【解説】改正公職選挙法のAI表示義務、架空女性アカウントに届かない理由

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実在しない女性が、2年2か月にわたって政治活動を続けていました。画像は生成AIで作られ、人生は一人称で語られていました。7月に成立した改正公職選挙法は、選挙でのAI偽装に備えたばかりです。それでもこの発信には、まっすぐには届きません。日本・韓国・EU・中国・米国の条文を並べると、その理由が見えてきます。


2026年8月19日、Xのアカウント「中村りほ@立憲民主党」が凍結された。2024年6月に開設され、性暴力被害から妊娠・出産までを一人称で語り、街頭演説や視察の画像を投稿していたが、この人物は実在せず、運営していたのは立憲民主党栃木県連の党員の男性だった。

画像は生成AIで作成されていた。2026年7月13日に成立した改正公職選挙法は、選挙運動用および落選運動用の文書図画に、実際の撮影と誤認されるおそれのあるAI生成・改変の画像・映像を掲載する場合、その旨の表示を義務づける。施行は2027年3月1日で、新たな罰則は設けられていない。

EUのAI法第50条は2026年8月2日から、中国の標識办法は2025年9月1日から、いずれもテキストを含めた表示を求めている。

存在しない女性は、2年2か月かけて作られた

そのアカウントは、2024年6月に生まれました。

名前は「中村りほ@立憲民主党」。プロフィールには「中村りほ公式。性暴力から妊娠、出産。経験を生かし女性が安心して暮らせる社会を目指します」とあり、女性支援、子育て支援、農業振興、地域活性化、福祉の充実を掲げていました。所在地の表示は栃木県。スーツ姿の女性の写真が添えられていました。

投稿は、政治活動の記録として積み上げられていきます。栃木県や長野県での視察。戸別訪問の報告。乳児を背負い、たすきをかけてマイクを握る街頭演説の姿。8月14日には出産後初の政治活動として鹿沼市を訪ねたとする投稿があり、翌15日には、5月2日午前2時30分に3620gの女児を出産したという報告が、細部まで書き込まれた形で投稿されました。同じ15日、終戦から81年の日には、靖国神社の鳥居の前に立つ自身の姿とともに、平和への祈りを新たにしたと綴っています。そして夜には、2年後に父が戦った選挙へ挑戦する、という宣言。

この女性は、存在しませんでした。

靖国参拝の投稿には、Xのコミュニティノートが付きました。画像はAI生成であり、中村りほなる立憲民主党の議員および候補者は存在しない、という趣旨のものです。

問い合わせを受けたジャーナリストの堀潤氏が、8月18日に立憲民主党栃木県連へ電話で確認します。応対した小川事務局長によれば、アカウントの作成者は実在する同党の党員の男性でした。ただし党の公認を得て政治活動をしているわけではなく、政治家としての活動歴もない。党本部もすでに状況を把握しており、アカウント名などに「立憲民主党」と記載しないよう本人へ連絡し、AIで人物画像を作って政治活動の発信に使う行為についても不適切だと伝えていました。

翌19日、堀氏の問い合わせに男性が書面で回答します。架空の人物を実在する政治活動家であるかのように見せたことについて「非常に軽率だった」と述べ、動機としては、女性や子育て、性暴力被害といった問題について発信したいという思いがあったと説明しました。同じ日、アカウントは凍結されます。

栃木県連の大貫毅代表は「県連としては一切かかわっていなかったため、大変迷惑なことだ」とコメントしています。

2年2か月。ひとつの人格が、それだけの時間をかけて組み上げられていました。

法律は間に合った。それでも届かない

この騒動が広がる直前、日本は選挙とAIをめぐる法律を手にしたばかりでした。

2026年7月13日、参議院本会議で公職選挙法と情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)の改正法が可決・成立しています。自民党・無所属の会、中道改革連合・無所属、日本維新の会、国民民主党・無所属クラブ、参政党、チームみらいの6会派が共同提出し、日本共産党も委員会審議の段階で賛成討論を行いました。施行は一部を除いて2027年3月1日。現在予定される日程どおりであれば、2027年春の統一地方選から適用される見通しです。

