量子最適化は創薬のどこで効くのか|QCiとINmune Bio、XProの適応探索で従来手法と比較へ

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「量子コンピューターは、結局なんの役に立つのか」。この問いに、実際の顧客と実際のデータで答えようとする量子企業が出てきています。その舞台のひとつが創薬です。新薬を一から生み出すのではなく、すでに臨床試験を重ねた候補薬に別の使い道を見いだす試みは、AIの活用とともに注目を集めてきました。そこに量子最適化を持ち込むと、何が変わるのでしょうか。今回明らかになった提携は、「量子は従来の手法より本当に役に立つのか」という比較検証まで計画に組み込んでいます。その点で、量子と創薬の双方にとって、ひとつの試金石になりうる取り組みです。


10月14日、INmune BioとQuantum Computing Inc.(QCi)の協業が発表された。INmune Bioの前臨床から4件の臨床試験までのデータと公開の生物医学データセットを、QCiの量子最適化マシン「Dirac-3S」とAI、従来型解析で分析し、治験薬XProの新たな適応候補を探る。XProは可溶性TNFを選択的に阻害する設計で、アルツハイマー病などを対象に開発が進む。同じ生物学的機序が関わる疾患や、有望な患者集団、バイオマーカーを特定する狙いだ。量子最適化の結果は従来の統計・機械学習手法と比較する。INmune BioのCEOは希少疾患から着手するという。契約はStage 1で、QCiはこれを医薬・バイオ分野で初の商用顧客としている。金額は開示されていない。

From: 文献リンクINmune Bio Inc. and Quantum Computing Inc. Partner to Apply Quantum Optimization and AI to Advance Alzheimer’s Drug Research and Explore New Applications for XPro™

【編集部解説】

リリースは「どこで」を語っていない

今回のリリースで、量子最適化が解析のどの工程を担うのかは明記されていません。書かれているのは、Dirac-3SをAIや従来型の解析と組み合わせ、データの中から「パターンや関係」を探すという大枠までです。

そこで、Dirac-3Sが何を解ける機械なのかから逆算してみます。QCiの製品ページによれば、Dirac-3Sは目的関数を光の物理系の振る舞いに写し取り、最もエネルギーの低い状態、つまり最適解に近い答えを探す装置です。扱えるのは最大5次までの多項式で表した最適化問題で、連続変数の問題では、変数の値の合計を一定に保つという制約のもとで解きます。

扱える規模は問題の次数によって大きく変わります。変数どうしの関係が2つ組までの2次問題なら、拡張モジュール1台を加えた構成で最大9,980変数ですが、3次では580変数、5次では55変数まで下がります。

問題の次数基本構成拡張モジュール1台
2次9499,980
3次135580
4次39145
5次1955
Dirac-3Sが扱える最大変数(出典:QCi製品ページ)

つまり、Dirac-3Sは「データを読んで何かを学ぶ」装置ではありません。あらかじめ数式の形に落とし込まれた組み合わせ問題を解く、解析パイプラインの中の一部品です。データの整形、機械学習によるモデル構築、結果の生物学的な解釈といった工程は、従来の計算機とAIが担うと考えるのが自然です。

最も当てはまりそうなのは「特徴量選択」

では、適応探索のどの工程が最適化問題の形をしているのでしょうか。以下は編集部の推測ですが、有力な候補は特徴量選択、つまり膨大な測定項目の中から、意味のある少数の組み合わせを選び出す作業です。

臨床データには、血液検査の値、画像所見、遺伝子型、認知機能スコアなど多数の項目が含まれます。そこから「XProが効きやすい患者を見分ける少数のバイオマーカー」を選ぶことは、項目を選ぶか選ばないかの組み合わせを探す問題になります。項目数が増えると、組み合わせの数は爆発的に増えます。

QCi自身も、特徴量選択を同社のDirac-1で解く例を公開しています。各項目を「選ぶ/選ばない」の二値変数とし、選んだ項目どうしの相関の合計が小さくなるように、決まった数だけ選ぶという定式化です。ただし、この解説ページでは古典的な手法との比較は示されていません。

バイオマーカー探索を量子最適化の入口にする試みは、ほかにもあります。がんの遺伝子・病理データを対象に、「Q4Bio」の名を掲げた研究者らが2025年に発表した展望論文は、特徴量選択を制約付きの二値最適化として定式化し、IBMのゲート型量子コンピューターで検証しました。同論文は現時点で量子優位を実証しておらず、約100変数・約100論理量子ビットの規模で古典計算との逆転が起こりうるという見通しにとどめています。自閉スペクトラム症の代謝物バイオマーカーを量子最適化で選ぶ米レンセラー工科大学のグループの研究でも、ハードウェアの制約から扱える項目は最大60にとどまりました。

