気候変動の影響は、大気や海面だけにとどまりません。私たちの足元の土壌でも、医療上きわめて重大な変化が起きていることが明らかになりました。
2026年4月22日、学術誌『Nature』に掲載された11年間(2009年〜2020年)にわたる研究により、長期的な気候温暖化が草原土壌中の抗生物質耐性遺伝子(ARGs)の存在量を約24%増加させることが明らかになった。
研究では、トールグラス・プレーリーに実験区画を設置し、赤外線ヒーターで土壌温度を自然環境より3℃高く保ち、ショットガンメタゲノミクスおよびGeoChipによる遺伝子配列解析を行った。温暖化された区画ではActinomycetota(放線菌門)が優占種となり、グリコペプチド系およびリファマイシン系抗生物質への耐性遺伝子が増加した。温暖化区画から分離された細菌は、22種類の抗生物質に対してより強い耐性を示した。
抗微生物薬耐性(AMR)は対策が講じられない場合、2050年までに年間最大1000万人の死亡原因となる可能性があると予測されている。
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Rising temperatures could be driving up antibiotic resistance in soil, 11-year study finds
【編集部解説】
本研究は、米国オクラホマ大学のジジョン・ジョウ教授率いる研究チームが、トールグラス・プレーリーで2009年から実施してきた長期野外実験の成果です。実験室内の短期的な観察ではなく、10年を超える実地観測によって温暖化と土壌中の抗生物質耐性遺伝子(ARGs)の関係を明らかにした点に、本研究の最大の意義があります。
これまでAMR(抗微生物薬耐性)の議論は、病院での抗生物質の処方や畜産業での乱用に焦点が当てられがちでした。しかし、地球上で最大級の耐性遺伝子の貯蔵庫(リザーバー)は、実は私たちの足下にある土壌そのものなのです。
ここで重要なのが「ワンヘルス」という考え方です。人間の健康、動物の健康、そして環境の健康は分かち難く結びついており、土壌で蓄積・拡散した耐性遺伝子は、農作物、家畜、水循環を介して、最終的に人体へと到達する可能性があります。つまり今回の発見は、気候変動が「環境経由」で公衆衛生を脅かす新たな経路を示したものといえます。
研究で増加が確認されたグリコペプチド系・リファマイシン系抗生物質は、それぞれバンコマイシンやリファンピシンといった「最後の砦」と呼ばれる薬剤を含む系統です。これらへの耐性遺伝子が自然界で増えているという事実は、医療現場の感染症治療に長期的な影響を及ぼしうる重大なシグナルといえるでしょう。
メカニズム面でも興味深い知見が示されています。温暖化はActinomycetota(放線菌門)という耐性遺伝子を多く保有する菌群を選択的に増殖させるだけでなく、遺伝子そのものの「可動性」も高めることが判明しました。これは、異なる細菌間で耐性遺伝子が水平伝播しやすくなることを意味し、耐性の拡散速度が加速する可能性を示唆しています。
農業への影響も看過できません。植物病原体に関連する耐性遺伝子が増えるという結果は将来的に農業生態系への影響を及ぼす可能性を示唆します。作物保護や食料安全保障の観点からも追加研究が必要な発見といえるでしょう。
一方で、本研究はオクラホマ州の特定の草原生態系を対象としており、結果をそのまま熱帯雨林や農耕地、寒冷地に当てはめることはできません。研究チーム自身も、多様な植生・気候帯での追試の必要性を強調しています。過度に一般化せず、慎重に解釈することが求められます。
なお、関連する研究として、2025年に学術誌『Nature Ecology & Evolution』に掲載されたダ・リン氏らの論文では、温暖化の影響は一部では寒冷地でより顕著に現れる可能性があることが報告されています。気候帯によって影響度が異なるという視点は、今後の地域別リスク評価にとって重要な手がかりとなりそうです。
規制面では、現状のAMR対策の多くが「人間社会での抗生物質使用」を主眼に置いていますが、今回の知見は、気候変動対策そのものがAMRリスクの抑制にも関連しうることを示しています。脱炭素化への投資は、公衆衛生への投資でもある——そう捉え直す必要があるかもしれません。
私たちは普段、抗生物質耐性を「医療の問題」、気候変動を「環境の問題」として別々に語りがちです。しかし本研究は、両者が地下深く、土壌の微生物群集のレベルで密接に絡み合っていることを示しました。Tech for Human Evolutionを掲げるinnovaTopiaとしては、この「分野横断的な視座」こそが、これからの科学技術リテラシーに不可欠だと考えています。
【用語解説】
ワンヘルス(One Health)
