バチカンは2026年5月16日、教皇レオ14世がAIに関する庁内研究グループを設置したことを発表した。
バチカンは設置理由として、AI利用の加速、AIが人間と人類全体に及ぼしうる影響、すべての人間の尊厳に対する教会の関心を挙げている。発表の前日、レオ14世は初の回勅に署名した。この署名日は、教皇レオ13世が回勅『レールム・ノヴァールム』に日付を記してから135年後にあたる。
新回勅は労働、正義、平和を扱う教会の社会教説の文脈にAI問題を位置づけ、人間の尊厳と平和を優先する倫理ベースのアプローチを強調する見込みであるという。その後のAP通信の続報で、回勅は2026年5月25日に正式発表される予定と報じられた。
バチカンは2020年に技術企業へAI誓約『Rome Call for AI Ethics』への署名を呼びかけ、Microsoft、IBM、Ciscoなどが署名した。前教皇フランシスコは2024年のG7でAIに関する特別セッションで演説し、致死性自律兵器の使用禁止を求めた。レオ14世は2025年6月のAIカンファレンスで演説し、生成AIの医療や科学的発見への貢献を認めつつその影響に疑問を呈している。
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Pope creates artificial intelligence study group as Vatican prepares to release his first encyclical
【編集部解説】
教皇庁(バチカン)がAIをめぐる回勅(かいちょく)を準備しているというニュースですが、「なぜ宗教の総本山がAIなのか」と感じた方も多いかもしれません。回勅とは、ローマ教皇が全世界のカトリック教会に向けて発する、重要な教導文書の一つです。教会の公式見解として長く参照される性質を持ちます。2024年時点で約14億2200万人とされる信者を抱える組織が、AIという主題に高い権威を持つ文書を割く。この事実そのものが、今回のニュースの重みを物語っています。
注目すべきは、署名された日付の選び方です。レオ14世は2026年5月15日、初の回勅に署名しました。これは、教皇レオ13世が回勅『レールム・ノヴァールム』に日付を記してからちょうど135年後にあたります。『レールム・ノヴァールム』は産業革命下の労働者の権利を論じ、近代カトリック社会教説の出発点となった文書でした。現教皇が同じ「レオ」を名乗り、同じ日付を選んだことは、AI革命を産業革命と並ぶ文明史的な転換点として位置づける意思の表れと読み取れます。
ここで、元記事の公開後に判明した重要な続報をお伝えします。AP通信は5月18日、回勅が2026年5月25日に正式発表されること、そして文書名が『Magnifica Humanitas(マニフィカ・フマニタス/輝かしき人類)』であることを報じました。さらに発表の場には、AI開発企業Anthropicの共同創業者クリストファー・オラー氏が登壇者として加わることも明らかになっています。
この「Anthropicの参加」は、単なる来賓以上の意味を持ちます。AP通信によれば、トランプ政権は2026年2月、全米の政府機関に対しAnthropicの技術利用を停止するよう命じ、同社は現在この措置をめぐり政権を提訴中とされます。AIの安全性を重視する企業が、その技術の軍事利用のあり方をめぐって米政権と対立し、その企業の創業者がバチカンの檀上に立つ。教会の倫理的メッセージが、現実の政治・産業の地図の上に置かれていることがよく分かります。
技術と政治の距離の近さは、元記事の別の場面にも表れています。トランプ大統領の中国訪問に同行したエアフォースワンには、Xを率いるイーロン・マスク氏、そしてH200 AIチップの対中輸出について米政府から条件付き承認を得たNvidiaのCEOジェンスン・フアン氏らが搭乗していたと報じられています。一方の極に国家戦略としてAI開発を加速させる勢力があり、もう一方の極に「人間の尊厳」を掲げるバチカンがある。今回の回勅は、その緊張関係の只中に投じられることになります。
では、教会は具体的に何を問題にしているのでしょうか。元記事をたどると、論点は大きく三つに整理できます。第一に戦争です。前教皇フランシスコは2024年のG7で、致死性自律兵器(通称「キラーロボット」)の使用禁止を求めました。レオ14世も、ウクライナやガザなどでの自動兵器システムの拡大を「絶滅へ向かうスパイラル」と表現しています。第二に真理です。生成AIによるディープフェイクが、人間の現実を把握する能力そのものを揺るがすという懸念です。第三に環境で、データセンターが消費する膨大なエネルギーと水への警鐘です。
もちろん、教会はAIを敵視しているわけではありません。レオ14世は2025年6月のAIカンファレンス演説で、生成AIが医療や科学的発見にもたらす貢献を率直に認めています。教会の一貫した主張は「AIは人間の知性を置き換えるのではなく、補完する道具であるべきだ」という一点に集約されます。庁内で司祭に説教のAI執筆を戒めたエピソードは、この原則を身近な形で示したものといえるでしょう。
長期的に見れば、この回勅は法的拘束力を持つものではありません。しかし、国連の新たなガバナンス枠組みやEUのAI法が国家間の利害調整に苦心するなか、特定の国家にも企業にも属さない立場から「人間とは何か」を問う声には、独自の射程があります。技術の速度を競う議論に、立ち止まって価値を問い直す視点を差し込む。innovaTopiaが「Tech for Human Evolution」を掲げて未来を見つめるとき、この問いかけは決して無関係ではないはずです。5月25日の発表内容を、私たちも注視していきたいと思います。