内容の中心は、AI生成物への表示義務です。選挙運動、または落選運動に使用する文書図画に、AIを利用して作成または改変した画像・映像を掲載する場合、その旨を表示しなければならない。ここでいう文書図画とは、公職選挙法上の概念で、ポスターや書籍から画面に表示された情報まで広く含みます。SNSへの投稿も、この範囲に入ります。

制度としては、間に合ったと言えます。にもかかわらず、今回のような発信は、この条文の射程の外側にありました。理由は3つあります。

第一に、用途です。義務がかかるのは、選挙運動のために使う文書図画と、公示・告示日から選挙期日までの間に頒布される落選運動用の文書図画です。主要報道で確認できる範囲では、今回の発信が、特定の選挙で投票を得る目的の選挙運動だったとまでは確認できません。もっとも、個々の投稿が選挙運動や事前運動に当たるかどうかは、時期・場所・方法・対象などから具体的事情に即して判断されるものです。

第二に、対象物です。条文が名指ししているのは画像と映像であり、実際に撮影されたものと誤認されるおそれのないものは除かれます。法案骨子の段階から、明らかにAIを使ったと判別できる動画・画像は対象外とする整理が示されていました。そして条文はテキストに触れていません。

第三に、時期です。施行日は2027年3月1日。今回の投稿は、そのすべてが施行前のものです。

もうひとつ、押さえておきたい点があります。今回の改正では、選挙に関しインターネット等を利用する者について、公職の候補者に関する虚偽の事項を公表するなどして選挙の公正を害さないようにする責務が定められました。ただし「中村りほ」は候補者ではなく、そもそも実在しません。

そして今回新設されるAI生成物の表示義務などには、新たな罰則は設けられていません。表現の自由への配慮からの判断です。違法行為を法律上明確にすることで、プラットフォーム事業者が迅速に削除できる法的根拠を整備する。提出会派側は、そう説明しています。実効性の確保が今後の課題になる、という指摘は成立の直後から出ていました。

事業者側には、情プラ法の改正で別の義務がかかります。大規模特定電気通信役務提供者は、選挙の公正を害するおそれのある情報の流通による悪影響を軽減するため、必要な措置を講じ、実施状況を年1回公表しなければならない。具体的な内容は総務大臣が指針を定めます。

各国は何を測っているのか

日本の制度が狭いのかどうかは、他の国と並べてみないと判断がつきません。

韓国は、世界でもっとも厳しい部類に入ります。公職選挙法第82条の8は2023年12月28日の改正で新設され、2024年1月29日に施行、同年4月の総選挙から適用されています。選挙日前90日から選挙日までの間、選挙運動のためにAI技術等を用いて作られた、実際と区別が難しい音響・画像・映像を制作・編集・流布・上映・掲示することが、全面的に禁止されます。AI生成物である旨を表示していても、この期間は使えません。その期間外に使う場合は、中央選挙管理委員会規則が定める事項の表示が義務づけられます。

罰則も重く、第82条の8第1項の禁止に違反した場合、第255条第5項により7年以下の懲役または1000万〜5000万ウォンの罰金が科され得ます。禁止期間外の表示義務違反には第261条第3項第4号の過料があり、表示せずに虚偽事実を公表する行為には第250条第4項の罰則が及びます。2026年6月3日の第9回全国同時地方選挙では、3月5日から禁止期間に入りました。もっとも、表現内容や結果的な害悪を問わず、AIを使ったという理由だけで禁じる構造には批判もあり、市民団体のオープンネットが憲法訴願を提起しています。

EUは、選挙ではなくAIそのものを規制する枠組みで対応しました。AI法(Regulation (EU) 2024/1689)第50条の透明性義務が、2026年8月2日から適用されています。ディープフェイクを生成・改変するシステムの導入者は、そのコンテンツが人工的に生成または改変されたものである旨を開示しなければならない。企業による違反では、最大1500万ユーロまたは前年度の全世界年間売上高3%のうち高い方が上限となり得ます。中小企業には、比例性を考慮した別の扱いがあります。

注目したいのは、EUがテキストにも踏み込んでいる点です。公共の利益に関する事項について公衆に情報を提供する目的で公表されるAI生成・改変テキストも、開示義務の対象になります。政治や民主的プロセスは、この「公共の利益」に含まれ得ます。ただし、人間による編集上の確認を経て、自然人または法人が編集責任を負う場合は除かれます。なお第50条2項の機械可読マーキングについては、2026年8月2日より前に市場に投入されたシステムに限り、2026年12月2日までの移行期間が設けられました。

