AI企業が海外に拠点を開くとき、そこには必ず「なぜここか」という問いがある。ソウルオフィスの開設とともにAnthropicが公開したパートナーシップリストは、その問いへの答えとして読むと、単なる事業拡大の報告とは異なる輪郭を持ちはじめます。財閥系企業から学術研究コンソーシアム、NGOまで、異なる論理で動く組織群を同じタイミングで束ねるという手法は、「市場を獲る」より「エコシステムに根を張る」ことを優先しているように見えます。Anthropicはなぜ韓国をこの方法で攻略したのか。その構造を読み解きます。
Anthropicはソウルオフィスをオープンするとともに、韓国AIエコシステム全体にわたる新たなパートナーシップを発表した。
企業・スタートアップとの連携では、NAVERがエンジニアリング組織全体にClaude Codeを導入し、数千人のエンジニアが活用している。Nexonのエンジニアリングチームもライブサービスゲーム開発にClaude Codeを使用。LG CNSは数千人の従業員にClaudeを展開しLGグループ全体への導入も予定。ハンファソリューションズはAWS Bedrock経由でグローバル従業員にClaudeを提供。Samsung SDSはサムスン電子全体の従業員にClaude CoworkやClaude Codeを含むClaudeを展開。スタートアップのChannel Corpは韓国・日本・米国の23万社以上が利用するカスタマーAIプラットフォーム「Channel Talk」をClaudeで稼働させている。
研究支援では、KAIST・高麗大学・延世大学・POSTECHが参加するNational AI Research Lab(NAIRL)の研究者最大60名にClaudeアクセスを提供し、AI安全性・モデル評価・アラインメント研究を支援する。NGOのグッドネイバーズ韓国も福祉支援業務にClaudeを導入した。
韓国はClaude.aiの利用数で世界トップ10数カ国に入る。Claude for Startupsが韓国で利用可能になり、2025年9月以降のClaude Meetupには数百人の韓国人開発者が参加している。
From:
Anthropic opens Seoul office and announces new partnerships across the Korean AI ecosystem
【編集部解説】
AnthropicがソウルにAPAC3拠点目を開設し、NAVER・Samsung・LG・ハンファという韓国を代表する企業群と学術機関・NGOを同時に押さえた今回の発表は、単なる海外オフィス開設ではありません。「特定市場を企業・研究・社会貢献の三層でまとめて取り込む」という展開パターンが、ここに来て明確な形を取り始めています。
なぜ韓国なのか、という問いに対して、Anthropicの数字は雄弁に答えています。同社の代表取締役就任発表によれば、韓国ユーザーのClaude.ai利用率は人口規模から期待される水準の3.5倍超に達しており、用途は技術系・クリエイティブ系の業務に偏重しています。また、Anthropicの最高商務責任者Paul Smithは2025年10月時点で「グローバルトップ5ユーザー中3カ国がアジア(韓国・日本・インド)」と述べており、韓国はすでに「オフィスがない最大の市場」という状態が続いていました。ソウルオフィスは、その空白を埋める一手です。
今回の発表で注目すべきは、大企業の採用リストの顔ぶれです。NAVERがエンジニアリング組織全体にClaude Codeを展開し、Samsung SDSがサムスン電子全体でClaude CoworkとClaude Codeを並行導入し、LG CNSがLGグループ全体への展開を予定しているという構図は、特定の開発チームへの試験導入という段階をすでに超えています。組織の業務インフラとしてClaudeを前提にしていく「インフラ化」の動きが、韓国の大企業グループを単位として起きていると読めます。
この展開が持つ意味は、単純な市場獲得以上のものがあります。韓国政府は「AI三大強国」入りを国家目標として掲げており、2024年12月には「AI基本法」を可決、2026年1月に施行しています。EUに次ぐ世界2番目の国家レベルAIガバナンス法制を整えた国に、米国のAI安全性企業が産学NGO連携込みで拠点を構えるという組み合わせは、「安全性を軸に規制環境と足並みをそろえながら展開する」というAnthropicの特有のポジショニングとも符合します。
KAIST・高麗大学・延世大学・POSTECHの連合体であるNAIRL(国家AI研究所)との連携やNGOグッドネイバーズ韓国への導入は、この文脈で見ると「社会実装の正当性を確保するレイヤー」として機能しています。大企業との契約だけでは、その国の「AI安全性企業としての信頼」は積み上げにくい。研究コミュニティと学術安全性研究を通じてつながり、社会セクターで実績をつくることで、規制対応や政府調達の場面で有利に立てるという計算が見えます。
