11月5日【今日は何の日?】「大菩薩峠事件」1969年、革命の手段が交代した瞬間

[更新]2025年11月7日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

大菩薩峠、夜明け前

1969年11月5日早朝。山梨県塩山市(現・甲州市)の標高1,600メートル、大菩薩峠の山小屋「福ちゃん荘」。9府県警の機動隊が山小屋を完全包囲していました。

中にいたのは、共産主義者同盟赤軍派のメンバー53名。「山岳部」を装って宿泊していましたが、手製の鉄パイプ爆弾、ナイフ、火炎瓶を準備していました。彼らが計画していたのは、首相官邸と警視庁への同時襲撃、そして人質をとった獄中メンバーの奪還でした。

午前6時、機動隊が突入。53名全員が凶器準備集合罪で現行犯逮捕されました。

1969年という年

しかし、この年は大菩薩峠だけで記憶されているわけではありません。

7月20日、ニール・アームストロングが月面に降り立ちました。8月、ニューヨーク州ベセルで約40万人の若者が集まり、ウッドストック・フェスティバルが開催されました。

そして大菩薩峠事件のちょうど1週間前、10月29日。カリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード研究所の間で、「lo」という2文字のメッセージが送信されました。送信者が「login」と打とうとしたところ、「lo」の段階でシステムがクラッシュしたのです。これが、インターネットの前身・ARPANETの最初のメッセージでした。

武装闘争による革命と、技術による革命。二つの「革命」が、同じ年に交差しました。

「革命」を夢見た若者たち

1968年から1969年にかけて、世界中で学生運動が沸騰していました。パリでは「五月革命」、アメリカではベトナム反戦運動、西ドイツでは後の「ドイツ赤軍」へとつながる学生運動。日本では127の大学で学園紛争が発生していました。

最初は授業料値上げや管理体制への抗議でした。しかし次第にベトナム戦争反対、日米安保条約への抗議へと拡大していきます。多くの学生は、本当に世界を変えたいと願っていました。貧困、差別、戦争のない社会。純粋な理想でした。

赤軍派は、その手段として「武装闘争」を選んだ最も過激な一派でした。

あの日、何が起きたのか

赤軍派は1969年9月、首相官邸への襲撃計画「大阪戦争」を企てましたが失敗。10月の「東京戦争」も失敗。追い詰められた彼らは、「11月闘争」という最後の賭けに出ます。

8つの部隊が大型ダンプカーなど5台に分乗し、首相官邸と警視庁を同時襲撃。人質をとって獄中の活動家を奪還する——そのための武装訓練として、大菩薩峠の「福ちゃん荘」に集結したのです。

しかし計画は事前に漏れていました。どのように情報が警察に渡ったのか、正確なところは今も明らかではありません。組織内部のスパイ説、盗聴説、様々な憶測が飛び交いました。

逮捕者の中には、何も知らされずに動員された高校生も含まれていました。この日、赤軍派は事実上壊滅しました。

分裂と崩壊

逃げ延びた一部のメンバーは、3つのグループに分裂します。田宮高麿らは翌1970年によど号ハイジャック事件を起こし、重信房子らは中東に渡り日本赤軍を結成、森恒夫らは他派と合流して連合赤軍を作りました。

連合赤軍の行く末は、さらに悲劇的でした。1971年から72年にかけて群馬県の山岳ベースに潜伏した彼らは、内部で疑心暗鬼に陥ります。「総括」と称して、仲間12名を集団リンチで殺害。1972年2月、警察に追われて長野県軽井沢の「あさま山荘」に立てこもり、人質をとって9日間籠城しました。

皮肉なことに、籠城3日目の2月21日、テレビでニクソン大統領の訪中が報じられます。彼らが理想とした中国と、敵であるアメリカが和解した瞬間でした。ある元メンバーは後に、親戚から言われた言葉を語っています。

「社会を正しく導くというが、お前たちは誰か一人でも救ったのか?」

もう一つの革命

一方、大菩薩峠事件の1週間前に産声を上げたARPANETは、まったく異なる道を歩み始めていました。

ARPANETは、アメリカ国防総省の高等研究計画局が開発した、世界初のパケット交換ネットワークでした。その設計思想は、「分散型」というものでした。ネットワークに中心は存在せず、どこか一つが破壊されても、他のノードを経由して情報は流れ続ける。これは冷戦下、核攻撃に耐えうる通信システムとして構想されました。

赤軍派が「中枢を攻撃する」ことで社会を変えようとしたのとは対照的に、ARPANETは末端をつなぐことを選びました。

ARPANETは1969年末には4つの拠点を結び、1970年代を通じて全米の大学や研究機関へと拡大していきます。1980年代にはTCP/IPという共通プロトコルが採用され、やがて「インターネット」と呼ばれるようになりました。

2011年のアラブの春、2020年のBlack Lives Matter運動、香港の民主化デモ——これらはすべて、SNSによって人々がつながり、情報を共有することで生まれた社会運動でした。

しかし

ARPANETは軍事目的で生まれ、やがて民主化されてインターネットになりました。しかし今、インターネットは再び権力の道具として使われています。

中国の「グレート・ファイアウォール」、各国政府によるネット検閲、巨大テック企業による情報の独占。サイバー攻撃という「新しい暴力」も生まれました。ウクライナ戦争では、ロシアによるサイバー攻撃が重要インフラを狙いました。選挙への介入、フェイクニュースの拡散、ランサムウェアによる脅迫。

大菩薩峠事件で赤軍派の計画が事前に察知されたように、情報技術は監視の道具にもなります。2025年の今、SNSの投稿は分析され、位置情報は追跡され、オンラインでの行動はすべて記録されています。

56年後の今日

2025年11月5日。大菩薩峠事件から56年が経ちました。

あの日逮捕された若者たちは、今70代から80代になっています。ある者は転向し、ある者は今も革命を信じ、ある者は深い後悔の中で生きています。

彼らが夢見た「より良い社会」は実現したのでしょうか?貧困は?差別は?戦争は?完全には、実現していません。しかし社会は確実に変わりました。

1969年、武装闘争は情報によって阻止されました。そして2025年の今、私たちは問うことができます。誰が情報を持つのか?誰が監視するのか?

技術は道具です。使う人間の意図によって善にも悪にもなります。

山中で終わった革命と、今も続くデジタル革命。その交差点に、私たちは立っています。


【Information】

参考リンク

用語解説

赤軍派:1969年に共産主義者同盟から分離した日本の新左翼組織。武装闘争路線を採用し、首相官邸襲撃などを計画したが、大菩薩峠事件で壊滅。

ARPANET(アーパネット):1969年にアメリカ国防総省の高等研究計画局が開発した、世界初のパケット交換ネットワーク。インターネットの前身。

パケット交換:データを小さな単位(パケット)に分割して送信し、受信側で再構成する通信方式。中継点の一部が故障しても、別の経路で送信できる分散型の設計思想。

連合赤軍:赤軍派の残党と他の新左翼組織が合流して1971年に結成。山岳ベースで仲間12名をリンチ殺害し、あさま山荘事件を起こした。

カウンターカルチャー:1960年代に欧米で広がった、既存の価値観や文化に反対する若者文化。ヒッピー、反戦運動、ロック音楽などが代表的。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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