Last Updated on 2025-03-31 12:30 by admin
2025年3月30日、SANS InstituteのRob T. Lee氏が量子コンピューティングの実用的な応用について見解を発表した。
主な要点は以下の通りである
- 2024年8月、米国国立標準技術研究所(NIST)が最初の3つの「耐量子暗号化標準」を発表した。
- 量子コンピューティングは暗号解読よりも、科学、製薬、医療分野での活用が期待されている。
- 量子コンピュータへのアクセスは、当面は国家レベルの主体や大企業(Google、Microsoft、AI企業など)に限られる。
量子コンピューティングの主な応用分野
- 新材料・触媒の開発
- 製薬業界での新薬開発の加速
- 宇宙旅行能力の向上(軌道計算、ナビゲーション精度向上、燃料使用最適化)
暗号解読は量子コンピューティングの使用例の一つだが、優先度は高くないとされている。
現在、1日あたり約3000億通の電子メールと数兆通のテキストメッセージが送信されている。
Lee氏は、量子コンピューティングの実際の使用方法について再考する必要性を指摘している。
from:Beyond encryption: Why quantum computing might be more of a science boom than a cybersecurity bust
【編集部解説】
量子コンピューティングの実用化が進む中、その潜在的な脅威と実際の応用について、様々な見方があります。Rob T. Lee氏の見解は、量子コンピューティングが暗号解読よりも科学分野での活用に価値があるという点で、現在の技術動向を的確に捉えています。
Lee氏が言及しているように、NISTは2024年8月に最初の耐量子暗号化標準を発表しました。これは量子コンピュータによる暗号解読の脅威に対する重要な対策の一歩と言えるでしょう。
MITREの最新レポートによれば、RSA-2048暗号を破る能力を持つ量子コンピュータの登場は2055-2060年頃までは考えにくいとされています。一方で、2035年頃には実現する可能性もあるという見方もあり、専門家の間でも意見が分かれています。
しかし、Microsoftが2025年2月に発表した「Majorana 1」という量子チップは、この予測を覆す可能性を秘めています。Microsoftは、現在の暗号化プロトコルを破る量子コンピュータが「数十年ではなく、数年」で利用可能になると予測しています。
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※Microsoftによる新しい解決策
Microsoft Majorana 1:トポロジカル量子ビットの実証に成功 ─ 量子コンピューティングの新たな可能性
Microsoft Majorana 1が量子コンピューティングを変える – 100万量子ビットへの革新的アプローチ
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このような状況の中、Lee氏が指摘するように、量子コンピューティングの真の価値は科学分野での応用にあるという視点は重要です。特に医療分野では、量子コンピューティングが個別化医療や創薬において革命的な進歩をもたらす可能性があります。
量子コンピュータは分子相互作用のシミュレーションを従来のコンピュータでは不可能なレベルで実行できるため、新薬開発や治療法の最適化を格段に速く、正確に行うことができます。また、ゲノム解析や臨床研究、診断、治療介入など幅広い医療分野での応用が進んでいます。
さらに、量子機械学習(QML)の急速な発展により、新しい薬剤候補の生成、医療画像に基づく診断、患者の治療効果予測、放射線治療の最適化などが可能になりつつあります。これらの技術は、細胞中心の治療法や精密医療という長期的な目標に向けた道を開くものです。
一方で、Lee氏が指摘するように、量子コンピューティングへのアクセスは当面、国家レベルの主体や大企業に限られるでしょう。これは技術の高コストと複雑さによるものです。そのため、限られた量子計算能力をどのように活用するかという選択において、科学的発見や経済競争力の向上が暗号解読よりも優先される可能性が高いと考えられます。
しかし、「今収穫し、後で解読する(harvest now, decrypt later)」攻撃の脅威は無視できません。これは現在の暗号化されたデータを収集し、将来量子コンピュータが利用可能になった時点で解読するという戦略です。NISTは2035年までに高優先度システムをすべて量子耐性暗号に移行する計画を立てています。
innovaTopiaの読者の皆さんにとって重要なのは、量子コンピューティングの両面性を理解することでしょう。一方では、医療、材料科学、気候モデリングなどの分野で革命的な進歩をもたらす可能性があります。他方では、サイバーセキュリティに新たな課題をもたらします。
企業や組織は、NISTの耐量子暗号標準に注目し、長期的な移行計画を検討し始めるべき時期に来ています。特に長期間の保護が必要な機密データを扱う組織にとって、この準備は重要です。
量子コンピューティングの発展は、技術的な挑戦だけでなく、倫理的な課題も提起しています。特に医療分野での応用においては、個人のプライバシーや公平性の問題が重要になるでしょう。
結論として、Lee氏の見解は量子コンピューティングの実用的な側面に光を当てるものであり、過度な恐怖や誇張を避け、この革命的技術がもたらす真の可能性と課題を冷静に評価する必要性を示しています。量子時代への移行は、脅威と機会の両方をもたらすものであり、バランスの取れた準備と展望が求められているのです。
