「本日のパトロール回数」。明電舎が新たに開発した安全教育アプリの画面に、そんな表示があります。仮想の工場内で危険を探すゲームです。ただ、同社はすでにVRもメタバースも導入済み。それでもパソコンで動くアプリを作った理由は、発表文のなかの一行に書かれていました。
株式会社明電舎は2026年8月25日、工場内の危険箇所を探しながら学ぶ危険感受性向上支援アプリ「M-search」を開発したと発表した。労働災害の未然防止と従業員の危険感受性向上が目的で、全従業員が社有パソコンから利用できる環境を整備した。
明電舎の生産現場をモデルにした仮想の工場を舞台に、制限時間の10分間で危険箇所を発見・指摘する。資材の散乱、脚立から身を乗り出しての作業、通路上の障害物などを題材とし、危険箇所を見つけた際には関連する安全知識や対策に関するクイズも出題される。危険箇所は50種類を用意し、1回のプレーにつき5種類をランダムに設定する。
同社生産統括本部安全統括課の監修のもと、株式会社ジョーソンドキュメンツに開発を委託した。今後はステージ数や教育テーマの拡充を検討する。
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労働災害の撲滅と安全意識の向上へ 工場内の危険をゲーム感覚で学ぶアプリ「M-search」を開発

【編集部解説】
「横ばい」という言葉の重さ
まず、背景に置かれた数字を少し補っておきます。厚生労働省が2026年5月27日に公表した令和7年(2025年)の確定値では、死亡者数は700人で、前年から46人・6.2%減り、過去最少となりました。一方、休業4日以上の死傷者数は135,333人で、前年比385人・0.3%減。厚労省自身はこれを「横ばい」と表現しています。いずれも2025年中に発生し、2026年4月7日までに報告された災害の集計で、新型コロナウイルス感染症による労災を除き、死傷者数に通勤災害は含みません。
大きくは減っていない、というのが実態です。休業4日以上の死傷災害を業種別に見ると、製造業が26,371人で最多。事故の型別では転倒が37,195人で最も多く、前年から2.2%増えています。明電舎も、135,333人という死傷者数について「依然として高い水準」としています。
すでに、一通りそろっていた
押さえておきたいのは、明電舎が安全教育に複数の技術を継続して取り入れてきた会社だという点です。
安全体感教育は2008年から。2019年には安全体感教育車両2号車の運用を始め、沼津を皮切りに国内の生産拠点で活用してきました。2020年2月には沼津事業所に「安全伝承館」を開設しています。自社で起きた災害の年表、事故の概要と再発防止対策のパネル、災害を経験した本人が語る映像を展示する施設です。
デジタル側の整備も進んでいます。2020年からは、労災情報・交通事故・ヒヤリハット・安全パトロール・リスクアセスメントを一元管理する安全情報管理システムを運用。2023年には、前回の受講結果と比較して教育効果を見える化する「VR安全体感教育評価システム」を構築しました。2023年度からは、構内の速度違反や逆走、ヘルメット未着用などをAIが検知する「安全AIカメラシステム」も稼働しています。
受講機会を広げる手も、すでに打たれていました。2022年にヘッドマウントディスプレイを使うメタバース版安全伝承館を開発し、2025年5月にはパソコン上で入場できる版を開発。明電グループ従業員なら誰でも体験できる環境を整えています。M-searchは、同社の教育が初めてパソコンに降りてきた施策ではありません。
では、何が新しいのか
同社の既存施策を「危険をどう見つけるか」という軸で並べると、すでに複数の経路がありました。
安全パトロールでは、社内の目に加えて安全衛生コンサルタントによる外部の視点も取り入れています。2024年度から始まった安全衛生情報交換活動では、グループ内のクロスパトロールで他拠点の目が入ります。安全AIカメラでは、機械が不安全行動を検知します。そして従業員自身も、以前から見つける側にいました。安全衛生行動指針は「一人ひとりが労働災害に至る危険を予想し」と定め、全作業での危険予知活動と、全員参加を目標に掲げた日々のヒヤリハット活動からの危険源抽出を求めています。
これらに共通するのは、組織として危険を拾い上げる仕組みだという点です。
M-searchの発表が挙げる課題は、少し違うところにありました。事業所や職種を問わず多くの従業員が日常的に安全について学び、危険を自ら見つける力を高められる環境づくり——そこが積み残しだった、と同社は書いています。
画面上部に表示されるラベルは、「本日のパトロール回数」でした。画面上では、学習回数を「パトロール」と表現しているわけです。従業員一人ひとりが、仮想工場で危険箇所を探す学習に繰り返し取り組める。今回加わったのは、そういう学習機会だと読むのが自然でしょう。
