Microsoft初の自社サイバーモデルは、最も難しい1割をOpenAIのGPT-5.4に渡す設計になっています。自前のモデルを作った目的が、最強を安く使い分けることだったわけです。防御の勝負どころが性能から単価へ移りつつある、その転換点がここに表れています。
Microsoftは2026年7月27日、マルチエージェント型の脆弱性発見・修復ハーネスMDASHに、新モデルMAI-Cyber-1-Flashを搭載したと発表した。発表はムスタファ・スレイマンとハイエテ・ガロットの連名による。同モデルはMAI-Thinking-1の系譜から派生したセキュリティ特化モデルで、全タスクの最大90%を処理し、残る10%にGPT-5.4を割り当てる。
CyberGymでの成功率は95.95%で、Mythos、Gemini、GPTの83.2%〜85.6%を上回ったとしている。本文ではMythos比12ポイント増の96%と記載されている。コストは従来のGPT-5.4、5.4 mini、5.3 codexによるMDASH構成と比べ50%減。同日、エージェント型セキュリティシステムProject Perceptionも発表した。
Microsoftは1日あたり100兆超のセキュリティシグナルと160万の顧客からの運用知見を持つとしている。
From:
Introducing MAI-Cyber-1-Flash inside MDASH
【編集部解説】
今回の発表で最も重要なのは、性能の数字そのものではなく、防御側の関心が「見つけられるか」から「払い続けられるか」へ移りつつあるという点だと私は見ています。
MDASHは、脆弱性対応の全工程を100を超えるエージェントに分解して回すシステムです。そこにMAI-Cyber-1-Flashが入り、タスクの最大90%を小型モデルが処理し、残りをGPT-5.4に渡す。Microsoftによれば、この振り分けにより、GPT-5.4、5.4 mini、5.3 codexを使う従来のMDASH構成と比べてコストが50%削減されました。企業のセキュリティ費用全体が半分になるという話ではなく、あくまでMDASHという特定システムの運用コストの比較です。なお、単価やトークン数など費用の内訳は公表されていません。
つまり訴求点は「賢さ」ではなく「単価」。セキュリティは24時間走り続ける処理なので、1件あたりのトークンコストが、防御を継続できるかどうかを左右する比重を増していると言えます。もちろん実際の運用では人件費、誤検知率、導入費なども効いてきますが、常時稼働を前提にすると単価の影響は無視できません。
CyberGymという指標を、どう読むか
CyberGymはカリフォルニア大学バークレー校の研究者らが2025年6月に論文を公開したベンチマークで、188のオープンソースプロジェクトから採った1,507件の実在脆弱性を扱います。中心となる課題は、脆弱性の説明と未修正のコードベースだけを与えられた状態で、それを再現するPoCを生成すること。Googleの継続的ファジングサービスOSS-Fuzzの成果が母体になっています。
注目すべきは、その伸び方です。2025年6月に公開された初版論文では、最も成績の良い組み合わせでも成功率は11.9%でした。その後2026年3月までに更新された現行版では、新しいモデルを含む評価が約20%まで上昇。そして2026年5月時点のMDASHが88.45%、今回が95.95%です。1年あまりで数字が桁違いに動いたことになります。
ただし、この95.95%はMicrosoftの自社公表値です。CyberGymにはLevel 0から3までの難易度設定と試行回数の概念がありますが、今回の評価がどの条件で行われたかは示されておらず、第三者による再現も確認されていません。5月のMDASH発表ではLevel 1のデフォルト設定と明記されていただけに、今回は条件開示が後退している点は押さえておきたいところです。ベンチマークが飽和したと結論づけるには、まだ材料が足りません。
競合の内訳も報じられています。GPT-5.5 Cyberが85.6%、Mythos 5が83.8%、GPT-5.6 Solが83.6%、CodeMender上のGemini 3.5 Flash Cyberが83.2%。追随勢が83〜86%に密集している構図からは、モデル単体の地力だけでなく、ハーネス(枠組み)の作り込みが差を生む重要な要因の一つになっていることがうかがえます。もっとも、この約10ポイント差をハーネスだけに帰属させる比較実験が示されているわけではありません。
「自社製」の輪郭
