英国プリマス海洋研究所(PML)、米国海洋大気庁(NOAA)、オレゴン州立大学海洋資源研究協力研究所の研究者らが発表した研究によると、海洋酸性化が2020年にプラネタリー・バウンダリー(地球の安全境界)を越えていたことが判明した。
プラネタリー・バウンダリーはアラゴナイト飽和度が産業革命前と比較して20%以上減少した状態を指す。研究では海洋を深く調べるほど、結果が悪化することが判明、海面では40%がこの安全境界を突破し、海面下200メートルでは世界の海洋の60%が境界を越えていることが確認された。
過去200年間で海洋表層水のpHは8.2から8.1に低下し、今世紀末までにさらに0.2〜0.3単位低下すると予測されている。研究者たちは、海の酸性度を下げる主な方法は二酸化炭素排出量の削減であると主張している。これは海洋酸性化は大気中の二酸化炭素を海洋が吸収することで発生するためであり、海洋酸性化はサンゴ礁などの海洋生態系に修復不可能な損害を与える。そしてこの海洋酸性化は「時限爆弾」のように、沿岸経済へ取り返しのつかない損害をもたらす恐れがある。
From: New study claims the world’s oceans are a ‘ticking time bomb’
【編集部解説】
今回の研究結果は、海洋科学分野において極めて重要な転換点を示しています。プラネタリー・バウンダリーという概念は、地球システムが安全に機能できる限界値を科学的に定義したもので、9つの境界のうち既に6つが突破されている状況です。
海洋酸性化のメカニズムを理解するには、化学的プロセスを把握する必要があります。大気中の二酸化炭素が海水に溶け込むと炭酸を形成し、これが水素イオンと重炭酸イオンに分解されます。この過程で海水のpHが低下し、同時に貝類やサンゴが殻や骨格を形成するのに必要な炭酸イオンが重炭酸イオンに変化してしまうのです。
特に注目すべきは、深層海域での酸性化進行が表層を上回っている点です。海面下200メートルで60%の海域が安全限界を突破している一方、表層では40%に留まっています。これは海洋の垂直循環システムに深刻な影響を与える可能性があります。
実際の被害事例も既に報告されています。太平洋北西部では2007〜08年にかけて牡蛎幼生の大規模死滅が発生し、海水酸性度上昇が原因として特定されました。また、米国太平洋沿岸部ではカニなどの甲殻類の幼生の殻が脆弱化し、個体成長の遅れと地元養殖産業への収益影響が確認されています。
経済的インパクトも無視できません。特に北米西岸のカニ・サーモン漁業地域での深層水変化は、数十億ドル規模の水産業に直接的な打撃を与える可能性があります。沿岸地域の経済基盤が根本から揺らぐ事態も想定されます。
しかし、この危機は同時に技術革新の機会でもあります。海洋モニタリング技術の高度化、炭素回収・貯留技術の発展、代替エネルギーシステムの加速的普及などの観点から見れば、人類の技術的進化を促進する触媒となり得るのです。
規制面では、国際的な炭素排出削減目標の見直しが不可避となるでしょう。現在のパリ協定の枠組みでは不十分であることが科学的に証明された形となり、より厳格な規制体制への移行が求められます。
長期的視点では、この研究は海洋工学、バイオテクノロジー、環境監視システムなどの分野で革新的ソリューションの開発を加速させる可能性があります。危機をイノベーションの原動力に変換できるかが、人類の未来を左右する鍵となるでしょう。
【用語解説】
プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)
地球システムが安全に機能できる限界値を科学的に定義した概念。気候変動、海洋酸性化、成層圏オゾン層破壊など9つの境界が設定されており、これを越えると地球システムが不安定化するリスクが高まる。
海洋酸性化
大気中の二酸化炭素が海水に溶け込み、炭酸を形成することで海水のpHが低下する現象。
アラゴナイト飽和度
海洋生物が殻や骨格を形成するのに必要なアラゴナイトの利用可能性を示す指標。この値が低下すると、貝類やサンゴなどの石灰化生物が殻や骨格を形成することが困難になる。
アラゴナイト
炭酸カルシウムの結晶形の一つで、多くの海洋生物(サンゴ、貝類、翼足類など)が殻や骨格形成に使用する。方解石よりも溶解しやすく、海洋酸性化の影響を受けやすい。
世界海洋酸性化観測ネットワーク(GOA-ON)
海洋酸性化の観測と研究を世界規模で調整する国際的なネットワーク。100か国以上の研究者が参加し、標準化された観測手法の確立とデータ共有を推進している。
【参考リンク】
プリマス海洋研究所(PML)(外部)
英国プリマス市の独立系海洋研究機関。1988年設立で約170名の研究者が在籍
米国海洋大気庁(NOAA)(外部)
米国商務省の科学・規制機関。気象予報、海洋・大気状況監視などを担当
オレゴン州立大学CIMERS(外部)
NOAAの協力研究所の一つ。オレゴン州ニューポートに拠点を置く海洋研究機関
日本財団 Back to Blue イニシアティブ(外部)
Economist Impactと日本財団による海洋環境保全の国際プロジェクト
【参考動画】
【参考記事】
海底の「時限爆弾」:海洋は地球規模の安全基準を超えて酸性化(外部)
ベトナムニュース2025年6月10日。スティーブ・ウィディコム教授のコメント詳細
海洋酸性化の克服に向けたアプローチ(外部)
Economist Impact & 日本財団2023年10月。包括的研究報告書とインタビュー
海洋酸性化研究(外部)
The Ocean Foundation。基礎的メカニズムと過去200年間のpH変化データ
【編集部後記】
海洋酸性化という言葉を聞いて、どのような技術的ソリューションが思い浮かびますか?私たちが日常使っているデバイスやサービスの中にも、実は炭素削減に貢献しているものがあるかもしれません。また、この研究データを活用した新しいビジネスモデルや、海洋モニタリング技術の進歩にも注目が集まりそうです。皆さんが関わっている業界では、この問題にどのようなアプローチが可能でしょうか?ぜひSNSで、あなたの視点からの解決策やアイデアを教えてください。