Last Updated on 2025-03-21 10:55 by admin
HPは2025年3月19日、テネシー州ナッシュビルで開催された年次Amplifyパートナー会議において、量子コンピューター攻撃に耐性を持つエンタープライズおよびプロフェッショナルグレードのプリンターをプレビューした。
これらの新型プリンターは、2024年に米国国立標準技術研究所(NIST)が承認したポスト量子暗号(PQC)標準に対応しており、2025年秋に発売予定である。
新製品は「8000シリーズ」と呼ばれ、Color LaserJet Enterprise MFP 8801、Mono MFP 8601、LaserJet Pro Mono SFP 8501モデルが含まれる。これらのプリンターには、量子耐性を持つ新しいASICチップとエンドポイントセキュリティコントローラー(ESC)が搭載されており、初期段階のBIOSを保護し、ファームウェアの整合性を確保する。
量子コンピューターによる現行の暗号化技術への脅威は2035年から2040年の間に現実化すると予測されており、Global Risk Instituteは2034年までに34%の確率で実現すると予測している。米国政府は2027年から全連邦機関に量子安全技術の調達を義務付けている。
HPのグローバルシニアプリントセキュリティストラテジストであるSteve Inch氏によると、新しい量子耐性ASICチップは3年以上かけて開発されたもので、従来のRSA暗号化と量子耐性Leighton-Micali Signatures(LMS)暗号化を組み合わせている。当初、既存のプリンターユーザーはファームウェアのアップデートが必要だが、2026年以降に発売される新製品では工場出荷時から量子耐性機能が有効化される予定である。
from:HP Brings Quantum-Safe Encryption to Printers
【編集部解説】
HPが量子コンピューター攻撃に対応したプリンターを世界で初めて発表しました。これは単なる製品アップデートではなく、将来的なセキュリティ脅威に対する先見的な対応として注目に値します。
量子コンピューターによる暗号解読の脅威は、一般的に2035年から2040年の間に現実化すると予測されていますが、Global Risk Instituteの調査によれば、2034年までに34%の確率で実現する可能性があるとされています。これは決して遠い未来の話ではありません。
特に注目すべきは、HPがこの技術をすでに実用化している点です。昨年、同社は量子コンピューター攻撃からファームウェアを保護する世界初のビジネスPCを発表しており、今回のプリンター製品はその技術を拡張したものと言えるでしょう。
量子耐性技術の仕組みと意義
新しい8000シリーズプリンターに搭載された量子耐性技術の核心は、特別設計されたASICチップにあります。このチップには量子耐性暗号が組み込まれており、具体的にはLeighton-Micali署名(LMS)と呼ばれる方式を採用しています。
LMSは2020年に米国国立標準技術研究所(NIST)によってポスト量子時代のための「状態ベースのハッシュベース署名方式」として認証されたもので、従来のRSA暗号化と組み合わせることで、デジタル署名の検証を通じてファームウェアの整合性を保護します。
この技術の重要性は、プリンターが一般的に考えられているよりも重大なセキュリティリスクを抱えている点にあります。プリンターは独自のオペレーティングシステムを持つネットワーク接続デバイスであり、多くの場合、セキュリティ対策が不十分なまま長期間使用されます。
HP社のグローバルシニアプリントセキュリティストラテジストであるSteve Inch氏は、「量子耐性がなければ、ファームウェアレベルで量子攻撃を受けたプリンターは悪意のあるファームウェアアップデートによって完全に無防備になり、攻撃者にデバイスの完全かつ持続的な制御を許してしまう」と警告しています。
企業と政府機関への影響
この技術革新は、特に長期的なセキュリティ計画を持つ企業や政府機関にとって重要な意味を持ちます。米国政府は2027年から国家安全保障システム向けの機器調達において、量子耐性暗号でファームウェアとソフトウェアが保護されたデバイスのみを購入する方針を打ち出しています。
多くの企業契約やマネージドプリントサービス(MPS)契約は3〜5年間にわたるため、2027年の移行期限に間に合わせるためには、次回のプリンター購入時に量子耐性暗号を組み込む必要があるでしょう。
さらに、プリンターは一般的に5〜7年、場合によっては10年以上使用されることを考えると、今購入するプリンターが量子コンピューターの脅威が現実化する時期までサービスを継続している可能性は十分にあります。
ゼロトラストアーキテクチャとの統合
新しい8000シリーズプリンターのもう一つの重要な特徴は、ゼロトラストネットワークアーキテクチャとのシームレスな統合です。HPはこれを「ゼロトラストプリントアーキテクチャ」と呼んでおり、プリント環境にゼロトラストの原則を拡張するアプローチを取っています。
これにより、組織は接続やリクエストごとに検証を行い、ユーザーの場所やデバイスに関係なく、アクセスを許可する前に確認を行うことができます。また、印刷体験に核となる分離技術を組み込むことで、現在および将来の脅威に対して統一されたフリート全体のアプローチでセキュリティ戦略を実施することが可能になります。
技術の普及と今後の展望
HPによれば、2026年春以降に発売される新しいプリンター製品はすべて、起動時に量子耐性を備えるようになるとのことです。これは、量子耐性技術が標準装備となる方向に業界が動いていることを示しています。
しかし、この技術の導入には課題もあります。HPは既存および従来のプリントインフラストラクチャをサポートしながら、イノベーションの必要性とのバランスを取る必要があります。また、不必要なハードウェア交換に関する懸念を軽減するためにも、後方互換性に対処する必要があるでしょう。
量子コンピューティングの進化は、私たちのデジタルセキュリティの基盤を根本から変える可能性を秘めています。HPの今回の取り組みは、その変化に先手を打つ重要なステップと言えるでしょう。テクノロジー業界全体が同様の対応を迫られる中、HPの先駆的な取り組みは、今後のセキュリティ標準の方向性を示す重要な指標となるかもしれません。
【用語解説】
量子耐性暗号(ポスト量子暗号):
量子コンピューターによる攻撃に耐えられるよう設計された新しい暗号技術。従来の暗号が量子コンピューターによって解読される可能性に備えたもの。
NIST(米国立標準技術研究所):
アメリカの科学技術標準を策定する政府機関。暗号技術の標準化も行っている。
ファームウェア:
ハードウェアの基本的な制御を行うソフトウェア。PCやプリンターの中核的な機能を担う。
ゼロトラストアーキテクチャ:
「信頼しない、常に検証する」という原則に基づくセキュリティモデル。ネットワーク内外を問わず、すべてのアクセスを検証する。
【参考リンク】
HP公式サイト(外部)
HPの製品やサービスに関する最新情報を提供している日本向け公式ウェブサイト
NISTのポスト量子暗号標準化プロジェクトページ(外部)
NISTが進めているポスト量子暗号の標準化に関する情報を掲載している
【編集部後記】
皆さん、プリンターのセキュリティについて考えたことはありますか? 普段何気なく使っているオフィス機器が、実は将来の量子コンピューター時代に備えた最先端技術を搭載し始めています。自社のITインフラを更新する際、「量子耐性」という視点を取り入れてみてはいかがでしょうか。皆さんのビジネスを長期的に守るための一歩かもしれません。量子コンピューティングやセキュリティについて、どのような疑問や関心をお持ちですか?