この流れの中で見ると、Dirac-3Sが2次問題で9,980変数という規模を掲げている点は、扱える問題の大きさだけを見れば、ゲート型の実験より先を行っているようにも見えます。もっとも、変数の種類も問題の形式も異なるため、単純には比べられません。さらに言えば、扱える規模が大きいことと、古典計算より良い答えを速く出せることは別の問題です。

「量子」の中身と、比較検証の重み

QCiの方式は「エントロピー量子計算(EQC)」と呼ばれ、多くの量子コンピューターが避けようとする損失やノイズを、逆に計算に利用するとしています。極低温の冷却を必要とせず、常温で動くことも特徴です。

この方式には外部からの検証の目も向けられています。2026年5月にarXivに投稿されたコメント論文は、QCiのEQCに関する論文を検討し、現時点では最先端の古典アルゴリズムを上回っていないと結論づけました。著者らはこれを技術の初期段階ゆえの限界と位置づけ、否定ではないとしています。

利用者側による検証の例もあります。イタリア国立統計研究所(ISTAT)の研究者を含むグループは2026年、統計調査の層別化問題で前世代のDirac-3を試し、比較した古典手法や量子インスパイア型の手法のいずれよりも劣る解が得られたと報告しました。ただし、無料枠で扱える100変数に限った1回の試行であり、Dirac-3Sの性能を示すものではありません。

一方でQCiは、10月1日のDirac-3S発表で、既知の最適解を持つ問題において、比較した古典ソルバーの中で唯一すべての問題で最適解に到達したと自社の技術レビューで主張しています。発表では、この結果について第三者による検証は示されていません。

こうした評価の割れ方を踏まえると、今回のリリースで最も重要な一文は、量子最適化の結果を従来の統計・機械学習手法と比べ、どの工程にどの手法が適しているかを評価するという部分かもしれません。量子を「使う」ことを発表するだけでなく、「使う価値があるか」を確かめることを計画に含めているからです。

裏を返せば、この協業から有望な適応候補が見つかったとしても、それが量子のおかげなのか、AIや従来型解析のおかげなのかは、比較の結果が示されるまで分かりません。比較の対象となる古典手法が十分に強いものか、同じ計算時間で比べているかといった条件も、結果の意味を左右します。

なぜXProで、なぜ希少疾患なのか

INmune Bio側の事情にも目を向ける必要があります。XProの早期アルツハイマー病を対象とした第2相試験「MINDFuL」は、全体集団では主要評価項目で統計的有意差に届きませんでした。一方、炎症マーカーで絞り込んだ部分集団(100人)では、認知機能やバイオマーカーなどで一貫した方向の改善が見られたと報告されています。ただし、この部分集団でも主要評価項目の差は統計的に有意ではありませんでした。同社は神経炎症の強い患者に絞った第2b/3相試験へ進む方針です。

「誰に効くのか」を見極めることがXPro開発の要になってきた経緯を考えると、患者集団やバイオマーカーの特定を掲げた今回の協業は、その延長線上にあると読めます。これは編集部の解釈です。

もう一つの動機が、CEOの発言にある希少疾患と優先審査バウチャー(PRV)です。米国の小児希少疾患PRV制度は2024年12月に失効しましたが、2026年2月に成立した歳出法で復活し、2029年9月まで継続されることになりました。バウチャーは売却も可能です。小規模で速い試験から始められる適応を探すことは、CEO自身が資本効率に触れているように、限られた資源で開発を進めるうえで理にかなった選択といえます。その意味で量子の活用は、科学的な探索であると同時に、資源をどこに振り向けるかという事業判断の道具にもなりうるものです。

まだ分からないこと

現時点で公開情報から確認できなかった点を挙げておきます。

  • Dirac-3Sが担う工程と、扱う問題の規模(変数の数、問題の次数)
  • 比較対象となる古典手法の種類と、比較結果を公開するかどうか
  • 解析に使う実機の形態(Dirac-3Sの初回出荷は2026年11月予定とされ、今回の解析がクラウド経由か、どの機体かは不明)
  • Stage 1の期間と、次の段階に進む条件

QCiが医薬・バイオ分野で初の商用顧客と位置づける今回の契約は、量子最適化が実データの現場に入り始めたことを示します。それが「量子でなければ得られない成果」につながるのかどうかは、両社が比較の結果をどこまで開示するかにかかっています。

【用語解説】

量子最適化
膨大な組み合わせの中から最良の答えを探す「最適化問題」を、量子力学的な振る舞いを利用する装置で解こうとする手法。必ずしも従来の計算機より優れた答えを出せるとは限らず、実用上の優位性は問題ごとに検証が必要。

エントロピー量子計算(EQC)
QCiが提唱する計算方式。多くの量子コンピューターが抑え込もうとする光の損失やノイズを、逆に計算過程に取り込むとする。常温で動作。

