いま世界のソフトウェアの書かれ方を、静かに、しかし確実に変えつつある道具があります。ターミナルに向かって言葉で指示するだけで、コードを読み、書き、直してくれる「Claude Code」です。ところがこの道具、壮大な計画から生まれたわけではありませんでした。出発点は、ある技術者が入社したての週に、遊び半分でこしらえた「いま流れている音楽を読み上げるだけ」の小さな試作。そこに未来を感じ取った人たちが、週末を注ぎ込み、部品をつなぎ合わせていった先に、今の姿があります。Anthropicは2026年7月7日、その誕生の物語を公開しました。作った人たち、そして初期に使い倒した人たちの声で語られる歩みを、順を追ってひもといていきます。
Anthropicが公開したオーラルヒストリー記事「The Making of Claude Code」は、同社のコーディングエージェント「Claude Code」が、社内の実験的なコマンドラインツールから主力プロダクトへと育っていく過程を、16名の関係者の証言で構成したものである。
物語の起点は2021〜2022年にさかのぼる。Anthropicは変革的AIへの道筋が「ソフトウェアエンジニアリングの自動化」を通ると考え、初期からコーディング能力の高いモデルと強化学習(RL)基盤の構築に取り組んでいた。最初期にはVS Code拡張のアシスタントを作り、2022年春には外部ユーザーを獲得していた。この頃すでに、コード実行環境の安全な管理や「ハーネス設計」といった、現在のエージェント開発と同じ課題に直面していた。
転機となったのが、社内ツール「clide」の存在だ。動作は不格好で時代を先取りしすぎていたが、モデルがイシューからプルリクエストを書き上げる様子は、関係者に「未来」を確信させた。2024年、ベン・マンがLabsチームを立ち上げ、同年9月に加入したボリス・チェルニーが「コーディングの自動化」に着手。彼が数日で作った「Claude CLI」のデモ(当初Slackで数件の反応しか付かなかった)が、Claude Codeの原型となった。
チームはあえて小規模を保ち、高速な反復と、自動アップデート・優れたユーザーメトリクスによって開発を加速させた。2025年2月に「Claude Code」と改名して外部公開(リサーチプレビュー)し、同年5月に一般提供を開始。当初の反応は生ぬるかったが、Ramp、Bunなどの外部ヘビーユーザーが熱心に導入・布教していった。決定的な離陸は、Claude 4系モデルの登場という「モデルのイノベーション」と、サブスクリプション導入という「ビジネスモデルのイノベーション」の組み合わせによってもたらされた、と関係者は振り返る。
記事後半では、この変化がもたらす新しい世界と未来像が語られる。チェルニーは2025年冬までに自分のコードの100%をClaude Codeが書くようになったと述べ、コフマンも同時期以降は自分でコードを書かなくなったと語る。一方で、複雑なタスクや「センス(taste)」を要する領域ではまだ人間の判断が欠かせないという慎重な証言もある。強化学習責任者のショーナ・クラベックは、「質問に答えるだけでなく、世界に出て行動できるモデル」こそが研究加速や難問解決の鍵であり、2026〜2027年には3か月単位で劇的な進歩が起きるだろうと予測している。
From:
The Making of Claude Code
【編集部解説】
私がこの記事を「今」取り上げたいと思ったのは、これが単なる成功譚ではなく、ソフトウェアという営みの土台が動いた瞬間の一次証言だからです。派手な発表記事の裏側で、当事者たちが何を見て、何に賭けたのかが率直に語られています。
まず押さえておきたいのが、Claude Codeの出発点が「社内の遊び」だった、という事実です。ボリス・チェルニーが入社初週にターミナルとClaudeをつなぎ、AppleScript経由で「今かけている音楽」を読み上げさせただけの試作から始まったと、複数のインタビューが裏づけています。彼は2024年9月にAnthropicへ加わり、当初はファイルもbashも扱えない素朴な試作から着手しました。壮大な計画ではなく、好奇心の副産物だったわけです。
ここで理解の鍵になるのが「ハーネス(harness)」という言葉です。これはモデル本体ではなく、モデルが実際に手足を動かすための足場を指します。ファイルを読む、bashを実行する、結果を受け取ってまた考える——この地味な配管こそがエージェントの本体だ、という視点は、AIを「賢い回答者」としてしか見ていないと見落としがちな部分です。
記事が示すもう一つの本質は、モデルの性能が「ある閾値」を越えた瞬間に、道具の形が自ずと決まった、という点です。ドーン・ドレインが「モデルの能力が閾値を越えると、フォームファクターはおのずと現れる」と述べているのは示唆的で、Claude Codeの離陸がClaude 4系モデルの登場とサブスクリプション導入という二つの転換に一致したという証言とも符合します。