APACにはすでに東京(日本)、ベンガルール(インド)の拠点があり、ソウルはその3拠点目です。同社のAPAC地域の売上ラン・レートは直近1年で10倍超の成長を記録しています。この勢いを前提にすると、次に問うべきは「韓国の次にどこか」よりも、「この三層パッケージ展開が他の地域でも再現されるか」という点です。
日本との関係で言えば、Nexon・Samsung SDS・Channel Corpはいずれも日本市場で事業を展開する企業です。特にChannel Talkはすでに日本国内にも顧客を持ち、韓国発のClaude活用サービスが日本市場を通路として拡張していく先行事例として注目に値します。
今のところ分かっていないことも明示しておく必要があります。各企業の具体的な導入規模・コスト・効果については公式情報はなく、「数千人規模の展開」という表現の定量的な意味は不明です。また、AI基本法の施行後に韓国内の規制環境がどう変化し、外資AI企業にどんな要件が課されるかは、現時点では確定していません。
【用語解説】
NAIRL(National AI Research Lab/国家AI研究所)
韓国の国家主導AIコンソーシアム。KAIST(韓国科学技術院)・高麗大学・延世大学・POSTECHの4大学が参加し、AI安全性・モデル評価・アラインメント・ロバストネスなどの基礎研究を担う。
ソブリンAI(Sovereign AI)
各国が自国のインフラ・データ・人材を用いてAIを生産・管理する能力を指す概念。単なる外部AIサービスの利用ではなく、AI基盤を国家戦略として自国内に整備する動きを表す。
Claude Cowork
Anthropicが提供するエージェント型ワークスペースツール。ファイル操作・アプリ連携などを自律的に実行し、日常業務の自動化を支援する。Claude Codeと並行して企業展開が進んでいる。
韓国AI基本法
2024年12月に可決、2026年1月22日施行。EUのAI法に次ぐ世界2番目の国家レベルAIガバナンス法制。AI生成コンテンツへの表示義務、高影響AIへのリスク評価義務などを定める。
【参考リンク】
Anthropic公式サイト(外部)
Claude・Claude Code・Claude CoworkなどAnthropicの全製品・研究・採用情報を掲載する公式サイト。企業パートナーシップや各国展開状況の一次情報源。
Anthropic Economic Index(外部)
AnthropicがClaude利用データをもとに定期公開する経済影響レポート。国別・業種別の利用傾向、AIが経済に与える影響の定量的分析を掲載する。
NAVER公式サイト(外部)
韓国最大のポータル・クラウド企業。今回Claude Codeをエンジニアリング組織全体に展開した。日本でも多数のサービスを展開しており、韓国発のAI採用動向は日本市場にも影響をもたらす可能性がある。
Channel Talk(Channel Corp)(外部)
韓国発のカスタマーAIプラットフォーム。Claudeを活用して顧客問い合わせ対応やデータ分析を提供し、韓国・日本・米国で23万社以上に利用されている。
グッドネイバーズ韓国(外部)
子どもの権利を専門とする韓国のNGO。社会福祉業務の効率化・行政負担軽減を目的にClaude導入を進めており、非営利セクターにおけるAI活用の先行事例として注目される。
【参考記事】
Anthropic to open South Korea office and expand its presence in Asia|Investment Monitor(外部)
2025年10月のソウルオフィス開設予告報道。Anthropic CCO Paul Smithによる「グローバルトップ5ユーザー中3カ国がアジア」発言と、APAC売上高の急成長を伝える。
Anthropic appoints KiYoung Choi as Representative Director of Korea|Anthropic(外部)
2026年5月の代表取締役就任発表。韓国ユーザーのClaude.ai利用率が人口規模の3.5倍超に達するというEconomic Indexのデータを含む。
韓国のAI基本法に関する解説|PwC Japan(外部)
2024年12月可決・2026年1月施行の韓国AI基本法を詳解。EUに次ぐ世界2番目の包括AI規制法としての位置づけと、法の構成・対象企業の義務を解説する。
【関連記事】
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【編集部後記】
今回の発表を読んでいて気になったのは、Anthropicが韓国で選んだ「入り方」の丁寧さです。大企業への導入だけであれば、ここまで話題にならなかったかもしれません。研究機関と非営利組織を同じタイミングで束ねたことで、商業的な動きに「安全性企業としての文脈」が加わりました。これはAnthropicという会社のブランドポジションと、意図的に整合させた構成のように見えます。もちろん、この三層パッケージが本当に機能するかどうかは、今後の韓国での実績が示すことになります。韓国AI基本法の施行後、規制環境がどう動くかも含め、私たちはしばらくこの市場を注意深く追っていきたいと思います。












