Anna’s Archiveは2025年12月20日、Spotifyのメタデータと音楽ファイルのバックアップを約300TBのトレント形式で配布すると発表した。このリリースには2億5,600万トラックと1億8,600万の固有ISRCを含むメタデータデータベースが含まれ、公開されているものとしては最大規模である。
アーカイブされた音楽ファイルは8,600万曲で、全リスニングの約99.6%を占める。Spotifyの人気度メトリックで優先順位付けされ、popularity>0のトラックは160kbit/sのOGG Vorbis形式、popularity=0のトラックは75kbit/sのOGG Opus形式に再エンコードされている。収録のカットオフは2025年7月である。メタデータは2025年12月にリリース済みで、音楽ファイルは人気度順に段階的にリリースされる予定である。Anna’s Archiveは十分なディスク容量があれば誰でもミラーリング可能な完全にオープンな音楽保存アーカイブとしている。
From:
Backing up Spotify – Anna’s Blog
【編集部解説】
このプロジェクトが提起しているのは、デジタル時代における文化保存と著作権の根本的な対立です。Anna’s Archiveはこれまで学術論文や書籍のシャドーライブラリとして活動してきましたが、今回初めて音楽という領域に踏み込みました。
技術的には、Spotifyのスクレイピング手法を確立し、2億5,600万トラックという膨大なメタデータを構造化されたSQLiteデータベースとして公開している点が注目されます。MusicBrainzの500万ISRCに対して1億8,600万という圧倒的な規模は、商業プラットフォームを超えた包括的なカタログといえるでしょう。
しかし法的リスクは極めて深刻です。Internet Archiveは2025年、78回転レコード2,749トラックの保存を巡り、最大6億2,100万ドルに達する可能性のある損害賠償請求を受け、最終的に金額非公開の和解に追い込まれました。
Anna’s Archiveはすでにベルギーで50万ユーロの罰金、英国で高等裁判所によるブロック、ドイツでドメイン遮断など複数の法的措置に直面しています。Spotifyの利用規約違反に加え、各国の著作権法や技術的保護手段の回避に関する法律にも抵触する可能性が高いでしょう。
一方で、彼らが指摘する文化保存の課題も現実的です。Spotifyのようなプラットフォームはライセンス契約の変更、地域制限、アーティストによる削除要求などで日常的にカタログが変動します。中央集権的なサービスに依存する限り、将来的なアクセスは保証されません。
トレント形式での分散配布は、単一の法的措置では削除できない冗長性を生み出します。これは技術的には有効な保存戦略ですが、同時にアーティストへの補償を完全に排除するものでもあります。Spotifyのストリーム単価は0.003〜0.005ドル程度ですが、無料配布はその僅かな収入源すら奪うことになります。
このプロジェクトは「保存か海賊行為か」という二項対立では捉えきれません。デジタル文化遺産の永続的保存という公益と、創作者の権利保護という正当性が真正面から衝突している事例なのです。
【用語解説】
ISRC(International Standard Recording Code)
国際標準レコーディングコードの略称で、音楽や音声の録音物に付与される12桁の国際的な識別コード。国、登録者、年、シリアル番号で構成され、同じ曲でも異なる録音やバージョンには別のISRCが割り当てられる。楽曲の権利管理やロイヤリティ分配の基盤となる。
トレント
BitTorrentプロトコルを使用したファイル共有方式。中央サーバーを経由せず、ユーザー同士が直接ファイルの断片を交換し合うP2P技術。ファイルが分散保存されるため、単一の削除命令では完全な排除が困難という特徴を持つ。
OGG Vorbis / OGG Opus
どちらもオープンソースの音声圧縮フォーマット。Vorbisは音楽向けに設計され、MP3の代替として広く使われる。Opusはより新しく、低ビットレートでも高音質を維持できるため、音声通話やストリーミングに適している。
スクレイピング
ウェブサイトから自動的にデータを抽出する技術。プログラムを使ってHTMLを解析し、必要な情報を収集する。多くのサービスは利用規約でスクレイピングを禁止している。
シャドーライブラリ
著作権で保護されたコンテンツを無許可で収集・配布するオンラインアーカイブの総称。学術論文、書籍、音楽などを対象とし、アクセス障壁の撤廃を掲げるが、著作権法に抵触する。
DRM(Digital Rights Management)
デジタル著作権管理技術。コンテンツの不正コピーや無許可配布を防ぐため、暗号化やアクセス制限を実装する技術的保護手段。
DMCA(Digital Millennium Copyright Act)
1998年に制定された米国のデジタル著作権法。Section 1201では技術的保護手段(DRM)の回避を違法とし、違反者には刑事罰や民事賠償が科される。
【参考リンク】
Anna’s Archive(外部)
LibGen、Sci-Hub、Z-Libraryなどシャドーライブラリを統合したメタ検索エンジン。書籍・論文に加え音楽アーカイブに参入
Spotify(外部)
世界最大級の音楽ストリーミングサービス。2億5,600万トラック以上を配信し、今回のバックアップ対象となったプラットフォーム
MusicBrainz(外部)
オープンソースの音楽メタデータデータベース。コミュニティ主導で楽曲情報を管理。500万の固有ISRCを保有
Internet Archive(外部)
1996年設立の非営利デジタルライブラリ。78回転レコード保存を巡る訴訟で大手レコード会社から最大6億2,100万ドル相当の損害賠償を請求されていたが、2025年に金額非公開の条件で和解した
【参考記事】
Anna’s Archive Backs Up Spotify: 300TB, 86M Tracks(外部)
Internet Archiveの和解金事例を紹介。1トラック約22万6,000ドルで、理論上19.4兆ドル相当と指摘
If you got one of these emails from Spotify, you might be interested(外部)
Spotifyが2025年5月15日から利用規約を改定し、スクレイピングやAIモデル訓練を明確に禁止したと報じる
A Brief History of the DMCA(外部)
DMCA Section 1201の反回避条項を解説。YouTubeローリング暗号回避がDRM回避と判断された事例を紹介
Piracy in the Entertainment Industry & Legal Penalties(外部)
著作権侵害の民事・刑事責任を詳述。法定損害賠償が1作品750ドル〜15万ドル、重罪基準を説明
Punishment for Copyright Infringement(外部)
著作権侵害の刑事罰を解説。軽犯罪で最大1年の懲役と10万ドル、重罪で最大5年の懲役と25万ドルの罰金
【編集部後記】
このニュースは、文化保存と創作者の権利保護という、どちらも正当性を持つ価値観の衝突を浮き彫りにしています。デジタルコンテンツは企業の判断一つで消える脆弱性を抱える一方、無許可のアーカイブはアーティストの収入源を奪います。
みなさんは、未来世代のために音楽を残すべきだと思いますか。それとも、今のクリエイターを守ることが最優先でしょうか。この問いに簡単な答えはありません。ただ、技術が可能にした大規模バックアップという現実を前に、私たちは新しい文化保存の枠組みを真剣に考える時期に来ているのかもしれません。































