生成AIの声模倣訴訟、東京地裁が津田健次郎氏の請求を棄却

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「棄却」と聞けば敗訴です。けれども、津田健次郎氏の訴訟の判決文には、声がどの条件で守られるかを示した一文が置かれていました。敗訴なのに、なぜ声の権利の話題として受け止められたのでしょうか。判決が書いたことと、書かなかったことの境目を、判決文の言葉にそって読みます。


東京地裁は2026年9月30日、声優の津田健次郎氏がTikTok Pte. Ltd.を相手に、自身の声に類似するナレーションが付いた動画188件の削除を求めた訴訟で、請求を棄却した。判決は、人の声は肖像と同様に個人の人格の象徴であり、実演家の声に顧客吸引力があり、その声を無断で使う行為が専らその利用を目的とするときは、パブリシティ権の侵害に当たると解するのが相当だと述べた。

一方で、投稿者が2026年5月29日にアカウントを削除し、データは6月28日の経過で同社のサーバから消えたとして、削除義務を否定した。その余の争点には判断を示さなかった。

From: 文献リンク東京地方裁判所 令和8年9月30日判決(令和7年(ワ)第70635号 投稿記事削除請求事件)

【編集部解説】

請求棄却という結果は、訴訟上は津田健次郎氏の敗訴です。ただし、それだけで声の権利侵害が否定されたと読むことはできません。判決文を読むと、何が判断され、何が判断されなかったのかが見えてきます。

判決が書いたこと

請求は、投稿された動画188件の削除でした。根拠は不正競争防止法3条とパブリシティ権です。判決は、削除義務の有無に入る前に、パブリシティ権について一般論を述べています。人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴であること。実演家の声を無断で使う行為は、その声に商品の販売などを促進する顧客吸引力があり、使う行為が専らその顧客吸引力の利用を目的といえるときは、パブリシティ権の侵害に当たると解するのが相当であること。日本経済新聞や産経新聞は、声がパブリシティ権で保護されると明示した初めての司法判断と伝えています。

棄却の理由は、対象が消えていたことでした

投稿者は2026年5月29日にアカウントを削除し、30日以内に復旧申請をしませんでした。裁判所は提出された証拠から、データが6月28日の経過でTikTokのサーバから削除されたと認定しています。被告の内部規則や公表している利用ポリシーとも整合するとしました。削除したデータが長く残っていたとする報道などを挙げた原告の主張は、本件の削除手続に直接関連しないとして、認定を左右しませんでした。

判決は、仮に被告に削除義務が生じ得るとしても、対象の投稿は口頭弁論終結時までに被告のサーバから削除されており、さらに削除義務を負うことはないと結論づけました。対象の投稿を消すという状態は、判決の前に実現していました。なお、却下ではなく棄却です。裁判所は、削除対象が存在するかどうかは訴えの利益ではなく、実体上の削除請求権の存否の問題だとして、被告の主張を退けています。

判断が示されなかった論点

動画の声が誰のものかについて、原告は音声の比較分析で類似を示せると主張し、被告は原告以外の第三者の声をAIで加工した、普遍的な男性の声だと主張しました。この点に判決は立ち入らず、「その余の争点についてこれ以上の判断はしない」としています。プラットフォームが削除義務を負う場合があるかどうかも、「仮に」と置かれたままです。法務省の指針は、パブリシティ権を侵害するインターネット上のコンテンツについて、それを管理運営するプラットフォーム事業者にも削除請求をすることができると考えられる、と整理しています。不正競争防止法の争点も、判断は示されませんでした。

8月の指針から、9月の判決へ

法務省は8月7日、生成AIによる肖像・声の無断利用について解釈指針を公表しました。声は人物を識別する情報であり、かつ個人の人格の象徴でもあるため、パブリシティ権などの保護対象に含まれるという整理です。報告書は、生成AIによる無断利用事案には裁判例もなく、権利侵害となる範囲が不明確だという指摘があったと記していました。

9月30日の判決は、同じ「人格の象徴」という言葉で声を位置づけ、パブリシティ権の侵害が成り立つ条件を一般論として文章にしました。その条件は、最高裁が氏名や肖像について示した「専ら顧客吸引力の利用を目的とする」という枠組みに沿っています。指針も、同じ枠組みが声にも妥当すると整理していました。記者の見立てですが、行政の整理のあとに司法の言葉が続いたことで、声をめぐる議論は共通の出発点を一つ増やしたといえそうです。

今回の訴訟が根拠にしたのは、顧客吸引力という商業的な価値を守るパブリシティ権と、不正競争防止法でした。指針が別に整理した「声をみだりに利用されない権利」、つまり声の精神的な価値を守る道は、判決文に記された請求の根拠には挙げられていません。今回の判決が一般論として示したのは、顧客吸引力を守る側の判断枠組みでした。

