NEDO量子懸賞金Season2、開発環境にQaptiva 800 ─「まずシミュレーターで」が量子の産業化を支える

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量子コンピューターの実機は、まだ誰もが自由に触れられる計算資源ではありません。だからこそ、アルゴリズムやアプリケーションの開発では、古典計算機の上で量子回路を再現する「シミュレーター」が、実機に先立つ試行錯誤の場として重みを持ちます。懸賞金という仕組みで社会課題の解決策を募るNEDOの量子プログラムが2回目を迎え、その参加者に用意される開発環境の一つとして、国内企業が提供する量子シミュレーターが再び選ばれました。賞金を目指す開発者たちは、どのような「計算の土台」の上で解を探すことになるのでしょうか。


11月2日に明らかになったのは、株式会社インテリジェントウェイブ(IWI)の量子シミュレーター「Qaptiva 800」が、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「NEDO懸賞金活用型プログラム/量子コンピュータを用いた社会問題ソリューション開発2」で、前回に続き採用されたことだ。同プログラムはオープンイノベーションによる社会課題の解決や新産業の創出を目指すもので、企業や研究機関などが参加する。Qaptiva 800は参加者が無料で使える開発環境の一つとなる。同シミュレーターは最大41論理量子ビット相当の量子回路を実行でき、主要な量子プロセッサ(QPU)をモデリングしている。ゲート方式とアニーリング方式に対応し、ノイズの条件を設定してNISQとFTQCに対応した研究が行える。

From: 文献リンク「NEDO懸賞金活用型プログラム/量子コンピュータを用いた社会問題ソリューション開発2」で量子シミュレーターが採用

【編集部解説】

「まずシミュレーターで」が前提の開発環境

量子コンピューターのアプリケーション開発は、いきなり実機でプログラムを走らせるところから始まるわけではありません。古典計算機の上で量子回路を再現するシミュレーターで動作を確かめ、手応えを得てから実機に移る、という段階を踏むのが一つの定石になっています。

開発ツールの側も、この流れを前提に設計されています。たとえばIBMの開発者向けドキュメントは、実機のノイズ特性を写し取った「フェイクバックエンド」やシミュレーターを手元のマシンで動かして事前に検証し、問題がなければバックエンド名を書き換えるだけで実機に送れる仕組みを案内しています。デバッグや、エラー緩和手法を実機の計算時間を使う前に試す用途も明記されています。IWI自身も、Qaptiva 800のクラウド版を導入初期の段階に、オンプレミス版をその次の段階に位置づけています。

実機の計算時間には値札がつく

この段階的な進め方の背景には、実機の計算資源の希少さとコストがあります。IBMの公開料金では、従量課金プランが1分あたり96ドルから(秒単位課金)、契約が必要なFlexプランが72ドルから、Premiumプランが48ドルからとされています。無料のOpenプランで使えるのは月10分までです。

アルゴリズム開発は、回路を組み、パラメーターを変え、結果を見て組み直す試行錯誤の連続です。その一回一回を実機で回していては、時間も費用も追いつきません。現状の計算資源を前提にする限り、「最初から全部実機で」という開発は成り立ちにくいのが実情です。

NEDOのプログラム自体も、こうした現実を映しています。前回(Season1)に参加者へ無償提供された開発環境には、産総研G-QuATの富士通製超伝導型機やQuEra社の中性原子型機、理研のIBM Quantum System TwoやQuantinuumの「黎明」、クラウド経由のIBM Heron搭載機やQuantinuum H2といった実機が並ぶ一方で、GPU対応の量子シミュレーターやGPUスーパーコンピューター、そしてQaptiva 800が組み込まれていました。実機とシミュレーターを往復できる環境ごと用意する設計だと読めます。

シミュレーターもまた「高価な道具」である

見落とされやすいのは、シミュレーター自体も安価ではないという点です。Qaptiva 800のクラウド版は、初月限定のトライアルが月25万円、通常プランが月100万〜250万円と公表されており、オンプレミス版は個別見積もりです。前回は開発環境の費用をNEDOが負担して無償提供しました。今回のSeason2でも、NEDOはスクリーニング審査を通過した参加者に計算環境を無償で提供するとしており、Qaptiva 800もその一つです。

懸賞金は、Society 5.0・QoL・Cool Japanの3部門それぞれで1位4,000万円、2位2,000万円、3位1,000万円です。ただ、スタートアップや大学の研究者にとっては、賞金と同じくらい、実機とシミュレーターを自前の予算なしで使い比べられる機会そのものに意味があるのかもしれません。

