てんかんの原因を探して、この患者は2度も血液からRNAを調べていました。答えが出なかったのは、見るべき組織が脳だったからです。Google DeepMindが90億通りの変異をあらかじめ計算し終えたことで、どこを見ればいいのかが先に分かるようになりました。
Google DeepMindは2026年9月8日、ヒトゲノム上で起こりうる約90億通りの1塩基置換すべてについて、分子レベルの影響をあらかじめ計算した「AlphaGenome Atlas」を公開した。2025年6月に公開したゲノム解析AI「AlphaGenome」の予測を事前計算し、検索できるデータベースにまとめたもので、データ量は1ペタバイトに達する。
あわせて、変異の影響度を1つの数値で表す「AVI(AlphaGenome Variant Impact)スコア」を導入した。AlphaGenomeとAlphaMissenseの予測に保存性などを加えた18の特徴量から算出し、コード領域と非コード領域の双方に適用できる。同日から非商用の学術研究向けに無償提供している。
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AlphaGenome Atlas: Molecular predictions for 9 Billion human DNA variants
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【編集部解説】
モデルを配るのではなく、答えを配る
AlphaGenomeは2025年6月にAPIで公開され、2026年1月にNatureへ掲載されました。ただし、使うたびにモデルを動かす必要がありました。変異を1つ調べるには、その周辺100万塩基の配列を読み込ませて推論を走らせる。研究として1件ずつ確かめるならこれで足りますが、規模が変わると話が違ってきます。希少疾患の診断では、患者1人のゲノムに400万から500万個の変異が並びます。数万人規模のコホートなら桁がもう2つ上がる。計算そのものが壁になっていました。
Atlasがしたのは、その推論を先に全部済ませてしまうことです。ヒト参照ゲノムhg38上のあらゆる1塩基置換、約90億通り。加えて、gnomAD、UK Biobank、All of Usで実際に観測された1億を超えるインデル。1変異あたり平均27,000の実験別スコアが並び、全体で1ペタバイトになりました。研究者の側から見ると、変異の影響を「計算する」工程が「引く」工程に変わったことになります。
この規模を可能にしたのは、モデルを軽量化した蒸留版の採用と、地道な工夫の積み重ねでした。ゲノムを128塩基ずつの窓に区切り、窓ごとに参照配列の予測を1回だけ計算して使い回す。エクソン境界やスプライス部位といった注釈のマスクも、同じ窓の384変異で共有する。1変異ずつ律儀に計算していた部分を、束ねられるところまで束ねた形です。
AlphaFold Databaseの再演と、その違い
2022年、AlphaFold Databaseは約19万件の実験構造から2億件超の予測構造へと広がり、コードを書かない研究者でも扱えるポータルとして定着しました。今回のAtlasが同じ道筋を意識しているのは、DeepMind自身がその比較を持ち出していることからも分かります。同社の説明では、Atlasのデータ量はAlphaFold Databaseの30倍を超えます。
無償のWebポータル、直感的な可視化、APIの併設という組み立ても共通しています。ただ、届け方には一段の変化があります。Atlasは非商用の学術研究には無償ですが、商用利用はGoogle Cloud経由で「近日」とされ、時期も条件もこれから示される段階です。誰にでも無償だったAlphaFold Databaseとは、そこが分かれます。
もう一つ、AlphaFold Databaseとの決定的な違いは、扱っているものが構造ではなく差分だという点です。タンパク質の立体構造には、pLDDTやPAEといった予測の信頼度指標があり、実験構造と突き合わせる作法も積み上がってきました。一方でAtlasが出すのは「この1文字が変わったとき、遺伝子の働きがどれだけ動くか」という予測値です。答え合わせの条件が細胞種や組織や測定法によって変わるため、非コード変異を横断的に較正する物差しは、まだ分野全体で整備の途中にあります。
スコアと一緒に理由が出てくる
AVIスコアの設計で目を引くのは、入力特徴量がわずか18に絞られていることです。AlphaGenome由来の10個、AlphaMissense、VEPによるタンパク質終止系の3個、保存性2個、インデルの指標2個。150を超える特徴量を使うCADD v1.7と比べると、思い切った引き算です。
