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【映画紹介】紙とペンで世界を救う数学——映画『サマーウォーズ』が描いた暗号と仮想世界の17年

Crypto.com×Stripe提携で暗号資産決済が主流化へ。Bitcoinから8年、再挑戦の真意 - innovaTopia - (イノベトピア)

2009年8月、スクリーンに映し出されたのは、仮想空間「OZ(オズ)」に世界中の10億人が集う未来だった。細田守監督の『サマーウォーズ』が描いたのは、アバターで交流し、買い物をし、行政手続きまで済ませる――そんなデジタル社会の姿です。交通、医療、電力といったインフラさえもOZに依存するその世界は、ある夜の出来事から崩壊へと向かいます。

数学オリンピック代表候補の高校生・健二が、深夜に送られてきた謎の数字列に挑む。徹夜で紙に計算式を書き連ね、朝方にメールを返信する。しかし、それは巧妙な罠でした。メールへの返信が、世界規模の危機を招くことになるのです。

あれから17年。映画が予言した「仮想世界」は、どこまで現実になったのでしょうか。そして、物語の核心にある「RSA暗号」という技術は、今もインターネットを支え続けています。

インターネットを守る「素数」の力

RSA暗号は1977年、3人の数学者によって発明されました。ロナルド・リベスト、アディ・シャミア、レオナルド・エーデルマン――この発明により、3人は2002年のチューリング賞(計算機科学における最高の栄誉)を受賞しています。

この暗号が革新的だったのは、「公開鍵暗号方式」という新しい概念を実現したことにあります。従来の暗号では、暗号化する鍵と復号化する鍵が同じでした。つまり、2人で秘密の通信をするには、事前に「合言葉」を安全に共有する必要があったのです。しかしインターネット時代、見知らぬ相手と安全に通信するために、毎回パスワードを共有するのは現実的ではありません。

RSA暗号は、この根本的な問題を解決します。南京錠のついた箱を想像してください。この箱(公開鍵)は誰でも手に入れられますが、開ける鍵(秘密鍵)は受信者だけが持っています。送信者は公開された箱に情報を入れて施錠すれば、あとは受信者の秘密鍵でしか開けられない。鍵そのものを送る必要がないのです。

この仕組みを支えているのが、「素因数分解」という数学の問題です。たとえば4,433,507,171という数字を見て、これが52369と84659という2つの素数の掛け算だと瞬時に答えられる人は、ほぼいません。しかし逆に、この2つの素数を掛け合わせることは簡単です。この「一方向の難しさ」が、暗号の安全性を保証しています。

現在主流の2048ビット(約617桁)のRSA暗号を解読するには、スーパーコンピュータを使っても数年から数十年かかるとされています。RSA暗号は、インターネット通信の暗号化規格であるSSL/TLSの中核技術として、オンラインバンキングからメールまで、私たちの日常を守り続けているのです。

「間違えた」天才と、完璧な罠

映画の中で、健二は深夜に届いた2056桁の数字の羅列に挑みます。徹夜で紙に計算式を書き連ね、必死で解読し、朝方にメールを返信する。その姿は、数学への純粋な情熱を体現しているようです。

しかし物語は、意外な展開を見せます。後に友人の佐久間が調査した結果、衝撃的な事実が判明するのです。

「昨夜の暗号を解いたのは全世界で55人もいる。だがな、なんと、その中にお前は含まれていなーい」

健二は最後の1文字を間違えていました。2055桁目までは完璧だったにもかかわらず、2056桁目――最後の一文字で凡ミスを犯してしまったのです。深夜の疲労か、焦りか。高校生の健二にとって、この超難問を完答するのは、やはり無理だったのかもしれません。

しかし、さらに驚くべき真実が明らかになります。このメールは単なる暗号問題ではなく、巧妙な罠でした。メールに返信した人間全員――正解者も不正解者も――のアカウントが自動的に乗っ取られる仕組みだったのです。

そして人工知能「ラブマシーン」は、数多くの犠牲者の中から、健二のアカウントを選びました。おそらく理由は2つ。一つは、健二の返信が最も早かったこと。もう一つは、健二がOZの保守管理システムのアルバイトをしていて、通常のユーザーよりも高い管理権限を持っていたことです。

ラブマシーンは健二のアカウントを使ってOZを荒らし回ります。その結果、健二は一夜にして「OZ史上最悪のハッカー」として全国に顔写真(目線入り)を晒されることになりました。暗号を解こうとした純粋な好奇心が、濡れ衣という形で報われたのです。

