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6月27日【今日は何の日?】「世界初のATMが設置された日」─εὕρηκα!発明はお風呂で生まれがち?

 - innovaTopia - (イノベトピア)

Last Updated on 2025-06-27 01:25 by admin

今日6月27日は、1967年にイギリス・ロンドンで世界初のATMが設置された記念日です。

現在、私たちは当たり前のように24時間いつでもATMからお金を引き出すことができます。コンビニでも、駅でも、必要な時に現金を手に入れることができる。でも、この便利さが生まれたきっかけは、一人の男性がお風呂に入っているときのひらめきだったということを、ご存知でしょうか。

そして、その技術が日本に渡って独自の進化を遂げ、現在のフィンテック革命の礎を築いた物語は、まさに「小さなアイデアが世界を変える」ことの素晴らしい実例なのです。

発明家の意外な生い立ち

冒険に満ちた人生が育んだ創造力

ATMを発明したジョン・シェパード=バロンは、1925年にイギリス領インド帝国のシロン(現在のメーガーラヤ州)で生まれました。まるで冒険小説の主人公のような人生を歩んだ彼の家族も、とてもユニークでした。

父のウィルフレッドは港湾技師長から英国土木学会の会長まで上り詰めた技術者。母のドロシーはなんと、テニスの元オリンピック選手で、ウィンブルドン選手権でも活躍した名選手だったのです。

「文武両道」を地で行く家庭で育ったシェパード=バロンは、エディンバラ大学とケンブリッジ大学で学んだ後、第二次世界大戦では空挺兵として戦場を駆け抜けました。戦後は印刷技術の最先端企業デ・ラ・ルー・インスツルメンツで、紙幣製造技術に携わるようになります。

軍隊での規律、工学的知識、多様な文化体験、そして何より「人々の困りごとを解決したい」という強い使命感。これらすべてが、後の歴史的発明を支える土台となったのです。

1960年代イギリスの銀行事情

現代の私たちには想像もつかないことですが、1960年代のイギリスでは、現金を手に入れるのは一大行事でした。

銀行の営業時間は、平日の午前9時から午後3時30分まで。土曜日と日曜日は完全にお休みです。しかも、現金を引き出すには必ず窓口に行き、通帳と印鑑を持参して、長い列に並ばなければなりませんでした。

「金曜日の夕方に現金を引き出し忘れると、月曜日の朝まで文字通り一文無しになってしまう人も珍しくありませんでした」と、当時を知る人は振り返ります。平日も、昼休みには銀行の前に長蛇の列ができました。会社員たちは限られた昼休み時間を削って、現金を引き出すために銀行に駆け込んでいたのです。

運命の土曜日の午後

チョコレート自販機が教えてくれたこと

1966年のある土曜日の午後、シェパード=バロンは銀行に現金を引き出しに行きました。しかし、到着した時にはすでにシャッターが下りていました。

「また間に合わなかった…」

彼は肩を落としながら帰路につきました。その道すがら、街角で見かけたのがチョコレートの自動販売機でした。コインを入れて、ボタンを押すだけで商品が出てくる。なんてシンプルで便利なんだろう。

「チョコレートが自動販売機で自由に買えるのに、なぜ自分のお金は自由に引き出せないんだろう?」

この素朴な疑問が、彼の頭の片隅に残りました。

お風呂の中の「ユリイカ!」の瞬間

その夜、自宅でお風呂に浸かりながら、シェパード=バロンは一日の出来事を振り返っていました。銀行での悔しい思い、チョコレート自販機の光景…。突然、目の前に鮮明な映像が浮かびました。チョコレート自販機のように、現金が出てくる機械。

