シリコンスタジオ、フィジカルAI事業を本格始動|元NVIDIA幹部をCPAIOに迎え、日本製造業の「訓練場」構築へ

ロボットが工場の床を歩き、自動運転車が雨の夜道を判断する——そのAIは、どこで”練習”しているのか。現実世界に放つ前に、仮想空間で何百万回も失敗と学習を繰り返す。その訓練場を誰が作るのか、という問いが、いまフィジカルAI開発の核心として浮上しています。


2026年5月12日、シリコンスタジオ株式会社(東証スタンダード:3907)は、フィジカルAIシミュレーション基盤事業を本格始動すると発表した。同日付で、元NVIDIAエンタープライズマーケティング本部長の林 憲一が執行役員「Chief Physical AI Officer(CPAIO:最高フィジカルAI責任者)」に就任した。

フィジカルAIとは、AIが物理世界を認識・判断し、ロボットや自動運転車などを通じて物理的に行動する技術を指す。その開発に不可欠なのが「Sim2Real」と呼ばれるアプローチだ。現実世界を忠実に再現したデジタルツイン上でAIを訓練し、現実環境へ転移させるもので、高度な3DCG技術を要する。日本国内でこのシミュレーション基盤を専門的に構築できる企業は少なく、産業界のフィジカルAI導入における障壁となっている。

シリコンスタジオは設立以来25年間、リアルタイム3DCG分野で技術を蓄積してきた。近年は機械学習向け教師画像生成ソリューション「BENZaiTEN」や、NVIDIA Omniverseを活用したデジタルツイン構築を産業分野に展開している。今回、これらの技術資産をフィジカルAI時代のシミュレーション基盤として再定義し、日本の製造業・自動車・ロボティクス産業向けに提供を推進する。

From: 文献リンクシリコンスタジオ、フィジカルAIシミュレーション基盤事業を本格始動(PRTimes)

【編集部解説】

フィジカルAIの「訓練場」をめぐる主導権争い

フィジカルAIは、いまAI産業のなかでもっとも資本と技術が集中している領域のひとつです。ヒューマノイドロボットの実用化、自動運転の社会実装、製造現場の無人化——いずれも「AIに物理世界を扱わせる」という共通の課題に行き着きます。そして、AIに物理世界を教える唯一現実的な方法が、シミュレーション環境のなかで何百万回も試行錯誤させる「Sim2Real」のアプローチです。

つまり、「どこで訓練するか」を握ることは、「誰のAIが物理世界に出てくるか」を間接的に決める。だからこそ、訓練場——シミュレーション基盤——をめぐる主導権争いが、表に出にくい形で進んでいます。

海外では「ゲームエンジン」が産業AI基盤に転用されている

シリコンスタジオの今回の戦略を理解するには、まず世界の文脈を抑えておく必要があります。

すでに米国では、Unreal Engine(Epic Games)が産業用シミュレーション基盤として広範に採用されています。Duality AIの「Falcon」プラットフォームはUnreal Engineの上に構築され、ドローン、屋外自律ロボット、衛星ドッキングなど多様なAIの合成データ生成と訓練に使われています。オフロード自動運転を手がけるForterraは、天候・地形・障害物といった多様な環境条件を再現するためにUnrealのレンダリング能力を活用しています。

NVIDIAも別ルートから攻めています。Omniverseの上に構築されたIsaac Simが、ロボット業界のデファクト・シミュレーション基盤になりつつある状況です。

つまり、「ゲームや映像のために磨かれた3DCG技術が、産業AIの訓練基盤として再評価される」という地殻変動が、海外では数年前から進行しています。Unity、Unreal、Omniverseという三大プラットフォームが、それぞれ別の経路で同じ場所——フィジカルAIの訓練場——に集まってきている、という構図です。

日本のロボットメーカーは、すでに自前でOmniverseに乗っている

ここで、シリコンスタジオのリリースが提示する前提を、いったん解像度を上げて見直してみます。リリースは「日本国内には高度な3DCG技術が必要なシミュレーション基盤を専門的に構築できる企業が少ない」と述べていますが、実際の構図はもう少し複雑です。

