非人間の存在が法廷で声を持つ日——AIと「自然の権利」が交差する地点

AIがいま、クジラの言語の構造を読み解き始めています。しかし認識の歴史は、認める側の意志によって動いてきました。奴隷も、先住民も、川も——声がなかったのではなく、聞こうとしなかった。技術の発見が照らし出すのは、できることの多さではなく、私たちの側にある問いです。この記事は、そこへの考察です。


クジラのコミュニケーション解読プロジェクト「Project CETI(Cetacean Translation Initiative)」とNYU法科大学院の「More-Than-Human Life(MOTH)プログラム」が共同執筆し、2025年10月に法学誌Ecology Law Quarterlyに掲載された論文は、AIによるクジラ言語解読の進展が動物の法的人格論を「劇的に強化しうる」と主張する内容だ。2026年2月9日にNYU Lawのニュースサイトで著者インタビューが公開され、あらためて注目を集めた。

同時期、ニュージーランドでは、クジラを法的人格として認める「He Whakaputanga Moana(海の宣言)」に基づく法案「Tohorā Oranga Bill」が議会提出された(2026年2月)。2024年3月にマオリ王をはじめポリネシアの先住民族リーダーたちが署名した宣言が、国内法制化に向けて動き出した形だ。

一方、2025年7月には米州人権裁判所が、国際裁判所として初めて「自然はそれ自体として権利主体となりうる」と明示的に承認する勧告的意見を発表。スペインでは2024年11月、EU初の生態系法的人格法(マル・メノール湖法)が憲法裁判所によって合憲と認定された。

From: 文献リンクAI-enabled decoding of whale communication could bolster animal rights, César Rodríguez-Garavito argues — NYU School of Law

【2026年5月6日 追記】 Google NotebookLMを使い、分かりやすい動画を作りました。
編集部解説の下に埋め込んでいますので、ご覧ください。

【編集部解説】

AIはいま、クジラの「母音」を解読している

技術の話から始めましょう。

2025年11月、Project CETIとカリフォルニア大学バークレー校の言語学者Gašper Beguš氏のチームが、査読誌『Open Mind』に論文を発表しました。マッコウクジラが発するクリック音の連続——「コーダ」と呼ばれる——に、人間の「母音」と音響学的に類似した構造があることを確認した内容です。「aコーダ」と「iコーダ」の2種類が特定され、クジラたちはこれらを構造化された会話として交換しています。

そこで何より重要な発見は、時間軸の問題でした。人間の母音は声帯の速い振動によって作られます。クジラの音響器官「フォニックリップ」の振動は遥かに遅いです。人間の時間尺度で聞くかぎり、クジラのコーダは単純なクリックの連続にしか聞こえません。しかしAIが時間軸を補正して解析すると、そこに明確な音韻パターンが現れました。「表面的には私たちの母音と似ていないが、それは彼らのクリックが遅く、私たちの母音が速いからだ」とBeguš氏は述べています。

2026年4月には同チームの論文がProceedings of the Royal Society Bに掲載され、コーダが人間言語における「共調音(coarticulation)」——ある音が隣の音に影響される現象——と同様の性質を持つことも示されました。共調音は、人間のあらゆる言語に普遍的に存在する特性です。

同時期に進んだもうひとつの成果が、異種間の音響変換の初実装です。音楽生成AIをファインチューニングして構築された「WhAM(Whale Acoustics Model)」は、任意の音声——人間の声を含む——をマッコウクジラのコーダに変換できます。論文タイトルが示す通り(”Towards A Translative Model”)、双方向の完全翻訳は現在進行形の目標です。何を言っているかはまだ分かりません。しかし、「同じ音響空間に立つ」という接点が、実装レベルで初めて生まれました。

クジラに限りません。Earth Species Projectが開発した動物音声特化の大規模モデル「NatureLM-audio」は、種の識別にとどまらず個体の性別や成長段階も音声から判定できます。2024年6月にはNature Ecology & Evolutionに、アフリカゾウが互いを「名前」で呼び合うことをAIが確認した研究が掲載されました。イルカやオウムも「名前」を使いますが、それらは相手の声を模倣する「コピー型」です。ゾウの名前は、相手の声とは似ていない恣意的な音声ラベルでした——人間の言語における「恣意性」に最も近い形で。

