NEDO量子懸賞金の受賞結果が映すIBMの10年─Qiskitとコミュニティが育てた使い手

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量子コンピューターは社会の何の役に立つのか。その問いに、まだ確かな答えはありません。だからこそ、答えが出そろう前に使い道の候補を広く集めておこうという試みが日本で進んでいます。NEDOの量子懸賞金は、防災や創薬からアニメ制作までを対象に、賞金をかけて量子コンピューターでの挑戦を募りました。その最初のシーズンの受賞結果を、計算環境を提供したIBMが自社ブログで振り返っています。受賞チームすべてが自社機を使ったという報告は、取り組みの広がりを示すと同時に、黎明期の研究基盤がどこに集まりつつあるのかという問いも投げかけています。


10月15日に表彰式が行われたNEDOの量子懸賞金Season 1では、Society 5.0、QoL(Quality of Life)、Cool Japanの3部門で9件が受賞した。懸賞金は各部門1位4,000万円、2位2,000万円、3位1,000万円で、応募は87件だった。1位はQoL部門の塩野義製薬のみで、他の2部門は1位該当なしとなった。IBMのブログによれば、参加80チーム中65チームがIBMの量子コンピューター(以下、IBM機)を選び、受賞9チームはいずれも研究過程でIBM機を使い、6チームはIBM機のみだった。ただし塩野義製薬の最終結果はシミュレーションによるもので、Cool Japan部門3位の1チームにはIBM自身が共同研究者として加わっている。

From: 文献リンクIBM supports award-winning projects in NEDO Quantum Challenge

【編集部解説】

10年前にまかれた種

今回の受賞結果を読み解くには、時計の針を10年ほど戻す必要があります。

IBMは2016年5月、5量子ビットの超伝導量子プロセッサーをクラウド経由で一般に開放する「IBM Quantum Experience」を発表しました。IBM自身は、量子コンピューティングを一般の人々が使えるようにしたのは史上初だとしています。量子コンピューターがまだ研究室の奥にあった時代に、誰でも実機に触れられる入口をつくったことになります。

翌2017年3月には、オープンソースの開発キット(SDK)「Qiskit」の最初のリリース(v0.1)を公開しました。同年12月には、企業や研究機関とともに量子コンピューターの活用を探る「IBM Q Network」を発表しています。初期の参加12組織には、慶應義塾大学、JSR、日立金属(当時)、本田技術研究所、長瀬産業といった日本の組織が名を連ね、慶應義塾大学はハブの設置拠点の一つとされました。

2019年には、Qiskitのコミュニティで活動する人材を認定する「Qiskit Advocates」の第1期として88人が参加しています。同年12月に発表された「Japan–IBM Quantum Partnership」を経て、2021年7月には東京大学が占有使用権を持つ「IBM Quantum System One」が川崎市で稼働を始めました。東京大学はこれを、日本初のゲート型商用量子コンピューティング・システムとしています。

実機の早期開放、ソフトウェアのオープンソース化、そして使い手のコミュニティづくり。IBMはハードウェアの性能競争と並行して、「量子コンピューターを使う人」を育てることに長く投資してきました。なぜ早い段階で実機を開放したのかについては、IBM Quantum Japanの堀井 洋氏らへのインタビューで、当事者の言葉として語られています。

芽吹きとして見える三つの場面

今回のNEDO量子懸賞金では、その種がさまざまな形で芽を出しているように見えます。

一つ目は、参加者の選択です。NEDOによると、Season 1の応募は87件で、内訳はSociety 5.0が46件、QoLが25件、Cool Japanが16件でした。IBMは参加チームを80としており、そのうち65チーム(約81%)がIBMの計算環境を選び、実行ジョブは11,159件にのぼりました。量子計算時間の利用は割り当ての約105%に達し、提出締切前の最終月に急増しています。限られた期間で成果を出さなければならないコンテストでは、参加者は使い慣れた道具や、情報が多く手助けを得やすい環境を選ぶと考えられます。約8割という数字は、Qiskitを中心に積み上がってきた教材や利用者の層の厚さを反映している可能性があります。ただし、これはIBMの集計であり、参加者がIBMを選んだ理由までは示されていません。

