「日本のAIは、アメリカや中国とは違う道を行けるのか」――そんな問いを、当事者の口から聞ける機会はそう多くありません。日本で最も勢いのあるAI企業のひとつ、Sakana AI を率いるデイビッド・ハ氏が、ある対談で2時間近くにわたって本音を語りました。資金の集め方から、メガバンクの現場で実際に動いているAIの話、巨大モデル一強への疑問、そして最後にぽつりと挙げた「日本に足りないもの」まで。技術ニュースのつもりで聞き始めると、いつのまにか「この国はこれからどうなるんだろう」という、もっと大きな話に連れて行かれます。その対談で何が語られたのか、順を追って見ていきます。
Sakana AIは2026年6月28日、CEOのデイビッド・ハがティム・ロメロのポッドキャスト「Disrupting Japan」に出演したことを公式Xで告知した。対談は6月23日に公開されている。
対談でハは、Sakana AIの市場投入戦略、日本のメガバンクがAIワークフローをPoC(実証実験)の段階から先へ進めている状況、単一の巨大フロンティアモデルより複数モデルのオーケストレーションが優位だとする見方、実務におけるAI主権の意味について語った。
研究面では、強化学習で訓練したオーケストレーションモデルSakana Fugu、日本の知識と価値観を反映したオープンウェイトモデルNamazu、再帰的自己改善とAIによる科学的発見を扱う東京のRSI Lab、共同創業者リオン・ジョーンズによるTransformerを超えるアーキテクチャ研究に言及した。
日本について一つだけ変えられるとしたら何かと問われ、ハは「希望」と答えた。
From:
The future of AI looks very different in Japan – Disrupting Japan
【編集部解説】
まず押さえておきたいのは、この対談が「製品発表」ではなく「思想の開示」だという点です。Sakana Fugu や Namazu といったプロダクト名はすでに各所で報じられてきましたが、それらが何のために存在するのか、その背骨にある考え方が一本の線でつながって語られたのは、おそらくこのポッドキャストが初めてだと感じます。
Sakana AI は2023年に東京で設立された企業で、創業から最も短期間でユニコーン(評価額10億ドル超)に到達した日本のスタートアップとされています。2025年11月のシリーズBでは、TechCrunch等が評価額を約26.5億ドルと報じ、Sakana AI公式は更新後のポストマネー評価額を約4,320億円(約27億ドル)としています。CEOのデイビッド・ハ氏は香港生まれのカナダ人で、ゴールドマン・サックスでデリバティブ取引を率いたのち、Googleで日本のリサーチチームを統括した経歴を持ちます。共同創業者のリオン・ジョーンズ氏は、現在のAIの基盤である「Transformer」を世に出した2017年の論文の共著者の一人です。この顔ぶれが「日本で、日本のために」会社を建てたこと自体が、ひとつの逆張りでした。
技術面で核心となるのが、ハ氏の言う「集合知(collective intelligence)」という発想です。単一の巨大モデルがすべてを支配するという前提を採らず、複数のモデルの長所を束ねる――その制御役が Sakana Fugu にあたります。
ここで誤解されやすいのが、Fugu を「単なる振り分け装置(ルーター)」と捉えてしまうことです。ハ氏は明確に否定しています。Fugu 自体が強化学習で訓練されたモデルであり、人間が「この作業はGemini、この部分はClaude」と経験則で割り振るのではなく、どのモデルにどの段階のタスクを渡すかをデータから学習する。複数ステップにまたがって最適な配分を見つける点が、従来のルーティングとは一線を画します。
なぜこれが効くのか。ハ氏のコスト論が分かりやすいでしょう。実務で本当に最上位モデルが要る場面は1割程度で、残り9割は安価なモデルで足りる――そう彼は見ています。推論コストが人間の時給を上回りかねない時代に入りつつあるいま、「性能の最適化」ではなく「コスト性能の最適化」へと軸足を移す技術には、確かに合理性があります。
もう一つの柱、Namazu の「日本適応」も、語感ほど単純ではありません。海外製モデルを日本語化することではなく、ハ氏は4つの工程を挙げています。開発国の規制で言えないことを言えるようにする「検閲解除」、訓練で刷り込まれた物語を取り除く「脱バイアス」、日本の知識と価値観の注入、そして最難関が「破滅的忘却(catastrophic forgetting)」への対処です。バイアスを抜く作業をするとモデルは数学やコーディングの力まで失っていく。ここを保ちながら中立化するのが難しいのだ、と。狙いは「日本に偏らせる」ことではなく「中立にする」ことだと繰り返している点は、見落とされがちです。
