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6月7日【今日は何の日?】「ムダ毛なしの日」ーテクノロジーの発展と価値観の変容

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6月7日は「ムダ毛なしの日」とされています。この日を機に、私たちの日常に溢れる脱毛広告について考えてみませんか? 電車の中吊り広告、SNSのタイムライン、YouTubeの動画広告—あらゆる場所で「ツルツル肌」「完璧な仕上がり」といったキャッチフレーズが目に飛び込んできます。でも、これらの広告が伝えるメッセージの背後には、テクノロジーの発展と社会の価値観が複雑に絡み合った現代的な問題が隠れているのです。

脱毛広告、ちょっと過剰じゃない?

今の脱毛業界の広告戦略を見ていると、ちょっと行き過ぎているのでは?と感じることがあります。特に女性をターゲットとした広告では、体毛があることを「恥ずかしいこと」「なんとかしなければならないもの」として扱い、脱毛しないという選択肢はないかのような表現が目立ちます。「自信を持てる肌へ」「本当の美しさを手に入れよう」といった言葉は、体毛がある状態を良くないものとして捉える価値観を広めているように思えます。

これまでは主に女性がターゲットでしたが、最近では男性やさまざまなジェンダーの人々にも脱毛の常識が広がっています。それぞれ異なる角度からのプレッシャーを受けながらも、その影響はどんどん拡大しているのが現状です。さらに、こうした「美しさの基準」はしばしば人種的な偏見とも結びつき、特定の毛質や生え方が他よりも強く否定的に見られることもあります。

特に心配なのは、こうした広告が若い世代、特に思春期の女性に与える影響です。自然な体の変化を「問題」として感じさせ、その解決策として脱毛を提示する仕組みは、体に対する健全な自己受容を妨げてしまう可能性があります。広告によって作られた「美しさの基準」が、個人の自由な選択を狭めている今の状況は、なかなか深刻な問題だと言えるでしょう。

脱毛技術の歴史を振り返ってみると

脱毛の歴史を遡ると、古代エジプトやローマ時代から色々な除毛方法が存在していました。でも、現代的な脱毛技術が本格的に発展したのは20世紀後半からのこと。そしてその発展が、本来「選択肢の一つ」だった脱毛を「当たり前のこと」へと変えていったのです。

電気脱毛の始まり(1875年)
眼科医のチャールズ・ミシェルが開発した電気分解法が、現代脱毛技術のスタート地点となりました。ただし、この技術が広く普及するまでには約100年もかかっています。

レーザー脱毛の登場(1990年代)
1996年にFDAに認められたレーザー脱毛技術は、脱毛業界に大きな変化をもたらしました。アレキサンドライトレーザー、ダイオードレーザー、YAGレーザーなど、いろいろな波長のレーザーが開発され、様々な肌質や毛質に対応できるようになったのです。

IPL技術の広がり(2000年代)
IPL(Intense Pulsed Light)技術が導入されたことで、脱毛がより身近で手軽なものになりました。家庭用脱毛器の普及も、この技術があったからこそ実現できたんですね。

医療用脱毛のさらなる進歩(2010年代以降)
蓄熱式脱毛器や冷却システムの改良により、痛みを和らげながら効果を高めることができるようになりました。これによって、従来は医療行為として限られた人しか受けられなかった脱毛が、より多くの人にとって身近なサービスになったのです。

テクノロジーの普及がもたらした意外な問題

テクノロジーの発展によって脱毛がより安全で効果的になったのは確かです。でも皮肉なことに、技術が身近になったことで「選択の自由」が狭まってしまっている面もあるんです。脱毛技術が手軽になればなるほど、「どうして脱毛しないの?」という社会的なプレッシャーが強くなり、結果として脱毛が半ば当然の選択になってしまっています。

高度な脱毛技術は、人間の体を「改善すべきもの」として商品化する傾向を強めています。テクノロジーが進歩するほど、「自然な状態」が「まだ完成していない状態」として見られるようになり、技術的な手入れが当たり前だと思われる風潮が生まれているのです。

SNS時代の体への意識の変化

Instagram、TikTokなどの写真や動画が中心のSNSでは、完璧に手入れされた体のイメージが日常的に流れています。これらのプラットフォームでは、脱毛前後の比較写真や施術の様子を撮った動画が拡散され、脱毛が「普通の身だしなみ」として定着していく流れを加速させています。