現時点での技術の立ち位置を正直に述べると、こうなります。

段階内容現状
記録・収集ドローン・バイオロガーで大量音声データを取得実装済み
パターン認識AIで個体識別・種識別・感情状態の分類実装済み
構造発見母音・共調音・文法的規則性の発見進行中
意味づけ音声と行動文脈の対応を学習研究段階
双方向変換任意の音声→クジラのコーダ変換(逆方向は開発中)初実装(一方向)
対話意図を持った「返答」の実現未達

「何を話しているか」はまだ分かりません。しかし「複雑な構造を持つコミュニケーションが存在する」という事実は、積み重なりつつあります。

「法的人格」の拡張史——企業・川・クジラ

ここで問いを法の側に転じてみましょう。技術が「声の構造」を可視化し始めた同じ時期に、法の世界では「声を持てる存在の範囲」を巡る動きが加速していました。

「法的人格」とは、権利と義務を持てる主体のことです。歴史的に、この資格は時代とともに拡張されてきました。かつて奴隷は、女性は、先住民は法的人格として認められませんでした。企業(コーポレーション)、船舶、信託はすでに人格を持ちます。「人格とは何か」は社会的構築物であり、その境界線は動き続けてきました。

非人間の自然物への拡張が本格的に始まったのは2008年のエクアドルです。世界で初めて「自然の権利(Rights of Nature)」を憲法に明記し、パチャママ(大地の母)が「存在し、再生し、生命サイクルを維持する権利」を持つと規定しました。2017年にはニュージーランドのワンガヌイ川が法的人格を取得。コロンビアはアトラト川に、バングラデシュはすべての河川に権利を認めました。

そして2022年、スペインで欧州初の生態系法的人格法が成立しました。農業廃水で「緑のスープ」と化したマル・メノール湖を救うため、市民64万人の署名から生まれた法律は、湖に「エコシステムとして存在し自然に進化する権利」を与えました。2024年11月、スペイン憲法裁判所がこの法律を合憲と判断しました——EU加盟国の憲法裁判所が「自然の権利」を憲法適合と明示したのはこれが初めてです。

2025年は、この流れが一気に国際レベルに上がった年として記録されるかもしれません。7月3日、米州人権裁判所が歴史的な勧告的意見OC-32/25(OCはスペイン語Opinión Consultiva=勧告的意見の略)を発表。エコシステムが「それ自体として権利主体となりうる」と国際裁判所が初めて明示的に認めました。同年、ブラジルが憲法改正案提出、パリがセーヌ川に名誉市民権付与、ニュージーランドがマウント・タラナキに法的人格認定——GARNによれば、2025年には世界で前例のない数の「自然の権利」承認が相次ぎました。

クジラのための法案が、太平洋から生まれた

動物の権利の中でも、クジラは特別な場所にいます。

2024年3月28日、ニュージーランドのマオリ王Tūheitia Pōtatau Te Wherowheroをはじめ、クック諸島・タヒチ・トンガ・ハワイ・ラパ・ヌイ(イースター島)のポリネシア先住民族リーダーたちが「He Whakaputanga Moana(海の宣言)」に署名しました。クジラを「移動の自由、健全な環境、人類とともに繁栄する権利」を持つ法的人格と認定する宣言です。マオリの人々にとって、クジラは「先祖がポリネシアを渡る際の道標だった存在」であり、法的保護はその関係性の現代的表現でもあります。

先住民族の条約が国内立法を動かしました。マオリ王の遺志を受け継いだ緑の党議員Teanau Tuionoが2026年2月、「Tohorā Oranga Bill」を議会提出しました。クジラに5つの権利を付与する内容——移動と回遊の自由、自然な行動の保護、社会・文化的構造の保護、健全な環境の権利、生息域の回復を受ける権利。法律専門家は「先住民族の条約が国家法制を動かすという異例の逆転構造」と指摘しています。

