Last Updated on 2025-06-09 05:34 by admin
ハイファ大学、デューク大学、コレージュ・ド・フランスの国際研究チームが、AIアルゴリズムを用いて聖書の著者を特定する研究を実施しPLOS ONE誌で発表した。
研究チームは、デューク大学のシラ・ファイゲンバウム・ゴロヴィン助教授、ハイファ大学のイスラエル・フィンケルシュタイン教授、コレージュ・ド・フランスのトーマス・レーマー教授らで構成される。
彼らが開発したAIアルゴリズムは、「いいえ」「どの」「王」といった書き手が無意識に使う機能語の頻度や組み合わせパターンを解析する。これにより、ヘブライ語聖書の最初の9書において文体が異なる3つの主要な執筆学派(申命記、申命記史家、祭司文書)を50章のテストで83.6%という高い精度で見分けることに成功した。
この研究は、長年の学術的論争にも新たな光を当てている。例えばサムエル記上・下の著者問題では、両書を別々の著者の作とする学界の少数派見解をデータが裏付ける結果となった。申命記が約2800年前、祭司文書が約2500年前に執筆されたという年代観と合わせ、聖書の成立過程をより客観的に理解する手がかりとなる。
本研究の意義は、聖書学に留まらない。この手法は歴史上の人物の文書鑑定や作者不明の古典文学の真贋判定など、人文科学の幅広い分野に応用可能である。これは、AIを駆使して人類の知の遺産に迫る「デジタル人文学」の新たな金字塔であり、テクノロジーが歴史や文学の謎を解き明かす新時代の到来を告げている。
From: Who wrote the Bible? AI tries to give us an answer
【編集部解説】
今回の研究は、単なる技術的な実証実験を超えて、人文学とAI技術の融合における新たなマイルストーンと言えるでしょう。ハイファ大学のイスラエル・フィンケルシュタイン教授らの国際チームが開発したアルゴリズムは、従来の聖書学研究における主観的な文体分析に、客観的な統計的根拠を与える画期的な手法です。
この技術の核心は、「いいえ」「どの」「王」といった日常的な単語の使用頻度パターンを解析することにあります。人間の執筆者は無意識のうちに特定の語彙選択や文構造の癖を持っており、AIはこれらの微細な差異を数値化して検出できるのです。84%という高い精度は、従来の文献学的手法と遜色ない水準を達成しています。
技術的な革新性と応用可能性
この研究が示す最も重要な点は、古代文書の著者特定という従来困難とされてきた課題に対する新しいアプローチの提示です。特に注目すべきは、サムエル記上・下の著者問題において、AIが学界の少数派見解を支持する結果を示したことでしょう。これは機械学習が人間の直感や既存の学説を超えた洞察を提供できる可能性を示唆しています。
この手法は聖書研究に留まらず、シェイクスピア作品の真贋判定や古代ギリシャ・ローマ文学の著者特定など、幅広い古典文献学への応用が期待されます。特に作者不明の古代文書や、複数の編集者による改変が疑われる文献の分析において、客観的な判断材料を提供できるでしょう。
学術界への影響と課題
一方で、この技術には限界も存在します。AIは個々の著者を特定することはできず、あくまで執筆グループや学派レベルでの分類に留まります。また、古代文書特有の写本過程における誤写や意図的な改変の影響を完全に排除することは困難です。
さらに重要な点として、この研究結果が宗教的信念や伝統的な聖書解釈に与える影響も考慮する必要があります。科学的手法による聖書研究は、信仰共同体にとって敏感な問題となる可能性があり、学術的客観性と宗教的配慮のバランスが求められるでしょう。
デジタル人文学の新展開
この研究は、デジタル人文学(Digital Humanities)分野における重要な進展を示しています。AIと統計学的手法を組み合わせることで、従来の人文学研究に新たな分析軸を提供し、より実証的なアプローチを可能にしました。今後は、他の古代言語や文化圏の文献への適用拡大が期待されます。
