大菩薩峠、夜明け前
1969年11月5日早朝。山梨県塩山市(現・甲州市)の標高1,600メートル、大菩薩峠の山小屋「福ちゃん荘」。9府県警の機動隊が山小屋を完全包囲していました。
中にいたのは、共産主義者同盟赤軍派のメンバー53名。「山岳部」を装って宿泊していましたが、手製の鉄パイプ爆弾、ナイフ、火炎瓶を準備していました。彼らが計画していたのは、首相官邸と警視庁への同時襲撃、そして人質をとった獄中メンバーの奪還でした。
午前6時、機動隊が突入。53名全員が凶器準備集合罪で現行犯逮捕されました。
1969年という年
しかし、この年は大菩薩峠だけで記憶されているわけではありません。
7月20日、ニール・アームストロングが月面に降り立ちました。8月、ニューヨーク州ベセルで約40万人の若者が集まり、ウッドストック・フェスティバルが開催されました。
そして大菩薩峠事件のちょうど1週間前、10月29日。カリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード研究所の間で、「lo」という2文字のメッセージが送信されました。送信者が「login」と打とうとしたところ、「lo」の段階でシステムがクラッシュしたのです。これが、インターネットの前身・ARPANETの最初のメッセージでした。
武装闘争による革命と、技術による革命。二つの「革命」が、同じ年に交差しました。
「革命」を夢見た若者たち
1968年から1969年にかけて、世界中で学生運動が沸騰していました。パリでは「五月革命」、アメリカではベトナム反戦運動、西ドイツでは後の「ドイツ赤軍」へとつながる学生運動。日本では127の大学で学園紛争が発生していました。
最初は授業料値上げや管理体制への抗議でした。しかし次第にベトナム戦争反対、日米安保条約への抗議へと拡大していきます。多くの学生は、本当に世界を変えたいと願っていました。貧困、差別、戦争のない社会。純粋な理想でした。
赤軍派は、その手段として「武装闘争」を選んだ最も過激な一派でした。
あの日、何が起きたのか
赤軍派は1969年9月、首相官邸への襲撃計画「大阪戦争」を企てましたが失敗。10月の「東京戦争」も失敗。追い詰められた彼らは、「11月闘争」という最後の賭けに出ます。
8つの部隊が大型ダンプカーなど5台に分乗し、首相官邸と警視庁を同時襲撃。人質をとって獄中の活動家を奪還する——そのための武装訓練として、大菩薩峠の「福ちゃん荘」に集結したのです。
しかし計画は事前に漏れていました。どのように情報が警察に渡ったのか、正確なところは今も明らかではありません。組織内部のスパイ説、盗聴説、様々な憶測が飛び交いました。
逮捕者の中には、何も知らされずに動員された高校生も含まれていました。この日、赤軍派は事実上壊滅しました。
分裂と崩壊
逃げ延びた一部のメンバーは、3つのグループに分裂します。田宮高麿らは翌1970年によど号ハイジャック事件を起こし、重信房子らは中東に渡り日本赤軍を結成、森恒夫らは他派と合流して連合赤軍を作りました。
連合赤軍の行く末は、さらに悲劇的でした。1971年から72年にかけて群馬県の山岳ベースに潜伏した彼らは、内部で疑心暗鬼に陥ります。「総括」と称して、仲間12名を集団リンチで殺害。1972年2月、警察に追われて長野県軽井沢の「あさま山荘」に立てこもり、人質をとって9日間籠城しました。
皮肉なことに、籠城3日目の2月21日、テレビでニクソン大統領の訪中が報じられます。彼らが理想とした中国と、敵であるアメリカが和解した瞬間でした。ある元メンバーは後に、親戚から言われた言葉を語っています。
「社会を正しく導くというが、お前たちは誰か一人でも救ったのか?」
もう一つの革命
一方、大菩薩峠事件の1週間前に産声を上げたARPANETは、まったく異なる道を歩み始めていました。
ARPANETは、アメリカ国防総省の高等研究計画局が開発した、世界初のパケット交換ネットワークでした。その設計思想は、「分散型」というものでした。ネットワークに中心は存在せず、どこか一つが破壊されても、他のノードを経由して情報は流れ続ける。これは冷戦下、核攻撃に耐えうる通信システムとして構想されました。
赤軍派が「中枢を攻撃する」ことで社会を変えようとしたのとは対照的に、ARPANETは末端をつなぐことを選びました。
ARPANETは1969年末には4つの拠点を結び、1970年代を通じて全米の大学や研究機関へと拡大していきます。1980年代にはTCP/IPという共通プロトコルが採用され、やがて「インターネット」と呼ばれるようになりました。
2011年のアラブの春、2020年のBlack Lives Matter運動、香港の民主化デモ——これらはすべて、SNSによって人々がつながり、情報を共有することで生まれた社会運動でした。
しかし
ARPANETは軍事目的で生まれ、やがて民主化されてインターネットになりました。しかし今、インターネットは再び権力の道具として使われています。
中国の「グレート・ファイアウォール」、各国政府によるネット検閲、巨大テック企業による情報の独占。サイバー攻撃という「新しい暴力」も生まれました。ウクライナ戦争では、ロシアによるサイバー攻撃が重要インフラを狙いました。選挙への介入、フェイクニュースの拡散、ランサムウェアによる脅迫。
大菩薩峠事件で赤軍派の計画が事前に察知されたように、情報技術は監視の道具にもなります。2025年の今、SNSの投稿は分析され、位置情報は追跡され、オンラインでの行動はすべて記録されています。
56年後の今日
2025年11月5日。大菩薩峠事件から56年が経ちました。
あの日逮捕された若者たちは、今70代から80代になっています。ある者は転向し、ある者は今も革命を信じ、ある者は深い後悔の中で生きています。
彼らが夢見た「より良い社会」は実現したのでしょうか?貧困は?差別は?戦争は?完全には、実現していません。しかし社会は確実に変わりました。
1969年、武装闘争は情報によって阻止されました。そして2025年の今、私たちは問うことができます。誰が情報を持つのか?誰が監視するのか?
技術は道具です。使う人間の意図によって善にも悪にもなります。
山中で終わった革命と、今も続くデジタル革命。その交差点に、私たちは立っています。
【Information】
参考リンク
用語解説
赤軍派:1969年に共産主義者同盟から分離した日本の新左翼組織。武装闘争路線を採用し、首相官邸襲撃などを計画したが、大菩薩峠事件で壊滅。
ARPANET(アーパネット):1969年にアメリカ国防総省の高等研究計画局が開発した、世界初のパケット交換ネットワーク。インターネットの前身。
パケット交換:データを小さな単位(パケット)に分割して送信し、受信側で再構成する通信方式。中継点の一部が故障しても、別の経路で送信できる分散型の設計思想。
連合赤軍:赤軍派の残党と他の新左翼組織が合流して1971年に結成。山岳ベースで仲間12名をリンチ殺害し、あさま山荘事件を起こした。
カウンターカルチャー:1960年代に欧米で広がった、既存の価値観や文化に反対する若者文化。ヒッピー、反戦運動、ロック音楽などが代表的。

























