バルセロナ自治大学(UAB)の動物バイオテクノロジー・遺伝子治療センター(CBATEG)の研究チームは、代謝因子FGF21を骨格筋に産生させる遺伝子治療を1回投与することで、老齢および超高齢のマウスのヘルススパンを延ばせることを示した。
研究はファティマ・ボッシュ教授が主導し、2026年6月15日にMolecular Therapy誌に掲載された。アデノ随伴ウイルスベクター(AAV)を用い、高齢の雄・雌マウスに1回の筋肉内注射を行ったところ、平均余命が20.54%延伸したと報告されている。脂肪組織、肝臓、腎臓、心臓、脳、筋肉などで老化に伴う劣化の低減が認められたという。
同研究グループはこのAAV-FGF21遺伝子治療がマウスのMASHを改善することも示しており、この技術はKriya Therapeuticsにより臨床応用に向けた開発が進められている。
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A gene therapy prolongs health span and preserves the function of organs in mice during aging
【編集部解説】
「老化を治療する」という言葉が、ついに動物実験の具体的なデータとして語られる段階に入りました。今回のバルセロナ自治大学(UAB)の研究が示したのは、たった1回の注射が、すでに寿命の後半に差しかかったマウスの体を、複数の臓器にわたって若く保ったという事実です。私たちが注目したいのは、この介入が「老化が始まる前」ではなく「すでに老いた個体」に対して行われた点にあります。
仕組みはシンプルです。FGF21という代謝を司るホルモンの遺伝子を、運び屋となるウイルスベクター(AAV)に載せ、脚の筋肉に注射します。すると筋肉がFGF21を作り続ける「工場」となり、全身に効果が及びます。Lifespan.ioの解説によれば、投与は生後13か月(ヒトでいえば中年期にあたります)の時点で行われ、血中のFGF21濃度は生後26か月まで持続的に高い状態が保たれました。一度の処置で効果が一生続く可能性がある、という点が従来の薬剤との大きな違いです。
ここで数字を正確に押さえておきます。プレスリリースが掲げる「平均余命20.54%延伸」について、Lifespan.ioは寿命の中央値が28か月から34か月へ延びたと報じ、これを20.5%の増加と表現しています。なお、UABは「平均余命(life expectancy)」、Lifespan.ioは「寿命の中央値(median lifespan)」という語を用いており、厳密には指標が異なる点に留意が必要です。いずれにせよ重要なのは、餌の量は変わらないのに体重が若いマウス並みに戻った点です。つまり「食べる量を減らした」効果ではなく、エネルギーの使い方そのものが変わったことを意味します。
効果は一つの臓器にとどまりませんでした。脂肪、肝臓、腎臓、心臓で老化に伴う線維化やアミロイド沈着が抑えられ、脳では生後2か月の若い個体に匹敵する記憶力が保たれたといいます。共通する分子レベルの変化として、ミトコンドリア(細胞のエネルギー工場)の機能向上が全身で確認されました。老化を臓器ごとの個別現象ではなく、全身のエネルギー代謝という一本の軸でとらえ直した点に、この研究の視座の高さがあります。
このニュースが持つ意味は、研究室の外にも広がっています。FGF21は近年、製薬業界が最も熱視線を注ぐ標的の一つです。2025年9月にはRocheがFGF21アナログ「ペゴザフェルミン」を持つ89bioを最大35億ドルで買収することに合意し、その後10月に取得手続きが進められました。続く10月には、Novo NordiskがAkeroを最大52億ドルで取得することに合意しています。いずれもMASH(代謝機能障害関連脂肪肝炎)という肝疾患の治療を見据えた動きです。今回の遺伝子治療を実用化するKriya Therapeuticsには、研究を主導したファティマ・ボッシュ教授が科学諮問委員会メンバーとして名を連ねており、同社はMASH向けにこのAAV-FGF21遺伝子治療(KRIYA-497)の臨床開発を進める計画を示しています。なお、元となったUABの発表は「FDAが臨床試験の実施を認め、2026年に開始予定」と伝えていますが、この点を裏づける独立した一次情報は現時点で確認できておらず、慎重に見ておく必要があります。それでも、基礎研究と巨額の産業投資が、同じFGF21という分子の上で交差している構図は揺らぎません。
一方で、過度な期待は禁物です。冷静に見るべき点が少なくとも二つあります。第一に、これはあくまでマウスの結果であり、ヒトでの寿命延伸を保証するものではありません。第二に、Lifespan.ioが鋭く指摘しているように、寿命をはじめとする多くの実験で使われたのは主に雄のマウスでした。雌でも認知機能などで改善はみられたものの、データは限定的です。性差は薬の効き方を大きく左右することがあり、この点は今後の検証課題として残ります。
安全性についても触れておく価値があります。FGF21は過去の研究で骨量減少との関連が指摘されてきました。しかし今回は1年以上にわたって濃度が高い状態が続いたにもかかわらず、骨形成・骨吸収のマーカーに変化はみられませんでした。研究チームはこれを、生まれつきではなく成体になってから筋肉に限定して発現させた違いによるものと考えています。投与のタイミングと場所を制御することが、安全性の鍵を握る可能性を示唆しています。
最後に、長期的な視点を述べます。仮にこの技術がヒトに応用されれば、「病気になってから治す」医療から「老化そのものを遅らせて病気を未然に防ぐ」医療への転換点になりえます。同時に、誰がその恩恵を受けられるのかという公平性の問題や、遺伝子を体内で恒久的に働かせることへの規制の枠組みなど、社会が向き合うべき問いも生まれます。innovaTopiaが今この研究を取り上げるのは、それが単なる長寿の夢物語ではなく、すでに産業と規制を巻き込んで動き始めた「人類の進化」の現在地を映しているからにほかなりません。