シミュレーターでは届かない場所

一方で、シミュレーターには原理的な天井があります。量子状態を古典計算機で再現するコストは量子ビット数に対して指数的に増え、ノイズを含むシミュレーションでは、多くのノートPCで約32量子ビットが限界とされています。Qaptiva 800も、厳密な計算で扱えるのは約41論理量子ビットで、近似アルゴリズムやエンタングルメントの少ない回路に限って約150論理量子ビットまで広がると説明されています。なお、製品ページは性能がメモリとCPUに依存するとしていますが、ここでいう「論理量子ビット」の定義は明示していません。

量子コンピューターが古典計算機を上回ると期待される領域は、まさにシミュレーターで再現しきれない規模の先にあります。ノイズの扱いにも限界があり、IBMのドキュメントは、実機にはノイズモデルが捉えきれないノイズが存在しうると注意を促しています。シミュレーターは実機の代わりではなく、実機に向かうための足場だと考えるのが妥当でしょう。

まだ手に入らない計算機のための試行錯誤

今回のプログラムで興味深いのは、テーマが「将来利用可能になる次世代型量子コンピュータ」を用いた社会課題解決に置かれている点です。誤り訂正を備えた大規模な量子コンピューター(FTQC)は、まだ実用規模では手に入りません。IBMも、初の大規模な誤り耐性量子コンピューター「Starling」の構築目標を2029年に置いています。その時代のアルゴリズムを今の段階で試せる場所は、現状では主に、ノイズを切った理想条件で回路を動かせるシミュレーターです。Qaptiva 800がノイズなしのエミュレーションでFTQC研究に対応するとうたっているのは、この需要に応えるものです。

産業化には、実機の性能向上と並んで、量子プログラムを書ける人と、検証済みのアイデアの蓄積が欠かせません。高価で希少な実機の時間を、シミュレーターでふるいにかけた案に集中させる。その分業が回って初めて、ハードウェアの進歩を社会課題の解決へとつなぐ道筋が太くなります。

Season1の結果が映したもの

前回の結果は、2026年10月16日に公表されています。応募87件のうち9件が受賞し、QoL部門では、量子計算を創薬に組み込んだ塩野義製薬が1位となりました。一方、Society 5.0とCool Japanの2部門では、基準を満たす1位は出ていません。

実機とシミュレーターの関係を考えるうえで示唆的なのは、計算環境の使われ方です。IBMによれば、参加80チームのうち65チームが同社の量子コンピューターを選び、受賞9チームはいずれも研究の過程で同社の実機を使っています。そのうえで、QoL部門1位の塩野義製薬は、実機で手法を試しながらも、最終的な結果はシミュレーションで算出していました。実機は欠かせない検証の場でありながら、最終的な数値を支えたのはシミュレーションだった。現時点の計算資源の実情を映した事例と読むこともできます。この受賞結果とIBMの存在感については、innovaTopiaの過去記事でも詳しく取り上げています。

まだ分かっていないのは、他の受賞チームが実機とシミュレーターをどう使い分けたのか、そしてSeason2でどのような開発環境の全体像が用意されるのかです。1位の空白が意味するのが現時点の計算資源の限界なのか、課題設定の難しさなのか。それを読み解くことが、シミュレーターから実機への橋がどこまで機能しているのかを測る手がかりになるはずです。

【関連記事】

【編集部後記】

量子コンピューターの話題は、どうしても実機の量子ビット数や性能の記録に目が向きがちです。けれども、その手前には、シミュレーターの上で回路を組んでは崩す、地道な試行錯誤の時間が積み重なっています。まだ手元にない計算機のために、いま何を準備しておけるのか。私たちも一度、無料のシミュレーターで小さな回路を動かしてみると、量子計算の「手触り」と、その先にある実機の重みが少し違って見えてくるかもしれません。

【用語解説】

量子シミュレーター
古典計算機上で量子回路の振る舞いを数値的に再現するソフトウェアや計算環境。実機を使わずにアルゴリズムの動作確認やデバッグを行う用途で使われる。扱える量子ビット数は、メモリと計算資源の量によって制約を受ける。

NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)
ノイズの影響を受ける中規模の量子コンピューター。誤り訂正を十分に備えておらず、計算結果にノイズが混入することを前提に使う、現在主流の量子コンピューター。

FTQC(Fault-Tolerant Quantum Computing)
量子誤り訂正によってノイズの影響を抑え、長く正確な計算を可能にする誤り耐性量子コンピューター。NISQの先にある目標として研究開発が続く方式。

