11月6日【今日は何の日?】「Klotho遺伝子の発見」——老化研究が開いた人類の問い

[更新]2025年11月7日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1997年11月6日、英科学誌Natureに一本の論文が掲載されました。日本の黒尾誠博士らの研究チームによるものです。彼らは別の遺伝子を導入したトランスジェニックマウスを作ろうとしていました。ところが、遺伝子が染色体に挿入される際、偶然にも別の遺伝子を破壊してしまったのです。

生まれたマウスは、生後3〜4週間で急速に老化し始めました。動脈硬化、骨粗鬆症、皮膚の萎縮、不妊。まるで早送りされた老化のような症状です。研究チームはこの遺伝子を、ギリシャ神話で生命の糸を紡ぐ運命の女神にちなんで「Klotho(クロトー)」と名付けました。マウスで欠損すると急激な老化を引き起こし、過剰発現すると寿命が延びる。この発見は、偶然の産物でした。

28年が経過した今日——2025年11月6日——Klotho研究は着実に進展しています。マウスでは寿命が約20%延び、サルでは認知機能が改善し、人間での臨床試験が来年開始される予定です。老化を遅らせる技術が、現実のものとなりつつあります。

失敗が開いた扉

黒尾誠博士は、1991年に国立精神神経センターで高血圧モデルマウスの開発を目指していました。トランスジェニックマウスを作製する実験で、意図しない遺伝子の破壊が起こります。生まれたマウスは、一見すると普通でした。しかし、生後数週間で異変が現れます。皮膚は薄く萎縮し、骨はもろく、血管には石灰化が見られました。寿命は正常なマウスよりも著しく短く、通常8〜9週で死亡しました。

研究チームは、破壊された遺伝子を特定します。その遺伝子が作り出すタンパク質は、主に腎臓で発現し、リン酸代謝に関わっていることが判明しました。しかし、なぜリン酸代謝の異常が、これほど広範な老化症状を引き起こすのか?

2005年、重要な発見がありました。Klothoタンパク質は、骨から分泌されるホルモン「FGF23」の受容体として機能していたのです。このFGF23とKlothoの連携システムは、体内のリン酸濃度を精密に調節しています。リン酸の過剰な蓄積が、老化を促進する可能性が示唆されました。

興味深いことに、Klothoタンパク質には2つの形態があります。細胞膜に結合した形と、血液中に分泌される形です。分泌型のKlothoは、インスリンやIGF-1といった成長因子のシグナルを抑制し、酸化ストレスを軽減する働きを持つことが分かってきました。つまり、Klothoは複数の経路を通じて老化プロセスに影響を与えているのです。

実用化への道

今年2月、スペインの研究チームが画期的な成果を発表しました。マウスにKlotho遺伝子治療を施したところ、寿命が19.7%延長され、筋力、骨密度、認知機能が改善されたのです。2023年には、サル(霊長類)を用いた実験でも、認知機能の向上が確認されています。

米国のバイオテクノロジー企業Klotho Neurosciences社は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)治療を目的としたKlotho遺伝子治療の臨床試験を、来年2026年第3四半期に開始する予定です。これは「老化そのもの」を対象としたものではなく、特定の神経変性疾患への応用ですが、人間でのKlotho治療の最初の一歩となります。

ただし、マウスでの成功が、必ずしも人間での成功を意味するわけではありません。過去にも、動物実験で劇的な効果を示したが、人間では効果がなかった例は数多くあります。長期的な安全性も未知数です。Klotho治療を受けた人が、10年後、20年後にどうなるのか。私たちにはまだ、答えがありません。

変わりゆく「老い」の風景

日本の現状は、未来を先取りしているのかもしれません。2024年、日本の高齢化率は29.3%に達しました。しかし日本老年学会は「75歳以上を高齢者の新定義とする」ことを提案しています。なぜなら、65〜74歳の多くは心身の健康が保たれており、活発な社会活動が可能だからです。実際、65〜69歳の就業率は過去最高を更新し続けています。

日本の高齢就業者数は、2022年に912万人と過去最多を記録しました。65歳以上の就業率は25.2%で、主要国の中でも高い水準です。私たちはすでに「長く働く社会」へと移行しつつあります。

現在の日本人の健康寿命は、男性が約73歳、女性が約75歳です(2019年時点)。もしこれが100歳を超えるとしたら?「教育」「労働」「引退」という従来の3ステージモデルは、もはや機能しなくなるかもしれません。70歳で第二のキャリアを始める、80歳で新しい学びに挑戦する。これが「普通」になる可能性があります。

医療技術の歴史は、格差の歴史でもありました。2021年のCOVID-19ワクチンでは、高所得国49カ国で3,900万回の接種が行われた一方、最貧国ではわずか25回しか接種されませんでした。新しい医療技術の普及初期段階では、格差が最も大きくなる傾向があります。

ただし、希望もあります。米国のVFC(Vaccines for Children)プログラムは、1994年以降、経済的に恵まれない子どもたちに無料でワクチンを提供してきました。2023年時点で、18歳以下の子どもの約54%がこのプログラムの恩恵を受けています。WHOの拡大予防接種計画(EPI)は、開発途上国のワクチン接種率を15年間で5%から80%に引き上げました。

運命の糸を紡ぐのは

1997年11月6日、偶然の発見から始まったKlotho研究は、28年の時を経て、新たな段階に入ろうとしています。アルツハイマー病、パーキンソン病、心血管疾患——これらの老化関連疾患に苦しむ人々にとって、この研究は一筋の光です。

Klotho——生命の糸を紡ぐ女神の名を持つこの遺伝子が、どんな未来を紡ぐのか。それは技術ではなく、私たちの選択によって決まるのではないでしょうか。


【Information】

参考リンク:

用語解説:

Klotho(クロトー)遺伝子 – 1997年に黒尾誠博士らが発見した、老化に関わる遺伝子。ギリシャ神話の運命の女神「クロトー」に由来します。主に腎臓で発現し、リン酸代謝やカルシウム代謝の調節に関与します。

健康寿命 – 日常生活に制限のない、健康な状態で過ごせる期間。平均寿命とは異なり、「健康に生きられる期間」を示します。日本人の健康寿命は男性約73歳、女性約75歳です(2019年時点)。

FGF23(線維芽細胞増殖因子23) – 骨から分泌されるホルモンで、Klothoタンパク質と結合して腎臓でリン酸排泄を促進します。Klothoはこのホルモンの受容体として機能します。

トランスジェニックマウス – 外部から特定の遺伝子を導入されたマウス。遺伝子の機能を研究するために用いられます。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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