メモリ価格の高騰は、この2年でスマートフォンやゲーム機だけでなく、VRヘッドセットの価格まで押し上げています。自社は9月12日、Steam Frameの価格設定について「メモリ危機の続きを辿るのか」という問いを投げかけました。Valve自身の言葉は、目標未達を率直に認めるものでした。一方で、その周辺で語られる「VRはまだ1980年代のパソコンの時代だ」という擁護論は、実はValve自身の発言ではありません。VRは本当にまだ「早すぎる」だけなのか、それとも構造的に高価格帯にとどまり続けるニッチなのか——業界内で交わされている、もうひとつの議論を追ってみたいと思います。
Valveは2026年9月14日、VR向けヘッドセット「Steam Frame」の価格を発表した。価格は256GBモデルが1,059ドル、1TBモデルが1,299ドルで、両モデルとも本体・コントローラーに加えWi-Fi 6E無線アダプター、『Half-Life: Alyx』のスタンドアロン版が同梱される。BBCの取材に対し、Valveの開発者ジェレミー・セラン(Jeremy Selan)氏は、当初Valve Index(999ドル)を下回る価格を目指していたが世界的なRAM市場の混乱の影響を受けたと説明し、「この価格にまで持ち込むのに、相当苦労した」と述べた。実際の価格は下位モデルで約6%、上位モデルで約30%Indexを上回る結果となった。
【編集部解説】
Steam Frameの価格発表を巡っては、Valve自身の言葉と、それを取り巻く「外野」の解釈が、これまで丁寧に分けて語られてきませんでした。BBCの記事を読み直すと、そこには少なくとも三者の異なる声が並んでいます。
セラン氏自身は、「もっと手頃な価格の製品を目指していた」「世界的なRAM市場の混乱が、他社と同じように我々にも影響した」「この価格にまで持ち込むのに、相当苦労した」と、率直に目標未達を認めているだけです。そこに哲学的な弁明は見当たりません。
一方、ゲーム業界ライターのクリストファー・ドリング(Christopher Dring)氏は「VRは今や、あくまでハイエンドなニッチだ」と述べ、「Metaはこれまで補助金でQuestのハードウェア価格を支えてきたが、その戦略を続けるのは今後難しいだろう」と指摘しています。
そして、「VRはまだ1980年代のPCの時代」という比喩を実際に語ったのは、UploadVRの編集者デイビッド・ヒーニー(David Heaney)氏でした。同氏は「VRが高すぎるというのは、VRに関する大きな誤解の一つだ」と述べ、Meta Quest 3SはNintendo Switch 2やXbox Series Sより安いと指摘した上で、VRの普及を阻んでいるのは価格そのものより「まだ始まったばかりであること」だと語っています。
つまりこの記事が向き合うべき問いは、「Valveはなぜ約束を破ったのか」ではなく、「VRは本当にまだ早すぎるだけなのか、それとも構造的に高価格のニッチにとどまり続けるのか」という、業界内でも意見が割れている、より大きな問いです。
「1980年代のPC」論に、説得力がある部分
Heaney氏の比喩には、歴史的に裏付けられる部分があります。1981年に発売されたIBM PCは、当時1,565ドルで売られました。これは2025年の価値に換算すると、約5,540ドルに相当します。IBM自身の記録によれば、1981年以前のパソコンは「愛好家でもない限り、所有する意味がほとんどなかった」とされています。十分な性能もなく、使い道となるソフトウェアも限られていたためです。
現在のVRが抱える課題――バッテリー駆動時間の短さ、決定的な「キラーコンテンツ」の不在、装着感の負担――は、当時のパソコンが抱えていた課題と重なる部分があります。「高いから普及しない」のではなく「まだ普及するだけの中身が備わっていない」のだとすれば、Heaney氏の指摘は的を射ています。
だが、「都合よく使われている部分」もある
しかし、この比喩には見落とされがちな前提があります。1980年代のパソコンが高価だったのは、量産技術・半導体の集積度・流通網が未成熟だったからで、時間とともに価格が下がっていくことが、ある程度自然に見込まれていました。「高い→やがて安くなる」という下降トレンドこそが、当時のパソコンの物語の軸でした。
一方、Steam Frameの値上がりの直接の原因は、VRというカテゴリ自体の未成熟さではありません。AI企業が巨大なデータセンターを構築するために、Steam Frameと同じLPDDR5X規格のメモリを大量に消費しており、その価格は2025年10月から2026年初頭にかけて2倍以上に高騰しました。この影響はVRという「未成熟な」カテゴリに限りません。
すでに市場が確立しているはずのValve自身の携帯ゲーム機Steam Deckも、当初549ドルだった価格が789ドルまで、43%値上がりしています。Valveの開発者ピエール=ルー・グリファイス(Pierre-Loup Griffais)氏は、Steam Frameの当初目標価格も、この43%という上昇率をもとに逆算すると約750ドルだったと明かしています。

つまり「VRはまだ黎明期だから高い」という物語は、「AIデータセンター向けの需要が、VRとは無関係などんな製品カテゴリの部品価格も押し上げている」という、もっと即物的でVR特有ではない事情を覆い隠してしまう危険があると見ることもできます。技術の成熟度という聞こえのいい物語に、外部要因による一時的な価格ショックを溶け込ませてしまえば、「いずれ安くなるはずだ」という期待だけが残り、「なぜ今高いのか」という本当の理由への視線がそれてしまいかねません。
すでに現実になっている、もう一方の予言
Dring氏の「ハイエンドなニッチ」論、そして「Metaの補助金モデルは長く続かない」という見立ては、実はSteam Frameの発売を待たずに、すでに現実になっていました。Metaは2026年4月、Quest 3とQuest 3Sの価格を一斉に引き上げています。Quest 3S(128GB)は299.99ドルから349.99ドルへ、Quest 3(512GB)は499.99ドルから599.99ドルへと、50〜100ドルの値上げです。Meta自身も、値上げの理由として「メモリチップをはじめとする主要部品の価格高騰が、VRを含むほぼすべての家電カテゴリに影響している」と説明しています。
