起きたら制度そのものが破綻してしまうかもしれない。だから、相手が本当に人間かどうかを確認できることはとても大事です。
ただ、その証明の仕方は簡単ではありません。チューリングテストのような方法だけでは、もう十分ではないでしょう。総合的に人間かどうかを判断する必要があります。AIの進展を支え、安心してAIを使える社会を実現するためにも、このような基盤は重要だと考えています」


「現状のAIのリスクとポテンシャルのバランスについてどう見ていますか?」

牧野だんだんSFのような話が現実になるくらい、進化のスピードがとても速くなっています。最初は『ボットか人間か』を見分ける話だったのが、今は『エージェントなのか、人間なのか』まで判断しなければならなくなってきた。明日にはもう判断できないとリスクになる、そういう速度で進化していると思います。
だからこそ、早く対応しなければいけない。AIを制限するという発想ではなく、AIが広く普及して、多くの人がそのメリットを享受できるようにするために、どう対処するのか。その一つの答えが、人間一人ひとりに固有のIDを付与することによって、この問題を解決できるのではないかという考え方です」

松尾AIの技術は本当にどんどん進んでいます。例えば、さまざまなサービスにおいて、ハルシネーションで厄介なのは、単に文献情報が間違っているという話ではなく、引用された文献そのものまで嘘になってくることです。そこまでいくと、さらに一段見分けがつきにくくなる。そういう連鎖が起きる可能性があります。
そうした中で、発信しているのが本当に人間なのかどうかは重要ですし、そうした確認ができる技術がなければ、偽情報が横行してしまうでしょう。国内だけの話であれば、たとえばマイナンバーカードのような仕組みもあります。しかし、これがグローバルな話になると、それだけでは難しい。AIが人間を装っているのかどうかも判別しにくくなるし、一つの国の制度だけに立脚するのも危うい面があります。だからこそ、こうした取り組みには大きな意義があるのではないかと思います」

クロスセッション終了後

編集部所感

「あなたがロボットでないことを証明してください」

これは、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の入試で出題された問題として語られることがあります。もっとも、公式な記録は確認されておらず、実際には都市伝説としてネット上の動画やブログなどで広まったもののようです。それでも、この問いがたびたび取り上げられてきたのは、単に奇抜だからではなく、「相手が何者なのか」をどう見極めるのかという本質的なテーマを含んでいるからかもしれません。

一見すると、少し突飛な問いにも見えます。けれども今の社会は、まさにこの問いを現実のものとして突きつけられつつあります。ディープフェイクやAIエージェントのように、人間のようにふるまう存在はすでに珍しいものではありません。そうしたなかで、チューリングテストやCAPTCHAのような既存の方法だけで、人工知能と人間を十分に見分けられるのか。そんな問いが、これまで以上に重みを持ちはじめています。

今回のWorldの取り組みは、そうした課題に向き合う新しい解決策の一つとして注目されます。さらに、東京大学をはじめとするアカデミアが加わることで分散化が進めば、人間証明の仕組みはより安全で信頼しやすいものになっていくはずです。人間とAIの境界がこれからますます曖昧になっていくからこそ、「人間であることをどう証明するのか」という問いは、私たちにとって一段と身近で、重要なものになっていくのではないでしょうか。とメディアイベントに参加して改めて深く考えさせられました。

参考リンク

Tools For Humanity 日本語サイト
Worldプロジェクトを手がける企業「Tools For Humanity」の公式サイト。会社概要や、World、Orb、World Appといった主要プロダクトの位置づけを確認できます。AI時代に向けて「人々のための技術を構築する企業」と自らをどう定義しているかを知るのに向いたページです。

World はじめてガイド(日本向け)
日本国内向けの導入ページで、Worldの基本的な考え方に加え、Orbの設置場所、World IDの登録導線、個人情報の扱いに関する説明などを確認できます。日本での普及を意識した案内になっており、「Worldとは何か」を生活者向けにどう説明しているかがわかります。
(弊社オフィス周辺だと、初台にOrbが設置されていました。23区内なら用事のついでに取得することも可能そうです。駅の近くにありがちなのでショッピングの帰りについでにWorld IDを取得することも可能です。)

World 日本語公式サイト
World全体の公式トップページ。World ID、World App、Worldcoinの3つを軸に、サービス全体をどう構成しているかを俯瞰できます。「AIではなく、人間のためのインターネットへ」というメッセージのもと、匿名の人間証明を中核に据えた構想を確認するのに適しています。

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。