米国と欧州の研究者は過去20年間、旅客機の副操縦士を人工知能ベースの自動副操縦士に置き換える単独パイロット運航(SPO)の研究を進めている。
NASAと欧州連合の研究所が研究の最前線に立つ。欧州航空安全機関(EASA)と国際民間航空機関(ICAO)による規制検討が2027年から2030年の間に予定されている。初期段階では拡張最小乗員運航(eMCO)として、巡航段階のみ1人のパイロットがAI副操縦士と飛行し、もう1人のパイロットが休息する方式を導入する計画である。
3月中旬、ロンドンで英国王立航空学会(RAeS)の会議が開催され、パイロット、労働組合、航空規制当局、コンピューター科学者、人間-機械相互作用専門家が参加した。
基調講演者のサミ・マカレイネン(カリフォルニア州パロアルトの未来研究所研究者、ロイヤルメルボルン工科大学フェロー、メルボルン大学AI倫理学者)は、パイロットの感情調節、ストレス管理、相互検証などの心理的役割をAIが代替することの困難性を指摘した。
クランフィールド大学のジェームズ・ブランデル航空人的要因研究者は、予期しない事象に対するパイロットの驚愕反応をAIが認識することの困難性を警告した。欧州コックピット協会のタニア・ハーター会長は、飛行中の問題解決には人間の乗員が必要であると述べた。
From: Can AI Replace Copilots on Passenger Jets?
【編集部解説】
単独パイロット運航(SPO)は、航空業界が直面する二つの深刻な課題への対応策として浮上しています。世界的なパイロット不足と運航コストの増大です。現在の旅客機は2人のパイロットが必要ですが、この体制を1人のパイロットとAI副操縦士の組み合わせに変更することで、人件費を大幅に削減できる可能性があります。
SPOの導入は段階的に進められる予定で、まず拡張最小乗員運航(eMCO)から開始されます。この方式では、離陸と着陸は従来通り2人のパイロットが担当し、巡航段階のみ1人のパイロットがAI副操縦士と飛行します。最終的には、完全な単独パイロット運航を目指しており、地上からの遠隔操作支援も検討されています。
今回の記事で最も重要な指摘は、パイロットの役割が単なる「飛行機の操縦」を超えていることです。感情調節、ストレス管理、相互検証といった心理的・社会的機能は、現在のAI技術では代替困難な領域です。
特に注目すべきは「驚愕と驚き」への対応です。予期しない事象が発生した際、人間のパイロットは同僚の反応を読み取り、適切にサポートできますが、AIにはこうした微妙な人間関係の理解が困難です。2010年のカンタス航空QF32便の事例では、エンジン爆発により自動化システムが混乱しましたが、人間の乗員の判断により全員が無事に着陸できました。
また、パイロットは飛行以外にも多くの業務を担当しています。破壊的な乗客への対応調整、航空会社の運航管理者との連絡、ゲート問題の管理など、これらの複雑な業務をAIが処理することは現在の技術では困難とされています。
さらに、2人のパイロットは互いの健康状態を監視し合う重要な役割も果たしています。軽度の低酸素症、心臓発作、脳卒中の初期兆候を早期発見することで、突然の行動不能を防ぐことができますが、AIにはこうした微妙な変化を察知する能力が不足しています。
SPOの導入には、技術的課題だけでなく、新たなサイバーセキュリティリスクも伴います。地上からの遠隔操作機能が必要となるため、従来の物理的に分離されたシステムがネットワーク接続される必要があり、外部からの攻撃リスクが増大します。
規制当局は極めて慎重な姿勢を取っており、EASAとICAOによる規制検討は2027年から2030年に予定されていますが、実際の導入はさらに先になる可能性が高いでしょう。
軍用分野では既に大型ドローンによる自律飛行が実現しており、ノースロップ・グラマンのグローバルホークなど、単通路旅客機と同様の翼幅を持つ機体も存在します。しかし、軍用機と民間旅客機では要求される安全基準が根本的に異なります。
民間航空では「フェイルセーフ」の概念が絶対的であり、どのような状況でも乗客の安全を最優先に考える必要があります。現在のAI技術は、予測可能な範囲内では優秀な性能を発揮しますが、想定外の事態への対応能力には限界があります。