この変化のスケールは、すでに数字に現れています。Claude Codeは2025年5月の一般提供開始から約6か月で、年換算売上10億ドル規模のプロダクトへと成長しました。異例の速さと言ってよいでしょう。GitHubの公開コミットについても、調査会社SemiAnalysisの推定では約4%がClaude Codeによって書かれており、同社は2026年末までにこの割合が20%超へ達すると予測しています。1ドル=150円換算で、10億ドルはおよそ1500億円にあたります。
私たちにとって重要なのは、これが「エンジニアの仕事が消える」話ではない、という点です。むしろ現場では、実行部分をAIが担い、人間は設計・判断・文脈の提供へ軸足を移しています。チェルニー自身、本人インタビュー(The Pragmatic Engineer等)によれば、ある時期から自分ではコードを書かず、1日に多数のPRを出し、複数のClaudeを並列で走らせながら開発しているといいます。手を動かす人から、群れを指揮する人への移行です。
ポジティブな側面として見逃せないのが、これまでソフトウェアに手が届かなかった領域の解放です。記事に登場するアラスカの非営利団体の例のように、予算的にカスタム開発が不可能だった現場でも、実用的なアプリが生まれ始めています。コーディングの民主化は、テクノロジーの恩恵を受ける人の裾野を確実に広げます。
一方で、私は編集者として、二つの潜在リスクを見ておくべきだと考えます。ひとつは「信頼の前借り」です。取材記事によれば、コードを書くAnthropicのエンジニアの8割超が日常的にClaude Codeを使っており、記事のなかでは多くのユーザーが許可リクエストを読まず自動承認へ移っている様子も語られています。効率と引き換えに、AIの判断を無検証で受け入れる習慣が広がることの危うさは、セキュリティを扱う立場から強調しておきたい点です。
もうひとつは、実行層を担ってきた役割——とりわけ経験の浅い開発者の仕事——が圧縮されるという構造変化です。判断を要する上流の仕事は残る一方、下流の実装が薄くなれば、人が経験を積む入り口そのものが細くなりかねません。技術の進歩と、人が育つ道筋の確保は、分けて論じる必要があります。
規制や統治の観点では、コードの生成コストがほぼゼロに近づくことで、「誰が書いたか」より「誰がレビューし、責任を負うか」が問われる時代に入ると私は見ています。AIが生んだ大量のコードを、いかに監査し、脆弱性や偏りを検証するか。この検証レイヤーの設計は、企業のガバナンスにも公的なルール整備にも重い宿題を突きつけるはずです。
長期の視点で私が最も注目したのは、ショーナ・クラベックの予測です。彼女は理論物理学の出身らしく、進歩の「速度そのものの変化」に注意を向けています。記事のなかで彼女は、3か月で劇的な変化が積み重なる時代の到来を語っています。社会の側の準備が追いつくのか——その問いは、私たちinnovaTopiaの読者、つまり未来の前方に立つ人たちにこそ向けられています。
だからこそ「今」なのです。技術がまだ手触りのある物語として語られているうちに、その成り立ちを知っておくこと。それが、来るべき変化に振り回されず、自分の一歩を選ぶための足場になると、私は考えています。
【関連記事】
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【編集部後記】
読み終えて、しばらく画面から目を離せませんでした。世界を動かしはじめた道具の原点が、誰かの「これ、面白いかも」という一瞬の閃きだったこと。その閃きを、週末をつぶしてでも形にしたくなる衝動。物語の底に流れているのは、性能や売上の数字ではなく、そういう人間くさい熱量でした。
そして、この物語には続きがあります。かつて「音楽を読み上げるだけ」だった道具は、いまや作り手自身のコードを100%書くところまで来ました。便利になったぶん、私たちが手放したものは何だろう、と考えます。手を動かして覚える感覚。うまくいかずに悩む時間。その回り道こそが、人を育ててきた面もあったはずです。
だからといって、時計の針は戻せません。できるのは、任せる部分と、自分の手に残す部分を、自分の頭で選び続けること。この物語の主人公たちが、切迫感を抱えながらも「どこは人間が握るのか」を問い続けていたように、私たちもまた、その線引きを楽しみながら探していけたらと思います。
小さな試作から世界が変わったのなら、あなたが今日いじっている小さな何かも、案外バカにできないのかもしれません。その予感を大切に、また次の入口でお会いしましょう。
【用語解説】
エージェント型コーディング(コーディングエージェント)
AIが単にコードを提案するだけでなく、ファイルを読み、コマンドを実行し、結果を見て次の手を自分で決める、という一連の作業を自律的に回す方式を指す。人間の指示者は「書く人」から「任せる人」へ役割が移る。