マオリの科学者Daniel Hikuroaはこう述べています。「政府から与えられる人格という概念は先住民の世界観や願いの不完全な表現だ。しかし、これまでにあったどんな制度よりも遥かにましだ」。

AIとの合流点——「翻訳された声」は証拠になるか

ここでProject CETI × NYU Lawの論文に戻りましょう。

この連携の核心は何でしょうか。クジラが出産を協調して行う場面がデータとして記録されています——十数頭のメスが協力し、複雑な音のやりとりを交わしながら新生児を支えます。AIがその音の構造を解析し、意味のやりとりに近い何かが起きていると示せるなら、「この存在は複雑な社会関係と文化を持つ」という証拠が法廷に持ち込まれうるのです。

論文はさらに踏み込んでいます。AIによるクジラ言語解読は「クジラの文化的権利(自らの言語・文化的表現を守る権利)」や「海洋騒音汚染からの自由」という具体的な法的権利の根拠になりうると主張しています。

ただし、批判的な問いもあります。米国の法廷はこれまで、チンパンジーや象の複雑な認知能力を示す科学的証拠を一貫して拒絶してきました。裁判官たちが拒絶の根拠としてきたのは「動物は法的義務を負えない」という論理です。しかし批判者はこう指摘しています——赤ちゃんや重度の認知症患者も法的義務を理解できませんが権利は持ちます。その二重基準は、「人間は他のすべての動物と質的に、したがって道徳的・法的に異なる」という信念から来ています。

誰がクジラの代わりに法廷に立つか

「自然の権利」運動が直面するもうひとつの構造的問題が、後見人(Guardian)の問いです。

自然が権利主体になっても、自然は自ら法廷に立てません。マル・メノール湖の場合は「代表者委員会・科学委員会・監視委員会」の三機関が後見人を担います。ワンガヌイ川の場合は先住民族イウィ(マオリの部族集団)と政府が共同で後見人を任命しました。Tohorā Oranga Billでは、後見人制度の具体設計はまだ議論中です。

ここにAIが新しい次元を加える可能性があります。もしProject CETIの研究が進み、特定の状況でクジラが何を「表明している」かに近いデータが得られるようになれば——それが法的「証拠」として機能するかどうかは、まだ誰も答えを持っていません。AIが動物の「意志」を代理できるのか、あるいは人間が「代理する」行為を正当化するための道具にとどまるのか。

Springer AI & Ethicsに掲載された論文はこう指摘しています。「動物のセンチェンス(意識・苦痛を感じる能力)は、コミュニケーション能力とは独立してすでに私たちに義務を課している。この観点からは、AIによる翻訳は、私たちが長年果たしてこなかった義務を実行するきっかけになるかもしれない」。

この問題は、日本にとっても他人事ではありません。日本は2019年、国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、31年ぶりに商業捕鯨を再開しました。「クジラは資源である」という立場を維持してきた国が、「クジラは権利主体になりうる」という潮流と向き合う位置に立っています。法律が変わるか否かにかかわらず、「誰がクジラの声を代理するか」というテーマは、日本語で考える理由があります。

声を理解することと、声を認める意志を持つことは、別の問いです。

【用語解説】

Project CETI(Cetacean Translation Initiative)
マッコウクジラのコミュニケーション解読を目指す多分野統合プロジェクト(2020年設立)。AI・言語学・ロボティクス・海洋生物学の研究者50名以上が参加。カリブ海のドミニカを拠点に、ドローンや生体ロガーで音声データを収集・解析している。

コーダ(Coda)
マッコウクジラが使うクリック音の連続パターン。1回のコーダは数個〜十数個のクリックから構成される。特定のコーダはクランの「方言」として機能し、個体識別用のコーダも存在する。

Earth Species Project
動物コミュニケーション全般のAI解読を目指す非営利研究機関(2017年設立)。LinkedIn共同創業者Reid Hoffmanら著名投資家が支援。NatureLM-audioなど動物音声特化のAIモデルを開発・公開している。

