2025年6月4日(現地時間、日本時間6月5日)、オーストリアのウィーン工科大学(TU Wien)とドイツのベルリン自由大学(FU Berlin)の研究チームは、量子システムが情報を「忘却」する際にエネルギーとエントロピーの交換が生じることを初めて実験的に確認したと発表した。この研究成果は、同日付で科学誌『Nature Physics』に掲載された。
研究チームは、極低温に冷却された原子雲を用いて、量子情報が失われる過程を観測した。この実験では、量子系が外部環境と相互作用することで、情報が不可逆的に失われる様子が確認された。この現象は、1961年に物理学者ロルフ・ランダウアーが提唱した「情報の削除にはエネルギーが必要であり、熱が発生する」という原理(ランダウアーの原理)を支持するものである。
この研究は、量子コンピュータの情報処理やエネルギー効率に関する基本的な限界を理解する上で重要な一歩となる。また、情報理論と熱力学、量子物理学の深い関係性を明らかにするものであり、今後の量子技術の発展に寄与することが期待される。
from:https://phys.org/news/2025-06-quantum-physics.html
【編集部解説】
情報と物理学の結びつきが重要な理由
情報と物理学の融合は、現代科学において極めて重要なテーマです。情報理論は、もともと通信やデータ圧縮の分野で発展しましたが、現在では物理学の基本法則と深く結びついています。特に、エントロピーという概念は、情報の不確実性と熱力学的な無秩序さの両方を表す指標として、両分野で共通して使用されています。
ランダウアーの原理は、情報処理と物理的エネルギーの関係を明確にしています。このような視点は、量子コンピュータの設計やエネルギー効率の向上において不可欠です。
量子情報熱力学の発展が私たちの世界の認識をどう変えるか
量子情報熱力学の発展は、私たちの世界の認識に大きな影響を与えています。従来の物理学では、情報は物理的な現象とは独立した抽象的な概念とされてきました。しかし、情報が物理的な実体であり、エネルギーや熱と密接に関係していることが明らかになるにつれて、情報は物理学の基本的な構成要素として再評価されています。
この視点の変化は、量子コンピュータや量子通信などの新しい技術の発展を促進しています。量子情報熱力学の研究は、これらの技術のエネルギー効率や性能の向上に貢献するだけでなく、私たちの宇宙観や現実の理解にも深い影響を与えています。
このように、情報と物理学の結びつきは、現代科学の最前線であり、私たちの世界の理解を深める鍵となっています。今後の研究の進展が、さらに新しい発見や技術革新をもたらすことが期待されます。
世界の認識への影響
情報熱力学と量子技術の結びつきは、私たちの世界の認識にも影響を与えています。例えば、情報が物理的な実体として扱われることで、情報と物質の境界が曖昧になり、情報がエネルギーや熱と同等の存在として再評価されています。これにより、情報の保存や処理が物理的な制約を受けることが明らかになり、情報の取り扱いに対する新たな理解が求められています。
【用語解説】
ランダウアーの原理(Landauer’s Principle)
1961年にロルフ・ランダウアーが提唱した原理で、情報の消去には最低限のエネルギーが必要であり、その過程で熱が発生することを示す。これは情報理論と熱力学を結びつける重要な概念であり、特に量子計算や低消費電力デバイスの設計において基本的な制約となる。
量子多体系(Quantum Many-Body System)
多数の量子粒子が相互作用するシステム。これらの系は、超伝導や量子相転移などの現象を示し、量子情報処理や物性物理の研究対象となる。
量子場シミュレーター(Quantum Field Simulator)
量子場理論のモデルを実験的に再現する装置。超低温のボース気体などを用いて、複雑な量子現象を模擬し、理論の検証や新たな物理の発見に寄与する。
ボース気体(Bose Gas)
ボース粒子(整数スピンを持つ粒子)からなる気体。超低温でボース・アインシュタイン凝縮を起こし、量子現象をマクロなスケールで観測可能にする。
クライン=ゴルドンモデル(Klein-Gordon Model)
相対論的なスカラー粒子の運動を記述する方程式。量子場理論の基本的なモデルの一つであり、質量を持つ粒子の振る舞いを表す。
トモグラフィー再構成(Tomographic Reconstruction)
量子状態を完全に再構成する手法。複数の測定結果から、系の密度行列を推定し、量子情報の完全な把握を可能にする。
エントロピー(Entropy)
系の無秩序さや情報の不確実性を表す指標。熱力学ではエネルギーの散逸を、情報理論では情報の欠如を定量化する。
相互情報量(Mutual Information)
二つの変数間の情報の共有度合いを示す量。量子情報では、系と環境の相関を評価する指標として用いられる。
相対エントロピー(Relative Entropy)
二つの確率分布の違いを測る指標。量子情報理論では、ある状態が別の状態からどれだけ異なるかを定量化する。
準粒子(Quasiparticle)
複雑な多体系の中で、集団的な励起を粒子のように扱う概念。電子のホールやフォノンなどが例として挙げられる。
【参考リンク】
ウィーン工科大学(TU Wien)
オーストリアのウィーンにある工科大学で、量子物理学や工学分野で世界的に知られる研究機関。
ベルリン自由大学(Freie Universität Berlin)
ドイツのベルリンに位置する大学で、自然科学や人文科学の研究で高い評価を受けている。
Nature Physics
物理学全般を扱う国際的な学術誌で、最新の研究成果が掲載されている。