〜ジェイ・フォレスターの特許から次世代MRAM、エッジAIの未来へ〜
2026年2月28日、コンピューティングの歴史において極めて重要な「節目」を迎えました。今からちょうど70年前の今日、MITのジェイ・フォレスターが、磁気コアメモリの中核技術に関する特許を取得しました。
(磁気コア技術自体は複数の研究者によって同時期に研究が進められていましたが、フォレスターの特許はその実用化を大きく前進させました。)
真空管が熱を持ち、壊れやすかった時代。彼は「磁石の向き」で情報を記録するという、驚くほど物理的で堅牢な解決策を提示しました。そして今、生成AIの爆発的な進化と電力不足という壁に直面する私たちは、皮肉にも70年前と同じ「不揮発性」という発想に再び注目しています。
手編みのメモリが月へ行った時代
初期のコンピュータにおいて、メモリは「生き物」のように不安定な存在でした。その流れを変えたのが、フォレスターの磁気コアメモリです。
フェライト(磁性体)の小さなリングに電線を通し、電流によって磁化の向きを制御する。この原始的とも言える仕組みは、電源を切っても磁化状態が保持される「不揮発性」を実現しました。
ただし読み出し時には内容が一度消去されるため、再書き込みを行う「破壊読み出し方式」でした。
驚くべきことに、アポロ宇宙船の誘導コンピュータ(AGC)に搭載されたメモリは、熟練の女性作業員たちが一本一本ワイヤーをコアに「織り込む」ことで作られていました。この「手編みのソフトウェア」こそが、宇宙空間の過酷な放射線に耐え、人類を月に送り届けたのです。以前紹介した、1948年に稼働した世界初のプログラム内蔵式コンピュータ「SSEM(マンチェスター・ベイビー)」の不安定な記憶装置から、10年足らずで到達した驚異の信頼性でした。
失われた「不揮発性」と、立ちはだかるメモリの壁
1970年代以降、半導体メモリ(DRAM/SRAM)の普及により、コンピュータは飛躍的な高速化を遂げました。しかし、私たちは代償として「電源を切ると忘れてしまう(揮発性)」という特性を受け入れ、DRAMは情報保持のために周期的なリフレッシュ動作を必要とし、電源を切ると内容が失われる揮発性メモリが主流となりました。
現代、この設計思想が限界を迎えつつあります。SK HynixによるHBM4メモリが示す通り、データ転送速度の向上は目覚ましいものがありますが、チップが消費する電力の多くは、計算そのものよりもメモリ維持やデータ移動に費やされるケースが増えています。これが、現代のコンピューティングが直面する「メモリの壁」です。
スピントロニクスが起こす「第2の磁気革命」
この壁を打ち破るべく登場したのが、MRAM(磁気抵抗メモリ)です。これは、フォレスターが提唱した「磁気による記憶」を、ナノスケールの「スピン(電子の回転)」によって再現する技術です。
MRAMは、最新世代ではSRAMに迫る読み出し性能を持つとされる一方、フラッシュメモリ同様に電源断後もデータを保持できる不揮発性を備えています。つまり、70年前の磁気コアメモリが持っていた「物理的な強さ」を、最新の半導体プロセスで蘇らせた存在なのです。
エッジAIの救世主:「ノーマリーオフ」の衝撃
MRAMが最も真価を発揮するのは、私たちの身の回りにある「エッジデバイス」です。
これまでのチップは、何もしなくても電力を消費し続ける必要がありました。しかし、MRAMを用いた「ノーマリーオフ・コンピューティング」では、計算が必要な瞬間だけ電源を入れ、終われば即座に(そして完全に)オフにできます。
EnCharge AIが開発する「アナログインメモリ・コンピューティング」が、同社発表によれば、特定条件下で従来比最大20倍の電力効率向上を実現したとされています。メモリそのものが「状態」を保持し続けることで、AIはバッテリー駆動のセンサー内で、まるで人間の直感のように瞬時に、かつ低電力で動作することが可能になります。
フォレスターが描いた「システム」の未来
ジェイ・フォレスターは、メモリの開発後に「システム・ダイナミクス」という学問を創始し、地球規模の課題をシミュレートすることに情熱を注ぎました。彼にとって、メモリとは単なる記憶装置ではなく、複雑なシステムを動かすための「確かな基盤」だったのでしょう。
70年を経て、私たちは再び「磁気」という物理現象の恩恵に預かろうとしています。ナノサイズに凝縮されたフォレスターが切り開いた「磁気による記憶」という発想は、現代のスピントロニクス技術へと受け継がれています。
それが今後、数多くのエッジAIデバイスで活用される可能性があります。
Information
【用語解説】
不揮発性
電源の供給が途絶えても、保存された情報が消えずに保持される性質である。
ノーマリーオフ
システムが計算を行っていない待機時に電源を完全に遮断し、待機電力をゼロにする設計手法である。
スピン
電子が持つ量子力学的な回転の性質である。MRAMではこの向きを制御することでデータの記録を行う。
メモリの壁
プロセッサの処理速度に比べ、メモリのデータ転送速度が遅いためにシステム全体の性能が制限される問題である。
スピントロニクス
電子の「電荷」と「スピン」の両方を利用して、新しい機能を持つ素子を開発する工学分野である。
【参考リンク】
EnCharge AI
AI向けの次世代コンピューティング・プラットフォームを開発する企業である。アナログ・インメモリ・コンピューティング技術を用い、従来比で極めて高い電力効率を持つAI推論チップ「EN100」などを提供している。
SK Hynix
韓国を拠点とする世界的な半導体メーカーである。AI処理に不可欠な高帯域幅メモリ(HBM)の分野をリードしており、次世代規格であるHBM4の開発および量産体制の構築を推進している。
MIT Museum
マサチューセッツ工科大学(MIT)の公式博物館である。ジェイ・フォレスターが主導したWhirlwindプロジェクトや、磁気コアメモリの初期プロトタイプなど、コンピュータ史における重要な歴史的遺産を保存・展示している。








































