指輪が健康を予測する時代へ|SOXAI、東京大学と睡眠・生理モニタリングの共同研究を開始

ウェアラブルデバイスが記録する睡眠データへの信頼は、どこから来るのでしょうか。計測精度はデバイスの設計だけでなく、背後にある科学的検証のプロセスによって支えられます。日本発のスマートリング企業が、そのプロセスを東京大学との正式な共同研究として制度化しました。ウェアラブルと学術研究が交わる場所で、何が変わろうとしているのでしょうか。


SOXAIは2026年5月12日、東京大学大学院教育学研究科と「睡眠・行動・生理モニタリングのための先進スマートリングの開発」をテーマとした共同研究契約を締結した。研究体制には山本義春客員教授(生体情報学・健康情報学)と岸哲史准教授(メンタルヘルス・睡眠科学)が参画し、東京大学の計測環境を活用したアルゴリズム高度化と健康リスク予測指標の導出を目指す。

同社は2025年、東京大学・英国エセックス大学との共同研究によりスマートリングの睡眠ステージ推定精度を実証し、IEEE Transactions on Instrumentation and Measurementへ論文を掲載した実績を持つ。

From: 文献リンクSOXAI、東京大学大学院教育学研究科と共同研究契約を締結——「睡眠・行動・生理モニタリングのための先進スマートリングの開発」をテーマに|PR TIMES

【編集部解説】

アドバイザリーから共同研究契約への移行が意味するもの

今回のリリースで見落とされやすい論点は、SOXAIと山本義春客員教授の関係が「技術顧問」から「正式な共同研究契約・サテライト拠点設置」へと制度的に格上げされた点にあります。

山本教授は2021年からSOXAIの技術顧問を務めてきました。アドバイザリー契約は、外部の専門家から知見を借りる関係です。これに対して共同研究契約は、大学の研究室を「サテライト型の研究開発拠点」として活用し、データ取得・アルゴリズム検証・論文化までを一貫した研究プロセスとして組織化するものです。

ヘルスケア領域のウェアラブルにとって、この移行は単なる契約形態の変更以上の意味を持ちます。デバイスの精度は、ハードウェア設計だけでは決まりません。臨床現場のゴールドスタンダードである睡眠ポリグラフ検査(PSG)と同期計測したデータでアルゴリズムを訓練・検証し、それを査読付き論文として外部検証に晒すというサイクルを継続的に回せるかどうかに、最終的な信頼性が依存します。

SOXAIは2025年、東京大学と英国エセックス大学との共同研究により、SOXAIリングとPSGを同期させた18晩・9名分のデータからスマートリングの睡眠ステージ推定精度を検証し、IEEE Transactions on Instrumentation and Measurementに論文を掲載しています。この実績は、エビデンス生成のサイクルが既に動いていることを示しています。今回の契約は、その動いていたサイクルを正式な制度として固定化し、継続的に運用する基盤を整える意味を持ちます。

スマートリング業界における「学術連携」という競争軸

なぜいま、SOXAIがこの移行を急ぐのか。背景にはスマートリング業界の競争構造の変化があります。

世界最大手のOuraは、米国の主要研究機関と長年の学術連携を築いてきました。スタンフォード大学医学部との女性ホルモン研究(STIGMA)、UCSFやUCSDの研究者によるOura Ringを活用したCOVID-19早期検出研究(TemPredict)、デューク大学・ノースカロライナ大学チャペルヒル校・Google Fitbitとの薬物再発予測研究、ハーバード医科大学のRebecca Robbins博士との睡眠研究など、ネットワークは多岐にわたります。

そして2026年1月、Ouraは国立シンガポール大学医学部の睡眠認知センターと「Oura-NUS Joint Lab」を開設しました。これはOuraにとってアジア太平洋地域で初めての常設研究拠点です。

つまりOuraは、アジア圏での影響力拡大のために、まずシンガポールに学術拠点を置いたわけです。それから約4カ月後、日本発のSOXAIが東京大学にサテライト型研究拠点を構える。この時系列は偶然というよりは、スマートリング市場における「学術連携の競争軸」が地域単位で立ち上がりつつあることを示唆しています。