「そうだ!現金の自動販売機を作ればいいんだ!」

お風呂から飛び出した彼は、すぐに妻のキャロラインに自分のアイデアを興奮気味に話しました。

「24時間いつでも現金を引き出せる機械を作るんだ。銀行が閉まっていても、土曜日でも日曜日でも、いつでもお金を引き出せるようになる!」

最初は戸惑っていたキャロラインも、夫の熱意ある説明を聞くうちに、このアイデアの革新性に気づきました。

「でも、どうやって本人確認をするの?誰でも引き出せるようになってしまうわよ」

「それは暗証番号で解決できる。軍隊では6桁の個人番号を使っていたから…」

「6桁?そんなの覚えられないわ。私には4桁が限界よ」

この何気ない妻の一言が、後に世界標準となる4桁PINの誕生につながったのです。

6ヶ月間の開発競争

バークレイズ銀行への売り込み

お風呂でのひらめきから、わずか6ヶ月という驚異的なスピードで実用化まで漕ぎ着けたシェパード=バロン。翌月曜日の朝一番に、彼はバークレイズ銀行の本店を訪れました。

「現金の自動販売機を作りたいのです」

銀行の幹部たちは最初、この突拍子もない提案に困惑しました。しかし、シェパード=バロンの情熱的で具体的な説明に心を動かされ、試作機の開発に合意したのです。

炭素14を使った驚きの認証システム

当時はまだ磁気ストライプカードが存在しなかったため、本人確認の方法が大きな課題でした。シェパード=バロンが考案したのは、なんと炭素14という軽微な放射性物質を紙に染み込ませるという、今思えば驚くべき方法でした。

利用者は特殊な小切手を受け取り、それをATMに挿入。機械が炭素14を検出して本人確認を行い、キーパッドから入力された4桁の暗証番号と照合するという仕組みでした。

「技術的には完璧ではありませんでした」と、シェパード=バロンは後に振り返っています。「でも、人々が本当に必要としているものを作ることができれば、技術的な不完全さは時間が解決してくれると信じていました」

10ポンドしか引き出せない制約

最初のATMには、現在では考えられない制約がありました。一度に引き出せるのは10ポンドまで。しかも、金額を選ぶことはできず、10ポンド札が1枚だけ出てくる仕組みでした。

でも、この「制約」こそが成功の鍵だったのかもしれません。利用者にとって分かりやすく、機械の故障リスクも最小限に抑えられたからです。

1967年6月27日 – 歴史が刻まれた瞬間

大々的なお披露目セレモニー

運命の日、ロンドン北部エンフィールドのバークレイズ銀行支店前には、報道陣、銀行関係者、そして好奇心旺盛な地元住民など、大勢の見物客が集まっていました。

午前10時、バークレイズ銀行の副会長サー・トーマス・ブランドが、特別に用意されたベルベットのカーテンに手をかけました。カーテンがゆっくりと引かれると、世界初のATMがお披露目されたのです。

コメディ俳優が歴史の証人に

記念すべき第1回目の取引を行ったのは、イギリスの人気コメディ俳優レグ・ヴァーニーでした。彼はシットコム「On the Buses」で人気を博していた国民的スターでした。

ATMを「親しみやすく、身近な技術」として印象づけるために選ばれたヴァーニーは、多くのカメラに見つめられながら、緊張した面持ちで炭素14入りの特殊小切手を機械に挿入しました。キーパッドから4桁の暗証番号を慎重に入力すると、機械が静かに動作音を立て始めました。しばらくの沈黙の後…カシャンという音とともに、10ポンド札が出てきました!

会場からは大きな拍手と歓声が上がりました。この瞬間、人類の金融史に新しい1ページが刻まれたのです。

18歳の銀行員が見た歴史的瞬間

当時その支店で働いていた18歳の窓口係キャロル・グレイグースさんは、後にこう振り返っています。

「とても大きな出来事で、エンフィールドが選ばれたことにみんな興奮していました。銀行は午後3時30分までしか開いていなかったので、ATMの導入は人々の生活に大きな変化をもたらすと感じました。でも、まさかここまで世界中に広がるとは想像もしていませんでした」

実際、ATMは瞬く間に人気となりました。設置から数週間で、地域住民の生活パターンが変わり始めたのです。土曜日や日曜日でも現金を引き出せる。仕事帰りの遅い時間でも銀行サービスを利用できる。これらの「当たり前」が、実は革命的な変化だったのです。

太平洋を越えて – 日本への上陸

1969年、日本にもATMがやってきた

世界初のATMから2年後の1969年12月1日、ついに日本にもATMが上陸しました。住友銀行(現・三井住友銀行)が立石電機(現・オムロン)と組んで開発した日本製のキャッシュディスペンサー(CD)が、大阪・梅田北口支店と東京・新宿支店に設置されたのです。

でも、日本のATM導入には、イギリスとは大きく異なる特別な背景がありました。

三億円事件が変えた日本の金融システム

1968年12月10日、東京・府中市で日本信託銀行の現金輸送車が襲われ、約3億円が奪われる「三億円事件」が発生しました。この事件は、現金輸送のリスクを日本社会に強烈に印象づけ、企業に給与の銀行振込への切り替えを促しました。

まさにこのタイミングでATM技術の情報がもたらされたのです。「現金を運ぶリスクを減らし、しかも従業員の利便性も向上できる」。悲劇的な事件が、かえって日本のATM普及を加速させることになりました。