検索履歴や閲覧履歴を元にした広告配信システムは、一度脱毛に興味を示したユーザーに対してずっと関連する広告を表示し続けます。このアルゴリズムによる「エコーチェンバー効果」は、特定の美意識を知らず知らずのうちに強化し、多様な体の在り方を排除する働きをしています。

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西欧的な美意識の世界への広がりとカウンターカルチャー

レーザー脱毛技術の多くは欧米で開発され、その技術と一緒に西欧的な美意識も世界中に広がっています。アジアやアフリカなど、伝統的に体毛に対する価値観が違う文化圏でも、脱毛が「現代的な選択」として受け入れられる現象が見られます。

アメリカの歯列矯正文化に見る似たような構造
この現象は脱毛だけに限りません。アメリカでは歯列矯正が社会的成功の象徴として位置づけられ、「完璧な白い歯並び」が標準的な美しさの基準になっています。実際、アメリカの歯列矯正市場は年間約150億ドルに達し、大人の約4分の1が何らかの歯列矯正治療を受けています。

問題なのは、この美的基準が世界中に輸出されていることです。従来、歯並びに対する価値観が違っていた文化圏—例えば日本の「八重歯」を可愛らしさの象徴とする文化や、アフリカの一部地域で見られる歯の装飾文化—でも、「国際的なスタンダード」として西欧的な歯列矯正の美意識が浸透しています。

特に問題なのは、歯列矯正技術が高度化したことで、本来治療が必要でない軽い歯並びの個性までも「問題」として認識される傾向が強まっていることです。インビザラインなどの目立たない矯正技術が普及したことで、矯正のハードルが下がった結果、「なぜ矯正しないの?」という社会的圧力が生まれています。

一方で、過度な体の管理に対する反発として、「ボディ・ポジティビティ」運動や「ナチュラル・ビューティー」運動が台頭しています。これらの動きは、テクノロジーによって作られた美の基準に疑問を投げかけ、多様な体の在り方を肯定しようとしています。

例えば、フランスの女優ジュリア・ロバーツが脇毛を処理せずにレッドカーペットに現れた1999年の出来事や、近年のInstagramで #bodyhairpositivity#embraceyourteeth といったハッシュタグが拡散している現象は、画一的な美の基準への反発を表しています。ただし、これらの運動もSNSプラットフォーム上で展開されるため、結果的に「自然であることを選択する」という新たな美的カテゴリーを生み出している側面もあります。

体を変える技術が社会に与える影響

脱毛技術と歯列矯正技術に共通しているのは、どちらも「体の最適化」を謳いながら、実際には社会的な適合を強制する仕組みとして働いている点です。これらの技術は確かに個人の選択肢を増やしましたが、同時に「選択しない自由」を制約しています。

技術の発展によって体の改良がより手軽になることで、逆説的に体の多様性が失われる現象は、現代社会が直面している深刻なパラドックスです。テクノロジーが提供する「解決策」が、実は新たな社会的プレッシャーの源になっているのです。

これからの展望

技術の倫理を考える必要性
脱毛技術のさらなる発展に当たっては、技術倫理の観点からの検討が欠かせません。施術の安全性を確保するだけでなく、社会に与える影響や個人の自主性への配慮を含めた総合的な評価システムを作ることが求められています。

多様な美意識を大切にすること
脱毛するかしないかは、本来個人の自由な選択であるべきです。教育現場やメディアで、多様な体の在り方を肯定的に扱い、一つの美的基準に押し込めない取り組みが必要です。

テクノロジーの発展と価値観の変化

科学技術の発展そのものは、人類の技術的な成果として評価されるべきものです。でも、その技術が社会に取り入れられる過程で起こる価値観の画一化や個人の自主性の侵害については、私たちが真剣に向き合うべき課題です。

そしてこれは、今後想定される「人間拡張(AI、BCI、ARコンタクトレンズなど)」についても同じように問題提起できます。

「私たちが手に入れる技術は、選択肢なのか強制なのか。」
この「ムダ毛なしの日」に改めて考えてみる必要があると感じます。

テクノロジーは中立的な道具ですが、それを社会にどう組み込むかによって、私たちの生き方や価値観は大きく変わります。

脱毛技術をめぐる現在の状況は、テクノロジーと社会の関係について考える大切な事例と言えるでしょう。本当に多様で包摂的な社会を目指すためには、技術の進歩と並行して、その技術がもたらす社会的影響について継続的に考え続けることが欠かせません。

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さつき
社会情勢とテクノロジーへの関心をもとに記事を書いていきます。AIとそれに関連する倫理課題について勉強中です。ギターをやっています!
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