産業用ロボットの世界4強のうち2社は日本企業です(ファナック、安川電機)。そして、その両社はすでにNVIDIA Omniverseとの統合を進めています。

ファナックは2025年12月の国際ロボット展(iREX2025)で、3kg可搬の協働ロボットから2.3トンの大型ロボットまで、全ラインナップをNVIDIA Isaac SimのOpenUSD SimReadyアセットとして提供すると発表しました。同社のロボットシミュレーションソフト「ROBOGUIDE」とIsaac Simを統合することで、実機と同じアルゴリズムで動く仮想ロボットをフォトリアルな仮想工場のなかで稼働させられる体制を整えています。

安川電機は、それ以前の2024年11月のNVIDIA AI Summit Japan時点ですでにNVIDIA Isaac SimとOmniverseを採用し、自律ロボット「MOTOMAN NEXT」の開発・展開に活用していました。さらに、6D姿勢推定モデル「FoundationPose」を組み込んで、Sim2Real転移の精度向上にも取り組んでいます。

トヨタもまた、Woven Cityで自前のデジタルツインを構築しています。質量特性、重力、摩擦をモデリングし、溶接や鍛造ラインのような物理的に過酷な作業環境のロボット動作をOmniverseで検証する仕組みを動かしています。

さらに、富士ソフトのような大手システムインテグレーターも、Omniverse、Unity、Unreal、Gazebo、Emulate3D対応のロボットシミュレータ構築支援サービスを提供しています。

つまり、日本の製造業の頂点層では「自前で」または「大手SIerと組んで」フィジカルAIの訓練基盤を整える動きがすでに走っている、というのが実態です。リリースが述べる「専門企業が少ない」という表現は、この実態と完全には噛み合いません。

では、シリコンスタジオの居場所はどこか

ここまでの構図を踏まえると、シリコンスタジオが本格参入する意味は、リリースが描く「日本にはこの分野の専門企業がほぼいないので、自社が空白を埋める」という単純な構図ではないことが見えてきます。むしろ、すでに動き始めている市場のなかで、ロボットメーカー本体やNVIDIA直結のソリューションプロバイダーがカバーしきれない層を、どう取りに行くか、という戦略になります。

私から見える同社の固有の強みは、以下に整理できると考えます。

まずはじめに、フォトリアル品質への蓄積です。同社のリアルタイムレンダリングエンジン「Mizuchi」やポストエフェクトミドルウェア「YEBIS」は、長年ゲーム業界のAAAタイトルで使われてきた技術です。物理シミュレーションの正確さと、視覚的なフォトリアリズムは別の問題で、後者を専門に磨いてきた企業は国内では限られます。Sim2Realの「視覚由来のギャップ」を埋める部分では、ゲーム由来の技術蓄積が直接的に効きます。

次に、プラットフォーム横断対応です。同社は自社サイトでUnreal Engine、Unity、NVIDIA Omniverseのいずれも扱うと明示しており、Epic Gamesの正規代理店としてUnrealのライセンス販売も手がけています。顧客のロボットメーカーや自動車部品メーカーがどのプラットフォームを採用していても伴走できる「中立性」は、現実的な営業上の強みになります。

また、産業横断の実装実績も強みを持っています。同社はマツダ向けにMAZDA CO-PILOT CONCEPT技術開発用の合成データ生成ツールを開発し、アイシンとはCEDEC 2020で駐車スペース検知のための学習データ生成を発表しています。クボタ向けには製品検査用のCG画像合成ツールを開発し、実用レベルの教師データ生成に貢献したとされています。建設業の西松建設には、トンネル3Dデジタルツインを納入しています。これらの実績は、自動車Tier1や中堅製造業——ファナック・安川のような頂点層ではなく、その下流の幅広い顧客層——への伴走力を示しています。

要するに、ファナックや安川がOmniverse上で自社製品の訓練基盤を整えるのに対し、シリコンスタジオが取りに行くのは、そうした頂点プレイヤーが直接対応しきれない裾野層、あるいは複数プラットフォームを横断する案件、あるいは「現実とCGの見分けがつかない品質」が必要になる特定ユースケースであろう、というのが調査からの推定です。

元NVIDIA幹部起用の意味

そう考えると、元NVIDIA幹部の林氏をCPAIOに据えた人選も、表面的には「NVIDIAエコシステムへの本格コミット」と読めますが、実質的には「Omniverseという事実上の標準言語を話せる人材を、エコシステム内のSI/実装側の立場で確保した」という意味のほうが大きいかもしれません。

