Last Updated on 2025-05-13 07:32 by admin
英国の国立サイバーセキュリティセンター(NCSC)と科学・イノベーション・技術省(DSIT)は2025年5月7日、「ソフトウェアセキュリティ実践規範(Software Security Code of Practice)」を発表した。この自主的な規範は、組織や企業が依存するソフトウェアのセキュリティと回復力を向上させることを目的としている。
この実践規範は、4つのテーマにわたる14の原則で構成されている
- 安全な設計と開発
- ビルド環境のセキュリティ
- 安全な展開と保守
- 顧客とのコミュニケーション
規範では、ソフトウェアベンダー組織の上級責任者(Senior Responsible Owner)が、組織内でこれらの原則が遵守されることに対する説明責任を持つべきだとしている。例えば、安全な設計と開発とは、ベンダーがサードパーティコンポーネントを含む開発ライフサイクル全体を通じてセキュリティを確保する責任を持つことを意味する。
この規範は、NSCCと産業界および学術専門家グループによって共同設計され、2024年5月から8月にかけて実施された一般からの意見募集を通じて改良された。カナダサイバーセキュリティセンターも共同で承認している。
英国政府は2025年5月7日に開催されたCyberUK 2025イベントでこの規範を発表した。NSCCによると、技術市場は「組織がデフォルトで安全なソフトウェアを開発するよう奨励していない」状況であり、「組織は製品のセキュリティと回復力よりも成長と利益を優先する」傾向があるという。
この規範は、ソフトウェアサプライチェーン攻撃やその他のソフトウェア回復力インシデントの可能性と影響を軽減するためのものであり、これらの攻撃や混乱は多くの場合、ソフトウェア開発とメンテナンスの実践における回避可能な弱点によって引き起こされている。
【編集部解説】
英国政府が発表した「ソフトウェアセキュリティ実践規範」は、近年増加するソフトウェアサプライチェーン攻撃に対する重要な対策として注目されています。この自主的な規範は、単なるガイドラインの一つではなく、ソフトウェア開発の文化そのものを変革しようとする試みと言えるでしょう。
この規範の特徴は、セキュリティを「後付け」ではなく「設計段階から」組み込むという「セキュア・バイ・デザイン」の考え方を強調している点にあります。これまでのソフトウェア開発では、機能の実装を優先し、セキュリティは後から対応するという流れが一般的でした。しかし、この方法では根本的な脆弱性を排除できないことが明らかになってきています。
規範が対象としているのは主にビジネス向けの商用ソフトウェアですが、その影響範囲は広範囲に及ぶ可能性があります。特に注目すべきは、ソフトウェアベンダーの上級責任者(SRO)に明確な説明責任を求めている点です。これはセキュリティを単に技術部門の問題ではなく、経営レベルの課題として位置づける重要な転換点となるでしょう。
また、この規範はカナダサイバーセキュリティセンターも共同で承認しており、国際的な協調の一環としても評価できます。米国のセキュアソフトウェア開発フレームワーク(SSDF)やEUのサイバーレジリエンス法との互換性も考慮されており、グローバルに活動する企業の負担を軽減する配慮がなされています。
一方で、この規範の最大の課題は「自主的」という点にあります。規制力がないため、企業がどこまで真剣に取り組むかは不透明です。NSCCも指摘しているように、市場は「デフォルトで安全なソフトウェア」よりも「成長と利益」を優先する傾向があります。
しかし、長期的に見れば、この規範は市場の期待値を引き上げる効果があるでしょう。企業間の契約においてこの規範への準拠が求められるようになれば、事実上の業界標準として機能する可能性があります。英国政府も将来的には認証制度の導入を検討しているとのことです。
日本の企業にとっても、この動向は無視できません。グローバルなソフトウェアサプライチェーンの一部である以上、国際的なセキュリティ基準への対応は避けられない課題となっています。特に欧米市場で事業展開する企業は、この規範の内容を理解し、自社の開発プロセスを見直す必要があるでしょう。
最後に、この規範が目指しているのは単なる技術的対策の普及ではなく、「セキュリティ文化」の醸成です。組織全体がセキュリティを当たり前のものとして受け入れ、日常的な開発プロセスに組み込んでいくことが求められています。これは一朝一夕に実現するものではありませんが、デジタル社会の持続可能性を確保するために不可欠な変革と言えるでしょう。
【用語解説】
ソフトウェアサプライチェーン攻撃:
ソフトウェアの開発・配布過程を標的とするサイバー攻撃。例えば、信頼されている開発ツールや部品(ライブラリ)に悪意のあるコードを仕込み、それを使用する多数の企業・製品に一気に被害を広げる攻撃方法である。これは食品業界で言えば、原材料の段階で汚染物質を混入させ、それを使った多くの加工食品に被害が広がるようなものだ。
セキュア・バイ・デザイン:
設計段階からセキュリティを考慮したアプローチ。家を建てる際に、完成後に防犯カメラをつけるのではなく、設計段階から防犯性の高い間取りや窓の配置を考えるようなものである。
国立サイバーセキュリティセンター(NCSC):
英国のサイバーセキュリティを担当する政府機関。日本のNISCに相当する組織で、国家のサイバーセキュリティ戦略の実行を担っている。
ソフトウェアセキュリティ実践規範(Software Security Code of Practice):
ソフトウェア開発におけるセキュリティのベストプラクティスをまとめた自主的なガイドライン。交通ルールのように、守るべき基本的な行動規範を示している。
【参考リンク】
英国国立サイバーセキュリティセンター(NCSC)(外部)
英国のサイバーセキュリティを担当する政府機関。サイバー脅威に関する情報提供や対策ガイダンスを公開している。
ソフトウェアセキュリティ実践規範の公式ページ(外部)今回発表された実践規範の詳細を解説するページ。14の原則や導入方法について説明している。
米国CISA(Cybersecurity and Infrastructure Security Agency)(外部)
米国のサイバーセキュリティ機関。同様のセキュア・バイ・デザイン原則を推進している。
NIST(National Institute of Standards and Technology)(外部)
米国の標準技術研究所。ソフトウェア開発のセキュリティフレームワークを提供している。
【編集部後記】
皆さん、自社のソフトウェア開発プロセスにセキュリティはどの段階で組み込まれていますか?後付けのパッチ対応ではなく、設計段階からセキュリティを考慮する「セキュア・バイ・デザイン」の考え方は、今後のビジネス競争力にも影響するかもしれません。英国の新ガイドラインは自主的なものですが、グローバルな潮流として注目に値します。皆さんの組織では、セキュリティを「コスト」と見るか「投資」と考えるか、ぜひ議論してみてはいかがでしょうか。