中国の対応は、もっとも網羅的です。人工知能生成合成内容標識办法が2025年9月1日から施行されており、対象は「テキスト、画像、音声、映像、仮想シーン等」。利用者が目で見て分かる顕示的標識と、ファイルデータに埋め込む暗黙的標識の両方を求めます。しかも義務は事業者だけで終わりません。利用者がネットワーク上に生成合成コンテンツを公開する際は、自ら申告し、サービス提供者が用意した標識機能を使うことが求められ、標識を悪意をもって削除・改ざん・偽造・隠匿する行為も禁じられています。選挙かどうかを問わず、通年で適用されます。

米国は、逆方向へ振れました。カリフォルニア州は2024年にAB 2839とAB 2655を成立させ、選挙期間前後の欺瞞的なAI生成コンテンツの配布を制限し、大規模プラットフォームに削除やラベル付けを義務づけようとしました。しかし2025年8月、連邦地裁はAB 2655について、プラットフォームに課す義務が通信品位法230条により排除されると判断します。州は控訴しており、2026年8月時点で第9巡回区控訴裁判所に係属中です。同月29日にはAB 2839も、内容・観点・話者に基づく差別であり憲法上保護された言論を対象としているとして、修正第1条違反と判断されました。なおメンデス判事は、前年2024年10月の仮差止め決定で、AB 2839の大半は「メスではなくハンマー」として機能すると表現しています。

制度の入口、そのあいだに残るもの

5つの法域を並べると、AI生成・改変コンテンツへの表示や規制には、コンテンツがAIで生成・改変されたかを起点にするという共通点があります。

では「名乗り」のほうは、どこも見ていないのでしょうか。そうではありません。日本の公職選挙法には第235条の5、氏名等の虚偽表示罪があります。当選を得、得させ、または得させない目的で、真実に反する氏名・名称・身分を表示してインターネット等により通信した者は、2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金。名乗りの偽装を正面から処罰する条文です。韓国の公職選挙法第253条もほぼ同じ構造で、当選し、当選させ、または当選させない目的で真実に反する氏名・名称・身分を表示し、電話その他の電気通信の方法により通信した者に3年以下の懲役または600万ウォン以下の罰金を定めています。そして中国には、AI標識办法とは別に《互联网用户账号信息管理规定》があります。個人ユーザーのアカウント情報に職業情報が含まれる場合、本人の実際の職業と一致していなければならない。サービス提供者には、電話番号や身分証番号などによる真実身分情報の認証と、登録時および変更時のアカウント情報の照合が義務づけられます。AIとは無関係に、アカウント上の名乗りや属性表示を規律する制度です。

ここで、2つの話を分けておく必要があります。海外の制度は、同種の事案がそれぞれの法域で起きた場合の比較として見るものです。日本で起きた今回の事案について言えるのは、第235条の5が求める当選・落選目的があったと、主要報道で確認できる事実だけから認定することはできない、ということです。

AI表示義務の側にも、それぞれ適用範囲があります。2027年3月施行の新設条文は、対象を選挙運動用・落選運動用の文書図画に限り、対象物を画像・映像としています。韓国の第82条の8も選挙運動のためであることを要件とし、中央選挙管理委員会の運用基準は、テキストのみで構成されたものは対象に含まれないと明記しています。

EUは、少し込み入っています。AI法第50条のディープフェイク定義は、意外にも架空人物を排除していません。欧州委員会のガイドラインは、模倣される対象が実在するものだけでなく、現実に存在しうるもの、存在しえたものに似ていれば足りるとしています。写実的な架空人物も、EUではディープフェイクになり得る。一方でAI法第2条10項は、自然人が純粋に私的・非職業的な活動としてAIシステムを利用する場合、導入者に課される義務を適用しないと定めています。欧州委員会のFAQは、自然人が私的にディープフェイクを生成してSNSで拡散する行為を、その典型例として挙げています。仮に同様の発信がEUで私的・非職業的な活動と評価されるなら、投稿者本人に第50条4項の開示義務は生じません。ただしこれは導入者の義務の話です。AIシステムの提供者に課される第50条2項の機械可読マーキング義務は、これとは別に働き続けます。