量子インスパイア型
量子力学の発想を取り入れつつ、従来型の計算機やGPUで動かす最適化手法の総称。量子ビットは使わない。

【参考リンク】

INmune Bio(公式サイト)(外部)
自然免疫系を標的とした治療法を開発する米バイオ企業。XPro1595や臍帯由来細胞プラットフォームCORDStromなどのパイプラインと、投資家向け資料を掲載。

Dirac-3S 製品ページ(Quantum Computing Inc.)(外部)
QCiの光量子最適化マシンの製品情報。動作原理、扱える問題の次数、次数別の最大変数、常温動作、オンプレミス・クラウドでの提供形態を確認できる。

Dirac-3 Developer Beginner Guide(Quantum Computing Inc.)(外部)
開発者向けの入門ガイド。クラウドAPIとPythonパッケージ「qci-client」を使い、多項式の最適化問題を定式化して投入し、結果を読み取るまでの手順を解説。

Feature Selection on Dirac(Quantum Computing Inc.)(外部)
特徴量選択をDiracで解く方法を、数式とコードで示したQCiの解説ページ。量子最適化が解析のどこに入りうるかを具体的に知る手がかりになる。

Rare Pediatric Disease Designation and Priority Review Voucher Programs(FDA)(外部)
小児希少疾患の指定とPRV制度に関するFDAの公式ページ。2026年の制度延長と、2029年9月30日の期限について記載。

A Study of XPro1595 in Patients With Early Alzheimer’s Disease With Biomarkers of Inflammation(ClinicalTrials.gov)(外部)
XPro1595の第2相試験「MINDFuL」の登録情報。試験デザインや評価項目、実施施設を確認できる。

Wellcome Leap「Quantum for Bio」賞発表(Wellcome Leap)(外部)
量子コンピューターが現時点で医療・生命科学に役立つかを問う研究支援プログラム「Q4Bio」の受賞発表。量子×生命科学の最前線と、研究コミュニティの動向を知る入口。

【参考記事】

Quantum Computing Inc. Announces Dirac-3S, Scaling to Nearly 10,000 Variables — PR Newswire(外部)
2026年10月1日のQCiによるDirac-3S発表。最大9,980変数への拡張、自社技術レビューでの古典ソルバーとの比較結果、初回出荷時期を記載。

A Critical Comment on “Entropy Computing: A Paradigm for Optimization in Open Photonic Systems” — arXiv(外部)
QCiのエントロピー計算に関する論文へのコメント論文。現時点では最先端の古典アルゴリズムを上回っていないと結論づけつつ、技術の初期段階として継続的な検証を求める内容。

Toward Quantum-Enabled Biomarker Discovery: An Outlook from Q4Bio — arXiv(外部)
がんのマルチモーダルデータを対象に、バイオマーカー探索を量子最適化で扱う展望論文。IBM実機での検証を含み、量子優位は未実証とした上で将来の逆転点を見積もる。

Phase 2 MINDFul Trial Results on XPro1595 for Early Alzheimer Disease With Inflammation — Psychiatric Times(外部)
XPro1595の第2相試験結果の解説記事。全体集団での主要評価項目未達と、炎症で絞り込んだ部分集団での傾向を整理。

XPro1595, a Selective Soluble TNF Neutralizer, in Early Alzheimer’s Disease with Inflammation (ADi): Results from the Phase 2 MINDFuL Trial — medRxiv(外部)
MINDFuL試験結果の査読前プレプリント。無作為化の規模、主要評価項目の結果、部分集団の効果量など、記事で触れた数値の一次資料。

Optimal Stratification of a Sampling Frame: A Comparative Study of Classical, Quantum, and Quantum-Inspired Approaches — arXiv(外部)
統計調査の層別化を題材に、古典・量子・量子インスパイア型の手法を比べた論文。QCiのDirac-3を実機で試した結果を含む、利用者側による数少ない比較例。

FDA’s rare pediatric disease voucher program revived by 2026 government funding bill — Fierce Pharma(外部)
2024年末に失効した小児希少疾患PRV制度が、2026年2月の歳出法で復活した経緯と、2029年9月までの延長を報じる記事。

【関連記事】

【編集部後記】

「量子を使った」という言葉は、それだけで何かが前に進んだ印象を与えます。けれども今回の提携で私たちが目を留めたいのは、量子を使うこと自体より、量子と従来の手法を並べて比べると宣言した点です。有望な答えが見つかったとき、それはどの計算の手柄なのか。そして解析されるデータの向こうには、臨床試験に参加した患者さんたちがいます。その記録が新しい計算機でどう読み直され、何が開示されるのか。私たちも結果を待ちながら、問い続けたいと思います。

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。

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