加えて、Ouraは2025年11月にSamsungと他3社(Reebok・Zepp Health・Nexxbase)のスマートリングメーカーを特許侵害で提訴しました。ハードウェアの差別化が知財訴訟という形で先鋭化するなかで、後発勢にとって「学術的検証の積み上げ」は、ハードウェア競争の外側で価値を構築する数少ない経路の一つになっています。SOXAIの動きは、この構造のなかで読み解く必要があります。

山本教授の専門領域が示唆する技術的射程

研究体制の中心となる山本義春客員教授の専門領域を見ると、この共同研究が単なる「睡眠スコアリングの精度向上」にとどまらない可能性が見えてきます。

山本教授の研究キーワードは、心拍変動、ゆらぎ、確率共振、非線形時系列解析、複雑系、EMA(Ecological Momentary Assessment:生態学的瞬間評価)、個人適合型IoTシステムなどです。2020〜2022年度の科研費課題(基盤研究A)「勤労者の心身不調のリスク制御を図る個人適合型IoTシステムの構築と臨床応用」が示すように、これは、SOXAIが目指す「日常生活下における自然な睡眠・行動・生理モニタリング」と「健康リスクの予測指標の導出」と、研究目標のレベルで重なっています。

少し技術的な話になります。心拍数や睡眠時間といった指標は「平均値」を見るのが一般的ですが、山本教授が長年取り組んできたのは、生体信号の「ゆらぎ」のパターンを非線形時系列解析の手法で読み解くアプローチです。心拍の時系列データには、健康な状態とストレス状態、あるいは病的状態でゆらぎの構造が変わることが知られており、その変化を平均値が動く前に検出できる可能性があります。

EMAは、日常生活のなかで主観的な気分や行動をその場で記録してもらう手法で、ウェアラブルが連続的に取得する生理データと組み合わせることで、心身の状態変化を多面的に追跡することができます。「個人適合型IoTシステム」という研究課題名が示すのは、集団平均ではなく個人ごとのベースラインからのずれを検出する設計思想です。

この方向性は、現在のスマートリング業界における先端的な研究テーマと一致しています。2025年に発表されたスマートリングの臨床応用に関するシステマティックレビュー(107研究、約10万人のデータ)では、新型コロナウイルス感染を発症の約2.75日前に82%の感度で検出した事例、炎症性腸疾患の再燃を7週間前に72%の精度で予測した事例、双極性障害のエピソードを3〜7日前に79%の感度で検出した事例などが報告されています。

「健康リスクの予測指標の導出」というSOXAIの研究目標は、このような早期予測技術の系譜に位置付けられます。山本教授の専門である非線形時系列解析と個人適合型のアプローチは、平均値ベースの汎用モデルが取りこぼす個人差を捕捉する手法として、この領域に独自の貢献をなしうるものです。

日本人コホートで構築するエビデンスの意味

もう一つ補助線を引いておきます。Ouraの学術ネットワークは主に欧米と東南アジアに広がっており、Ouraのデータベースに蓄積されているのも欧米人を中心とした被験者の生理データです。睡眠の長さ、概日リズム、心拍変動の正常範囲には、生活習慣・労働環境・遺伝的背景による集団差が存在することが知られています。

日本人の睡眠時間がOECD加盟国のなかで最も短いことは、複数の国際比較調査で繰り返し示されてきました。働き方、通勤時間、住環境、食習慣、夜型の社会構造など、複合的な要因が絡んでいます。海外で構築されたアルゴリズムを日本市場でそのまま使うことには、こうしたコホート差をどこまで吸収できるかという問題が残ります。

SOXAIが東京大学のフィールドで日本人コホートのデータを継続的に蓄積していくことは、「健康経営」や「睡眠負債」といった日本固有の社会課題に対するエビデンスを、海外データの翻訳ではなく国内で生成するという意味を持ちます。これが製品の競争力に直結するかどうかは、まだ分かりません。しかし、グローバル製品のローカライズではなく国産でアルゴリズムを構築するという選択肢を維持する意味は、見過ごせません。