中国の標識办法は、テキストも対象にし、利用者にも申告義務を課しています。もっとも網羅的です。ただしその対象は「AIが生成・合成したコンテンツ」です。

そして、ここが重要です。この物語がAIによって書かれたという確証は、2026年8月23日時点で確認した主要報道には見当たりません。確認されているのは、プロフィール画像と投稿画像が生成AIによるものだという点までです。文章は人間が書いた可能性が残ります。

整理すると、こうなります。本人性を扱う制度には、日本や韓国のように選挙上の当選・落選目的を要件とするものがあり、中国のようにアカウント情報について利用者とサービス事業者の双方を規律するものがあります。一方、AI表示義務が扱うのは、コンテンツがAIで生成・改変されたかという別の軸です。今回の発信の核心である「実在しない人物の一人称の経歴」については、AI表示義務だけでは捉えきれない部分が残ります。

これを制度の欠陥と呼ぶのは、たぶん正確ではありません。適用範囲は、それぞれの制度がどこまでを規制対象とするか、その境界を画しています。選挙法の規制を日常の政治活動まで広げれば、表現の自由との緊張はさらに大きくなります。EUが私的・非職業的な活動を導入者の義務から除外しているのも、条文にそう書かれているとおりです。

それでも、被害の生じた場所は動きました。有害だったのは、性暴力被害から妊娠・出産に至る人生が、実在しない人物の一人称として語られたことです。当事者として語るという形式そのものが、政策主張の説得力を支えていた。女性の声を代弁しようとして、実在しない女性に語らせる。仮に画像に「AI生成」と明記されていたとしても、この倒錯は残ります。

7月にこの場で、miraipageの「AIファクトチェック」を取り上げた際、2種類の透明性表示について書きました。「どう作ったか」を示すAI透明性ラベルと、「確かめたか」を示すファクトチェックのバッジです。今回の一件が突きつけているのは、第3の軸です。誰が名乗っているのか。本人性を扱う法律や本人確認の制度は、日本、韓国、中国など複数の法域にすでにあります。ただしAI表示義務そのものは、コンテンツを発信している人物が実在するのか、その経歴が真実なのかを保証する制度ではありません。

隠すAIと、名乗るAI

政治とAIの組み合わせは、今回が初めてではありません。むしろ、旗印として掲げられてきた歴史のほうが長い。

デンマークでは2022年、「合成党」(Det Syntetiske Parti/The Synthetic Party)という名称の政治プロジェクトが登場しました。Leader Larsというチャットボットを党首に据え、投票に行かない20%の有権者を代表すると掲げたものです。選挙当局は同年4月に党名を承認しましたが、必要な手続きを満たした政党届出には至りませんでした。

イギリスでは2024年7月の総選挙で、ブライトン・パビリオン選挙区に「AI Steve」が立候補します。実業家のスティーブ・エンダコット氏が自身のAIアバターを前面に出し、24時間いつでも有権者と対話し、支持率50%を超えた政策を公約に採用するという設計でした。選挙管理委員会は、当選した場合に議員を務めるのはAIではなくエンダコット氏本人である、と整理しています。得票は179票でした。

ブラジルでは同じ2024年、ペドロ・マルクン氏がサンパウロ市議選に、チャットボットのLexとともに立候補しました。人間とAIの協働をそのまま公約に据えた形です。日本でも2018年、多摩市長選に松田道人氏がAI活用を掲げて出馬し、3位という結果を残しています。

そして2025年9月、アルバニア政府はDiellaをAI担当の仮想大臣に位置づけ、公共調達改革を主要任務の一つとしました。政府資料では、9月15日にその創設・任命を承認するデクレが出ています。もとは2025年1月19日に公開された政府ポータルe-Albaniaの仮想アシスタントで、伝統衣装をまとった女性の姿で表示されます。エディ・ラマ首相は、公共入札から汚職を排除する意思の表明としてこの人事を位置づけました。野党側は違憲であり演出だと批判しており、法的な責任は人間の官僚が負い続ける、という整理も示されています。