「事故の型」という共通の分類語
画面から分かることが、もう一つあります。
危険箇所を指摘すると、解説パネルが開きます。並ぶのは「危険箇所」「事故の型」「ハザード内容解説」の3つ。歩きスマホの例では、事故の型に「転倒」と表示されています。
「事故の型」は、厚生労働省の労働災害統計で実際に使われている分類です。現在につながる「事故の型および起因物分類」は1972年に公表され、1973年から労働災害統計に採用されました。墜落・転落、転倒、はさまれ・巻き込まれなど21の区分で構成されています。先ほどの「転倒37,195人」「墜落・転落20,864人」も、この分類による集計です。
少なくともこの公開例では、社内教材と公的統計が同じ分類語を使っていることが確認できます。一方、50種類すべてが厚労省分類に対応しているか、事故の型別に学習結果を集計・分析できるかは公表されていません。
両者の設計上のつながりも公表されていませんが、開発を受託したジョーソンドキュメンツには、公的な「事故の型」分類をコンテンツ整理に用いた先例があります。2024年11月に開設した労働災害イラストの販売サイト「再現ストック」では、厚生労働省の「事故の型分類表」に基づいてカテゴリを構成していました。
題材が「ながらスマホ」であること
公開画面で確認できる出題例は、歩きながらスマートフォンを操作している作業者です。
リリース本文が挙げた例——資材の散乱、脚立から身を乗り出しての作業、通路上の障害物——が現場作業に寄っていたのに対し、歩きスマホは特定の製造作業に限らず起こり得る行動です。「場所や職種を問わず」という説明が、コンテンツの中身のレベルでも見て取れます。そして転倒は、2025年の休業4日以上の死傷災害で最も多い事故の型でした。
50種類を、どう反復するか
50種類の危険箇所から、1回につき5種類をランダムに設定する。この仕組みは、繰り返し利用しても出題内容が変わり得る構成です。
画面上部には「スキルレベル」と「本日のパトロール回数」も表示され、当日の利用回数を確認できるUIになっています。
安全教育へのゲーミフィケーションには、学習への関与を高める可能性がある一方で、ゲーム上の行動が実際の安全行動にどこまでつながるかなど、設計・評価上の論点もあります。50種類から5種類をランダムに設定する仕組みには、同じ内容の固定反復を避けやすい利点があります。ただし、明電舎がこれを暗記防止策として説明しているわけではありません。指摘したあとに解説とクイズが順に続く導線も、見つけて終わりにしない構成を示しています。
効果を測る仕組みづくりについては、同社にすでに実績があります。2023年に構築したVR安全体感教育評価システムは、前回の受講結果と比較して教育効果を見える化するものでした。危険感受性は、危険源の指摘数だけでなく被害想定の正確さなど複数の指標を用いた測定手法も研究されており、評価方法に工夫が必要な領域です。
受託した会社にも触れておきたい
開発を担ったのは、香川県高松市の株式会社ジョーソンドキュメンツです。2001年の創業以来、重機メーカーや産業用装置メーカー、全国の電力会社向けに、マニュアルと社内教育コンテンツを制作してきました。
近年は、労働災害をリアルに再現して疑似体験させるVR体感型の教育コンテンツも手がけ、大手建設機械メーカーや大手ハウスメーカーへの納入実績があります。VR体感型教材の実績を持つ同社が、今回担当したのは、明電舎の従業員が社有パソコンから利用する学習アプリでした。多数の労働災害・ヒヤリハット事例を教材化してきた実績のある会社です。ただし、その蓄積とM-searchの50種類との具体的な関係は公表されていません。
反復のための50種類
危険予知訓練(KYT)は、日本の製造現場が長く磨いてきた手法です。イラストシートを囲み、危険を出し合い、重要な危険を絞り込み、対策を決め、行動目標にまとめる。この4ラウンド法が標準的な形です。明電舎の安全衛生行動指針にも、全作業での危険予知活動と、作業後のアフターKYによる振り返りが掲げられています。
M-searchは、この一連の流れをそのままパソコンに移したものではありません。M-searchの危険箇所探索は、KYTの第1ラウンドで行う「危険を見つける」作業と共通点があります。ただし、M-searchがKYTを基に設計されたかは公表されていません。既存の安全活動に加え、社有パソコンから利用でき、危険箇所探索の制限時間を10分とする学習機会が一つ増えました。
危険を見つける力は、反復して磨く余地があります。M-searchでは50種類の危険箇所から毎回5種類がランダムに設定されるため、利用するたびに異なる組み合わせに出会う可能性があります。明電舎は今後、利用状況や従業員の意見を踏まえ、ステージ数や教育テーマの拡充を検討するとしています。
