SpaceXのStarlinkなどが展開する衛星メガコンステレーションの脆弱性を指摘するSarah Thieleらの研究論文が、12月10日にarXivで公開された。
低軌道のコンステレーション全体で22秒に1回、Starlink単独では11分に1回の接近遭遇が発生しており、Starlink衛星は年間平均41回の回避機動を実行している。研究チームは「CRASH Clock」という新指標を導入し、2025年6月時点で衛星運用者が制御を失った場合、2.8日以内に壊滅的衝突が発生する可能性があると算出した。これは2018年時点の121日から大幅に短縮されている。24時間の制御喪失で衝突確率は30%に達し、ケスラーシンドロームを引き起こす可能性がある。2024年5月のGannon Stormでは、低軌道の衛星の半数近くが回避機動を余儀なくされた。1859年のキャリントン・イベントのような大規模太陽フレアが発生すれば、衛星システムの長期的な機能停止により世界的な通信と宇宙活動が麻痺する恐れがあると警告している。
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Scientists Warn: Solar Storms Could Spark Satellite Disasters in 2.8 Days
【編集部解説】
この研究が今「なぜ重要なのか」を理解するには、3つの時間軸を重ねて考える必要があります。
まず、衛星の急増というコンテキストです。2018年時点では制御喪失から壊滅的衝突まで121日の猶予がありましたが、Starlinkが本格展開を始めた2019年以降、この数字は急激に短縮されています。現在の低軌道には11,800機以上の衛星が存在し、そのうち7,000機強がStarlinkです。コンステレーション全体で22秒に1回、Starlink単独では11分に1回という接近遭遇の頻度は、まさに綱渡りの連続を意味します。
次に、太陽活動のサイクルです。現在はソーラーサイクル25のピーク期にあたり、2024年から2025年にかけて大規模な太陽フレアが発生しやすい時期です。2024年5月のGannon Stormは20年ぶりの規模で、低軌道の活動衛星約10,000機のうち半数近くが同時に機動を実行する事態となりました。太陽フレアが衛星に与える影響は二重構造になっています。一つ目は大気の加熱による抗力増加で、これは燃料消費を加速させ、衛星の位置不確実性を高めます。二つ目、そしてより深刻なのは、ナビゲーションと通信システムの機能停止です。制御を失った衛星は回避機動ができなくなり、まさに宇宙空間を漂う時限爆弾と化します。
CRASH Clockという指標の革新性は、この複合的なリスクを時間軸で可視化した点にあります。従来の衝突確率モデルは「平時」を前提としていましたが、CRASH Clockは制御喪失というカタストロフィックな状況を想定しています。わずか24時間の制御喪失で30%の衝突確率というのは、統計的に見て極めて高い数値です。
ここで浮上するのが「ケスラーシンドローム」という悪夢のシナリオです。1978年にNASAのDonald Kesslerが提唱したこの理論は、衝突によって生じた破片がさらなる衝突を引き起こし、指数関数的にデブリが増加する連鎖反応を指します。映画「Gravity」で劇的に描かれましたが、実際には数十年から数世紀かけて進行するプロセスです。しかし重要なのは、一度この連鎖が臨界点を超えると、人類が打ち上げを完全に停止しても自己増殖的に悪化し続けるという点です。
1859年のキャリントン・イベントは、この文脈で特に示唆的です。当時は電信システムが火災を起こす程度でしたが、現代の衛星依存社会で同規模の事象が発生すれば、GPS、通信、気象観測、金融取引など、あらゆるインフラが機能停止に陥ります。そして制御を失った数千機の衛星が連鎖的に衝突すれば、低軌道は何世代にもわたって使用不可能になる可能性があります。
2023年のFCCへの報告によれば、Starlinkは4年間で50,000回の回避機動を実行しました。サウサンプトン大学のHugh Lewis教授の試算では、現在のトレンドが続けば2028年までに6ヶ月ごとに約100万回の機動が必要になるといいます。これは単なる技術的チャレンジではなく、燃料消費、運用コスト、システムの複雑性が指数関数的に増大することを意味します。
この研究が投げかけるのは、「便利さとリスクのトレードオフをどう評価するか」という根本的な問いです。衛星メガコンステレーションは確かに地球規模のインターネットアクセスを実現しましたが、それは宇宙空間という共有資源に前例のないストレスをかけています。自律的な衝突回避システムの高度化、国際的な軌道管理の枠組み、デブリ除去技術の開発など、複数のレイヤーでの対策が急務となっています。
【用語解説】
CRASH Clock(Collision Realization and Significant Harm Clock)