実は今回、最も再評価すべきは技術論ではなく事業の現在地かもしれません。Fugu をめぐる報道の多くは「止められた最強AIの受け皿」という文脈に寄っていました。けれど対談が明かすのは、三菱UFJ、三井住友(SMBC)、大和証券といった日本で最も保守的とされる金融機関で、AIワークフローが実証実験(PoC)の段階を越えて前へ進みつつあるという事実です。三菱UFJ銀行との「AIクレジット・オフィサー」は融資審査の判断を自動化するものではなく、稟議書作成と根拠の整理を担い、最終判断は人に残す設計。SMBCとの文書作成エージェントは、対談でのハ氏の説明によれば、M&A関連資料の作成を2〜3週間から2〜3時間に縮めたとされます。日本の銀行はむしろ米国勢より進んでいる、というハ氏の指摘は、こちらの先入観を静かに揺さぶってきます。
そして「AI主権」の再定義です。一般に主権というと「自前のモデルを国産で持つこと」と語られがちですが、ハ氏の見立ては逆です。完全な自給自足はあり得ない、AIはGPUからデータまで絡み合うグローバルなサプライチェーンなのだから、と。かつてiモードに固執してiPhoneを逃した日本を引きながら、主権とは「スタックの所有」ではなく「国内で開発・適応・運用する能力の確保」だと言い切ります。供給が断たれても自国のインフラが回り続ける――その回復力こそが主権だ、という整理は、国産LLM礼賛とは異なる視座を与えてくれます。
潜在的なリスクも正直に見ておきましょう。オーケストレーション型は内部で複数モデルを呼ぶ構造上、1タスクの実コストが事前に読みにくいという指摘が出ています。どのモデルが回答したかが見えにくく、再現性や監査性を重んじる用途では扱いづらい面もあるでしょう。中立性ベンチマークを学者と共同で作っているとはいえ、その評価が妥当かどうかを第三者が検証する仕組みは、これから積み上がっていく段階にあります。
規制との関係も示唆に富みます。Fugu の設計思想は、特定プロバイダーが突然アクセスを止めても別のモデルへ迂回できることを前提にしています。これは輸出規制や政策変更がAIの利用可能性を一夜で変えうる現実への、ひとつの実務的な保険といえるでしょう。「分散しておくこと」がガバナンスの一部になる時代が近づいている、とも読めます。
最後の「希望」という答えを、私は単なる美談として受け取りたくありません。ハ氏はイノベーションの停滞を、お金や減税や教育プログラムの不足ではなく、集団的な楽観の欠如という心理・文化の問題として捉えています。英語教育の強化はむしろ日本を日本でなくし、革新性を削ぐかもしれない――そんな逆説まで添えたうえで、変化が希望を生み、希望がさらなる変化を呼ぶ、と語る。テクノロジーの最前線にいる経営者が、最終的に「物語(narrative)」を最重要変数に挙げたことは、未来を扱う私たちにとっても他人事ではないはずです。
私たちがいま、海外発のAIニュースの一つとしてではなく、わざわざこの対談を取り上げる理由もそこにあります。「日本でAIをどう使うか」という問いは、技術選定の話であると同時に、私たち自身がこの国の未来をどれだけ楽観できるか、という問いでもあるのだと思います。
【用語解説】
オーケストレーション(Orchestration)
複数のAIモデルを一つの司令塔が束ね、タスクの段階ごとに最適なモデルへ振り分けて協働させる仕組みを指す。単純な振り分け(ルーティング)と異なり、複数ステップの推論全体を通じて配分を最適化する点が特徴だ。
集合知(Collective Intelligence)
単一の巨大な知能ではなく、多数の小さな知能が協調・連携することで全体として高い能力を発揮するという考え方。Sakana AI が研究の根幹に据える思想であり、社名の由来である「魚の群れ」のイメージとも重なる。
強化学習(Reinforcement Learning)
AIが試行錯誤を重ね、得られた結果(報酬)をもとに望ましい振る舞いを学習していく手法。Sakana Fugu は、どのモデルにどの段階のタスクを渡すかを、人間の経験則ではなくこの手法でデータから学習している。
破滅的忘却(Catastrophic Forgetting)
AIモデルに追加の学習を施すと、すでに習得していた能力を失ってしまう現象を指す。Namazu の開発では、バイアス除去や日本適応の学習を進めると数学・推論・コーディングの力が損なわれるため、これをいかに防ぐかが最難関とされる。
AI主権(Sovereign AI)
国家がAI技術を自国で開発・適応・運用できる能力を確保することを指す概念。ハ氏はこれを「スタック全体の自前所有」ではなく、グローバルなサプライチェーンの中での回復力として捉え直している。
PoC(実証実験/Proof of Concept)
新しい技術やアイデアが実際に機能するかを、本格導入の前に小規模で検証する工程。今回の対談では、メガバンク向けの主要プロジェクトがこの段階を越え、先へ進みつつあることが語られた。
Transformer
2017年に発表され、現在の大規模言語モデルの基盤となっているAIアーキテクチャ。共同創業者のリオン・ジョーンズ氏は、その原典論文の共著者の一人であり、対談ではこの構造を超える次世代アーキテクチャの探求にも言及している。
RSI Lab(再帰的自己改善ラボ)
Recursive Self-Improvement の略で、AIが自らを改善していく仕組みを専門に研究する Sakana AI 東京の組織。AIが研究を自動化する「The AI Scientist」の取り組みを引き継ぐ位置づけにある。
