公開されている学習データが乏しい専用言語を、AIに書かせる。しかもそのソフトは手元のパソコンで画面を操作しながら使う構成で、クラウドのAIからは生成したコードを実行して確かめにくい。キユーピーとDeNA AI Linkが挑んだのは、生成AIの活用を難しくする条件が3つ重なった領域でした。
DeNA AI Linkは2026年8月4日、キユーピーの工場シミュレーションモデル開発を、Cognition AIの自律型AIエージェント「Devin」で支援したと発表した。対象はシーメンス製「Tecnomatix Plant Simulation」で、専用言語「SimTalk」をAIが自律的に記述・検証する土台を構築した。
SimTalkは公開された学習データが乏しく、今回の環境はGUI操作を前提としたローカル構成のため、生成コードを実行して確かめにくかった。そこでクラウドの「Devin」を起点に用語辞書や手順を整備し、コードの実行と修正をローカルで動く「Devin CLI」に切り出した。
小規模モデル1件の開発工数は、手作業で想定される8.5人日から1.8人日となり、78.8%削減した。
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DeNA AI Link、キユーピーの工場シミュレーション開発を自律型AIエージェント「Devin」で支援
【編集部解説】
AIにとって最も厳しい条件が、3つ重なっていた
生成AIにコードを書かせる話は、もはや珍しくありません。ただ今回の対象は、AIが最も苦手とする条件が三重に重なった領域でした。
Plant Simulationは、設備の稼働や搬送を「出来事」の連なりとして再現する離散事象シミュレーションのツールです。稼働前に生産ラインを検証し、ボトルネックを洗い出すために使われます。
1つめは言語です。SimTalkはPlant Simulationの内部に組み込まれた専用言語で、シミュレーションの各オブジェクトと密結合しています。汎用言語のように世の中に大量のコードが出回っているわけではありません。公開された学習データが乏しい領域では、素の大規模言語モデルだけで正確なコードを書かせるのは難しい。PythonやJavaScriptで通用する「なんとなく書けてしまう」感覚は、ここでは通用しないのです。もっとも、コード例や関数情報を十分に与えれば生成精度を補えることは、シーメンス自身も報告しています。
2つめは実行環境です。Plant Simulation自体はCOMやOPC UAなど複数の外部インターフェースを備えていますが、今回の運用はGUI操作を前提としたローカル構成でした。クラウド上のAIは、自分が書いたコードを走らせて結果を見ることができない。書きっぱなしになります。
3つめは組織です。シミュレーションはチームで進める仕事なので、個人が使いこなすだけでは、ノウハウがその人にとどまってしまいます。組織へ展開する道筋が見えにくいのです。
効いたのは、賢さではなく「輪を閉じたこと」
DeNA AI Linkの解き方は、この3つのうち2つめを最優先で潰すというものでした。ここが今回の技術的な核心です。
具体的には、取り組みの起点をブラウザから使うクラウド版のDevinに置き、AIが参照するルール、専門用語の辞書、作業手順のドキュメントを継続的に整備していきます。Devinがつまずいた箇所は、そのつど学習資産として蓄積される。1つめの学習データの乏しさへの対応を進めながら、クラウド上に知見を集約することで、3つめの組織展開に向けた共有基盤も同時に整えているわけです。
そのうえで、コードの実行と修正の部分だけを、手元で動くDevin CLIに切り出しました。これによってAIは、自分の書いたコードを走らせ、エラーを見つけ、直すというサイクルを回せるようになります。なお、Devin CLIは既定のモードでは書き込みやシェルコマンドの実行に人の承認を求める設計で、実際にCLIの活用にはキユーピーのエンジニアの関与が必要だったと発表資料は明記しています。完全な無人運転ではありません。
この差は大きい。今回のような環境では、コードを書く能力そのものより、生成結果を実行して誤りを検出し修正できる経路があるかどうかが効いてきます。今回、開発初期には多数の不具合修正を要していたモデル作成が、基盤整備後には作り直し1回で済むまで精度が上がっています。ただしこれは実行ループ単独の効果ではなく、辞書や手順、Playbook、自動エラー検出を含む一連の基盤整備が寄与した結果と読むのが妥当です。
78.8%という数字は、どう読むべきか
ここは丁寧に扱う必要があります。
発表された削減率は、1モデルあたり8.5人日を1.8人日に短縮したという計算にもとづきます。ただし分母の8.5人日は実測値ではなく、手作業なら要すると「想定」された値です。発表資料自身がそう書いています。実測どうしの比較ではない、という前提は動かせません。