Metaはこれまで、Questのハードウェアを利益の出にくい価格で販売し、ソフトウェアや将来のプラットフォーム収益で回収する戦略をとってきたとされています。その前提が崩れ始めているのだとすれば、これはValve一社の値付けの問題ではなく、VR業界全体を支えてきたビジネスモデルの転換点に差し掛かっている、と見ることもできます。
つながる視点:メモリ危機は、ここでも「同じ話」を繰り返している
自社ではこれまでも、この同じメモリ危機がValveの別の製品を直撃してきた経緯を追ってきました。2025年発表のSteam Machineは、当初想定の750ドルから、最終的に1,049ドルまで価格が上振れしています。Steam Frameで、Valveは同じ危機に三度目に直面していることになります。
innovaTopiaが別記事で報じたNothingの事例は、同じメモリ危機への異なる対応として並べられます。Nothingはサブブランド「CMF」の新型スマートフォンについて、メモリ価格高騰を理由に発売そのものを断念しました。対してValveは、目標未達のまま高い価格で出荷し、その理由を率直に説明する道を選んでいます。「出さない」という選択と「出した上で説明する」という選択——同じ外部ショックに対する、対照的な向き合い方です。
ここから先は、まだ分かりません
VRの価格が今後どう推移するのか、現時点で断定することはできません。AIデータセンター向けのメモリ需要がいつ落ち着くのか、その見通しも明確ではありません。メモリ価格が仮に落ち着いたとして、Metaのような「ハードウェア赤字・ソフトウェアで回収」というモデルが復活するのか、それとも高価格帯を前提とした市場へ業界全体が移行していくのか、その分岐点がどちらに向かうのかも、今の時点では見えていません。
もうひとつ、答えの出ていない問いがあります。1980年代のパソコンには、その後VisiCalcのような「キラーアプリ」が現れ、価格の高さを補って余りある実用性が普及を後押ししました。VRに、それに相当する決定打が現れるのか。現時点でそれは、誰にも分かりません。
【関連記事】
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【編集部後記】
「VRはまだ早すぎるだけ」なのか、「もともと一部の人のための技術」なのか。私たちには、まだその答えが見えていません。ただ、値段が上がった理由を「未成熟だから」の一言で片付けてしまうと、AIデータセンターが静かに家電の値札を書き換えているという、もっと大きな動きを見逃してしまうかもしれません。次にガジェットの値上げのニュースを目にしたとき、その裏に何があるのか、一緒に考えていけたらと思います。
【参考リンク】
The IBM PC(外部)
1981年のIBM PC発売の経緯を伝えるIBM公式アーカイブ。記事内「1980年代のPC」比較の一次資料として参照。
Valve’s Steam Frame is excellent – but at over £1,000 is VR still too expensive?(外部)
セラン氏・Heaney氏・Dring氏、価格を巡る三者それぞれの発言を伝える一次取材記事本体。
Steam Frame 公式ページ(外部)
Steam Frameの抽選予約・最新スペック・同梱物の確認ができるValve公式ページ。
Meta Quest 公式サイト(外部)
比較対象となるMeta Questシリーズの現行ラインナップと最新価格を確認できるMeta公式ページ。
UploadVR(外部)
VR専門メディア。David Heaney氏の記事をはじめ、業界動向を継続的に追える情報源。
【用語解説】
LPDDR5X(メモリ規格)
モバイル機器向けの低消費電力DRAM規格。Steam Frameが搭載するSnapdragon 8 Gen 3で使用されるメモリで、AIデータセンター向け需要の急増により2025年後半以降に価格が急騰した、今回の値上げ問題の中心。
SteamOS
Valveが開発するLinuxベースのゲーミング向けOS。Steam Deck・Steam Machineに続き、Steam Frameにも採用されている。
メモリ危機(DRAM価格高騰)
2025年後半以降、AI向けデータセンター建設によるDRAM・NAND需要の急増を背景に、メモリ・ストレージ価格が急騰している状況。自社ではSteam Machine・Nothingなど複数の製品価格への影響を継続的に取材している。
【参考記事】
Valve’s Steam Frame is excellent – but at over £1,000 is VR still too expensive? — BBC(外部)
セラン氏・Heaney氏・Dring氏、三者の発言を伝える一次取材記事。編集部解説の中核となる引用の出典。
Steam Frame Opens Reservations at $1,059: AI Chip Crisis Added $300 Above Valve’s Plan — TechTimes(外部)
Griffais氏の発言から、Steam Deckの値上げ率(43%)を根拠にSteam Frameの当初目標(約750ドル)を逆算。
Meta raises Quest 3 and Quest 3S prices due to RAM shortage — TechCrunch(外部)
Metaが2026年4月にQuest 3/3Sを50〜100ドル値上げした事実と、公式声明を報じる記事。
Valve’s $1,059 Steam Frame Headset Arrives With Reservation Lottery and No Charger — UploadVR(外部)
価格・同梱物・販売方式など、Steam Frame発表内容を網羅的にまとめた一次報道記事。
The IBM PC — IBM(外部)
IBM PC(1981年発売、1,565ドル)の開発経緯と、当時のパソコン市場の評価を伝えるIBM公式の歴史ページ。















