Last Updated on 2025-04-10 14:39 by admin
オーストリア科学技術研究所(ISTA)のヨハネス・フィンク教授の研究グループは、超伝導量子ビットの完全光学的読み出しに成功し、2025年2月11日にNature Physicsで発表しました。
この研究は、量子コンピュータ実用化への大きな課題である「スケーラビリティ」に対する新たな解決策を提示しています。現在、IBMやGoogleなどが開発を進めているゲート型量子コンピュータは、100量子ビット程度の規模に留まっています。一方、実用的な量子計算には数千から数百万の量子ビットが必要とされ、この溝を埋めることが急務となっています。
例えば、現在開発が進められている日本の量子コンピュータシステムでは、産業技術総合研究所が2025年初頭に運用開始予定のG-QuATにおいて、富士通の超伝導ゲート型量子コンピューター(契約金額59億9500万円)とQuEra Computingの中性原子方式量子コンピューター(約65億円)の導入が決定しています。これらのシステムは数百量子ビットまでの拡張を目指していますが、さらなる大規模化には技術的なブレークスルーが必要です。
今回の研究成果は、電気光学変換器を用いて量子ビットの状態を光信号に変換し、光ファイバーで伝送する方式を確立しました。これにより:
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極低温環境(約10ミリケルビン)への熱流入を大幅に削減
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量子ビット制御のための配線を簡素化
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長距離での信号伝送を可能に
という三つの重要な課題の解決に道筋をつけました。
ただし、現時点ではプロトタイプ段階であり、光信号の変換効率や発熱量などの技術的課題が残されています。また、量子ビットのエラー訂正には多数の追加量子ビットが必要となり、この点でも大規模化は重要な課題となっています。
from:https://phys.org/news/2025-02-physicists-fully-optical-readout-superconducting.html
【編集部解説】
量子コンピュータ開発の「静かな革命」
量子コンピュータの研究開発において、2024年から2025年にかけては重要な転換期となっています。Google、IBM、Intelといった大手テック企業が競うように成果を発表し、一方で日本でも産総研を中心とした本格的な研究開発が始まろうとしています。
現状の課題:なぜ大規模化が難しいのか
現在の量子コンピュータが直面している最大の課題は、量子ビット数の拡大です。例えば、実用的な暗号解読には数千万個の量子ビットが必要とされていますが、現状で最も進んでいるIBMの量子コンピュータでも、133量子ビットの実装に留まっています。
この「スケーラビリティ」の問題には、主に三つの技術的な壁があります:
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量子ビットの制御
現在の方式では、量子ビットごとに複数の制御線が必要です。数百の量子ビットになると、その配線だけで極低温装置の中が埋め尽くされてしまいます。 -
エラー訂正の必要性
量子ビットは非常に不安定で、わずかな外乱でもエラーが発生します。これを訂正するには、1つの論理量子ビットに対して数千の物理量子ビットが必要とされています。 -
極低温環境の維持
超伝導量子ビットは絶対零度近く(約10ミリケルビン)という極低温で動作する必要があります。制御線からの熱流入は、この環境維持を困難にしています。
今回の技術革新:光による ブレイクスルー
今回ISTAの研究チームが開発した光学的読み出し技術は、これらの課題に対する画期的な解決策となる可能性があります。
特に注目すべきは、この技術が「モジュール化」を可能にする点です。現在の量子コンピュータは、全ての量子ビットを一つの極低温装置に詰め込む必要がありました。しかし、光ファイバーによる接続が可能になれば、複数の小規模な量子プロセッサを組み合わせて大規模なシステムを構築できるようになります。
これは、現在のクラウドコンピューティングのように、地理的に分散した量子コンピュータをネットワークで接続する「分散型量子コンピューティング」への道を開くものです。
日本の研究開発状況
この文脈で注目すべきは、日本の産総研G-QuATプロジェクトです。2025年初頭から運用開始予定のこのシステムでは、異なる方式の量子コンピュータを組み合わせるハイブリッドアプローチを採用しています。
富士通の超伝導ゲート型(約60億円)とQuEra Computingの中性原子方式(約65億円)という、異なる特徴を持つ量子コンピュータを導入することで、それぞれの長所を活かした研究開発を目指しています。
量子ネットワークがもたらす可能性
今回の光学的読み出し技術は、単なる量子コンピュータの大規模化だけでなく、「量子インターネット」という新しい通信基盤の実現にも貢献する可能性があります。
量子ネットワークが実現すると、以下のような革新的な応用が可能になります:
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分散量子計算
複数の量子コンピュータが協調して動作することで、単体では解けない複雑な問題に取り組むことができます。例えば、新薬開発における分子シミュレーションや、気候変動予測のような大規模な計算が可能になります。 -
量子暗号通信
量子力学の原理を利用した完全に安全な通信が実現できます。現在の暗号技術は、将来的に量子コンピュータによって解読される可能性がありますが、量子暗号通信はその心配がありません。 -
量子センシングネットワーク
量子センサーを光ファイバーで接続することで、これまでにない精度での観測が可能になります。地震予知や気象観測、医療診断などへの応用が期待されています。
技術的課題と今後の展望
しかし、この技術の実用化にはまだいくつかの課題が残されています:
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変換効率の向上
現在のプロトタイプでは、光信号への変換効率がまだ十分ではありません。実用化には、より効率的な変換が必要です。 -
エラー耐性の確保
量子状態は非常に壊れやすく、光による読み出し時にもエラーが発生する可能性があります。これを最小限に抑える技術の開発が必要です。 -
システム統合
異なる種類の量子デバイスを効率的に接続し、制御するためのシステム設計が必要です。
今後の研究開発の方向性
研究チームは、これらの課題に対して以下のようなアプローチを提案しています:
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新材料の開発
より効率的な電気光学変換を実現するための新材料研究 -
システムアーキテクチャの最適化
モジュール化を前提とした新しい量子コンピュータアーキテクチャの設計 -
エラー訂正アルゴリズムの改良
光学的読み出しに特化したエラー訂正手法の開発
【用語解説】
ゲート型量子コンピュータ
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原理:量子ビットに対して量子ゲートによる操作を順次適用
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特徴:汎用的な計算が可能
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主要開発企業と現状:
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IBM:133量子ビット(Eagle)実装、2025年までに4,000量子ビットを目標
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Google:72量子ビット(Bristlecone)で量子超越性を実証
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Intel:シリコン量子ドット方式で12量子ビットを実現
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富士通:超伝導方式で数百量子ビットを目指す(G-QuAT計画)
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アニーリング型量子コンピュータ
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原理:量子効果を利用して最適解を探索
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特徴:組み合わせ最適化問題に特化
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主要開発企業と現状:
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D-Wave:7,000以上の量子ビットを実装
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日立:独自のCMOS技術による量子アニーリングマシンを開発中
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量子ビットのコヒーレンス時間
量子状態を維持できる時間。現在の超伝導量子ビットでは100マイクロ秒程度。計算の複雑さが増すほど、より長いコヒーレンス時間が必要となります。
量子エラー訂正
現在の技術では、物理的な量子ビット1,000個程度で論理量子ビット1個を構成。実用的な計算には数百の論理量子ビットが必要とされ、これが大規模化を困難にしている要因の一つです。
量子超越性
従来のコンピュータでは現実的な時間で解けない問題を、量子コンピュータで解けることを実証。2024年時点で、限定的な問題についてのみ達成されています。