日本独自の進化 – ダイヤル式ATM

日本初のATMには、イギリス版とは異なる独特の特徴がありました。暗証番号の入力方法が、なんと金庫のようなダイヤル式だったのです。利用者は金庫を開けるような感覚で、慎重にダイヤルを回していました。

「最初は金額も指定できず、1000円札を10枚1束にして引き出す方式でした」と、当時を知る銀行員は振り返ります。現在のように自由に金額を指定できるようになったのは、1971年に入ってからのことでした。

世界に先駆けた日本のオンライン革命

三井銀行の大胆な挑戦

実は、日本の銀行業界は1960年代半ばから、銀行の本支店間をコンピューター回線でつなぐオンライン・リアルタイム・システムの構築という、世界でも前例のないプロジェクトに挑戦していました。

このプロジェクトに真っ先に挑戦したのは三井銀行でした。1965年に都内10支店との接続に成功し、1968年には首都圏の支店全てとつなげることに成功。これは世界初の銀行オンライン・システムとして、海外からも注目を集めました。

世界初のオンラインATM誕生

このオンライン化により、1971年には三菱銀行が世界で初めてオンライン・システムにCD(キャッシュディスペンサー)を組み込むことを実現しました。

これにより、給与は直接口座に入金され、現金輸送のリスクは大幅に削減。そして何より、それまで口座を開設した支店でしかできなかった取引が、全国どこの支店・ATMでも利用できるようになるという革命的な変化がもたらされたのです。

石油危機が生んだ第二の革命

1973年の衝撃と銀行業界の苦境

1973年、石油危機が勃発し、日本経済は深刻な不況に陥ります。「銀行冬の時代」と呼ばれたこの時期、多くの銀行が生き残りをかけた合理化を迫られました。しかし、この危機こそが、日本の銀行業界をさらなる技術革新へと駆り立てることになりました。

第2次オンライン化による大変革

1975年から、都市銀行各行は一斉に第2次オンライン化のための大規模投資を実施しました。これは単なるシステム更新ではなく、銀行業務そのものを根本から見直す大改革であり、窓口業務の大幅な簡素化や顧客データの一元管理が進められました。

銀行の外へ – 初のATM進出

同じ1973年、画期的な出来事が起こりました。当時の大蔵省がCDの銀行外での設置を認可したのです。記念すべき第1号は、伊勢丹新宿店でした。デパートで買い物をしながら現金を引き出せる便利さは瞬く間に話題となり、これが現在のコンビニATMの原点となったのです。

1977年 – 真のATMの誕生

1977年、日本で初めて現金の引き出しだけでなく預金や送金も可能な、真のATMが導入されました。それまでは「キャッシュディスペンサー(CD)」と呼ばれていましたが、ついに双方向の取引が可能になり、銀行業務の効率化が一気に進みました。

日本が世界に誇る技術革新

1982年の快挙 – 還流型ATMの誕生

1982年、日本の技術力が世界を驚かせる画期的な発明が生まれました。沖電気工業が開発した「還流型ATM」です。

これは、入金された紙幣をそのまま出金にも使用できる革命的なシステムでした。開発には約1年の歳月を要しましたが、この技術は三つの重要な効果をもたらしました。

  1. 偽札犯罪の防止: 入金された紙幣は真偽判定システムによりチェックされ、偽札の混入を効果的に防ぎます。
  2. 現金管理の効率化: 銀行は現金の補充作業を大幅に削減できるようになりました。
  3. 運営コストの劇的削減: 現金輸送費、警備費、人件費など、ATM運営に関わるコストが大幅に削減されました。

この技術により、日本のATMは世界最先端のレベルに躍り出ました。

世界最大のATMネットワークの完成

1980年代の相互接続革命

1980年代から1990年代にかけて、日本では壮大なATMネットワークが段階的に形成されていきました。銀行の種類を超えた連携が実現し、利用者の利便性は飛躍的に向上しました。

郵便局の参入 – 世界最大のATMネットワーク誕生

1974年に郵政省が発表した全国の郵便局オンライン化構想は、10年後の1984年に実現し、世界最大のATMネットワークが誕生しました。

「どんな田舎でも郵便局はある。そこでお金を引き出せるようになれば、本当の意味で全国ネットワークが完成する」。このネットワーク化により、旅行先でも、転勤先でも、災害時でさえも、日本のどこにいても現金にアクセスできる環境が整ったのです。

コンビニ革命 – 24時間金融サービスの実現

1990年代の新たな挑戦

1990年代、日本の金融業界に再び革命の波が押し寄せました。それまで銀行の専売特許だったATMが、コンビニエンスストアに進出し始めたのです。「24時間365日開いているコンビニにATMを置く」という発想は、当時の常識を覆すものでした。