【用語解説】
回勅(かいちょく/encyclical)
ローマ教皇が全世界のカトリック教会と信者に向けて発する、重要な教導文書の一つ。教会の公式見解として位置づけられ、社会・倫理問題に関する長期的な指針となる。
『レールム・ノヴァールム』(Rerum Novarum)
1891年5月15日に教皇レオ13世が発した回勅。「新しき事柄について」を意味する。産業革命下の労働者の権利、資本と労働の関係、国家と雇用者の義務を論じ、近代カトリック社会教説の基礎となった。
『Magnifica Humanitas』(マニフィカ・フマニタス)
レオ14世初の回勅の正式名称。「輝かしき人類」を意味し、AI時代における人間の尊厳の擁護をテーマとする。2026年5月25日に正式発表される予定。
省庁横断AI委員会(Inter-Dicasterial Commission on Artificial Intelligence)
レオ14世が設置を承認したバチカン庁内の委員会。人間開発省、教理省、文化教育省など複数機関の代表で構成され、AIの影響を検討する。
Rome Call for AI Ethics(AI倫理のためのローマ宣言)
2020年にバチカンが提唱したAI倫理に関する誓約。透明性、包摂性、説明責任、公平性、信頼性、安全性とプライバシーといった原則を掲げ、技術企業に署名を呼びかけた。
致死性自律兵器(lethal autonomous weapons)
人間の介在なしに標的を選定・攻撃しうる兵器システム。通称「キラーロボット」。前教皇フランシスコが2024年のG7でその使用禁止を求めた。
EU AI法(Artificial Intelligence Act)
EUが2024年に採択したAIに関する包括的な法規制(Regulation (EU) 2024/1689)。AIの用途を4段階のリスクに分類し、規制を適用する「リスクベース・アプローチ」を採用している。
【参考リンク】
The Holy See(バチカン公式サイト)(外部)
ローマ教皇庁の公式サイト。歴代教皇の回勅や公文書、声明の原文を多言語で公開している。
Rome Call for AI Ethics(外部)
2020年にバチカンが主導したAI倫理誓約の公式サイト。宣言全文や署名企業の一覧を掲載している。
Anthropic(外部)
AIの安全性を研究の中心に掲げる米国のAI企業。共同創業者オラー氏が回勅発表に登壇予定。
Nvidia(外部)
AI向け半導体の世界的大手。CEOフアン氏がH200 AIチップの対中輸出で米政府の条件付き承認を得た。
X(外部)
イーロン・マスク氏が率いるソーシャルメディア。AIチャットボット「Grok」を擁する。
University of Notre Dame(外部)
記事にコメントを寄せた哲学教授メーガン・サリヴァン氏が所属する米国の大学。
【参考記事】
Pope Leo XIV to launch his first encyclical, a document on artificial intelligence, with Anthropic’s co-founder(PBS News)(外部)
回勅が5月25日に正式発表され、文書名が『Magnifica Humanitas』であることを報じた続報。Anthropic共同創業者オラー氏の登壇や同社の評価額3800億ドルにも言及。
Pope creates artificial intelligence study group as Vatican prepares to release his first encyclical(National Catholic Reporter)(外部)
AI委員会設置と、回勅署名が『レールム・ノヴァールム』から135年後にあたることを報じたAP配信記事。
Rescriptum ex Audientia Sanctissimi(バチカン公式プレス)(外部)
省庁横断AI委員会の設置を承認したバチカン公式文書。設置理由と委員会の構成機関を明記している。
New data of Annuario Pontificio 2026 shows Catholics growing(Vatican News)(外部)
2026年版教皇年鑑のデータ。2024年時点のカトリック信者数が約14億2200万人であることを伝える。
Pope creates AI study group as Vatican prepares to release his first encyclical(Spectrum News)(外部)
2025年6月のAIカンファレンス演説や、国連の新枠組み・EU AI法に触れたAP配信記事。
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【編集部後記】
AIをどう使うか、という問いの隣には、いつも「私たちは人間として何を大切にしたいのか」という問いが立っているのかもしれません。今回バチカンが投げかけたのは、まさにその後者の問いでした。
仕事の場面で、あるいは戦争や創作の話題で、みなさんはAIに何を委ね、何を手元に残したいと感じるでしょうか。5月25日に発表される『Magnifica Humanitas』を、私たちも一読者として一緒に読み解いていけたらと思っています。みなさんなりの「ここは譲れない」を、ぜひ聞かせてください。