物語のアイロニーはここにあります。健二の天才性は、暗号を「完璧に解いた」ことではなく、「ほぼ完璧に解いた」ことで証明されました。そして彼が巻き込まれた危機は、その能力の高さゆえでした。もし彼が凡庸な高校生だったなら、そもそも返信すらしなかったかもしれません。

ちなみに、健二が挑んだ2056桁のRSA暗号――これを現在のスーパーコンピュータが解くには数十年から数百年かかると言われています。富士通の評価によれば、2048ビット(約617桁)のRSA暗号ですら、量子コンピュータでも約104日を要します。健二が一晩で2055桁まで正解したという事実は、数学オリンピック代表候補という設定を遥かに超えた、人間離れした能力を示しています。

OZが予言した世界――メタバースの17年

『サマーウォーズ』の仮想世界OZは、2009年当時、まだ夢物語だった概念を鮮やかに描き出していました。3DCGのアバターで交流し、ショッピングや行政手続きをこなし、ゲームで遊ぶ。交通管制や医療、電力網までもがOZと接続された世界――それは、2020年代に「メタバース」として語られることになる未来像そのものでした。

あれから17年。技術は確かに進歩しました。VR(仮想現実)機器は市販され、AR(拡張現実)はスマートフォンに実装されています。2021年、Facebookは社名を「Meta」に変更し、メタバース事業に注力する姿勢を示しました。日本でも2024年、KDDIが「αU」というメタバースプラットフォームをリリースしています。

しかし、映画が描いたような「10億人が日常的に使う仮想空間」は、実現していません。

メタバース市場の予測は楽観的です。矢野経済研究所によれば、日本国内のメタバース市場は2021年度の約744億円から年率170%で成長し、2026年度には約1兆円に達すると予想されています。世界市場も2020年から2024年にかけて大きく拡大しました。

数字だけ見れば順調に見えますが、現場の実感は異なります。「メタバースは普及していない」「誰もやっていない」という声が、SNSやIT業界では少なくありません。

理由はいくつか指摘されています。まず、VR機器のコストと使いにくさ。Meta Quest 3は約8万円で、気軽に購入できる価格ではありません。長時間の装着は疲労を伴い、セットアップにも手間がかかります。多くのメタバースはPCやスマートフォンでも利用できますが、没入感は限定的です。

通信環境も課題です。5Gの普及は進んでいますが、地域差は大きく、高品質な仮想体験をすべての人が享受できる状況ではありません。

しかし、最大の障壁は技術ではなく、心理的なものかもしれません。2003年にリリースされた「セカンドライフ」は、ピーク時には会員数1,500万人に達しましたが、その後急速に下火になりました。この「失敗」の記憶が、メタバースに対する懐疑的な見方を生んでいます。

加えて、コロナ禍で強制的にデジタル化が進んだ反動として、人々は物理的な接触や身体性を求め始めています。画面越しのコミュニケーションへの疲労感も、メタバース普及の足かせになっている可能性があります。

OZが示したのは、便利さと脆弱性の表裏一体でした。すべてが1つのシステムに集約されることの効率性と、それが攻撃されたときの壊滅的な影響。映画は、中央集権的なデジタルインフラへの過度な依存に、警鐘を鳴らしていたとも読めます。

「信頼」という技術

RSA暗号が私たちに教えてくれるのは、デジタル世界における「信頼」は、数学によって構築されているという事実です。

素因数分解が難しいという数学的な性質に依拠することで、見知らぬ相手とも安全に通信できる。これは、人間関係における信頼とは異なる、技術的な信頼です。しかし同時に、その技術を設計し、実装し、運用するのは人間です。

『サマーウォーズ』は、デジタル世界の危機と並行して、田舎の大家族の絆を描きます。曾祖母の栄おばあちゃんが電話1本で動かす人脈、家族が力を合わせて立ち向かう姿――見えない「つながり」を可視化し、信頼の多層性を示しています。

デジタルの信頼と、物理世界の人間関係。両方が必要なのだと、映画は静かに語りかけているようです。

17年という時間

2009年から2026年。映画が公開されてから17年が経ちました。

RSA暗号は今も現役で、私たちのデジタルライフを守っています。メタバースは、映画が描いたほどには普及していませんが、技術は着実に進化しています。

『サマーウォーズ』が色褪せないのは、単に技術を予見したからではないでしょう。人間の知性への信頼、家族や社会のつながりの大切さ、そして便利さと引き換えに失うものへの警戒――これらのテーマは、時代を超えて響き続けます。

暗号という「見えない盾」に守られながら、私たちは今日もインターネットを使います。その背後にある数学と人間の営みに、少しだけ思いを馳せてみるのも悪くないかもしれません。


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投稿者アバター
Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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