もう一つ興味深いのは、Microsoft初の自社サイバーモデルでありながら、最難関の10%はOpenAIのGPT-5.4に委ねている点です。スレイマン氏は発表イベントで、GPT-5.4を「約10倍の規模」のモデルと表現し、そこへ難所を引き渡す構成だと説明しました(The Register報道)。OpenAIのモデルに依存しながらなぜ他社を上回れるのかという問いには、性能は単一モデルではなくシステム全体から生まれると答えています。GPT-5.6ではなく5.4を選んだ理由についても、価格を挙げたとVentureBeatが伝えています。
自社モデルは「最強」を目指したものではなく、最強を安く使い分けるための土台である。ここにMicrosoftの立ち位置が表れている、というのが私の読みです。
現場に届くのは8月3日から
同時発表のProject Perceptionは、8月3日に公開プレビューへ入ります。攻撃経路を探す赤、リスクを見極める青、修復と堅牢化を担う緑——三系統のエージェントが分担する構成で、提供開始時点ではMicrosoft Defenderに組み込まれる形になります。
料金は従量課金です。公式ページによると、利用量はSecurity Compute Unit(SCU)という単位で計測され、エージェントが実行するタスクの負荷に応じてSCUの消費量が変わります。ただし、SCU当たりの具体的な単価は示されていません。
MAI-Cyber-1-Flash自体も同じ8月3日に、Microsoft Foundry(旧Azure AI Foundry)経由で提供が始まり、既存の顧客審査プロセスが適用されると報じられています。申し込めば即座に触れるという性質のものではなさそうです。
この課金方式は、見落とせません。処理対象やエージェントの稼働量が増えれば費用も増えることになります。ただし、攻撃件数と請求額が単純に比例するかは、運用設定や上限のかけ方しだいです。それでも、セキュリティ予算の一部が固定費から変動費へ移っていく可能性は意識しておく価値があります。日本企業の稟議文化との相性は、正直なところ未知数です。
光と影
脆弱性を高精度で見つけ出すモデルは、原理的に攻撃側の道具にもなり得ます。Microsoftがレッドチーム評価、専門家による敵対的テスト、第三者機関の独立評価、そしてインターネット非接続のサンドボックスといった多層の統制を前面に出しているのは、この二面性を強く意識しているからでしょう。ただし、第三者機関の名称や評価報告書は公表されていません。
自律性についても、同社は慎重な言い回しを崩していません。公式ページには、影響の大きい行動には人間の承認を必要とすると明記されています。セキュリティを統括するコーポレートバイスプレジデントのデビッド・ウェストン氏も、エージェントにより大きな裁量を与えるには「その資格を得る必要がある」と述べました。戦略は人間、実行はエージェントという線引きが、現時点の設計思想です。
一方で、防御力の源泉が「1日100兆超のシグナル」「160万顧客の運用知見」という規模に置かれるなら、その資産を持たない組織が自前で追いつくのは難しくなります。オープンモデルや共同基盤、専門ベンダーといった代替経路は残るものの、守りを買う流れは強まっていく——これは筆者の見立てです。
日本の読者にとっての意味
サイバー対処能力強化法(いわゆる能動的サイバー防御法)は、届出・報告制度などの主要部分が2026年10月1日に施行される予定です。一部の規定はこれに先立って施行されています。同法では、指定される特別社会基盤事業者に対し、特定重要電子計算機の導入や一定の侵害事象に関する届出・報告義務が設けられます。すべての事業者やすべてのシステムが一律に対象となるわけではありません。
とはいえ、指定事業者と取引のある企業には、契約や運用の面で資産の棚卸しやログ管理を求められる場面が増えていくことが予想されます。「見つかった脆弱性にいつ対応したか」を説明できる状態を、機械速度で維持する。今回の発表は米国企業の製品ニュースですが、その要請への一つの解答例として、日本の現場にも届く可能性がある話だと考えています。
【関連記事】
OpenAI、GPT-5.5-CyberとPatch the Planet始動—脆弱性は発見から修正の時代へ
今回2位となったGPT-5.5-CyberのCyberGym 85.6%が、1か月前にはどう受け止められていたかを確認できる。
Palo Alto Networks、Claude MythosなどフロンティアAIで自社製品から26件のCVEを一斉開示
MDASHが100超のエージェントでPatch Tuesdayに寄与した経緯を扱った、今回の前史にあたる記事。
MAI-Image-2.5-Pro発表 Microsoftが主力製品からOpenAIモデルを外した意味
自社モデルでコストを削るMicrosoftの戦略を扱う。サイバー領域との違いが浮かび上がる。
【編集部後記】