同時公開された査読前論文は、この絞り込みを、特徴量の寄与をより精密に分解できるようにするためだと説明しています。試した追加の特徴量が性能を目立って改善せず、この18個で幅広い評価に対応できたことも併せて書かれています。つまりAVIは、順位付けの精度だけでなく、なぜその順位になったのかを見せることを設計に織り込んでいます。SHAPで計算された18の寄与は、足し合わせるとPHREDに変換する前の生スコアになる。ある変異が上位に来たとき、効いているのがスプライシングなのか、発現なのか、それとも保存性なのかが数値で分かれて出てきます。
順位表は「次に何を調べるか」を決めるための道具です。理由が同時に出るということは、次の実験の設計まで一続きになるということでもあります。実際、Atlasにはゲノム全体から見つけた2,601種類の配列モチーフと、その2,530億か所の出現位置が収録されており、高いスコアの変異がどの制御の「単語」を壊しているのかまで追えるようになっています。
血液からは見えなかったもの
今回の発表で最も具体的な成果は、GREGoRコンソーシアムとの共同で報告された、てんかん性脳症の症例です。
Broad Instituteのローラ・コヴィル(Laura Covill)氏、アン・オドネル=ルリア(Anne O’Donnell-Luria)氏らは、親子のゲノムがそろった814人の未解決例について、新生変異をAVIで順位付けしました。ある患者で最上位に来たのは、DNM1遺伝子のイントロン10にある1塩基の置換でした。AVIのPHREDスコアは24.7、その69%がスプライシングの特徴量に帰属していました。
AlphaGenomeの予測が示したのは、この変異が脳で特異的に働く隠れたスプライス受容部位を新しく作り出し、脳特異的なエクソンを13アミノ酸ぶん伸ばしてしまう、という筋書きです。この患者は過去に2回、血液から取ったRNAの解析を受けていましたが、結果ははっきりしませんでした。予測を見ると理由が分かります。問題のエクソンは静脈血ではほとんど発現しないのです。見るべき組織が違っていた。
チームはこの筋書きを、エクソン上流265塩基を網羅的に変異させたレポーター実験で確かめ、5つの細胞株で12個の変異が同じエクソンの伸長を起こすことを確認しました。得られた証拠は、この変異をLikely Pathogenicに分類するよう推奨するのに十分だったとされています。
ここで注目したいのは、既存のスプライシング予測モデルSpliceAIも、この領域を計算させれば同等の性能を出したという点です。見逃されていた理由は精度ではなく、配布されている事前計算スコアにこの領域が含まれていなかったことにありました。網羅していることそれ自体が性能になる、という事例です。
22%という数字の読み方
もう一つの成果は、集団規模の解析です。エクセター大学のガレス・ホークス(Gareth Hawkes)氏は、UK Biobank参加者54,189人の全ゲノムと、血中の2,028種類のタンパク質量を突き合わせました。Atlasの特徴量で上位1%に絞ってから希少変異をまとめたところ、独立した非コード変異の集約が22%多く見つかりました。ここでいう集約とは、近い場所にある複数の希少変異を1つの検定単位としてまとめたものを指します。
この22%を「非コード領域の解明が22%進んだ」と読むと、原典から離れます。論文が説明しているのは特異度の向上です。同じ制御の仕組みを共有する変異だけを集められるようになったため、統計的な雑音に埋もれていた信号が浮かんだ。老化との関連が知られるPLA2G7の上流では、従来の集約が526個の変異を束ねていたのに対し、AVIで絞ると15塩基の窓に収まる4個まで減り、そこで有意になりました。数を増やしたのではなく、混ぜ物を減らしたわけです。
論文はこの解析について、いくつかの条件を自ら書き添えています。UK Biobankの解析基盤が一時停止していた事情から、解析には公開版より少し古い内部リリースが使われたこと。身長やBMIなど複雑形質の解析にはAVIをまだ用いていないこと。そして、別のコホートAll of Usで検定できた25件のうち、名目上の有意水準に届いたのは4件だったこと。希少変異の関連を別集団で再現することは分野全体として難しく、ここは今後の宿題として置かれています。
ベンチマークの内訳にも同じ誠実さがあります。AVIはClinVarのイントロン領域でAUPRC 0.76と、次点の0.44を大きく引き離しました。同義置換や3’UTRでも同様です。一方で5’UTRと、非コードのメンデル遺伝病を集めたTraitGymでは、進化的な保存と制約にもとづくGPN-Starにわずかに及びませんでした。得意な領域と、これから伸びる領域がはっきり分かれて示されています。
日本の読者にとって
ここからが、日本でこの資源をどう受け取るかという話です。
Atlasが計算の土台にしているのは参照ゲノムhg38です。AVIの学習にはgnomAD v4.1のアレル頻度が使われ、評価や応用にはClinVar、TraitGym、GREGoR、UK Biobank、All of Usといった資源が用いられました。いずれも米英で構築されたものが中心を占めます。論文自身、非コード変異の較正基準づくりと、多様な遺伝的祖先にわたる評価を、コミュニティで進めるべき課題として挙げています。