二つ目は、IBMの外側に広がるエコシステムです。QoL部門2位の「森さんだいすきクラブ」は、オーストラリアのスタートアップQ-CTRLのQiskit Functionで後処理を行いました。3位のQ4Healthは、Kipu QuantumのQiskit Functionを使っています。いずれもIBMのQiskit Functions Catalogに掲載された他社のツールです。IBM一社が作った道具だけでなく、そのうえに第三者が積み上げた道具を、日本の研究チームが組み合わせて成果を出しています。プラットフォームが「コミュニティ」として機能している姿だと読めます。

三つ目は、事業化への接続です。Q4HealthとEntangleTuneの2チームは、すでに成果をもとに事業を立ち上げています。NEDOはこの懸賞金事業を、新産業につながる初期段階の技術をいち早く発掘するためのものと位置づけています。2024年11月の開催発表時点で、量子の専門知識がなくとも、企業研究者や国際数学オリンピックの受賞者など分析力のある人材の参加を呼びかけていました。腸内細菌叢の設計から音楽生成、マンガ・アニメ制作まで、受賞テーマの幅広さは、量子コンピューターに触れる人の裾野が広がりつつあることを感じさせます。

象徴的なのは、Cool Japan部門3位の三菱ケミカル・慶應義塾大学・アリゾナ州立大学・IBMのチームです。最終結果は、東京大学のIBM Quantum System Oneで実行されました。2017年にIBM Q Networkのハブ設置拠点の一つに選ばれた慶應義塾大学と、2021年に川崎で稼働したSystem One。9年前と5年前にまかれた種が、同じ一つの成果のなかで交わっていることになります。

芽の育ち方を見ておくために

一方で、この「芽吹き」をどこまで読み込むかには注意が必要です。

まず、「受賞9チームすべてがIBM機を使用した」という報告は、IBM自身のブログによるものです。研究の「過程で」使ったという意味であり、最終結果の算出手段と必ずしも一致するわけではありません。QoL部門1位の塩野義製薬は、IBM機で試験したものの、最終結果はシミュレーションで算出しています。Society 5.0部門3位の「せとうちから量子の世界へ」は、IBMを含む複数のプロバイダーのシステムを使いました。Q4Healthも他ベンダーの量子コンピューターを併用しています。

また、IBMは計算環境を無償で提供した「数少ない組織の一つ」と自ら述べています。どの環境を無償で使えたかは、参加者の選択に影響した可能性があります。高いシェアを、そのまま技術的な優位の証拠と読むことはできません。

さらに、Society 5.0とCool Japanの2部門では1位が「該当なし」とされました。IBMは、その理由を各部門で求める水準が高かったためと説明しています。量子優位性に触れた受賞チームも、示したのは優位性が生じうる条件の定量化や領域の特定までです。芽は出ましたが、実を結ぶかどうかはまだ分かりません。

そのうえで目を向けたいのは、特定のプラットフォームに研究基盤が集まることの意味です。Qiskitはオープンソースで、2019年には他社ハードウェアへの対応も始めています。ソフトウェアの共通基盤が広がることは、知見の共有や人材の流動性を高める一方、国の研究開発の土台が一企業のエコシステムに寄っていくことにもつながります。NEDOは2026年4月、Season 2(2026〜2027年度)の公募を始めています。次のシーズンで、計算環境の選ばれ方がどう変わるのか、あるいは変わらないのか。そこに、IBMがまいてきた種の真価が表れるのかもしれません。

【用語解説】

NEDO懸賞金活用型プログラム
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が実施する、コンテスト形式の懸賞金型研究開発の仕組み。技術課題や社会課題の解決に資するシーズを広く募り、共同研究や事業化の機会につなげることをねらう。量子コンピューターを対象とする課題は「NEDO Challenge, Quantum Computing “Solve Social Issues!”」の名称で開催。

Society 5.0
日本政府が提唱する、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させて経済発展と社会課題の解決を両立する社会像。本懸賞金では、インフラの安全性や取引の信頼性などを扱う部門名として使われている。

Qiskit
IBMが2017年に公開したオープンソースの量子コンピューティング用ソフトウェア開発キット。量子回路の作成・最適化・実行を担い、IBM以外のハードウェアにも対応する。