【用語解説】

睡眠ポリグラフ検査(PSG:Polysomnography)
脳波・眼球運動・筋電図・呼吸・心電図・血中酸素飽和度を同時記録する睡眠評価法。睡眠の深さやステージ(レム睡眠・ノンレム睡眠)を判定するための臨床的ゴールドスタンダード。スマートリングの精度検証はPSGとの同期計測により行われる。

PPG(光電容積脈波:Photoplethysmography)
LEDで皮膚を照射し、血流による光の吸収量の変化から心拍数・血中酸素飽和度・脈波を計測する光学センサー技術。スマートリングやスマートウォッチに広く採用されており、SOXAIのDeep Sensing™は多波長・空間分解型のPPGセンサー。

心拍変動(HRV:Heart Rate Variability)
連続する心拍の間隔(R-R間隔)のゆらぎ。自律神経系の活動バランスを反映し、ストレス状態・回復度・疲労の評価指標として広く研究されている。単純な心拍数とは異なり、生体の「ゆらぎ」のパターンから健康状態の変化を捉えることができる。

EMA(生態学的瞬間評価:Ecological Momentary Assessment)
日常生活の文脈で、気分・症状・行動・痛みなどの主観的状態をその瞬間にリアルタイム記録する心理学的データ収集手法。ウェアラブルの生理データと組み合わせることで、心身の状態変化を多面的かつ継続的に追跡できる。

非線形時系列解析
生体信号のゆらぎやパターンを、線形統計モデルでは捉えられない複雑系・カオス理論の手法で解析するアプローチ。平均値が変動する前の段階で健康状態の変化を検出できる可能性があり、山本義春客員教授の専門領域の一つ。

健康経営
従業員の健康維持・増進を経営戦略として位置付け、投資と捉える企業経営の考え方。経済産業省が「健康経営優良法人」認定制度を設け推進している。睡眠の質向上はその主要テーマの一つ。

【参考リンク】

SOXAI 公式サイト(外部)
株式会社SOXAIの公式サイト。スマートリングの製品情報・研究実績・企業情報を掲載。

SOXAI RING 2 製品ページ(外部)
Deep Sensing™ PPGセンサー搭載の最新モデル。幅6.7mm・最大14日間バッテリーのスペックを確認できる。

東京大学大学院教育学研究科(外部)
本共同研究の連携先。身体教育学講座が研究の中心拠点となる。

健康づくりのための睡眠ガイド2023|厚生労働省(外部)
睡眠による休養不足の実態や年齢別推奨睡眠時間などを示す政府ガイド。本記事の社会的背景の根拠資料。

山本義春 研究者情報|researchmap(外部)
本共同研究の中核を担う山本客員教授の研究業績・専門分野・論文リストを参照できる。

【参考記事】

Smart Ring in Clinical Medicine: A Systematic Review|PubMed Central(外部)
107研究・約10万人を対象としたシステマティックレビュー。スマートリングによるCOVID-19・IBD再燃・双極性障害の早期予測エビデンスを引用した基本資料。

Estimating Sleep Stages Using Smart Ring Signals|University of Essex Repository(外部)
東大・エセックス大・SOXAIの2025年共同研究論文(IEEE TIM掲載)。PSG同期計測による睡眠ステージ推定精度の実証。

Oura and National University of Singapore Joint Lab|Oura Blog(外部)
2026年1月のOura-NUSジョイントラボ設立発表。SOXAIの東大連携と対比させる際の参照元。

Oura Science & Research|Oura 公式(外部)
Ouraの学術連携ネットワーク(スタンフォード・デューク・ハーバード等)の概要。業界の学術競争軸を示す比較資料。

山本義春 研究者情報|KAKEN(外部)
科研費データベース。山本教授の2020〜2022年度科研費課題「勤労者の心身不調のリスク制御を図る個人適合型IoTシステムの構築と臨床応用」等を確認できる。

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【編集部後記】

眠っている間にも、指の環は私たちの身体を読み続けています。朝、画面を確認するとき、昨夜の自分について、自分の感覚より先にデータが語り始めることがあります。今回の共同研究は、その語り口の精度を時間をかけて検証していく取り組みです。精度が上がるほど、私たちは自分の身体を「感じる」ことと「計測される」ことのあいだで、どう折り合いをつけていくのでしょう。

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乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。