【関連記事】
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【編集部後記】
第一種衛生管理者として毎月の安全衛生委員会を回していたころ、いちばん骨が折れたのはヒヤリハットの収集でした。全員参加をうたっても、報告用紙は自然には集まりません。ひやりとする場面に出会うかどうかに、そもそも差があるからです。
M-searchは、その機会を人工的に作る道具に見えます。仮想の工場なら、危ない目に遭わずに何度でも歩ける。あのころ手元にあったら、委員会に持っていく議題は少し違っていたかもしれません。
【用語解説】
事故の型
労働災害を「どのような現象で傷病に至ったか」で分類する厚生労働省の区分。現在につながる分類は1972年に公表され、1973年から統計に採用された。墜落・転落、転倒、はさまれ・巻き込まれなど21区分からなる。
危険感受性
目の前の状況に潜む危険に気づく力を指す、労働安全分野の用語。座学の知識量とは別の能力として扱われ、体感教育や訓練によって養うものとされる。
ハザード
事故につながりうる状態や行為。「危険な状態」と「危険な行為」の双方を含む。M-searchでは、探し出す対象そのものを指している。
危険予知訓練(KYT)
イラストや現場の状況をもとに、潜む危険を出し合い、重要な危険を絞り込み、対策と行動目標を決める訓練。この流れを4段階で行う基礎4ラウンド法が標準的な形である。
KYK(危険予知活動)/アフターKY
KYKは作業前に危険を予測して対策を確認する活動。アフターKYは作業終了後に、指示の有効性や予定外の事態がなかったかを振り返る活動を指す。
ヒヤリハット
災害には至らなかったものの、ひやりとした、はっとした事例。重大災害の背後に多数存在するとされ、危険源を洗い出す材料として収集される。
リスクアセスメント
職場の危険源を洗い出し、危険の程度を見積もったうえで、優先度を決めて低減措置を講じる一連の手法。
ゲーミフィケーション
得点、レベル、達成表示といったゲームの要素を、教育や業務など本来ゲームではない領域に取り入れる手法。
確定値/休業4日以上
労働災害統計の確定値は、当年に発生し翌年4月上旬までに報告された災害を集計したもの。死傷者数は労働者死傷病報告に基づくため、休業4日以上の事案が対象で、通勤災害は含まない。
【参考リンク】
令和7年の労働災害発生状況を公表|厚生労働省(外部)
厚生労働省が公表した2025年の労働災害発生状況。死亡者数700人、休業4日以上の死傷者数135,333人という確定値の出典。
事故の型[安全衛生キーワード]|職場のあんぜんサイト(外部)
厚生労働省による「事故の型」の解説ページ。墜落・転落や転倒など、労働災害を21区分で分類する体系を確認できる。
労働安全衛生|明電舎 サステナビリティ(外部)
明電舎の労働安全衛生ページ。安全伝承館、VR評価システム、安全AIカメラなど本記事で触れた取組みの一次情報。
株式会社ジョーソンドキュメンツ(外部)
M-searchの開発を受託した企業の公式サイト。マニュアル制作、eラーニング、VR体感型教材などを手がけている。
再現ストック|株式会社ジョーソンドキュメンツ(外部)
厚生労働省の「事故の型分類表」に基づきカテゴリを構成した、労働災害・ヒヤリハットのイラスト販売サイト。
危険予知訓練(KYT)|職場のあんぜんサイト(外部)
厚生労働省による危険予知訓練の解説。第1ラウンドで危険を発見する基礎4ラウンド法の進め方がわかる。
危険感受性の測定手法に関する研究|電力中央研究所(外部)
電力中央研究所による危険感受性の測定手法の研究。指摘数と正答数を組み合わせて評価する方法を扱っている。
【参考記事】
令和7年 労働災害発生状況について|厚生労働省労働基準局安全衛生部安全課(外部)
業種別・事故の型別の内訳を掲載した統計資料。製造業26,371人、転倒37,195人といった本記事の数値の裏付け。
労働安全衛生|明電舎 サステナビリティ(外部)
2025年5月のPC版メタバース安全伝承館、2023年のVR評価システムなど、取組みの時系列の確認に用いた。
社員の更なる安全意識向上に仮想空間を活用「メタバース安全伝承館」を開発|明電舎(外部)
2022年発表。ヘッドマウントディスプレイを用いる初代メタバース版の仕様を確認した。
仮想空間で過去の労働災害を後世に伝える「メタバース安全伝承館」を共同開発|株式会社インフィニットループ(外部)
安全伝承館の来場者が2022年時点で延べ890人だったことなど、共同開発の詳細を記載している。
新型安全体感教育車両の運用を開始しました|明電舎(外部)
2019年発表。明電舎の安全体感教育が2008年から続いていることを確認した資料。


