【参考リンク】

NEDO Challenge, Quantum Computing “Solve Social Issues!”(公式サイト)(外部)
NEDO量子懸賞金の専用サイト。Season 1の表彰式(2026年10月15日)の情報や、Season 2の募集情報を掲載。

NEDO:量子懸賞金 受賞者決定のお知らせ(外部)
Season 1の受賞者決定の公式発表。別紙の受賞者一覧では、各チームの正式名称とテーマ名を確認できる。

IBM Quantum Learning(外部)
Qiskitを使って量子コンピューティングを学べるIBMの学習ページ。入門から最適化・化学などの分野別コース、回路を組めるComposerを提供(英語中心)。

Qiskit Functions(IBM Quantum Documentation)(外部)
受賞チームも利用したQiskit Functionsの公式ドキュメント。Q-CTRLやKipu Quantumなど、パートナーが提供する関数の一覧と使い方を掲載。

Q-CTRL(外部)
量子技術の実用化を支えるインフラソフトウェアを開発する企業。量子アルゴリズムの実行性能を高めるツールや、量子センシング・ナビゲーション技術を手がける。

Kipu Quantum(外部)
企業向けの量子ソリューションを提供する企業。量子コンピューティングのプラットフォーム「Quantum Hub」を展開し、最適化ソルバー「Iskay」をQiskit Functionsとして提供。

量子イノベーションイニシアティブ協議会(QII)(外部)
量子コンピューターの社会実装に向け、産学官の協力と情報交換を促す協議会。日本アイ・ビー・エムも正会員として参加。

Qiskitの歩み(IBM)(外部)
2017年の初公開から現在までのQiskitの開発史を年表形式でたどれるページ。

【参考記事】

IBM Makes Quantum Computing Available on IBM Cloud to Accelerate Innovation(IBM Newsroom/2016年5月4日)(外部)
5量子ビットの量子プロセッサーをクラウド経由で一般に公開した「IBM Quantum Experience」の発表。IBMはこれを、量子コンピューティングを一般向けに開放した初の事例と位置づけている。

Qiskit history(IBM)(外部)
2017年3月のQiskit初公開、2019年のQiskit Advocates第1期(88人)や他社ハードウェアへの対応など、Qiskitとそのコミュニティの発展を年表で整理している。

IBM、汎用量子コンピューティングシステムをクラウドで共有する「IBM Q Network」を発表(@IT/2017年12月19日)(外部)
IBM Q Networkの発足を報じる記事。初期の参加12組織の顔ぶれと、慶應義塾大学がハブの設置拠点の一つとなったことを伝えている。

IBM Quantum System One 稼働に関する東京大学プレスリリース(東京大学/2021年7月27日)(外部)
川崎市で稼働を始めたIBM Quantum System Oneについての発表。東京大学が占有使用権を持つことや、Japan–IBM Quantum Partnershipを基盤とすることを説明している。

Japan’s 200 Million Yen Contest Aims to Find Ways to Use Quantum Computers to Tackle Societal Challenges(The Quantum Insider/2024年11月27日)(外部)
NEDO量子懸賞金の開催発表を報じた記事。賞金総額2億円の規模や、量子の専門外の人材にも参加を呼びかけ、無料講座を用意する方針を紹介している。

【関連記事】

「量子コンピュータを使っているという実感すらない世界」ーIBM Quantum Japan総括部長の語る10年前から少し未来の量子戦略
IBMが2016年に実機をクラウドで開放した理由と、使い手のコミュニティを育てる戦略を、IBM Quantum Japanの堀井 洋氏らが語ったインタビュー。

【編集部後記】

10年前、クラウドの向こうに置かれた5量子ビットの装置に触れた人の多くは、それが何の役に立つのかを知らなかったはずです。それでも誰かが回路を組み、使い方を共有してきました。その積み重ねの先に、今回の腸内細菌や音楽、アニメの研究があります。量子コンピューターの使い道は、作り手だけでは見つけられないのかもしれません。私たちが日々向き合っている課題のなかにも、まだ誰も量子の言葉で書き直していない問いが眠っているのではないでしょうか。

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。

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