Cortical Labs「CL1」を20台導入|シンガポールで脳細胞データセンターが稼働

[最終更新]

Googleで優先するソースとして追加するボタン

AIの計算需要が増えるほど、データセンターでは電力と冷却の確保が重い制約になります。シンガポールで始まった「生きたニューロンを使うデータセンター」は、この問題を半導体の改良だけでなく、計算方式そのものから見直す試みです。


オーストラリアのバイオテック企業Cortical Labsは、シンガポール国立大学(NUS)、データセンター事業者DayOneと共同で、生きたヒト由来ニューロンを計算に使う生物学的データセンターをシンガポールで稼働させた。

元記事によると、施設は2026年7月16日に稼働し、現在は20台のCL1を設置。各装置には少なくとも20万個の培養ニューロンが搭載される。Cortical LabsのHon Weng Chong CEOによると、CL1の消費電力は生命維持装置を含め約30Wという。将来は規制承認などを条件に最大1,000台への拡張が計画されている。Cortical Labsは、大量の学習データを得にくいロボティクスや異常検知などへの活用を想定する一方、高速で反復可能な計算では従来型シリコン半導体が優位としている。

From: 文献リンクForget silicon chip servers, Singapore’s newest data centre needs to be fed

【編集部解説】

「30W」だけでは測れない、生物学的コンピューティングの意味

今回の取り組みで注目したいのは、単に「脳細胞をコンピューターに使った」という珍しさではありません。シンガポールのようにデータセンターを増やしたくても、電力や土地などの制約が大きい地域で、計算資源そのものの構成を変える試みが始まっている点です。

シンガポール政府のInfocomm Media Development Authority(IMDA)は、国内にすでに1.4GWを超えるデータセンター容量と70以上のクラウド、企業向け、コロケーション施設が存在すると説明しています。さらにAIなどによる計算需要の増加を見込み、Green Data Centre Roadmapでは短期的に少なくとも300MWの追加容量を確保しつつ、IT機器の省電力化や低炭素エネルギーの利用を進める方針を示しています。

つまり、シンガポールにとって問題は「データセンターを増やすか、増やさないか」という二択ではありません。増加する計算需要に対して、限られた電力からどれだけ多くの計算能力を引き出せるかが課題になっています。その中に、生物学的コンピューティングという異なる選択肢が加わったと考えると、今回の実証の位置づけが見えやすくなります。

NUS Medicineによると、今回設置されたのは20台のCL1をまとめた生物学的データセンターのプロトタイプで、研究環境の中で独立運用される生体統合型サーバーラックとして展開されています。NUS、DayOne、Cortical Labsは、従来のシリコンだけに依存しない計算インフラとして、AIの計算能力をより低い電力強度で拡張する可能性を検証しています。

GPUを置き換える技術ではない

ただし、ここでCL1とGPUの消費電力だけを比較して「生体コンピューターの方が効率的」と結論づけることはできません。両者が実行できる計算の種類や性能指標が異なるためです。

Cortical Labs自身も、CL1を一般的なCPUやGPUの代替としてではなく、生きたニューロンが持つ学習や適応能力を利用する計算基盤として位置づけています。CL1では培養したニューロンをシリコンチップ上に配置し、電気刺激を入力するとともにニューロンの反応を読み取ることで、ソフトウェアと生体神経ネットワークの閉ループを構成します。また、生命維持機構を本体に内蔵し、ニューロンを最長6カ月維持できるとしています。

NUS Medicineによると、Cortical Labsは生物学的コンピューティングが、利用できるデータが少ない領域で従来型AIを補完できる可能性があると説明しています。NUSの発表では、候補用途として創薬、ヒューマノイドロボット、サイバーセキュリティ、不正検知などが挙げられています。

したがって現時点で想定されるのは、GPUサーバーを生体コンピューターへ丸ごと置き換える構成ではなく、問題の性質に応じてシリコンと生体ニューロンを使い分ける構成です。これは編集部としての解釈ですが、もし少量のデータからの学習や環境変化への適応といった領域を低い電力負荷で処理できることが実証されれば、データセンターの省電力化は「同じ半導体を効率よく冷やす」という問題だけではなく、「どの計算を、どの種類の計算基盤に割り当てるか」という設計問題へ広がる可能性があります。

まだ「省電力データセンター」の答えではない

一方で、今回のシンガポール拠点はNUS Medicine自身が「prototype」と位置づける段階です。生きた細胞を長期間安定して維持する方法、個体差のある神経ネットワークで計算結果の再現性をどこまで確保できるか、ラック単位で大規模化した場合にも電力面の優位性が維持されるかなど、商用インフラとして評価するには検証すべき点が残っています。