人間の健康、動物の健康、環境の健康を一つの統合的な枠組みとして捉えるアプローチである。WHO、FAO(国連食糧農業機関)、WOAH(国際獣疫事務局)、UNEP(国連環境計画)が推進している。
Actinomycetota(放線菌門)
土壌中に広く存在するグラム陽性細菌の一群で、ストレプトマイシンやバンコマイシンなど多くの抗生物質を生産することで知られる。同時に多くの耐性遺伝子も保有している。
ショットガンメタゲノミクス
環境サンプル中のすべてのDNAをランダムに断片化して網羅的に解読する手法である。培養できない微生物も含めた群集全体の遺伝情報を把握できる。
GeoChip
環境微生物の機能遺伝子を網羅的に検出するために開発されたマイクロアレイ技術。本研究を主導したオクラホマ大学のジジョン・ジョウ教授のチームが開発した解析ツールとしても知られる。
グリコペプチド系抗生物質
バンコマイシンなどを含む抗生物質の系統で、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)などへの「最後の砦」として臨床で使われる。
リファマイシン系抗生物質
リファンピシンなどを含む系統で、結核治療の中核を担う薬剤群である。
トールグラス・プレーリー(Tall-grass Prairie)
北米中央部に広がる、背の高い草が優占する草原生態系。本研究の野外実験は米国オクラホマ州のこの草原で実施された。
水平伝播(horizontal gene transfer)
親から子へではなく、同世代の異なる細菌間で遺伝子が受け渡される現象。耐性遺伝子の急速な拡散の主因となる。
【参考リンク】
Nature(外部)
英国に本拠を置く世界有数の総合科学学術誌。本研究論文の掲載先である。
Phys.org(外部)
科学・技術・医学分野のニュースを扱う国際的な科学情報サイト。今回の元記事の発信元。
The University of Oklahoma(外部)
米国オクラホマ州に本拠を置く州立大学。本研究を主導した研究機関である。
Institute for Environmental Genomics, University of Oklahoma(外部)
ジジョン・ジョウ教授が所長を務める研究所で、環境ゲノム学・微生物生態学を専門とする。
WHO One Health(外部)
WHOによるワンヘルスアプローチの公式解説ページ。人・動物・環境の健康の相互依存性についての国際的枠組みを提供している。
厚生労働省 薬剤耐性(AMR)対策(外部)
日本政府によるAMR対策アクションプランや関連情報をまとめた公式ページ。日本の取り組み状況を確認できる。
【参考記事】
Decade-long warming accelerates antibiotic resistance in grassland soils(Nature)(外部)
本研究の査読付き原著論文。ARG存在量が温暖化条件下で23.9%増加し、耐性遺伝子の可動性も向上したと報告している。
Nature Publication Links Warming Temperatures to Surge in Antibiotic Resistance in Soils(University of Oklahoma News)(外部)
オクラホマ大学による公式プレスリリース。10年以上の実地野外実験は世界初であると解説している。
Climate warming fuels the global antibiotic resistome by altering soil bacterial traits(Nature Ecology & Evolution)(外部)
2025年公開のダ・リン氏ら関連論文。温暖化の影響は特に寒冷地でより顕著に現れることを示している。
Climate change linked to rising antibiotic resistance in soil bacteria(Phys.org)(外部)
ダラム大学のデイヴィッド・グラハム教授らが参加した多国籍研究の成果を紹介する記事。
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気候変動が予期せぬ二次的影響を引き起こす構造的な共通点を持つ記事。温暖化が地球システムに及ぼす連鎖的影響への理解が深まる。
【編集部後記】
気候変動と抗生物質耐性。一見すると別々の専門領域の話題ですが、今回の研究は両者が土壌微生物のレベルで深く結びついていることを示しました。みなさんは、ご自身の関心領域と「気候変動」がどこで交差していると感じますか。医療、農業、防災、エネルギー、テクノロジー——innovaTopiaでは今後も、こうした分野横断的な視座を持つ研究や技術を取り上げていきます。読者のみなさんのフィードバックや「もっと深掘りしてほしいテーマ」があれば、ぜひお聞かせください。私たちも一緒に学びながら、未来へのまなざしを磨いていきたいと思います。