なお発表資料からは、8.5人日をどう見積もったのか、また1.8人日にDeNA AI Linkの伴走支援や基盤整備の工数がどこまで含まれるのかを確認できません。
対象範囲も限定的です。資料の備考には、現時点における小規模な1モデルでの実績だと明記されています。キユーピー側のコメントも、この取り組みを可能性検証(PoC)と位置づけており、実業務への適用はこれからだと述べています。「工場のシミュレーションがAIで自動化された」と読むのは、発表の内容より数歩先に行きすぎです。
同社は2026年4月にちばぎんコンピューターサービスの事例も発表していますが、そちらは「工数削減率」と「原価削減率」がリリース内で混在しており、対象業務も分母の定義も異なります。今回の数字と並べて論じることはできません。
残る3つの問い
効果の測定基準について。シミュレーションモデルは、動作するだけでは十分ではなく、利用目的に照らした妥当性の確認が必要です。既存ラインが対象であれば実績データとの突き合わせがその手段になりますが、新設ラインのように比較対象が存在しない用途もあります。今回、モデルの妥当性をどう担保するかはまだ語られていません。工数が8割減っても、答えが合っていなければ意味がないという当たり前の論点です。
技術的な射程について。実証されたのは小規模モデル1件です。工場シミュレーションの本当の難所は、複数ラインが絡み、制御ルールが入り組み、例外処理が積み上がる大規模モデルにあります。規模が増えたときに同じ手法が線形に効く保証はありません。
条件の透明性について。本件で発生したDevinの契約・利用費、DeNA AI Linkの伴走支援費用、検証期間は公表されていません(Devin自体のセルフサービス料金は公式に公開されています)。8.5人日を1.8人日にするコストがいくらだったのかは、他社が判断するうえで重要な情報ですが、現時点では読み取れません。また、キユーピー側からの独自の発表は確認できず、今回の情報はDeNA AI Linkのリリースにもとづくものです。
この事例が日本の現場に示すもの
日本の製造業には、ベンダー固有の言語やツールに閉じた業務が無数にあります。PLCのラダー図、各社独自のCAEマクロ、社内でしか通じない設定ファイルの類。どれも担い手が限られ、属人化し、そして「AIには無理だろう」と最初から諦められてきた領域です。
今回の事例が興味深いのは、その諦めに対してモデルの賢さだけでなく環境の作り方で答えを出した点にあります。ニッチな言語であっても、AIが試行して結果を確認できる場所さえ用意すれば、蓄積は回りはじめる。ここは他業種にも移せる考え方でしょう。ただし、それが同じ削減率で再現するかどうかは別問題であり、今回の数字を自社に当てはめて期待値を置くのは早計です。
そして発表資料が最後に置いた結論は、AIの価値を最大化する鍵は、コードを書く技術そのもの以上に、対象業務を深く理解するドメイン知識にあるというものでした。実装から解放されるのは専門家が不要になったからではなく、専門家の時間を、現場をどう改善するかという判断に振り向けるためです。キユーピーの生産技術部が「本来の役割はモデル作成やコード記述ではない」と述べているのは、まさにその意味においてです。
将来像として掲げられた「工場シミュレーションの民主化」、つまり各工場の担当者が自然言語でモデルを組める状態が実現するなら、それは現場を最もよく知る人が、道具の習得コストを払わずに検証できるようになるということです。AIが人を置き換える話ではなく、道具と現場知のあいだにあった壁が薄くなる話として読むのが、この発表の筋だと考えます。
DeNA AI Linkの発表資料には、成果サマリーの表の下に一行の備考が付いています。現時点における小規模な1モデルでの実績である、という断りです。ここを読むと、78.8%という数字がどの範囲で成立したものなのかが見えてきます。自社のニッチな専用ツールに置き換えて考えるなら、次に気になるのはそこから先でしょう。Devinが自動生成したシミュレーションモデルの出力は、実際の生産実績とどこまで一致していたのでしょうか。
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【編集部後記】
DeNAのリリースは、クラウドとローカルの双方で同じDevinを一貫して活用できる点を強みに挙げています。ただしCognitionの公式ドキュメントは両者を別のツールと位置づけ、CLI側はPlaybookやKnowledgeに未対応と明記しています。
同じ看板の下に、性格の違う道具が2つある。今回の二段構えは、その差を前提に組まれたものと読むほうが実態に近いのかもしれません。CognitionがDevin CLIを公開したのは2026年4月27日、Devin Desktopの発表は6月2日でした。