セブン-イレブンの革新的アイデア

この革命の先駆者となったのが、セブン-イレブンでした。従来の銀行ATMが持つ「営業時間」「手数料」「設置場所」の制約をすべて解決する可能性を秘めていたのが、コンビニATMでした。

・技術的課題の克服

実現には、24時間体制のセキュリティ、全国規模の通信インフラ、そして保守・メンテナンス体制の構築など、多くの技術的課題がありました。これらの課題を一つひとつ解決し、1998年、日本初の本格的なコンビニATMサービスが開始されました。結果は劇的で、深夜でも安価な手数料で現金を引き出せる便利さは、人々に熱狂的に受け入れられました。

・セブン銀行の誕生

2001年、この流れを決定づける出来事として、コンビニATMの運営を専門とするアイワイバンク銀行(現・セブン銀行)が誕生しました。シェパード=バロンが夢見た「いつでも、どこでも使える金融サービス」が、ついに真の意味で実現したのです。

ATMが社会に与えた深い影響

ATMの普及は、単なる技術革新を超えて、人々の生活そのものを変えました。

  • 時間の自由: 人々は自分の都合に合わせて金融サービスを利用できるようになりました。
  • 女性の社会進出: 夜間でも安全に現金を引き出せる環境は、働く女性の支えとなりました。
  • 銀行員の仕事の変化: 単純作業から解放された銀行員は、より高度な金融相談業務に集中できるようになりました。
  • 経済全体への影響: 現金流通の効率化は、中小企業の発展や地域経済の活性化に大きく貢献しました。

50年後の記念と現在の姿

金色のATMが語る歴史

2017年6月27日、ATM誕生50周年を記念して、バークレイズ銀行は最初の設置場所であるエンフィールド支店前に、金色に輝くATMを設置しました。たった10ポンドから始まった技術が世界を変えたことを象徴する出来事でした。

現在のATMの進化

現在のATMは、シェパード=バロンが想像したものをはるかに超え、現金の出し入れだけでなく、振込、税公金の支払い、外貨両替など多機能化が進んでいます。セキュリティ面でもICカードや生体認証が導入され、利便性も多言語対応やスマートフォン連携などで向上し続けています。

フィンテック時代の新たな挑戦

現在、ATMを取り巻く環境は、QRコード決済や非接触IC決済といったデジタル決済の台頭により大きく変化しています。また、仮想通貨やブロックチェーン、各国が研究を進めるCBDC(中央銀行デジタル通貨)は、「お金」や「決済」の概念そのものを変えつつあり、ATMの役割も将来的に大きく変わる可能性があります。

ATMの未来像

技術の進歩により、未来のATMは、AIを搭載して利用者に最適化されたサービスを提案したり、IoTと統合して地域の情報拠点となったりする可能性があります。顔認証などのバイオメトリクスが進化すれば、カードレスでの取引が当たり前になるかもしれません。将来的には、金融機械を超え、災害時の情報拠点や地域コミュニティの中心となるような、社会インフラとして進化していくことが期待されます。

私たちが学ぶべきこと

シェパード=バロンと、日本の技術者たちの物語から、私たちはイノベーションの本質を学ぶことができます。

  1. 小さな不便に気づく感性: 大発明は、日常の「なぜ?」から始まります。
  2. 既存技術の新しい組み合わせ: 全く新しい技術でなくとも、組み合わせ次第で革新は生まれます。
  3. ユーザーの視点を最優先: 妻の「4桁しか覚えられない」という一言が世界標準を作りました。
  4. 失敗を恐れない挑戦精神: 完璧でなくとも、まず一歩を踏み出す勇気が成功につながります。
  5. 継続的改善(カイゼン)の重要性: 日本のATMの進化は、現場の声を活かし続けた結果です。
  6. 危機をチャンスに変える力: 三億円事件や石油危機が、かえってイノベーションを促進しました。

おわりに:一人ひとりができること

次にATMを使うとき、少しだけ立ち止まって考えてみてください。お風呂でのちょっとしたひらめきが、50年以上経った今でも世界中の人々の生活を支え続けています。

ATMの物語が教えてくれるのは、テクノロジーは人の役に立つためにあるということ。そして、一人ひとりの「もっと良くしたい」という気持ちが、世界をより住みやすい場所に変えていくということです。

小さなアイデアが世界を変える。その可能性は、今この瞬間も、私たちの手の中にあるのです。

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乗杉 海
新しいものが大好きなゲーマー系ライターです!
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