自然の権利(Rights of Nature)
川・森・生態系など自然物に法的権利(存在・再生・修復の権利)を認める法理論。エクアドル(2008年憲法)を先例に、現在約30カ国で何らかの形で認められている。

He Whakaputanga Moana(ヘ・ファカプタンガ・モアナ)
「海の宣言」の意。2024年3月にポリネシアの先住民族リーダーたちが署名した、クジラの法的人格を認める宣言。直接的な法的拘束力はないが、ニュージーランドのTohorā Oranga Bill(2026年議会提出)の法的根拠となっている。

コーダ母音(Coda Vowels)
Beguš et al.(2025)が発見したマッコウクジラのコーダにおける音響特性。フォルマント(共鳴周波数のパターン)の数に基づき「aコーダ母音」と「iコーダ母音」の2種類が特定されている。

法的人格(Legal Personhood)
法律上、権利と義務を持てる主体に与えられる資格。人間のほか、企業・船舶・信託などの「人工人格(Artificial Person)」も含む。「人格」であることは人間であることを意味しない。

Guardian(後見人)
自然物が法的人格を持った場合、実際に法廷や行政手続きで代理を務める人間または機関。マル・メノール湖(三機関)、ワンガヌイ川(先住民族イウィ+政府の共同任命)など、制度設計は事例によって異なる。

【参考リンク】

Project CETI 公式サイト(外部)
マッコウクジラのコミュニケーション解読プロジェクト。研究データ・年次報告・最新論文へのリンクを公開。

Earth Species Project(外部)
動物コミュニケーション全般のAI解読を進める非営利機関。NatureLM-audioのデモや技術ブログを公開。

More Than Human Life (MOTH) Program(外部)
クジラの権利・自然の権利・AIと法の交差点を研究するNYU法科大学院のプログラム。

Global Alliance for the Rights of Nature(GARN)(外部)
自然の権利運動の国際連合体。世界各地の法制化動向・国際法廷の活動情報を発信。

Eco Jurisprudence Monitor(外部)
自然の権利に関する世界の法律・判例・条約を追跡するデータベース。主要事例の詳細を収録。

Tohorā Oranga Bill(ニュージーランド議会)(外部)
クジラの法的人格を認めるニュージーランドの法案。法案審議状況は議会サイトで随時更新。

Hinemoana Halo Ocean Initiative(外部)
He Whakaputanga Moana宣言を主導した先住民族主導の海洋保護組織。

【参考記事】

AI-enabled decoding of whale communication could bolster animal rights — NYU School of Law(外部)
Project CETI × NYU MOTH連携論文の詳細と、クジラの法的人格論への影響についての解説。2026年2月9日公開。

How a Groundbreaking Indigenous Treaty on Whales’ Rights Could Change National Laws — Inside Climate News(外部)
He Whakaputanga MoanaからTohorā Oranga Billへの経緯と、先住民族主導の法制化プロセスを詳述。2026年2月23日。

Inter-American Court of Human Rights Recognizes Rights of Nature — Earth Law Center(外部)
OC-32/25の内容と意義を解説。国際司法レベルでの自然の権利承認の歴史的位置づけを示す。2025年8月。

Exclusive: Sperm whale speech has human-like ‘vowels’ — National Geographic(外部)
コーダ母音の発見を詳しく解説。Beguš氏へのインタビューを含む。2025年11月12日。

Whales could one day be heard in court—and in their own words — National Geographic(外部)
AI翻訳とクジラの法的権利論の接続点を詳述。Nonhuman Rights Projectの弁護士の見解も収録。2025年7月。

2025 in Review: A Breakthrough Year for the Rights of Nature — GARN(外部)
2025年の世界各地での「自然の権利」承認の年間まとめ。2025年12月。

【編集部後記】

声を認める意志は、どこから生まれるのでしょう。法律が変わるから認めるのか。技術が証明するから認めるのか。それとも、認めると決めたから技術と法律が動くのか。歴史を振り返ると、その順序はいつも曖昧です。私たちも、まだ答えを持っていません。ただ、AIがクジラの言語に構造を見つけ始めたいま、その問いを先送りにする理由は、ひとつ減ったように思います。