これから開くもの

声の仕事に携わる人にとっては、自分の声がどの条件で守られるのかを、判決文という公開の文章で確かめられるようになりました。声を生成するサービスや、動画を載せる場を運営する事業者にとっても、「専ら顧客吸引力の利用を目的とするか」が一つの見る場所として示されたことになります。

顧客吸引力の有無、本人の声の使用といえるか、場を提供する側が削除義務を負うか。今回判断されなかった論点は、今後の事例で具体的に検討されていくことになります。今回の判決は、その議論が参照できる一般論を示しました。

【関連記事】

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【編集部後記】

声が似ているかどうかを測る方法は、すでにあります。原告も、音声の比較分析を示しました。ところが法務省の報告書は、声紋などの科学的な分析は考慮要素の一つにとどまり、決定的な要素にまでなるわけではないと書いています。

問われるのは、商品の顧客が、その声を本人の声だと識別できるかどうか。数値で測れることと、聞き手の受け取り方のあいだには、まだ距離があります。あなたがある声を「あの人だ」と思うとき、何を手がかりにしていますか。


【用語解説】

パブリシティ権
氏名や肖像などが持つ顧客吸引力を、本人が排他的に利用できる権利。法律に明文の規定はなく、最高裁の判決(平成24年2月2日)などの判例によって形づくられてきた。人格権に由来する権利の一内容とされる。

顧客吸引力
商品の販売などを促進する効力。本人が全国的に有名であることは必須ではなく、特定の分野や一部の地域の顧客に効力があれば足りるとされる。

棄却
裁判所が請求の中身を検討したうえで、理由がないとして退けること。入口で退ける「却下」とは異なる。棄却であることは、侵害がなかったという意味とは限らない。

訴えの利益
裁判で判断を受ける必要性や実益。本件で被告は、削除済みなら訴えの利益がないと主張したが、判決は退けた。

口頭弁論終結
判決の前提となる主張と証拠の提出が終わり、審理を締めくくること。原則として、この時点までの事実に基づいて判決が出る。本件は2026年7月3日。

不正競争防止法
他人の商品等表示(氏名、肖像、声が含まれ得る)の無断使用などを「不正競争」とし、営業上の利益を侵害された者に差止めや損害賠償を認める法律。本件では同法3条(差止請求)が根拠の一つだった。

声をみだりに利用されない権利
人格権に由来し、声の精神的な価値を守る権利。報告書が便宜上そう呼んでいる。パブリシティ権と異なり、著名であることを前提とせず、請求できるのは本人に限られると整理されている。

【参考リンク】

法務省 肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会(外部)
報告書本体と概要資料、全5回の検討会の配布資料や議事要旨を一か所にまとめている法務省の公式ページ。検討会の趣旨や名簿も確認できる。

肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会 取りまとめ報告書(外部)
声のパブリシティ権侵害の判断基準や、プラットフォーム事業者への削除請求の考え方を整理した報告書の本体。判例と学説の注も付いている。

同 取りまとめ報告書【概要資料】(外部)
報告書の要点を17ページにまとめた資料。想定事例ごとに、パブリシティ権などの侵害の有無の当てはめを示している。本体を読む前の入口になる。

【参考記事】

声にもパブリシティー権、初の司法判断 津田健次郎さんの請求は棄却(日本経済新聞)(外部)
声もパブリシティー権で保護されるとの初判断と、動画が削除済みだった点を踏まえた棄却を報じた記事。判決の一般論と結論が簡潔にまとまっている。

声は「人格の象徴」初判断 AIによる「模倣」訴えた声優の津田健次郎さん、請求は退ける(産経新聞)(外部)
声を肖像と同様に人格の象徴とし、パブリシティー権で保護されると明示した司法判断を伝える記事。請求が退けられた結果もあわせて報じている。

AI声模倣への「抑止力に」 津田健次郎さん訴訟で「パブリシティー権」認める初判断(東京新聞)(外部)
侵害に当たるかは判断されなかった点に加え、被告側の反論や、原告側が訴えた投稿者の収益の主張も整理した記事。判決の射程を考える材料になる。

「声」もパブリシティー権の保護対象に 津田健次郎さんのAI声模倣訴訟で東京地裁が判断──削除請求自体は棄却(ITmedia NEWS)(外部)
判決の要旨に加えて、法務省が8月に公表した解釈指針との関係にも触れ、削除請求の棄却を伝える記事。声の権利をめぐる流れが分かる。

「声」の権利、保護対象に 法務省検討会が報告書(時事ドットコム)(外部)
法務省が8月7日に報告書を公表し、声を個人の人格の象徴として保護対象と位置づけた経緯を伝える記事。裁判所の判断例がなかった点にも触れる。

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山本 達也 代表社員
合同会社デジタルの窓口 代表。ウェブ解析士。生成AI・サイバーセキュリティ・ 宇宙開発領域を中心に執筆。

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