これは設計の欠けではなく、順序の問題です。まず作られ、これから各集団で確かめられていく。日本には、10万人規模の全ゲノム解析にもとづく参照パネルを公開している東北メディカル・メガバンクや、臨床情報と結びついた試料を集めてきたバイオバンク・ジャパンがあり、AVIの順位付けが日本人集団でどう振る舞うかを評価できる基盤があります。実際の検証には利用審査や表現型の対応づけ、比較基準の設計が要ります。それでも、90億通りの予測がすでに計算済みで、非商用の研究なら無償で引けるということは、変異ごとの予測を得る負担が大きく下がるということです。日本の研究チームにとって、これは待つ話ではなく、動ける話です。
もう一点、実務上重要なのは提供の形です。AtlasはWebポータルとAPIに加えて、Googleのエージェント環境Google Antigravityで使えるScience Skillsにも組み込まれました。AVIスコアの取得、単一変異の解析、Atlasの該当画面へのリンク生成が、それぞれ独立したスキルとして公開されています。DeepMindの説明では、変異の一覧を順位付けし、なぜ上位なのかの分解を受け取り、参照配列と変異配列を比べる図をチャットの中に描くところまで、コードを書かずに進められます。ゲノム解析の入口が、コマンドラインからもう一段手前に移りつつあります。
第1世代の地図として
論文は締めくくりで、このAtlasを終着点ではなく基準点だと位置づけています。RNA-seqの学習データは標準的なpoly(A)選択法によるため、ポリA鎖を持たないノンコーディングRNAは捉えられません。収録されていない細胞種もまだ多い。転写因子の発現量が変わるといった、配列の外側にある因子を介したtrans作用も直接は扱いません。そしてAtlasもAVIも臨床診断の証拠連鎖の一部にしかなり得ず、単独で診断の根拠にはならないこと、臨床利用について検証も承認もされていないことが明記されています。
地図の比喩は、この資源をよく言い当てています。最初の世界地図が海岸線を歪めていたことは、地図が役に立たなかったことを意味しません。それでも人は航海に出られるようになり、航海した結果として地図が正確になっていきました。90億通りの予測が並んだこの一枚が、これから何度も書き直されていくことを、作った側が最初に宣言している。その姿勢ごと、受け取るに値する発表だと思います。
【関連記事】
Google DeepMind「AlphaGenome」|非コード領域を解析する最新ゲノムAI
2025年6月のAPIプレビュー公開時の記事。ゲノムの98%を占める非コード領域を解析する新しいモデルとして紹介している。
Google DeepMind、ゲノムの98%を解析するAI「AlphaGenome」公開、がん研究に革新
2026年1月のNature掲載時の記事。がん研究への応用を中心に、AlphaGenomeの性能と意義を取り上げている。
【編集部後記】
AVIスコアは1つの数値です。数値は並べ替えられるので、上から順に正解が並んでいるように見えてしまいます。ブリティッシュコロンビア大学の遺伝学者カール・デ・ボーア(Carl de Boer)氏は、この資源の有用性を認めたうえで、誤読されやすいだろうとIEEE Spectrumに語っています。
順位表は調査を始めるためのもので、終わらせるためのものではない。そう言い聞かせながら使う道具が、また1つ増えました。
【用語解説】
1塩基置換(SNV)
DNAの1文字が別の文字に置き換わった変異。ヒトゲノムの約30億塩基それぞれに3通りの置換がありうるため、総数は約90億通りになる。
インデル
塩基の挿入または欠失。置換と違い総数が有限でないため、Atlasには実際に観測されたものだけが収録されている。
非コード領域
タンパク質の設計図を直接持たない領域。ヒトゲノムの98%を占め、いつどこでどれだけ遺伝子を働かせるかを制御する。
hg38
ヒト参照ゲノム配列の版の一つ(GRCh38)。Atlasの全計算はこの座標系の上で行われている。
AVIスコア
AlphaGenome Variant Impact score。変異1つの影響度を1つの数値で表す指標で、18の特徴量から算出される。
PHREDスコア
元の値を順位に基づく尺度へ変換したもの。10が上位10%、20が上位1%、30が上位0.1%にあたる。
AlphaMissense
Google DeepMindが2023年に公開した、タンパク質のアミノ酸が置き換わる変異の影響を予測するモデル。AVIの特徴量の一つとして組み込まれている。
VEP
Variant Effect Predictor。Ensemblが提供する変異注釈ツール。AVIでは終止コドンの獲得や消失といった判定に用いられている。
スプライス受容部位
前駆RNAから不要な部分を切り取ってつなぐ際、つなぎ目の下流側にあたる目印の配列。ここが新しくできると、本来使われない配列が転写産物に混ざる。
新生変異