また、今回確認したNUS Medicine、Cortical Labs、IMDAの公式情報では、日本でのCL1データセンター展開計画は示されていません。

今回の20台は、AIデータセンターの電力問題をただちに解決する規模ではありません。それでも、計算需要の増加に対して半導体の性能向上と冷却効率だけを追うのではなく、計算そのものを別の原理へ振り分けられるかを実環境で検証し始めた点に、このプロジェクトの意味があります。

【関連記事】

生体コンピュータ「CL1」がレンタル可能に|合成生物学的知能の可能性と倫理
Cortical LabsのCL1そのものの仕組みや、遠隔から生体ニューロンを利用するサービスについて紹介した記事。

プリンストン大学が3D-MIND開発、生きた脳細胞でAIの電力問題に挑む新型バイオコンピューター
生きた神経細胞を計算資源に利用し、AIの電力消費という課題に取り組む別方式のバイオコンピューティング研究を紹介。

シンガポール、AI需要対応のグリーンデータセンター推進に着手
シンガポールがデータセンター容量を拡大しながら、電力消費や環境負荷を抑えるGreen Data Centre Roadmapを扱った記事。

【編集部後記】

脳細胞をデータセンターの計算資源として使うという発想は、とても興味深く感じます。半導体とはまったく異なる方法で情報を処理する姿を見ると、生き物そのものが持つ仕組みの奥深さを改めて意識させられます。私たちは普段、脳を「考えるための器官」として捉えていますが、その働きが計算基盤として応用されるというのは不思議な感覚があります。一方で、生きた細胞を扱う以上、安定性や倫理、運用方法など、これまでのデータセンターにはなかった課題も出てきます。
それでも、生命の仕組みから新しいコンピューティングの形を探る試みには、生き物の神秘そのものを技術の中に見るような面白さがあります。


【用語解説】

生物学的コンピューティング(Biological Computing)
シリコン半導体だけでなく、生きた細胞や神経ネットワークなどの生物学的要素を情報処理に利用するコンピューティング方式。今回のCL1では、培養したニューロンとシリコンチップを組み合わせ、電気信号を介してソフトウェアと神経細胞を相互作用させる。

ウェットウェア(Wetware)
コンピューターのハードウェア、ソフトウェアになぞらえ、生きた神経細胞などの生物学的要素を計算資源として捉える呼び方。NUS Medicineは今回の生物学的データセンターについて、幹細胞由来の生きたニューロンを利用する計算インフラとして説明している。

CL1
オーストラリアのCortical Labsが開発した、生きたニューロンとシリコンを統合した生物学的コンピューター。ニューロンへの刺激と活動の読み取りをリアルタイムで行う閉ループシステムを備え、生命維持機構も本体内部に統合されている。

Cortical Cloud
Cortical Labsの生物学的コンピューターへ遠隔からコードを送り、実験できるクラウド型プラットフォーム。CL1のアレイへPython SDKなどを介してアクセスできる。

Green Data Centre Roadmap
シンガポール政府のIMDAが2024年に発表したデータセンター政策。少なくとも300MWの追加容量を確保しながら、IT機器の効率化やグリーンエネルギー利用を進め、データセンター容量と環境負荷の両立を目指すもの。

【参考リンク】

Cortical Labs(外部)
生物学的コンピューティングを開発するオーストラリア企業。CL1やCortical Cloud、関連研究などを公開する公式サイト。

CL1|Cortical Labs(外部)
培養ニューロンとシリコンを統合したCL1の仕組み、閉ループ制御、生命維持機構などを紹介する公式製品ページ。

Cortical Cloud|Cortical Labs(外部)
生物学的コンピューターへ遠隔アクセスし、コードや実験を実行するための公式クラウドプラットフォーム。

NUS Yong Loo Lin School of Medicine(外部)
今回の生物学的データセンタープロトタイプが設置されたシンガポール国立大学医学部の公式サイト。

Infocomm Media Development Authority(IMDA)(外部)
シンガポールのデジタルインフラ政策などを担う政府機関。Green Data Centre Roadmapを策定。

【参考動画】

【参考記事】

NUS Medicine, DayOne and Cortical Labs Unveil Biological Data Center Prototype in Singapore|NUS Medicine(外部)
NUS Medicine、DayOne、Cortical Labsによる生物学的データセンターの公式発表。20台のCL1による研究用サーバーラックや研究目的、想定される応用分野を説明。

Introducing the CL1|Cortical Labs(外部)
ニューロンとシリコンチップを接続する仕組み、閉ループ制御、最大6カ月のニューロン維持などCL1の設計を説明する公式資料。

Charting green growth for data centres in SG|IMDA(外部)
シンガポールが1.4GW超のデータセンター容量を持ち、少なくとも300MWを追加しながら省電力化とグリーンエネルギー導入を進める政策を説明。

Googleで優先するソースとして追加するボタン
投稿者アバター
乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。

関連記事