【用語解説】
FGF21(線維芽細胞増殖因子21/fibroblast growth factor 21)
肝臓や脂肪、筋肉などから分泌される代謝調節ホルモンの一種である。血糖や脂質の代謝、エネルギー消費を制御し、インスリン感受性を高める働きを持つ。空腹時などに分泌が高まり、全身のエネルギー利用を調整する「司令塔」のような役割を担う。
AAV(アデノ随伴ウイルスベクター/adeno-associated viral vector)
目的の遺伝子を細胞へ運ぶ「運び屋」として用いられるウイルス由来のツールである。病原性が低く、長期間にわたって遺伝子を発現させられるため、遺伝子治療で広く使われる。
MASH(代謝機能障害関連脂肪肝炎)
肥満や糖尿病などの代謝異常に関連して、肝臓に脂肪が蓄積し炎症や線維化を起こす疾患である。2023年6月、AASLD・EASL・ALEHなど国際的な肝臓学会の合意により、従来のNASH(非アルコール性脂肪肝炎)に代わる名称として用いられるようになった。進行すると肝硬変や肝がんのリスクが高まる。
アミロイドーシス(amyloidosis)
異常なタンパク質(アミロイド)が臓器に沈着し、機能を損なう病態である。加齢に伴って心臓や腎臓などで生じやすく、本研究では治療群でその沈着が抑えられた。
線維化(fibrosis)
臓器の組織が硬く変質し、本来の柔軟性や機能を失う現象である。加齢や慢性的な障害に伴って進行し、心臓・肝臓・筋肉などで見られる。
プロテオスタシス(proteostasis/タンパク質恒常性)
細胞内でタンパク質が正しく合成・折りたたまれ、不要なものが分解される一連のバランスを指す。この恒常性の乱れは老化の特徴の一つとされる。
トランスクリプトーム解析(transcriptomic analysis)
細胞や組織で「どの遺伝子が、どれだけ働いているか」を網羅的に調べる手法である。治療がどの分子経路に作用したかを明らかにする目的で用いられた。
【参考リンク】
Universitat Autònoma de Barcelona(UAB)ニュースルーム(外部)
本研究を発表したスペイン・カタルーニャ州の公立大学。元記事を掲載した公式ニュースルーム。
Molecular Therapy(参照論文ページ/ScienceDirect)(外部)
遺伝子治療分野を代表する学術誌に掲載された本研究の原著論文。著者と概要を確認できる。
Kriya Therapeutics(外部)
本技術のMASH向け臨床応用を担う米国の遺伝子治療企業。一回投与型のパイプラインを開発する。
CBATEG(動物バイオテクノロジー・遺伝子治療センター/UAB)(外部)
本研究が行われたUABの研究センター。代謝性疾患の遺伝子治療を多分野から研究する拠点。
【参考記事】
Late-Life Gene Therapy Boosts Lifespan in Mice by 20%(Lifespan.io)(外部)
生後13か月で投与、寿命中央値が28→34か月へ。雄中心の試験設計など留保点も指摘する詳細解説。
FGF21 agonist for MASH: Current Status(Biopharma PEG)(外部)
FGF21医薬の業界動向をまとめ、RocheやNovo NordiskによるFGF21関連企業の大型買収を伝える。
Single-dose gene therapy extends healthy lifespan in older mice(News-Medical.net)(外部)
心臓での線維化・アミロイドーシス回避や、過去のMASH研究からの一連の流れを伝える報道。
Gene therapy prolongs health span and preserves the function of multiple organs in mice during aging(Medical Xpress)(外部)
27か月の薬理学的研究であることや、ヘルススパン関連指標での持続的効果を整理した科学ニュース。
Targeting fibroblast growth factor (FGF)-21(Frontiers in Pharmacology)(外部)
天然型FGF21の半減期の短さや、FGF21アナログの臨床試験データを概観したレビュー論文。
Roche to acquire 89bio and its phase 3 FGF21 analog for MASH(Roche)(外部)
2025年9月に最大35億ドルで89bioを買収する合意を伝えるRocheの公式リリース。
Multinational Liver Societies Announce New “Fatty” Liver Disease Nomenclature(AASLD)(外部)
2023年6月のNASH→MASH、NAFLD→MASLDへの命名見直しを伝える肝臓学会の公式リリース。
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【編集部後記】
「老いを治療する」という発想に、みなさんはどんな感覚を抱かれたでしょうか。今回の研究はまだマウスの段階ですが、すでにその寿命の後半に差しかかった個体に効果が見られた点は、私たち自身の未来とも無関係ではない気がします。
もし健康に過ごせる時間を延ばせる技術が現実になったとき、それを誰がどう使うべきか、そして自分自身は受けてみたいと思うか――。よろしければ、みなさんも一度考えてみてください。