CyberGymのリーダーボードは誰でも閲覧できます(cybergym.io)。提出ガイドラインはGitHubのSUBMISSION.mdにあり、コストの報告と手法の記述が求められます。今回の95.95%はMicrosoftの自社発表で、評価レベルや試行回数は示されていません。5月のMDASH発表ではLevel 1のデフォルト設定と明記されていました。今回の構成は、同じ粒度の条件開示を伴ってリーダーボードに載るのでしょうか。
脆弱性対応は、これまで「人手が足りない」問題として語られてきました。それが8月3日以降、SCUという単位で計測される問題と重なり始めます。従量課金の防御を前にしたとき、みなさんの組織では、どの範囲までをエージェントに任せる判断ができるでしょうか。私自身もまだ、その線引きの引き方を探っている最中です。
【用語解説】
MDASH
Microsoftのマルチエージェント型脆弱性対応ハーネス。コードの準備、走査、検証、重複排除、PoC生成といった工程を100以上の専門エージェントに分担させる。
ハーネス(harness)
複数のAIモデルとエージェントを束ね、処理の順序や受け渡しを制御する枠組み。同じモデルでも設計次第で成果が変わるため、性能差を生む重要な要因の一つと見なされている。
MAI-Cyber-1-Flash
Microsoftが自社開発した初のサイバーセキュリティ特化モデル。推論モデルMAI-Thinking-1の系譜から派生した小型構成で、コスト効率を優先して設計されている。
MAI-Thinking-1
Microsoft AIが自社基盤でゼロから構築した推論特化モデル。第三者モデルからの蒸留は行っていないとされる。MAI-Cyber-1-Flashの土台にあたる。
CyberGym
カリフォルニア大学バークレー校の研究者らが構築した大規模ベンチマーク。188のオープンソースプロジェクトから採取した1,507件の実在脆弱性を用い、AIエージェントが脆弱性を再現できるかを測る。Level 0から3の難易度設定がある。
PoC(Proof of Concept)
脆弱性を再現するための検証用の入力またはプログラム。CyberGymでは、修正前のコードで問題が発火し、修正後には発火しないことが成功の条件となる。
OSS-Fuzz
Googleが運営する継続的ファジングサービス。オープンソースソフトウェアへ大量の異常入力を送り込み、クラッシュを起こす欠陥を自動発見する。CyberGymの脆弱性データはここに由来する。
赤・青・緑のエージェント
Project Perceptionを構成する三系統。赤は攻撃者の視点で侵害経路を洗い出し、青は検知した事象を調査してリスクを判断し、緑は修復と堅牢化を担う。
SCU(Security Compute Unit)
Project Perceptionの利用量を測る単位。エージェントがタスクを実行するとSCUを消費し、負荷の重い処理ほど消費量が増える従量制となっている。
SOC(Security Operation Center)
組織のセキュリティ監視・対応を担う専門部隊。多くは24時間体制でアラートの選別と初動対応を行う。
レッドチーム
自組織のシステムやAIモデルに対して、攻撃者の立場から意図的に攻撃を試みる評価チーム。防御側の想定漏れを洗い出す目的で編成される。
サンドボックス
外部と隔離された実行環境。今回のMDASHではインターネット接続を持たない環境として構成され、モデルが外部へ働きかけることを構造的に防いでいる。
Microsoft Foundry(旧Azure AI Foundry)
MicrosoftのAIモデル開発・運用基盤。MAI-Cyber-1-Flashはここを経由して提供され、利用には同社の顧客審査プロセスが適用されると報じられている。
サイバー対処能力強化法(能動的サイバー防御法)
正式名称は「重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律」(令和7年法律第42号)。2025年5月16日に成立、23日に公布された。届出・報告制度などの主要部分は2026年10月1日に施行され、指定される特別社会基盤事業者に義務が課される。
Mythos 5 / GPT-5.4 / Gemini 3.5 Flash Cyber
今回のベンチマークで比較対象となった各社のモデル。Mythos 5はAnthropic、GPT系はOpenAI、Gemini系はGoogleが開発する。GPT-5.4はMDASH内で難易度の高いタスクを引き受ける役割を担う。
CodeMender
Gemini 3.5 Flash Cyberを動かすGoogleの脆弱性対応システム。Microsoftの比較図では83.2%と示されている。
【参考リンク】