【編集部追記】
量子コンピュータが実用化されれば、技術の進化だけでなく、社会全体に大きな影響を与える可能性があります。特に、創薬や気候モデリングなどの分野では、量子コンピュータがもたらす革新的な進歩が期待されています。
量子並列性
量子コンピュータは、量子並列性を活用して複数の計算を同時に実行する能力を持っています。これは、量子ビット(qubit)の「重ね合わせ(superposition)」という特性に基づいています。qubitは、0と1の両方の状態を同時に保持することができるため、膨大な数の計算を同時に実行することができます。
例えば、古典的なコンピュータでは、データベース内の各エントリを一つずつ確認する必要がありますが、量子コンピュータはすべてのエントリを同時に評価することができます。これにより、特定のアルゴリズムでは古典コンピュータよりも大幅に高速に計算が行えるようになります。
創薬と科学の進展
創薬や新材料開発において、量子コンピュータは膨大な数の分子構造を迅速にシミュレーションし、最適な分子を選び出すことができます。これにより、新薬の開発が加速され、より効果的な治療法が見つかる可能性が高まります。また、新材料の開発では、超伝導体や触媒などの新しい素材を設計することが可能になり、エネルギーや環境問題の解決にも寄与することが期待されています。
量子コンピュータは、特に分子スクリーニングにおいて大きな効果を発揮します。従来の方法では、膨大な数の化学構造を検討する必要があり、時間とコストがかかりますが、量子コンピュータはこれらの計算を効率的に行うことができます。例えば、IBMとSTFC Hartree Centreの共同研究では、量子コンピュータを用いた機械学習アルゴリズムが、薬剤候補の特定において従来の方法よりも20%以上の精度向上を達成しました。このような技術は、特に複雑な疾患に対する新薬開発において重要です。
気候モデリングと機械学習
気候モデリングでは、量子コンピュータを用いた機械学習が、非線形な気候システムを正確に予測する手段として注目されています。量子アルゴリズムは、従来では不可能だった高精度な気候シミュレーションを可能にし、気候変動の予測精度を向上させることができます。これにより、より効果的な環境対策が立てられる可能性があります。
気候システムは、多くの要因が相互作用し、非線形的な関係を形成します。これにより、従来の線形モデルでは正確な予測が難しくなりますが、量子コンピュータはこれらの複雑な相互作用を正確にモデル化することができます。特に、量子並列性を活用して複数の気候要因を同時に考慮し、非線形な相互作用を正確に予測することが可能です。
量子コンピュータは、非線形システムの理解と予測において大きな利点を提供します。従来の機械学習アルゴリズムでは、データの量や質に制約を受けることがありますが、量子コンピュータはこれらの制約を超える能力を持っています。例えば、量子機械学習を用いて、気候データの分析を深化し、気候変動のパターンや傾向をより正確に理解することが可能です。
【用語解説】
量子コンピューティング:
従来のコンピュータとは根本的に異なる計算方式で、量子力学の原理を利用して計算を行う技術。多次元の計算空間を利用して膨大なデータのパターンを特定し、極めて複雑な問題を解決できる。
耐量子暗号(PQC: Post-Quantum Cryptography):
量子コンピュータによる攻撃にも耐えられるように設計された暗号技術。NISTが標準化を進めている。
量子ビット(qubit):
量子コンピュータにおける情報の最小単位。通常のビットが0か1のどちらかの値しか取れないのに対し、量子ビットは「重ね合わせ」により両方の状態を同時に持つことができる。
イオントラップ技術:
イオン化した原子を電場で捕捉し、量子ビットとして利用する技術。IonQが採用している方式で、長時間安定した状態を保つことができる。
SANS Institute:
情報セキュリティ教育と認定を提供する組織。Rob T. Lee氏が研究主任を務めている。
ショアのアルゴリズム:
量子コンピュータ上で実行される素因数分解アルゴリズムで、RSAなどの公開鍵暗号を効率的に解読できる可能性がある。
【参考リンク】
SANS Institute(外部)
情報セキュリティ教育と研究を提供する組織。Rob T. Lee氏が所属している。
NIST(米国立標準技術研究所)(外部)
科学技術分野における計測と標準に関する研究を行うアメリカの政府機関。
IonQ(外部)
イオントラップ技術を用いた量子コンピュータを開発・提供する企業。
IBM Quantum(外部)
IBMが提供する量子コンピューティングサービス。クラウドで量子コンピュータにアクセス可能。
HPE量子コンピューティング(外部)
HPEの量子コンピューティングに関する取り組みを紹介するページ。
【参考動画】
【編集部後記】
量子コンピューティングの世界は、私たちの想像を超える可能性に満ちています。皆さんは、この技術が日常生活にどのような影響を与えると思いますか?医療や環境問題の解決、新素材の開発など、様々な分野での応用が期待されています。一方で、セキュリティの課題も浮上しています。この記事を読んで、皆さんなりの未来像を描いてみてはいかがでしょうか?量子技術がもたらす未来について、ぜひSNSで皆さんの考えをシェアしてください。私たちも一緒に学び、考えていきたいと思います。