論理量子ビット
誤り訂正によって、複数の物理量子ビットから構成される「誤りの少ない」量子ビット。

ゲート方式とアニーリング方式
ゲート方式は、量子ゲートを組み合わせた回路で汎用的な計算を行う方式。アニーリング方式は、組み合わせ最適化問題を、エネルギーが最も低い状態を探す物理過程に置き換えて解く方式。

懸賞金型研究開発
あらかじめ課題と目標水準を示し、達成した成果に対して賞金を支払う研究開発支援の手法。事前に資金を配分する補助金や委託とは異なり、成果を出した者が報われる仕組み。

ABCI-Q
産業技術総合研究所が整備した、量子コンピューター研究向けのGPUスーパーコンピューター。NVIDIA H100 GPUを2,000基以上搭載し、量子回路シミュレーションや量子・古典ハイブリッド計算に用いる。

【参考リンク】

Qaptiva 800|株式会社インテリジェントウェイブ(外部)
IWIによるQaptiva 800の製品ページ。対応する量子計算方式、クラウド版とオンプレミス版の違い、クラウド版の月額料金プランを掲載。

専用環境の構築が不要な量子シミュレーターのクラウドサービスを提供|PR TIMES(外部)
2026年7月10日に公開された、IWIによるQaptiva 800クラウド版(Qaptiva Simulation Service)の提供開始リリース。

Qaptiva Quantum Emulation Appliance|Eviden(英語)(外部)
Qaptivaの開発元であるEvidenによる製品紹介ページ。オンプレミスでの運用を前提としたエミュレーション基盤としての位置づけを解説。

NEDO Challenge, Quantum Computing “Solve Social Issues!”|NEDO(外部)
NEDOの量子懸賞金プログラムの特設サイト。Season2の部門構成と懸賞金額、応募要項、提供される計算環境の案内を掲載。

「量子コンピュータを用いた社会問題ソリューション開発2」公募について|NEDO(外部)
Season2の懸賞広告ページ。公募期間と課題の趣旨、応募の窓口を掲載。

受賞者発表ニュースリリース(2026年10月16日)|NEDO(外部)
Season1の受賞者発表。部門別の応募件数と受賞9件の一覧、各テーマの概要を掲載。

Qiskit Runtime local testing mode|IBM Quantum Documentation(英語)(外部)
実機のノイズを模したフェイクバックエンドとシミュレーターを使い、手元のPCで量子プログラムを検証する手順を解説。実機に移る前の試行錯誤を自分で体験できる。

Qiskit Aer documentation(英語)(外部)
オープンソースの量子回路シミュレーター「Qiskit Aer」の公式ドキュメント。ノイズモデル付きのシミュレーションを無料で試せる。

IBM Quantum Pricing|IBM(英語)(外部)
IBMの量子コンピューター実機の利用料金ページ。無料プランから契約プランまで、実機の計算時間の値付けを確認できる。

【参考記事】

Japan’s 200 Million Yen Contest Aims to Find Ways to Use Quantum Computers to Tackle Societal Challenges|The Quantum Insider(英語)(外部)
NEDOの量子懸賞金プログラム(Season1)の立ち上げを報じた記事。懸賞金総額2億円や審査の観点、スケジュールを紹介。

NEDO懸賞金活用型プログラムで、量子コンピュータの開発環境を無償提供します(2025年10月17日)|東芝デジタルソリューションズほか共同発表(外部)
Season1の参加者に提供された開発環境の一覧を、実機・イジングマシン・シミュレーターの別に整理。費用をNEDOが負担して無償提供したことを記載。

「量子コンピュータを用いた社会問題ソリューション開発」の受賞者を発表しました|NEDO(外部)
Season1の結果発表。応募87件、受賞9件。Society 5.0とCool Japanの2部門で1位が該当なしとなった経緯を記載。

Qiskit Runtime local testing mode|IBM Quantum Documentation(英語)(外部)
シミュレーターでの事前検証から実機への移行という開発の流れと、ノイズありシミュレーションの規模の限界(約32量子ビット)を記載。

IBM Quantum Pricing|IBM(英語)(外部)
実機の従量課金が1分96ドルからという、編集部解説で用いた料金の出典。

IBM supports award-winning projects in NEDO Quantum Challenge(2026年10月23日)|IBM Quantum Blog(英語)(外部)
Season1の参加チームのうち65チームがIBM機を選択。受賞9チームの実機利用の状況と、塩野義製薬が最終結果をシミュレーションで算出した経緯を記載。

NVIDIA、日本の量子研究向け ABCI-Q スーパーコンピューターを支援|NVIDIA(外部)
ABCI-Qの構成(H100 GPU 2,000基以上)と、量子回路シミュレーションを含む用途を説明した2024年3月の発表。

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。

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