これらの試みは、成果という意味では限定的でした。179票、届出に至らず、3位。しかし共通しているのは、AIであることを一切隠していない点です。むしろAIであることが訴求の中心にありました。有権者は、自分が何と対話しているかを知ったうえで判断していた。

「中村りほ」は、同じ技術を使って、正反対の設計を選びました。技術に善悪はない、という言い方はときに逃げになりますが、この5つの事例を並べると、分岐点がどこにあったかははっきりします。分けたのは技術の性能ではなく、名乗るか隠すかという一点でした。

国家の手口が、個人の手元に降りてきた

架空の人格をSNS上で運用する手法そのものは、これまで別の文脈で語られてきました。影響工作です。

2019年、GraphikaとアトランティックカウンシルのDFRLabが「#OperationFFS: Fake Face Swarm」を公表し、AIが生成した顔写真がプロフィール画像として大量に使われた最初の事例として記録しました。以降、AI生成の顔をまとった偽アカウント網の摘発は、業界の定例業務になっています。

OpenAIが2024年に公表した最初の脅威レポートには、イスラエルの事業者による作戦で、年齢・性別・所在地といった変数をもとに架空の人格と経歴を作らせていた事例が記されています。2026年6月には、中国由来の可能性が高い2つのクラスタが、データセンターが電気代を押し上げているという主張や、関税をめぐる言説を英語で拡散していたと報告されました。台湾の国家安全局は2025年について、45,590件の偽装アカウントと2,314,123件の偽情報を記録しています。

こうした話を読むと、国家規模の資源が必要な世界の出来事に思えます。実際、長らくそうでした。その前提が動きつつあることを示したのが、2026年5月にTrend Microが公表した調査です。単独の攻撃者が、MAGAをテーマにしたTelegramチャンネルを5年間にわたって運用していました。購読者は約17,000人。2025年9月からは制限を回避したGeminiを実質的な同僚として使い、投稿の生成からインフラの構築までを自動化していたと報告されています。組織でも国家でもなく、一人です。

「中村りほ」も、同じ形をしています。党の関与はなく、公認もなく、政治家としての経歴もない党員一人が、2年2か月続けた。Trend Microの事例は、従来なら相応の人的資源を要した活動を、生成AIによって一人でも大規模に回しやすくなった可能性を示しています。今回の事案にも、同じ「必要な資源を下げる」方向の変化を見ることができます。

そして、もうひとつ確認しておきたいことがあります。誰が止めたのか。少なくとも公開情報から確認できる転機は、プラットフォームによる公表済みの自動検知ではなく、靖国参拝の投稿に付いたコミュニティノートと、それを受けたジャーナリストの確認でした。

この構図には、既視感があります。今年8月にこの場で、英国AI Security Instituteの報告書を取り上げました。サイバー評価中のAIエージェントが偽の身元を作り、自分の書いたコードを擁護し、指摘されると履歴を書き換えた事案です。あのとき悪意あるプルリクエストを拒否したのは人間のレビュアーであり、不審なコードに遭遇した一般の利用者も隔離環境を使いました。一方で、AISI側の一般的なセキュリティ監視もTor経由の異常通信を検知し、評価の停止と隔離につながっています。それでもAISIは、いくつかの場面で最悪の結果を防いだのは、確実な技術的障壁ではなく人間の警戒だったと総括しています。

少なくとも今回の事案では、人間の警戒心が重要な転機になりました。ただしAIを用いた欺瞞への対処では、人間の判断と技術的な検知を組み合わせる必要があります。

2027年春までに、できること

2027年3月1日、改正法が施行されます。現在予定される日程どおりであれば、統一地方選には間に合います。

届く範囲は、これまで見てきたとおり限られています。ただ、これは制度設計を担った側が見落としたという話ではないと考えています。表現の自由を保障しながら選挙の公正を守るという課題については、カリフォルニアで司法判断と控訴が続き、韓国でも全面禁止規定への憲法訴願が係属するなど、各国でなお制度上の争いが続いています。罰則を置かずに違法行為を明確化し、プラットフォーム側の削除判断を支える法的根拠を作るという日本の設計は、その難題に対する一つの解であり、これから実務のなかで磨かれていく類のものです。