NVIDIA本体はプラットフォームとリファレンス実装を提供しますが、各企業の現場に合わせた個別の実装、運用、最適化までは手が回りません。その隙間に立つのが、Omniverse公認パートナー的なポジションを取れるSIerであり、シリコンスタジオはそこに照準を合わせていると見るのが自然です。

残る論点と、私たちが見ていくべきもの

ただ、楽観だけで終わらせる気にはなれない論点もいくつかあります。

ひとつは、Sim2Realギャップは本質的に未解決の問題だということです。視覚的にフォトリアルでも、物理シミュレーションが現実とずれていれば、訓練したAIは実機で機能しません。ゲーム由来の3DCGが強みを発揮するのは視覚部分ですが、剛体・流体・接触力学などの物理精度はゲームエンジンの本来の主戦場ではありません。ここをどう補強するか、自社単独でできるのか、外部の物理エンジンとの統合に頼るのか、戦略の中身が問われます。

もうひとつは、Omniverse依存のリスクです。NVIDIAというプラットフォーマー1社への依存度が上がりすぎると、ライセンス条件や戦略変更に振り回されやすくなります。同社が宣伝するUnreal/Unity/Omniverseの横断対応を、今後どこまで本気で維持できるかは、エコシステムの未来を占う論点になります。

そして、人材です。リリースで林氏自身が「3DCGエンジニアと、フィジカルAI/ロボティクスの両方を理解する人材の希少さ」をどう確保するかには触れていません。NVIDIA Omniverseに精通した日本国内のエンジニア層は、現時点では非常に薄いというのが業界共通の認識です。25年の3DCG蓄積を、フィジカルAI領域でどう翻訳していくかは、技術ではなく組織と採用の問題になります。

フィジカルAIの訓練場をめぐる主導権争いは、いまようやく日本市場でも始まったばかりです。CPAIOという肩書きを置く企業が出てきたこと自体が、その始まりを象徴しています。私たちはこの動きを、ひとつの企業の戦略発表としてではなく、「日本の製造業が次の10年でどこに足場を置くか」を測る指標として見ていきたいと思います。

【用語解説】

フィジカルAI(Physical AI)
AIが物理世界を認識・判断し、ロボットや自動運転車などのハードウェアを通じて実際に動作する技術の総称。従来の「デジタル世界だけで機能するAI」と対比して使われる。学習・推論・制御までを一貫して行うシステムを指し、製造・物流・建設・医療など多様な産業領域での応用が進む。

Sim2Real(シムツーリアル)
「Simulation to Reality」の略。仮想空間(シミュレーション)でAIを訓練し、現実世界に転用するアプローチ。実機試験のコストや危険を回避しながら大量の学習経験を積めるが、仮想と現実の物理的差異(Sim2Realギャップ)を解消することが技術的な核心課題となる。

デジタルツイン
現実の物理空間や設備・製品を、センサーデータ等に基づいてデジタル上に精密に再現した仮想モデル。製造ラインの事前シミュレーション、設備の状態監視、ロボット動作の検証などに活用される。フィジカルAIの訓練基盤として需要が急増している。

OpenUSD(Open Universal Scene Description)
Pixar Animationが開発し、現在はAlliance for OpenUSDが管理する3Dデータの共通フォーマット。NVIDIA Omniverseをはじめ、主要な産業用シミュレーション・プラットフォームがデータ交換の標準として採用しており、異なるソフトウェア間で3D資産をシームレスに連携させる役割を担う。

FoundationPose
NVIDIAが開発した6D姿勢推定モデル。ロボットが物体の位置(x/y/z)と向き(回転3軸)を高精度に認識するためのAIで、ピッキングロボットや組み立てロボットの精度向上に用いられる。シミュレーションデータで訓練し現実に転用するSim2Real手法と組み合わせて使われる。

SimReady(SimReadyアセット)
NVIDIA Isaac SimおよびOmniverse向けに最適化された3Dアセット(ロボットや設備の3Dモデル)の規格。物理特性(質量、摩擦、関節など)が正確にモデリングされており、シミュレーション環境に組み込んだ際に実機に近い動作を再現できる。

AAAタイトル
ゲーム業界において、大規模な予算と開発リソースを投じた最高品質のゲーム作品を指す業界用語。グラフィクス品質・表現技術の水準が最も高く、シリコンスタジオのミドルウェアはこうした作品を通じて技術を磨いてきた。