短期的には、AIは「協力的な副操縦士」として人間パイロットを支援する役割に留まるでしょう。燃料効率の最適化、飛行経路の調整、システム監視などの分野では、既にAIが成果を上げています。
航空業界は今、効率性と安全性のバランスを慎重に検討する重要な局面に立っています。AIの活用は避けられない流れですが、その導入方法と範囲については、今後も継続的な議論と検証が必要でしょう。
【用語解説】
単独パイロット運航(SPO: Single Pilot Operations)
従来の2人体制から1人のパイロットとAI副操縦士による運航体制への移行を目指す概念。完全な単独運航を最終目標とする。
拡張最小乗員運航(eMCO: extended Minimum Crew Operations)
SPOの初期段階として、巡航段階のみ1人のパイロットがAI副操縦士と飛行し、もう1人のパイロットが休息する運航方式。
驚愕と驚き反応(Startle and Surprise Response)
予期しない事象(雷撃、エンジン爆発等)に対してパイロットが示す生理的・心理的反応。判断力や操縦能力に一時的な影響を与える可能性がある。
マーフィーの法則(Murphy’s Law)
「起こり得ることは起こる」という経験則。航空業界では予期しない問題が必ず発生するという前提で安全対策を講じる際の基本概念。
人的要因(Human Factors)
人間の能力、限界、特性が技術システムの設計や運用に与える影響を研究する学問分野。航空安全において重要な要素とされる。
【参考リンク】
NASA(アメリカ航空宇宙局)(外部)
SPO研究の最前線に立ち、単独パイロット運航の技術開発と安全性評価を行う政府機関
EASA(欧州航空安全機関)(外部)
2027-2030年にSPOの規制検討を予定し、eMCO-SiPOプロジェクトを推進する欧州機関
ICAO(国際民間航空機関)(外部)
SPOの国際基準策定において重要な役割を果たす国連の専門機関
European Cockpit Association(外部)
欧州33カ国の4万人以上のパイロットを代表し、SPOに強く反対する労働組合
Royal Aeronautical Society(外部)
1866年設立の世界最古の航空学会。SPOに関する重要な会議を開催
Institute for the Future(外部)
カリフォルニア州パロアルトの非営利シンクタンク。AI倫理の観点からSPOを分析
Cranfield University(外部)
英国の航空人的要因研究の拠点。パイロットの驚愕反応とAIの限界を研究
【参考記事】
Extended Minimum Crew Operations (eMCO) Programme – EASA(外部)
EASAによるeMCOプログラムの公式文書。単独パイロット運航の定義、原則、予想される利益について詳細に説明している。
Single Pilot Operations in Domestic Commercial Aviation – NASA(外部)
NASAによるSPOの包括的研究報告書。技術的可能性と人的要因の課題を科学的に分析し、現在の研究段階と今後の課題を明確に示している。
eMCO-SiPO Extended Minimum Crew Operations – EASA(外部)
EASAのHorizon Europeプロジェクトの公式ページ。eMCOとSiPOの2つの運航概念について、安全性評価と規制検討の現状を詳述している。
【編集部後記】
私たちが日常的に利用している航空機の安全性が、今まさに大きな転換点を迎えています。AIが副操縦士の役割を担うという未来は、果たして本当に安全なのでしょうか?
皆さんは次回飛行機に搭乗される際、コックピットに1人のパイロットとAIしかいない状況を想像できますか?技術の進歩は素晴らしいものですが、人間にしかできない「感情の読み取り」や「とっさの判断」をAIが完全に代替できるのか、私たち編集部も正直なところ確信が持てません。
この記事をきっかけに、AIと人間の協働について一緒に考えてみませんか?皆さんのご意見やご感想をお聞かせいただければ幸いです。