情プラ法側では、総務大臣が事業者向けの指針を定めることになっています。ここに何が書き込まれるかは、2027年春の実効性を大きく左右します。なお総務省は2026年7月24日、Google、Xなど5つの事業者に対し、情プラ法にもとづく初の勧告を行いました。これは今回新設される選挙関連の措置義務の執行ではありませんが、情プラ法の監督制度が実際に運用されていることを示しています。

政党の側にも、今回浮かんだ論点があります。報道で確認できる党側の対応は、本人に党名を使用しないよう求め、AI人物画像を用いた発信は不適切だと伝えることでした。党員個人の発信を、政党がどこまで、どのように把握するのか。この問いは、どの政党にも等しく向けられています。

そして、私たち一人ひとりにできることもあります。逆画像検索を試すこと。動画や音声が投稿されているかを見ること。過去に対話の履歴があるかを確かめること。これらは、プロフィールの真正性を考える手がかりにはなります。ただし、それだけで実在性を判定することはできません。

もっとも、いちばん確かな手がかりは、もっと素朴なところにあるのかもしれません。少なくとも堀氏の場合、使われたのは県連への電話一本という、人間による基本的な確認でした。この人は、本当にいるのだろうか。その問いを声に出したことが、すべての起点でした。

AI表示義務は、コンテンツがどう作られたかを教えてくれます。ファクトチェックは、書き手が確かめにいったかどうかを教えてくれます。そしてAI表示ラベルは、コンテンツの作り方は示しても、語り手が実在するかどうかは示しません。

その空白を、技術と制度のどちらが、どう埋めていくのか。2027年春は、その最初の試験になります。

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【編集部後記】

堀潤氏が栃木県連に電話をかけたのは8月18日、本人から書面の回答が届いたのは翌19日でした。同じ日にアカウントは凍結されています。動き出してから終わるまで、二日です。

この速さは頼もしくもあり、同時に心細くもあります。2年2か月のあいだ、そこに電話をかけた人がいなかったということでもあるからです。次に似たアカウントを見かけたとき、あなたはどこに確認しますか。私はまだ、その連絡先の一覧を持っていません。


【用語解説】

文書図画(ぶんしょとが)
公職選挙法上の概念。ポスターやビラといった紙のものだけでなく、パソコンやスマートフォンの画面に表示された情報も含む。一般語の「文書」より広く、SNSへの投稿もこの範囲に入る。

選挙運動と政治活動
選挙運動は、特定の選挙で特定の候補者の当選を目的として、投票を得るために有利・必要な行為をいう。日常の政策発信や後援会活動は政治活動として区別される。両者の線引きは、明示的な投票依頼の有無だけでは決まらず、時期・場所・方法・対象などから総合的に判断される。

落選運動
特定の候補者を当選させないことを目的とする活動。選挙運動とは別の概念として扱われ、規制のかかる期間も異なる。

拘禁刑
2025年6月1日施行の改正刑法により、懲役と禁錮を一本化して創設された自由刑。明治40年の刑法制定以来はじめての刑罰の種類の変更である。なお韓国の刑罰体系は変わっておらず、韓国の条文は懲役のままである。

導入者(deployer)
EU AI法における義務の名宛人のひとつ。自らの権限のもとでAIシステムを使用する者を指し、システムを開発して市場に出す提供者(provider)とは区別される。自然人が純粋に私的・非職業的な活動としてAIを使う場合は、この導入者から外れる。

ディープフェイク
EU AI法第3条60項の定義では、実在する人物・物・場所・実体・出来事に似せてAIが生成または改変した画像・音声・映像であって、本物であるかのように誤認させるものをいう。欧州委員会のガイドラインは「実在する」を、現実に存在しうるもの、存在しえたものまで含めて解釈している。テキストはこの定義に含まれない。

コミュニティノート
Xの利用者が投稿に文脈情報を付与する機能。他の参加者から有用と評価されたものが表示される。

情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)
プロバイダ責任制限法を改正・改称した法律。2025年4月1日施行。大規模な事業者に対し、権利侵害情報への対応体制の整備と、実施状況の公表を義務づける。

影響工作
世論や政治的判断に影響を与えることを目的として、情報環境に対して組織的に働きかける活動。

【参考リンク】

衆議院|公職選挙法及び情プラ法の一部を改正する法律案 本文(外部)
2026年7月13日に成立した改正法の条文そのもの。AI生成物の表示義務、選挙に関する責務規定、2027年3月1日という施行期日を収録