【参考リンク】

シリコンスタジオ株式会社(外部)
東証スタンダード上場(3907)の3DCG技術・ミドルウェア企業。YEBIS、Mizuchi、Enlightenなどのミドルウェアを開発・提供。

シリコンスタジオ テクノロジーソリューション(外部)
産業向けCG・AI・デジタルツイン事業のポータルサイト。BENZaiTEN、Omniverseソリューション、導入事例を掲載。

BENZaiTEN|機械学習向け教師画像生成(外部)
シリコンスタジオが提供する、物理ベースレンダリング(PBR)による合成データ生成ソリューション。自動車・製造業向けに実績あり。

NVIDIA Omniverse(外部)
NVIDIAが提供するOpenUSDベースの産業用シミュレーション・コラボレーション基盤。デジタルツイン構築やフィジカルAI開発のプラットフォームとして世界標準化しつつある。

NVIDIA Isaac Sim(外部)
Omniverseライブラリ上に構築された、オープンソースのロボット向けシミュレーション・合成データ生成フレームワーク。Apache 2.0ライセンスで無償提供。

NVIDIA Isaac|ロボットAI開発プラットフォーム(外部)
Isaac Sim、Isaac Lab、GR00T等を含む、ロボット開発のフルスタックプラットフォーム。自律ロボット・ヒューマノイドの開発・訓練・展開を支援。

【参考動画】

▲ 生成AIの次は「フィジカルAI」|工場・ロボットはどう変わるのか?(2026年3月・展示会取材)。ヒューマノイドからSim-to-Realまで、フィジカルAIの現在地を日本語で概観できる。

▲ 【ファナック社長を直撃】”フィジカルAI”時代の勝機は?(2025年12月)。日本のロボット産業トップ企業がフィジカルAIをどう捉えているかを当事者の言葉で聞ける。

【参考記事】

フィジカルAI時代のNVIDIA Omniverseと日本のイノベーター(外部)NVIDIA Japan公式ブログ、2024年11月
安川電機のMOTOMAN NEXTへのIsaac Sim/Omniverse採用、FoundationPose活用、トヨタのWoven CityにおけるOmniverse活用の実態を一次情報として記載。

ファナック、全ロボットをNVIDIA Isaac SimのSimReadyアセット化(外部)ファナック公式、2025年12月
iREX2025でのファナックのフィジカルAI発表内容。3kg〜2.3トン全ラインナップのSimReady化、ROBOGUIDEとIsaac Simの統合を一次情報として確認。

Unreal Engine 5 Is Becoming the Platform of Choice for Robotics Simulation(外部)Unreal Engine公式スポットライト
Duality AI(Falcon)、Forterraなど米国勢がUnreal Engine 5をロボティクス・自動運転の訓練基盤として採用している状況を解説。

シリコンスタジオが自動車・製造業向けCGソリューションで実績拡大(外部)MONOist、2025年2月
クボタ、マツダ、アイシン向けのBENZaiTEN実装事例を詳述。同社の産業実績の裏付けとして参照。

ファナック・ABB・安川・KUKAがNVIDIA Omniverse/Isaac Sim統合を加速(外部)ロボスタ、2026年3月
産業用ロボット4強によるOmniverse統合の最新状況。頂点層がすでに自前で動いている構図の補強として参照。

ロボットシミュレータ構築支援|富士ソフト(外部)富士ソフト公式
Omniverse、Unity、Unreal、Gazebo、Emulate3D対応のロボットシミュレータ構築支援を商用提供している国内大手SIerの実態。

【編集部後記】

ゲームや映像の世界で磨かれた「現実そっくりの嘘をつく技術」が、いま「現実に出す前にAIを訓練する場」へと姿を変えていく——この反転には、どこか奇妙な味わいがあります。

娯楽の極北だったものが産業のインフラに転用される瞬間を、私たちは何度か目撃してきました。映画用のCG技術が医療画像に流れ、ゲーム用のGPUがAI学習基盤になった。今回もまた、その系譜のひとつなのかもしれません。

ただ、訓練場の解像度が上がるほど、「どこまで再現できれば現実と同じといえるのか」という境界は、逆に見えにくくなっていきます。仮想空間で千回成功したロボットが、現実で最初に躓くとき、私たちは何を学んだことになるのでしょうか。

Googleで優先するソースとして追加するボタン
投稿者アバター
乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。