衛星運用者が制御能力を完全に失った場合、壊滅的な衝突が発生するまでの時間を測定する新しい指標。現在は2.8日と算出されており、2018年の121日から大幅に短縮されている。
ケスラーシンドローム(Kessler Syndrome)
1978年にNASAのDonald Kesslerが提唱した理論。軌道上の物体密度が臨界点を超えると、衝突で生じた破片がさらなる衝突を引き起こし、デブリが指数関数的に増加する連鎖反応が発生する現象。一度始まると人類が打ち上げを完全に停止しても自己増殖的に悪化し続ける。
低軌道(LEO: Low Earth Orbit)
地球表面から高度2,000km以下の軌道。国際宇宙ステーションやStarlinkなどの衛星メガコンステレーションが運用される領域。大気抵抗の影響を受けやすく、デブリの密度が最も高い。
衛星メガコンステレーション
数百から数万機の衛星を協調動作させる大規模な衛星群。Starlinkは現在7,000機以上を運用し、最終的には42,000機の配置を計画している。グローバルなインターネットカバレッジを実現する一方、軌道混雑の主要因となっている。
キャリントン・イベント
1859年9月に発生した観測史上最大の太陽フレア。世界中で電信システムが故障し、一部では火災も発生した。現代で同規模の事象が発生すれば、衛星通信や電力網に壊滅的な被害をもたらすと予測されている。
Gannon Storm
2024年5月10-12日に発生した20年ぶりの大規模地磁気嵐。低軌道の衛星の半数近くが回避機動を余儀なくされ、軌道の不確実性が急激に増大した。ソーラーサイクル25のピーク期における警告的事例となった。
arXiv(アーカイブ)
物理学、数学、コンピュータサイエンスなどの分野のプレプリント(査読前論文)を公開するオープンアクセスリポジトリ。コーネル大学が運営し、研究成果の迅速な共有を可能にしている。
【参考リンク】
SpaceX – Starlink(外部)
低軌道に7,000機以上の衛星を配置し世界中でブロードバンドインターネットを提供するサービス
arXiv.org(外部)
コーネル大学が運営する学術プレプリントサーバー。査読前の研究論文をオープンアクセスで公開
NASA – Orbital Debris Program Office(外部)
NASAの宇宙デブリ研究部門。軌道上の物体を追跡し衝突リスク評価とデブリ軽減研究を実施
Princeton University(外部)
本研究の主著者Sarah Thieleが現在所属する米国の名門研究大学。宇宙工学分野で先端研究を実施
【参考動画】
欧州宇宙機関(ESA)による公式解説動画。ケスラーシンドロームのメカニズムと宇宙デブリ問題の現状をアニメーションで分かりやすく説明している。
SpaceX公式チャンネルによるStarlink衛星の打ち上げミッション映像。衛星メガコンステレーションがどのように展開されているかを視覚的に理解できる。
【参考記事】
2.8 Days to Disaster – Why We Are Running Out of Time in Low Earth Orbit(外部)
低軌道全体で22秒に1回の接近遭遇が発生している状況を報告。各Starlink衛星が年間41回の回避機動を実行している具体的数値を提示
2.8 days to disaster: Why we are running out of time in low earth orbit(外部)
Phys.orgによる科学的視点からの分析。太陽フレアが衛星運用に与える二つの影響を明確に説明
Solar storm could cripple Starlink satellites, trigger orbital chaos(外部)
2018年時点の121日から現在の2.8日への変化を強調。2028年までに6ヶ月ごとに100万回の機動が必要になる予測を提示
Satellite Drag Analysis During the May 2024 Gannon Geomagnetic Storm(外部)
2024年5月の地磁気嵐の詳細な技術分析。低軌道の活動衛星約10,000機のうち半数近くが同時に機動を実行した事実をデータで示す
A Single Solar Storm Could Trigger an End to Space Travel. Here’s How.(外部)
1859年のキャリントン・イベントが現代に発生した場合の影響を警告。歴史的前例と現代リスクを結びつけた分析
【編集部後記】
私たちが毎日当たり前に使っているGPSやインターネット、天気予報。その多くが低軌道の衛星に支えられています。便利さを享受する一方で、2.8日という数字が突きつけるのは、このインフラがいかに繊細なバランスの上に成り立っているかという現実です。もし明日、大規模な太陽フレアが発生したら、私たちの生活はどう変わるでしょうか。宇宙開発の恩恵と持続可能性、この両立について、みなさんはどう考えますか。