MAI-Cyber-1-Flash モデルページ(Microsoft AI)(外部)
Microsoft AIによるモデル概要ページ。MAIファミリー各モデルとの関係や、セキュリティ特化モデルとしての位置づけを確認できる。
Introducing MAI-Thinking-1(Microsoft AI)(外部)
MAI-Cyber-1-Flashの土台となった推論モデルの発表記事。自社基盤でゼロから構築したとする学習方針が示されている。
Project Perception(Microsoft Security)(外部)
製品公式ページ。赤・青・緑の役割、Defenderへの統合、SCUによる従量課金がFAQに明記されている。
Rethinking security for the age of AI(The Official Microsoft Blog)(外部)
Microsoftが提唱する新しいCyber Stackの設計思想を示した公式ブログ。公開プレビュー開始日もここに記載がある。
Defense at AI speed(Microsoft Security Blog)(外部)
MDASHを最初に発表した2026年5月の記事。88.45%がLevel 1のデフォルト設定による評価だと明記されている。
CyberGym 公式サイト(UC Berkeley)(外部)
ベンチマークの構成、評価レベル、リーダーボードを公開。成功率の判定条件や試行回数の扱いもここで確認できる。
CyberGym 論文(arXiv:2506.02548)(外部)
初版では最高11.9%、改訂版では新しいモデルを含む評価が約20%まで上昇した経緯を確認できる原論文。
CyberGym リポジトリ(GitHub)(外部)
評価環境の実装を公開。SUBMISSION.mdにリーダーボード提出時のコスト報告や記述要件が定められている。
重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律案(参議院)(外部)
いわゆる能動的サイバー防御法の議案情報。届出・報告義務の対象や施行時期の規定を条文単位で確認できる。
Microsoft Security Response Center(MSRC)(外部)
脆弱性の報告と対応を担うMicrosoftの窓口。同社が学習ループの起点として挙げている組織である。
【参考記事】
Microsoft’s solution to AI security: more AI and more acronyms(The Register)(外部)
CyberGymの内訳を最も詳しく報道。競合各モデルの個別スコアとスレイマン氏の発言を収録している。
Microsoft’s MDASH beats Anthropic’s Mythos 5 with new in-house cybersecurity model(Neowin)(外部)
MDASHが2026年5月時点で88.45%だった事実と、Defender内での従量課金提供を伝えている。
Microsoft launches AI cybersecurity model, agentic defense platform to cut enterprise security costs(VentureBeat)(外部)
OpenAI依存への疑問に対するスレイマン氏の回答と、GPT-5.4を選んだ理由を掘り下げている。
Microsoft’s first cybersecurity model powers new Project Perception agents(SiliconANGLE)(外部)
提供開始の実務情報が具体的。Foundry経由の提供と顧客審査プロセスに触れている。
Microsoft Project Perception launches AI agents, specialized model for cybersecurity(Axios)(外部)
ウェストン氏へのインタビューを掲載。自律性の拡大に対する同社の慎重な姿勢が読み取れる。
Microsoft launches its first cybersecurity model, plus a new agentic cybersecurity system(TechCrunch)(外部)
発表全体の位置づけを整理。競合各社の動きを含めた市場環境の説明が丁寧である。
Microsoft unveils MAI-Cyber-1-Flash, promises cybersecurity AI at half the cost(Help Net Security)(外部)
安全性設計に重点を置いた記事。レッドチーム評価や統制機能の要点をまとめている。