【用語解説】
自律型AIエージェント
目的を与えると、手順の設計から実行、結果の確認までを自ら進めるAI。人が一手ずつ指示する従来の使い方と区別される。
Devin
Cognition AIが開発する自律型AIソフトウェアエンジニア。クラウド版のほか、ローカルで動くCLI版、デスクトップ版が提供されている。
Tecnomatix Plant Simulation
シーメンスの工場ラインシミュレーションソフトウェア。開発はSiemens Digital Industries Softwareが担う。生産量、設備稼働率、在庫推移などを稼働前に算出する。COMやOPC UAなど複数の外部インターフェースを備える。
離散事象シミュレーション
システムを、状態が変化する個々の出来事の連なりとしてモデル化し、時間経過に沿って再現する方式。現実の設備とリアルタイムに連携するかどうかとは別の分類軸である。
SimTalk
Plant Simulationに内蔵されたプログラミング言語。標準オブジェクトの振る舞いだけでは表現しきれない制御ロジックを記述する。
大規模言語モデル(LLM)
大量の文章を学習し、文脈に応じて次の語を予測する仕組み。生成AIの土台となる。公開された学習データが乏しい専門領域では、十分な例示や外部知識を与えないと正確な生成が難しくなりやすい。
GUI(Graphical User Interface)
画面上のアイコンやボタンを人が操作する方式。プログラムから自動化する場合は、APIやCLIなど別のインターフェースを用いる。
CLI(Command Line Interface)
文字のコマンドを打ち込んでプログラムを操作する方式。GUIに比べ、AIやスクリプトからの自動化に向く。
人日
1人が1日作業した量を1とする工数の単位。8.5人日は合計8.5人日分の作業量を指し、経過日数をそのまま意味するものではない。
PoC(Proof of Concept/可能性検証)
本格導入の前に、その手法が成立するかどうかを小規模に試す段階。成果が実業務での効果を保証するものではない。
PLC・ラダー図
PLCは工場設備を制御する専用コンピューター。ラダー図はその制御ロジックを記述する図式言語で、メーカーごとに方言がある。
CAE
Computer Aided Engineering。強度や熱、流体などを計算機上で解析する技術。製品ごとに独自のマクロが組まれることが多い。
【参考リンク】
DeNA AI Link(外部)
DeNAの子会社として、AIコンサルティングとソリューション提供を手がける企業。国内企業へのDevin導入を伴走支援している。
キユーピー(外部)
1919年創業の食品メーカー。マヨネーズやドレッシングを主力に、加工食品や調味料、医薬原料の分野まで手広く手がけている。
Tecnomatix Plant Simulation(外部)
シーメンスの離散事象シミュレーションソフトウェア。生産システムの物流と設備の稼働を、稼働前に検証して最適化するために用いる。
Cognition AI(外部)
自律型AIソフトウェアエンジニア「Devin」を開発する米国企業。クラウド版に加え、CLI版とデスクトップ版を提供している。
Devin Docs(日本語)(外部)
Devinの公式ドキュメント。クラウド版とCLI版の機能差や、権限モードごとに承認が必要な操作の範囲まで解説されている。
【参考記事】
DeNA AI Link、ちばぎんコンピューターサービスのAI駆動開発を支援(外部)
2026年4月7日発表。ただしリリースの中で工数削減率と原価削減率の表記が混在しているため、今回の数値との直接比較には適さない。
ちばぎんCS、「Devin」と自社開発生成AIで82%の工数を削減 DeNA AI Linkが支援(外部)
ちばぎんCS事例を報じた記事。VB.NETで構築されたシステムのモダナイズを対象に、従来の想定工数と実績の内訳を伝えている。
DeNAが自律型AI「Devin」を全社員に導入(外部)
2026年3月発表。2,000名超への展開に加え、仕様書の維持管理によるコミュニケーションコスト改善の目標も示している。
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2025年7月2日発表。Cognition AIとの戦略的パートナーシップ締結を伝える。DeNA AI Linkの起点にあたる。
Cognition、エンジニアリングチーム向けにエージェント・コマンドセンター「Devin Desktop」を発表(外部)
2026年6月発表。デスクトップ版の投入によって、Devinを使う際の環境の選択肢がさらに広がったことを伝える公式リリース。


