両親のどちらにも見られず、その子で初めて生じた変異。親子3人のゲノムを比べることで絞り込める。
Likely Pathogenic
変異の臨床的な分類の一つで、病原性が高い可能性があるという段階。確定を意味しない。
SHAP
予測値を各入力の寄与に分解する手法。AVIでは18の寄与の合計が、PHREDに変換する前のスコアに一致する。
AUPRC
適合率と再現率の曲線が描く面積。陽性が少ないデータでの見分ける力を測る指標として用いられる。
CADD
変異の影響度を1つの数値で表す代表的な既存手法。最新版のv1.7は150を超える特徴量を用いる。
ClinVar
変異と疾患の関係について、臨床検査機関や研究機関の解釈を集めた公開データベース。米国NCBIが運営する。
gnomAD
世界各地の集団で観測された変異の頻度を集めたデータベース。Broad Instituteが公開しており、AVIの学習ではv4.1の頻度が使われた。
GREGoRコンソーシアム
米国NIHが支援する、未診断の希少疾患を解決するための研究連携。今回の症例報告はこことの共同による。
TraitGym
非コード変異の効果予測モデルを比較評価するためのベンチマーク。メンデル遺伝病と複雑形質の2種類がある。
GPN-Star
進化的な保存と制約にもとづく変異効果予測モデル。5’UTRとTraitGymのメンデル遺伝病でAVIをわずかに上回った。
SpliceAI
スプライシングへの影響に特化した予測モデル。今回の症例でも、計算させれば高い性能を示した。
蒸留
大きなモデルの振る舞いを、小さく速いモデルに写し取る手法。Atlasの全ゲノム計算はこの軽量版で行われた。
配列モチーフ
転写因子などが結合する、繰り返し現れる短い配列パターン。制御の「単語」にあたる。
trans作用
転写因子のように拡散する因子を介して、別の場所の遺伝子に影響する働き。同じ配列の内側で完結するcis作用と対になる。
poly(A)選択RNA-seq
RNAの末端にあるポリA鎖を目印に回収して読む標準的な手法。ポリA鎖を持たないRNAは原理上そこに含まれない。
pLDDT/PAE
AlphaFoldが構造予測に添える信頼度の指標。局所の確からしさと、離れた部分どうしの位置関係の確からしさを表す。
【参考リンク】
AlphaGenome Atlas(外部)
変異を検索し、細胞種ごとの予測トラックとAVIスコアの内訳を閲覧できる公式ポータル。利用にはGoogleアカウントでのサインインが必要。
AlphaGenome(Google DeepMind)(外部)
AlphaGenomeとAtlasの概要ページ。モデルの仕組みと提供形態、Science Skillsでできることがわかる。
AlphaGenome API(外部)
公式のAPIクライアント。Atlasの事前計算データにもここから接続できる。非商用の研究利用は無償で、Atlas側は問い合わせ上限も緩い。
GDM Science Skills(外部)
AlphaGenome関連の3つのスキルを含む、科学研究向けのエージェントスキル集。Apache 2.0ライセンスで公開されている。
AlphaGenome Atlas 技術論文(外部)
Atlasの構築手法、AVIスコアの設計、ベンチマーク、3つの応用例を収めた査読前の論文。PDFで全文が公開されている。
Google Antigravity(Science)(外部)
Science Skillsを動かすGoogleのエージェント環境。科学分野での利用例とデモが置かれ、スキルの導入手順もわかる。
東北メディカル・メガバンク機構 ゲノム・オミックス解析(外部)
10万人規模の全ゲノム解析にもとづく日本人参照パネルjMorpの解説。gnomADと比較しながら変異の頻度を調べられる。
【参考記事】
AlphaGenome Atlas Maps 9 Billion Possible DNA Variants(外部)
研究者が自分で変異を選びコードを書いて回す必要がなくなったという変化を軸に据え、1メガ塩基という視野の限界にも触れている。
New Google DeepMind atlas could transform our understanding of genetic diseases(外部)
AlphaFoldのデータベースの後継という位置づけを示しつつ、規模は30倍でも精度の性格は異なると冷静に整理している。
AlphaGenome Atlas maps billions of genetic changes with AI(外部)
約30億塩基のそれぞれに3通りの置換があり、90億通りになるという数え方を、医療系メディアの立場から丁寧に説明している。
Advancing regulatory variant effect prediction with AlphaGenome(外部)
Atlasの土台となったAlphaGenome本体の性能を、26の変異効果予測評価にわたって示した2026年1月の論文。


