【参考リンク】
Sakana AI 公式サイト(外部)
東京を拠点とするフロンティアAIのR&D企業。集合知に着想を得たモデル開発を掲げ、Sakana Fugu や Namazu の研究・製品情報を公開している。
Sakana AI 会社情報(Corporate Info)(外部)
創業者や研究成果を紹介する公式の企業情報ページ。ハCEO、イトウ会長、ジョーンズCTOという経営陣の構成を確認できる。
Disrupting Japan(ポッドキャスト公式)(外部)
日本の起業家やVCに取材するポッドキャスト。本記事の一次情報であるハ氏との対談回の本編とトランスクリプトを掲載している。
Sakana AI シリーズB発表ページ(外部)
シリーズBの調達額・評価額・投資家構成を公式に発表したページ。MUFGやIn-Q-Tel など対談で触れた出資者を一次情報で確認できる。
【参考記事】
Sakana AI raises $135M Series B at a $2.65B valuation — TechCrunch(外部)
シリーズBで約1億3500万ドルを調達し、評価額が約26.5億ドルに達したと報道。対談で言及された投資家構成の裏付けとなる。
Announcing Our Series B — Sakana AI(公式)(外部)
公式発表。シリーズB総額約320億円、評価額約4320億円(約27億ドル)、累計約660億円と記載。報道値との突き合わせに用いた。
Top Japan start-up Sakana AI touts nature-inspired tech — France 24(外部)
日本最速のユニコーン到達、MUFGとの複数年提携、ハ氏の経歴など基礎情報を確認できるAFP配信記事。
David Ha, CEO of Sakana AI, talks about ‘Japanese-style AI’ — GIGAZINE(外部)
同じ対談を扱った記事。AIクレジット・オフィサーやNamazuの4工程、Sakana Chatなど本編の要点を整理し事実確認に用いた。
MUFGとSakana AIの「AI融資エキスパート」検証フェーズへ — Sakana AI(外部)
MUFGとの融資支援プロジェクトの公式発表。約100名・コア約30名体制や案件の進行段階を確認した。
Namazu(公式)── オープン基盤モデルの各国適応(外部)
Namazuの公式説明。日本適応の事後学習や、DeepSeek系の回答拒否72%がほぼ0%に改善した数値を確認した。
【関連記事】
Sakana Fugu発表、複数AIを束ねる新発想―輸出規制時代の「AI主権」とは
本記事で語られたFuguとAI主権の論点を、2026年6月22日の正式提供発表から押さえる必読の一本。
Sakana Chat 公開|DeepSeek・Llama を日本仕様に再設計した「Namazu」とは何か
対談で触れたNamazuの事後学習を、検閲解除・脱バイアスの具体例とともに詳報した記事。
Sakana AI×SMBC、複数AIエージェントで「提案書自動生成」始動
本番運用へ進むメガバンク案件の一つ、SMBC文書エージェントの中身をデイビッド・ハ氏の実名とともに解説。
【編集部後記】
この対談で意外だったのは、Fugu の仕組みや資金調達の数字を追っているうちは「テクノロジーの話」として聞いていられたのに、最後の「希望」というひと言で、急に自分のことを言われた気がしたことです。
ハ氏は、日本のイノベーションを止めているのはお金でも制度でもなく、みんなが未来をうまく楽観できていないことだ、と言いました。英語教育を強化すればいいという話でもない、むしろそれは日本を日本でなくしてしまうかもしれない、とまで。耳の痛い指摘でもあり、同時に少し救われる言葉でもありました。お金や政策ではどうにもならないと思っていたものが、「物語」や「気の持ちよう」で変えられるかもしれない、というのは、考えようによってはずいぶん前向きな話だからです。
私は普段、新しい技術に触れるとき、「これは便利そうだ」という期待と、「でも何かよくないことも起きるんじゃないか」という不安を、いつも半分ずつ抱えています。たぶん、これを読んでくださっている方の多くも同じだと思います。今回のハ氏の話で印象に残ったのは、その不安をなかったことにせず、かといって萎縮もせず、「人が責任を持つ部分を残したまま、AIに任せられるところは任せる」という線の引き方を、現場で一つひとつ確かめながら進めている姿勢でした。融資の審査でも、提案資料でも、最後の判断は人に残す。派手ではないけれど、こういう地味な設計の積み重ねが、結局いちばん信頼できるんじゃないかと思います。
希望は誰かが配ってくれるものではなくて、たぶん、こういう小さな「ちゃんとやる」の積み重ねから、じわじわと立ち上がってくるものなのかもしれません。みなさんは、自分の仕事や暮らしのなかで、最近ちょっとでも未来に楽観できた瞬間がありましたか。もしあったなら、その感覚はけっこう大事なものだと思います。私も、その小さな手応えを見逃さないようにしながら、これからも一緒に未来の話をしていけたらうれしいです。












