産総研・京都府立医大、シソ成分POHから乳がん新標的ANT2を発見|既存薬ベネトクラクスに転用の道

2026年5月1日、産業技術総合研究所と京都府立医科大学らの研究グループが新たな発見を発表した。京都府立医科大学の渡邉元樹講師、井口英理佳氏、産業技術総合研究所の亀田倫史上級主任研究員、小林海渡研究員、関西医科大学附属病院の朴将源診療講師らの研究グループは、シソ由来の天然成分POHがミトコンドリア内のタンパク質ANT2に結合することを発見した。

ANT2の阻害により細胞内ATPのバランスが乱れ、エストロゲン受容体(ER)の発現が低下することを確認した。RNAシーケンス解析により、ホルモン療法抵抗性乳がんではER経路ではなく脂肪酸伸長経路の異常が判明し、ANT2阻害でこの経路も抑制される可能性が示された。スーパーコンピューターを用いたバーチャルスクリーニングでは、既存医薬品のベネトクラクスとナイスタチンがANT2に結合する候補として浮上し、ホルモン療法抵抗性乳がん細胞の増殖を抑制した。論文は2026年4月21日付で『International Journal of Molecular Sciences』に掲載された。

From: 文献リンクシソの成分の研究から乳がん治療の新標的を発見

【編集部解説】

この研究は、「シソに含まれる天然成分が、なぜ乳がんに効くのか」という積年の問いに対して、分子レベルの有力な手がかりを提示するものです。POH(ペリリルアルコール)はラベンダー、ミント、シソなどに含まれるモノテルペンで、1990年代から抗がん作用が報告されてきました。しかし、過去に米国で実施されたフェーズII試験(NCT00003219)では治療抵抗性乳がんに対して有効性を示せず、研究は停滞気味でした。

今回の前進は、POHが「何に効くか」ではなく「なぜ効くか」の手がかりを示した点にあります。標的分子の有力候補としてミトコンドリアタンパク質のANT2を同定したことで、これまで作用機序が不明確だったPOH研究に、明確な分子標的という新たな足場が築かれました。

ANT2は細胞のエネルギー通貨であるATPの輸送を担う、いわば細胞内の物流ハブです。がん細胞は急速な増殖のために大量のATPを必要とするため、この物流網を断つアプローチは理にかなっています。ANT2自体は2000年代後半から乳がん治療の標的候補として注目されてきましたが、実用的な阻害剤の探索は難航していました。

注目すべきは、研究グループが新薬の開発ではなく「ドラッグ・リポジショニング(既存薬の転用)」を選択した点です。スーパーコンピューターによるバーチャルスクリーニングで浮上したのは、白血病治療薬のベネトクラクスと、抗真菌薬のナイスタチン。すでに人体への安全性データが蓄積された薬剤を新たな疾患に適用するこの戦略は、新規化合物のゼロからの開発と比べて開発期間を短縮できる可能性があるアプローチとして注目されています。ただし、新たな疾患への適用には、適切な投与量設計や追加の臨床試験が必要であることに留意が必要です。

医療の未来という視点では、本研究はもう一つ重要な発見を含んでいます。ホルモン療法抵抗性乳がんでは、従来注目されてきたエストロゲン受容体経路ではなく「脂肪酸伸長経路」に異常があるとRNAシーケンス解析で示されたことです。これは抵抗性乳がんの理解を深める新たな視点であり、ANT2阻害がこの経路も同時に抑える可能性が示された点で、今後の研究展開において注目される知見といえます。

ホルモン療法抵抗性乳がんは、ER陽性乳がん患者の少なくない割合が直面する深刻な臨床課題です。乳がんは日本人女性の罹患率1位のがんであり、新たな治療選択肢の開拓は社会的にも切実な意味を持ちます。

ポジティブな側面と裏腹に、冷静に見るべき点もあります。本研究はあくまで細胞レベルおよび計算科学による検証段階であり、実際の患者への有効性・安全性は未知です。ベネトクラクスは血液がん用量で重篤な副作用が報告されており、固形がんへの転用には適切な投与設計が不可欠でしょう。バーチャルスクリーニングで「結合可能性がある」ことと、「臨床効果がある」ことの間には、依然として広い谷があります。また、本研究は研究用濃度の精製成分による分子標的解析であり、食品としてシソを摂取することで同等の効果が得られるわけではない点も重要です。

規制当局の視点では、ドラッグ・リポジショニングが進めば適応外処方や承認プロセスの整備が一層問われるようになります。日本でもAMED(日本医療研究開発機構)がドラッグ・リポジショニング研究の支援プログラムを設けるなど、既存薬転用の動きは広がりを見せています。一方で、患者アクセスとエビデンスの両立は今後の論点となるでしょう。

長期的視点では、この研究は「天然成分×AI計算科学×ドラッグ・リポジショニング」という3要素を組み合わせた創薬モデルの実例として注目に値します。シソという身近な植物から始まった探究が、スパコンを経由して臨床現場の候補へと橋渡しされる構図そのものが、これからの医療研究の典型的なフローを示唆しているのです。

【用語解説】

POH(ペリリルアルコール / Perillyl alcohol)
シソ、ラベンダー、ミント、サクランボなどに含まれるモノテルペンと呼ばれる天然成分。1990年代から抗がん作用が報告されてきたが、これまで「なぜ効くのか」という分子レベルの作用機序は不明だった。なお、本研究は研究用濃度の精製成分による分子標的解析であり、食品としてシソを摂取することで同等の効果が得られることを示すものではない。

