John Snow LabsのCEOであるDavid Talbyが2025年5月29日に発表した研究によると、Oracle Health、John Snow Labs、オレンジ郡小児病院が共同でOracleのリアルワールドデータプラットフォームを使用し、全国の請求データベースと連携して109,000人以上の患者を分析した。
この研究では構造化電子健康記録(EHR)データと非構造化臨床記録を組み合わせて神経精神症状の検出を比較した結果、構造化データのみに依存した場合、自殺と自傷行為のイベント数が非構造化記録を含めると2倍になることが判明した。
また、非構造化記録を組み込むことで特定されたアウトカムイベントが20%増加した。Mental Health Americaのデータによると、過去1年間で約6,000万人(23%)のアメリカ成人がメンタルヘルスの病気を経験している。
ハーバード医学大学院とクイーンズランド大学の研究では、世界の2人に1人が生涯のうちにメンタルヘルス障害を発症するとされている。
自然言語処理(NLP)と大規模言語モデル(LLM)を組み合わせたハイブリッドAIアーキテクチャが、ルールベースNLPの精度とLLMの柔軟性を活用して専門家レベルに近い精度を達成できるとしている。
なお、John Snow Labsは2025年5月にOracleからAI Innovation部門でExcellence Awardを受賞している。
From: Unstructured Data Holds the Key to Better Understanding Mental Health
【編集部解説】
今回の研究は、メンタルヘルス分野におけるAI活用の現実的な可能性を示す重要な事例として注目されます。John Snow Labsは2025年5月にOracleからAI Innovation部門でExcellence Awardを受賞しており、同社の医療AI技術の信頼性が第三者機関からも認められています。
この研究の技術的な核心は、従来の構造化データ(診断コードや薬剤情報)と非構造化データ(医師の記録や患者の言葉)を組み合わせることにあります。特に注目すべきは、自殺・自傷行為の検出率が2倍に向上したという具体的な数値です。これは単なる技術的改善ではなく、実際に命を救う可能性を示唆しています。
興味深いことに、John Snow LabsとOracleは既に2023年からFDAのSentinel Initiativeプロジェクト「MOSAIC-NLP」に参画しており、喘息薬モンテルカストのメンタルヘルス副作用研究で実績を積んでいます。今回の研究は、この継続的な取り組みの成果として位置づけられます。
メンタルヘルス診断の複雑さは、他の医療分野とは根本的に異なります。骨折のようにX線で明確に判断できる疾患と違い、精神的な症状は患者の主観的な表現や医師の観察記録に大きく依存します。この「曖昧さ」こそが、AIによる自然言語処理技術が威力を発揮する領域なのです。
実際の臨床現場では、医師が診察中に記録する「患者は不安そうに見える」「家族から心配の声」といった情報が、正式な診断コードには反映されにくい現実があります。今回の研究は、こうした「隙間に落ちる情報」をAIが拾い上げることで、診断精度を大幅に向上させる可能性を実証しました。
しかし、この技術には慎重に検討すべき課題も存在します。患者のプライバシー保護、AIの判断に対する医師の最終的な責任、そして誤診のリスクなどです。特にメンタルヘルス分野では、誤った診断が患者の人生に深刻な影響を与える可能性があります。
長期的な視点では、この技術は医療格差の解消にも貢献する可能性があります。専門医が不足している地域でも、AIが初期スクリーニングを支援することで、より多くの患者が適切なタイミングで治療を受けられるようになるかもしれません。
規制面では、医療AIの承認プロセスや責任の所在について、各国で議論が活発化することが予想されます。特に日本では、厚生労働省がAI医療機器の承認ガイドラインを整備中であり、今回のような研究成果が政策決定に影響を与える可能性があります。
【用語解説】
電子健康記録(EHR)
Electronic Health Recordの略。患者の医療情報をデジタル化して管理するシステムで、診断コード、処方薬、検査結果などの構造化データと、医師の所見や患者の状態を記述した非構造化データの両方を含む。
自然言語処理(NLP)
Natural Language Processingの略。コンピュータが人間の言語を理解、解釈、生成する技術。医療分野では医師の記録や患者の発言から重要な情報を抽出するために活用される。
大規模言語モデル(LLM)
Large Language Modelの略。膨大なテキストデータで訓練された深層学習モデルで、文脈を理解して自然な文章を生成できる。医療分野では症状の微細な表現も理解可能。
ハイブリッドAIアーキテクチャ
ルールベースの精密なNLPと柔軟性のあるLLMを組み合わせたAIシステム設計。明示的な症状と暗示的な状態の両方を検出し、専門家レベルの精度を実現する。
神経精神症状
脳や神経系の異常が原因で現れる精神的な症状。不安、記憶喪失、興奮、気分障害、幻覚、イライラなどが含まれる。
MOSAIC-NLP
Multi-source Observational Safety Study for Advanced Information Classification Using NLPの略。FDAのSentinel Initiativeの一環として、Oracle、John Snow Labs、複数の医療機関が参画する薬物安全性研究プロジェクト。
Sentinel Initiative
FDAが運営する医療製品の安全性をデジタル監視するシステム。リアルワールドデータを活用して薬物の副作用や安全性を継続的に監視する。
【参考リンク】
Oracle Health(外部)
Oracleの医療部門で、EHRシステムや医療データ分析プラットフォームを提供。世界最大のEHR市場シェアを持つ。
John Snow Labs(外部)
医療・法務・金融分野向けのAI・NLP技術を提供。2025年5月にOracleからAI Innovation部門でExcellence Awardを受賞。
Children’s Hospital of Orange County (CHOC)(外部)
カリフォルニア州オレンジ郡の小児専門病院。334床を有し、MOSAIC-NLPプロジェクトにも参画している。
Mental Health America(外部)
1909年設立のアメリカ最大のメンタルヘルス非営利団体。今回の研究で引用された統計データの提供元。
FDA Sentinel Initiative(外部)
FDAが運営する医療製品安全監視システム。リアルワールドデータを活用して薬物の安全性を継続的に監視。
【参考動画】
Oracle Health Summit 2024 – The Future of Healthcare
Oracle公式チャンネルが2024年11月に公開。Oracle HealthのEVP兼GMのSeema Vermaが、新しいEHRシステムやAI技術を活用した医療の未来について詳しく解説している。
【参考記事】
John Snow Labs Wins 2025 Oracle Excellence Award for AI Innovation(外部)
2025年5月7日発表。John Snow LabsがOracleからAI Innovation部門でExcellence Awardを受賞したことを報じる公式発表。
Oracle’s Cerner Enviza and FDA Collaborate on NLP-AI Drug Safety Tools(外部)
2022年9月発表。Oracle、John Snow Labs、FDAの協力によるMOSAIC-NLPプロジェクトについて詳述。
Generative AI in Healthcare: Use Cases, Benefits, and Challenges(外部)
2025年5月22日発表。John Snow Labsによる医療分野でのGenerative AI活用に関する包括的な解説記事。
【編集部後記】
この研究が示すように、メンタルヘルス分野でのAI活用は既に現実のものとなっています。実際、John Snow LabsとOracleは2023年からFDAと協力してこの技術を実用化しており、今回の成果はその延長線上にあります。皆さんの職場や身近な医療現場でも、こうした技術が導入される日は遠くないかもしれません。AIが医師の診断を支援することで、これまで見過ごされがちだった心の不調をより早期に発見できる可能性について、どのように感じられるでしょうか。一方で、プライバシーや誤診のリスクなど、慎重に検討すべき課題もあります。テクノロジーと人間の専門性が最適に組み合わさった未来の医療について、皆さんはどのような形を理想とされますか。