強化学習(RL:Reinforcement Learning)
モデルの出力に対して「良し悪し」の報酬を与え、望ましい振る舞いを学習させる手法。Claude Codeの源流にあたる、コードを書いてテストで正誤を確かめる訓練の基盤となった。
ハーネス(harness)
モデル本体ではなく、モデルが実際に動作するための「足場」を指す。ファイル操作やコマンド実行、入出力のやり取りといった配管部分であり、エージェントの実用性を左右する中核である。
clide(クライド)
Claude Codeの前身となったAnthropicの社内向けコマンドラインツール。起動が遅く不格好だったが、コード編集をClaudeに任せるという発想を先取りしていた。
Claude CLI(クロード・シーエルアイ)
ボリス・チェルニーが試作したデモの当初の名称。のちに「Claude Code」へ改名された、現行プロダクトの原型である。
CLI(コマンドラインインターフェース)
文字ベースの端末(ターミナル)から命令を打ち込んで操作する方式。GUIのような複雑な画面設計が不要なため、Claude Codeは高速な開発反復を実現できた。
フォームファクター(form factor)
製品の「形」や「あり方」を指す言葉。記事では、モデルの能力がある水準を越えると、道具として取るべき形が自ずと定まる、という文脈で使われている。
プルリクエスト(PR:Pull Request)
コードの変更内容を提案し、レビューを経て本体へ取り込むための単位。1日に出すPRの本数は、開発生産性の目安として引用されることが多い。
リサーチプレビュー(research preview)
正式版の前に、限定的に公開して実地の反応を集める段階を指す。Claude Codeは2025年2月にこの形で外部公開された。
AppleScript(アップルスクリプト)
macOS上のアプリを制御するためのスクリプト言語。最初期の試作では、これを通じて再生中の音楽を読み上げる程度のことができた。
bash(バッシュ)
コマンドを実行するための標準的なシェル環境。読む・書く・bashを実行するという最小の部品がそろえば、あとは何でも構築できる、という証言の鍵となった。
【参考リンク】
Anthropic(アンソロピック)(外部)
Claude Codeを開発するAI企業の公式サイト。今回題材とした記事もこのサイト内に掲載されている。
Claude Code(クロード・コード)(外部)
ターミナル上で動くAnthropicのコーディングエージェントの公式製品ページ。導入方法や機能の概要を確認できる。
GitHub(ギットハブ)(外部)
世界最大のソースコード共有・開発プラットフォーム。公開コミットの推定4%をClaude Codeが書くとされる計測対象である。
Bun(バン)(外部)
Node.jsの代替を狙う高速なJavaScriptランタイム兼ツールキット。創業者ジャレッド・サムナーが記事に登場する。
Ramp(ランプ)(外部)
法人カードや経費管理を手がける米国のフィンテック企業。Claude Codeの社外ヘビーユーザーとして記事に登場する。
Visual Studio Code(VS Code)(外部)
Microsoftが提供する定番のコードエディタ。Anthropicが最初期に作ったアシスタントは、この拡張機能だった。
【参考記事】
Introducing Labs(Anthropic公式)(外部)
Claude Codeがリサーチプレビューから約6か月で10億ドル規模の製品になった経緯を示す一次情報。
Anthropic raises $30 billion in Series G funding(Anthropic公式)(外部)
年換算売上25億ドル超、週間利用者の倍増、公開コミットの推定4%、法人サブスク4倍を示す一次情報。
Claude Code is the Inflection Point(SemiAnalysis)(外部)
公開GitHubコミットの4%をClaude Codeが書き、2026年末には20%超に達すると推定・予測する分析記事。
Claude Code’s creator on the end of the software engineer(Platformer)(外部)
チェルニー本人が、自分ではコードを書かず複数のClaudeを並列で動かす働き方を語ったインタビュー。
How Claude Code is built(The Pragmatic Engineer)(外部)
音楽読み上げの試作から始まった誕生の経緯を取材。社内配布版は5日目に半数の社員が使ったと記す。
How to Use Claude Code Like the People Who Built It(Every)(外部)
ウーとチェルニー本人が、前身clideや試作からClaude Codeに至った経緯を語る書き起こし。