ANT2(Adenine Nucleotide Translocator 2 / コードする遺伝子名:SLC25A5)
ミトコンドリア内膜に存在するタンパク質で、細胞のエネルギー通貨であるATPとADPを輸送する役割を担う。増殖が盛んな細胞で発現が高く、がん細胞の生存や増殖に関与することから、以前より治療標的として研究されてきた。

ホルモン療法抵抗性乳がん
エストロゲンの作用を抑えるホルモン療法(タモキシフェンやアロマターゼ阻害薬など)に当初は反応していたものの、治療を続けるうちに効きづらくなった乳がんを指す。ER陽性乳がん患者が長期治療中に直面する大きな臨床課題である。

エストロゲン受容体(ER)
女性ホルモンであるエストロゲンと結合し、乳がん細胞の増殖シグナルを活性化させる核内受容体。ER陽性乳がんは全乳がんの約7割を占め、ホルモン療法の主要な標的となっている。

ケミカルバイオロジー
化合物を分子プローブとして使い、生体内で何に結合し、どんな機能を担っているかを解き明かす学問領域。今回はPOHが結合する標的タンパク質を特定する手法として用いられた。

バーチャルスクリーニング
スーパーコンピューターを用いて、標的タンパク質に結合しそうな化合物を膨大なデータベースから計算機上で絞り込む創薬手法。実験前に有望候補を見極められるため、開発期間とコストの削減に直結する。

ドラッグ・リポジショニング(既存薬の再利用)
すでに承認・使用されている医薬品を、本来の適応とは異なる疾患の治療薬として転用するアプローチ。安全性データが既存のため、新規化合物より開発期間が大幅に短縮できる利点がある。

脂肪酸伸長経路
細胞が長鎖脂肪酸を合成する代謝経路。細胞膜の構成、シグナル伝達、エネルギー貯蔵などに関わる。本研究では、ホルモン療法抵抗性乳がんでこの経路に異常が生じていることが新たに示された。

【参考リンク】

産業技術総合研究所(AIST)(外部)
日本最大級の公的研究機関。本研究では計算科学の研究員がスパコンを用いた解析を担当した。

京都府立医科大学(外部)
本研究を主導した渡邉元樹講師が所属する大学。分子標的予防医学・乳腺外科学の研究者が参画している。

関西医科大学附属病院(外部)
朴将源診療講師が所属する大学病院。臨床腫瘍科の視点から研究に貢献している。

関西医科大学附属病院 臨床腫瘍科(外部)
2024年7月に新設された診療科の公式ページ。がん薬物療法とがんゲノム医療を担当する。

International Journal of Molecular Sciences (MDPI)(外部)
本研究論文の掲載誌。分子科学分野のオープンアクセス国際学術雑誌として知られている。

アッヴィ合同会社(外部)
白血病治療薬ベネトクラクス(製品名ベネクレクスタ)を販売する製薬会社の日本法人。

AMED(日本医療研究開発機構)(外部)
日本のドラッグ・リポジショニングを含む医療研究開発の支援機関。創薬関連プログラムを主管する。

【参考記事】

Role of ANT2 in mitochondrial function and cancer cell survival(外部)
2025年5月発表の総説。ANT2阻害が膵管がん細胞のアポトーシス感受性を高めることを解説している。

ANT2/SLC25A5 Antibody解説 – Cell Signaling Technology(外部)
ANT2の基本機能とがん治療標的としての位置付けを整理。乳がん細胞での研究実績にも触れている。

Phase II trial of daily oral perillyl alcohol in metastatic breast cancer(外部)
2007年米国で実施されたPOH経口投与の第II相試験。14名で効果不十分のため打ち切られた歴史的記録。

Perillyl Alcohol – Memorial Sloan Kettering Cancer Center(外部)
米国の名門がんセンターによるPOH解説。経口製剤の臨床試験結果と吸入製剤の可能性を網羅する。

Anticancer Activity of Perillyl Alcohol: A Scoping Review(外部)
POHの抗がん作用に関するスコーピングレビュー。世界のがん罹患数2,000万人など統計を含む。

Mitochondrial SLC25 Carriers: Novel Targets for Cancer Therapy(外部)
SLC25キャリアファミリーをがん治療の新標的として位置付けた総説。ANT2の役割も詳述する。

【関連記事】

アルツハイマー病の脳免疫細胞に「血液がん」と同じ変異—既存の抗がん剤が治療薬になる日(2026年4月24日)
ドラッグ・リポジショニング(既存抗がん剤の他疾患への転用)というアプローチが本記事と共通する。ベネトクラクスやナイスタチンの転用と発想軸が一致する事例。

Mayo Clinic開発AI「REDMOD」、CT画像から「見えない」膵臓がんを平均475日前に発見(2026年4月30日)
AIや計算科学を活用したがん研究という大テーマで本記事と共通する。スパコンによるバーチャルスクリーニングと並ぶ、計算科学×がん医療の最前線事例。

ノボ ノルディスクとOpenAIが包括提携|創薬・製造・全社DXを一括統合、2026年末に全面適用へ(2026年4月)
AI×創薬という大きな潮流の中で本記事を位置づけられる。グローバル製薬大手とAIラボの提携が示す、創薬プロセス変革の文脈を読み解ける一本。

【編集部後記】

シソは、刺身に添えられたり、梅干しに彩りを与えたりと、私たちの食卓に当たり前のように存在してきた身近な植物です。その葉に含まれる成分が、スーパーコンピューターによる解析を経て、ホルモン療法が効きにくくなった乳がんに立ち向かう道筋を示すかもしれない――この事実に、何か感じるものはありませんか。

身近な自然と、最先端の計算科学。一見遠いはずの両者が交わる場所に、未来の医療の輪郭が見え始めています。みなさんの生活の中にも、まだ気づかれていない「未来のヒント」が眠っているかもしれません。

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TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。