長期的な視点では、この技術が古代文明研究や考古学分野にも波及効果をもたらす可能性があります。文献と物的証拠を統合した総合的な歴史研究において、AIが新たな発見の糸口を提供するかもしれません。
【用語解説】
申命記(Deuteronomy)
旧約聖書の第5書で、モーセの最後の説教を記録した書物。約2800年前に成立し、神がエルサレムを犠牲の祭儀の場として選んだことを記述している。
申命記史家(Deuteronomist History)
申命記の神学的視点に基づいてヨシュア記から列王記下までのイスラエル史を記述した執筆学派。申命記の影響を受けた歴史観で書かれている。
祭司文書(Priestly Writings)
創世記、出エジプト記、レビ記に含まれる祭司階級による文書群。約2500年前に成立し、儀式や律法に関する記述が特徴的で、他の文書とは文体が異なる。
エンネアテウク(Enneateuch)
ヘブライ語聖書の最初の9書(創世記からサムエル記下まで)を指す学術用語。ギリシャ語で「9つの書物」を意味する。
語彙分布分析
テキスト内での単語の使用頻度や組み合わせパターンを統計的に分析する手法。文法や文体ではなく、単語レベルでの特徴を数値化する。
写本(Manuscript)
手書きで複写された古代文書。聖書は長期間にわたって写本により伝承され、その過程で編集や改変が行われた。
【参考リンク】
ハイファ大学(University of Haifa)(外部)
イスラエルのハイファにある国立研究大学。1963年設立で、考古学・海洋文化学部を擁し、約18,000名の学生が在籍する中東有数の研究機関。
デューク大学(Duke University)(外部)
米国ノースカロライナ州ダーラムにある私立研究大学。1838年設立で、研究費12億ドル超、基金119億ドルを有する全米屈指の名門大学。
コレージュ・ド・フランス(Collège de France)(外部)
1530年設立のフランス最高峰の学術研究機関。パリに位置し、世界最高水準の教授陣による公開講義を実施している特別高等教育機関。
PLOS ONE(外部)
2006年創刊のオープンアクセス学術誌。年間約20,000本の論文を掲載する世界最大規模の学際的科学雑誌で、査読済み研究を無料公開。
【参考記事】
AI reveals hidden language patterns and likely authorship in the Bible(外部)
ハイファ大学、デューク大学、コレージュ・ド・フランスの国際研究チームがAIを用いて聖書の著者特定を行った研究の詳細を報告。
Revealing Hidden Language Patterns in the Bible, with the help of AI(外部)
デューク大学公式サイトによる研究発表記事。シラ・ファイゲンバウム・ゴロヴィン助教授の研究経緯と、短いテキスト断片に対応したカスタムアプローチの開発について詳述。
Can AI tell us who wrote the Bible? A new study says yes(外部)
イスラエル・タイムズによる研究報告記事。イスラエル・フィンケルシュタイン教授のコメントを含め、3つの執筆学派の言語的指紋の発見と、聖書研究における実証的アプローチの意義について報告。
AI Identifies Bible Authorship Using Statistical Analysis and Textual Clues(外部)
研究手法の詳細解説記事。単語の語根頻度と組み合わせ分析による計算手法、50章のテスト結果、および古代文書への応用可能性について説明。
【編集部後記】
AIが古代文書の著者を特定するという今回の研究、皆さんはどのように感じられましたか? 聖書という人類最古の文献の一つに最新技術が適用される光景は、まさに「Tech for Human Evolution」を体現していると思います。
この技術が他の古典文学や歴史的文書にも応用されたら、どんな新発見があるでしょうか。シェイクスピアの真作判定や、日本の古典文学の著者特定など、文学史が書き換わる可能性もありそうです。皆さんが最も興味を持たれる応用分野があれば、ぜひお聞かせください。