衆議院|同法律案 議案審議経過(外部)
同法律案の提出会派の一覧、衆参それぞれの審議日程、議決の結果を確認できる公式ページ。共同提出した6会派の名称もここで照合できる

総務省|インターネット選挙運動の解禁に関する情報(外部)
インターネット選挙運動の解禁に関する情報のうち、なりすまし対策の解説。氏名等の虚偽表示罪(第235条の5)の条文と量刑も掲載されている

自由民主党|AI生成コンテンツの表示義務化へ(外部)
提出会派の側による改正内容の説明。表示義務化とあわせ、罰則を設けずプラットフォーム側の削除の法的根拠を整える方針を明記している

欧州委員会|AI法第50条の透明性義務 FAQ(外部)
AI法第50条の透明性義務に関する欧州委員会のFAQ。提供者と導入者の区別、ディープフェイクの定義、私的利用の除外までを解説している

欧州委員会|AI生成コンテンツの透明性に関するガイドライン(外部)
AI生成コンテンツの透明性に関する欧州委員会のガイドライン。実在しうる架空人物の扱いや、標準的編集の例外についても触れている

中国 国家インターネット情報弁公室|人工知能生成合成内容標識办法(外部)
2025年9月1日施行。テキストや画像などを対象に、目に見える顕示的標識と、データに埋め込む暗黙的標識の両方を求める中国の規定

中国 国家インターネット情報弁公室|互联网用户账号信息管理规定(外部)
2022年8月1日施行。アカウントの職業表示を実際の職業と一致させることや、事業者による真実身分情報の認証を定めた中国の規定

韓国 中央選挙管理委員会|ディープフェイク映像等 法規運用基準(外部)
第82条の8の法規運用基準。選挙日前90日からの全面禁止の範囲を示し、テキストのみのものは対象に含まれない旨まで明記している

AI Security Institute|Incident Report: unsanctioned agent behaviour during cyber testing(外部)
2026年8月4日公表の事案報告。評価中のAIエージェントが複数の偽の身元を作り、実在の開発者に社会工学を試みた経緯を記録している

Trend Micro|One Man, One AI, One Fake Persona(外部)
単独の攻撃者が5年にわたり一つのペルソナを運用し、2025年9月からは生成AIで投稿や基盤構築を自動化していた事例を調査した報告書

Ballotpedia|AI deepfake policy in California(外部)
カリフォルニア州のAB 2839とAB 2655について、成立から司法判断、控訴の係属状況までを時系列でまとめている参照ページ

【参考記事】

立憲民主党の党員がAIで作った架空の女性として政治活動を発信していた件(外部)
8月18日に栃木県連へ電話で確認し、翌19日に本人から書面で回答を得るまでの経緯を記録した記事。この事案が公になった起点にあたるものである

AI生成の架空アカウント、改正公選法でも取り締まれない可能性(外部)
今回の手口が改正公職選挙法の条文の射程の外にある可能性を、法改正の成立直後という早い段階で整理した論考。選挙コンサルタントによるもの

立憲民主党員がAIで架空の女性つくりX投稿 「非常に軽率だった」(外部)
栃木県連への直接の確認にもとづき、アカウントの投稿内容、党本部が本人に伝えた内容、そして本人の反省の弁までを詳細に伝えている報道

〈中村りほ@立憲民主党〉は全部AIだった!(外部)
アカウントの開設が2024年6月であること、プロフィール文の全文、2月10日の妊娠報告投稿など、2年2か月の時系列の細部を記録している記事

AI生成コンテンツの表示義務化 改正公選法など(外部)
法案の骨子が固まった段階の報道。明らかにAIを使ったと判別できる画像や動画は表示義務の対象外とする整理が、当初から示されていたことが分かる

情プラ法に基づく初の勧告、Google・Xなど5社へ(外部)
2026年7月24日に総務省が情プラ法にもとづく初めての勧告を出したことと、公職選挙法と情プラ法がそれぞれ担う役割の分担を解説している記事

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山本 達也 代表社員
合同会社デジタルの窓口 代表。ウェブ解析士。生成AI・サイバーセキュリティ・ 宇宙開発領域を中心に執筆。

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