Apple AIトップが去る理由|「VP」への格下げが映す組織の論理とSiri遅延の深層

AIをめぐる競争が激化する中、あらゆる企業が優秀な人材の獲得に奔走しています。しかしAppleは2018年、GoogleからAI部門のトップを引き抜くという大胆な賭けに出ながら、その8年後に一つの問いを突きつけられることになりました——優秀な人材を「入れること」と、組織を「変えること」は、果たして同じことなのか。4月15日をもってAppleを去ったと報じられているジョン・ジアナンドレアの退社劇は、巨大テック企業のAI戦略が失速するとき、何が問われるのかを示すケーススタディです。


2018年にGoogleから招聘されたAppleのAI・機械学習部門長、ジョン・ジアナンドレアが4月15日、同社を退社したと報じられている。Apple Intelligenceの不振とSiri刷新の相次ぐ遅延を受け、2025年3月にはSiri・ロボティクス・その他のAIチームの統括権をすでに剥奪されており、それ以降は株式が付与されるまで在籍し続ける「resting and vesting」と呼ばれる顧問職の状態が続いていた。

ジアナンドレアが担っていた職掌——foundation models、AIテスト、その他の諸機能——は、ソフトウェア部門長のクレイグ・フェデリギ、サービス部門長のエディ・キュー、最高執行責任者のサビー・カーンの3人に分散された。退社後は企業取締役への就任やスタートアップへの顧問業務が見込まれており、大手テクノロジー企業への転籍は想定されていないという。

From: 文献リンクApple’s AI Chief John Giannandrea Departs This Week

【編集部解説】

「resting and vesting」——8年間の終わり方

ジアナンドレアが2018年にGoogleからAppleに移籍したとき、彼はティム・クックに直接レポートするSVPの一人として迎えられました。GoogleでAIと検索を率いた経歴は、Appleが長年Siriをめぐって抱えていた課題を解きほぐしてくれるはずでした。移籍直後の数年、彼はApple CarプロジェクトにもAI側から関与していた人物です。

しかし2025年3月、Apple IntelligenceとSiri刷新の失速を受けて、Siri・ロボティクス・その他のAIチームの統括権が彼から剥奪されました。同年12月に2026年春の退任が発表され、それ以降は顧問職——業界でいう「resting and vesting」——として4月15日の株式付与日を待つだけの日々となりました。

言葉として冷淡に響く「resting and vesting」は、戦力外通告を受けた幹部が会社に籍を残したまま次の人生の準備をする、テック業界で半ば公然とした慣行です。8年という時間は決して短くありません。しかし、最後の一年以上を彼はこの状態で過ごすことになりました。

ガーマンが突いた核心——「家族経営」という指摘

退社報道で最も注目を集めたのは、事実そのものよりBloombergのマーク・ガーマンが添えた一文でした。彼は「クックが外部採用下手だから」という単純な解釈を斥けた上で、次のように書いています。「Appleのトップは、意思決定者が極めて少ない小さな家族経営のように運営されている。内輪に入れなければ——そこに入ることはほぼ不可能だが——会社に本当の変化を起こせるだけの十分な権限を持てない」。

家族経営という比喩は示唆的です。それは、意思決定が明文化されたプロセスではなく、長年かけて培われた信頼関係と暗黙の了解の上で回っている状態を指します。組織図の上ではジアナンドレアはクック直属のSVPでした。しかし実質的な影響力の配分は、組織図ではなく別の論理で決まっていた——ガーマンの指摘はそう読めます。

では、その別の論理とは何か。ここから先は、Apple固有の組織哲学に立ち入って考える必要があります。

「Experts lead experts」というAppleの原則——その光と影

Appleの現在の組織構造は、スティーブ・ジョブズが1997年に復帰した際、当時のビジネスユニット型組織を解体して築いたものです。P&L(損益責任)を会社全体で一つに統合し、部門を「機能」ごとに束ねる——この「機能別組織」はクック体制でも基本的に維持されています。

ハーバード・ビジネス・レビュー2020年11-12月号に掲載されたApple大学元学長ジョエル・ポドルニーとモルテン・ハンセンの論文は、Appleの原則を「experts lead experts(専門家が専門家を率いる)」と要約しました。Appleのリーダーには「分野における深い専門性」「部下の仕事の細部への没入」「協働して集団的意思決定を行う意志」の3つが求められ、「リーダーは3階層下の組織の詳細まで把握していなければならない」という原則が掲げられています。

この設計は、iPhoneやApple Watchのような製品で、ハードウェア・ソフトウェア・デザイン・チップ設計を緊密に統合する競争優位を支えてきました。しかし、同じ原則には影の部分もあります。「細部への没入」「集団的意思決定」は、長い時間をかけて文化と人間関係の網に編み込まれた者を暗黙の前提にしているからです。外部から来た専門家が「deep expertise」を持ち込むことはできても、この第二・第三の条件を満たすには、組織内で過ごす時間そのものが必要になります。

ガーマンが「inner circle」と呼んだのは、おそらくこの時間的蓄積によって形成される関係性の層のことです。

外部採用者が去る、というAppleの歴史パターン

ジアナンドレアは、Apple外部から招聘されて去ったSVPクラスの一人目ではありません。クック体制になってから、似たパターンが繰り返されてきました。

2012年、Dixons出身のジョン・ブロウェット氏は小売部門責任者として採用されましたが、わずか6ヶ月でAppleを去っています。退任の理由として本人が挙げたのは、Apple文化への「fit」の問題でした。その後任となったBurberry元CEOのアンジェラ・アーレンツ氏は5年間在籍しましたが、2019年に退任。当時の報道では、彼女が取り組んだ変革は限定的で、「小売戦略の有能な管理人ではあったが、大きな変化は起こせなかった」と評されています。

注目すべきは、この離職パターンが外部採用者にだけ起きたわけではないということです。スコット・フォーストール、ボブ・マンスフィールド、ブルース・スーウェル、ピーター・オッペンハイマーといった長年のApple幹部もクック体制下で退任しています。つまり問題は「外部か内部か」という二分法にはありません。内部出身者であっても、inner circleの中心から外れた途端に影響力を失う——家族経営のたとえがしっくりくるのは、そういう組織の性格を言い当てているからです。

他社AIトップとの構造的対比——「CEO」か「VP」か

Appleのこの構造が決定的な問題として浮上したのは、AIという領域の特殊性によります。いま、主要AI企業のトップを見渡すと、彼らの立場は驚くほど似ています。

Google DeepMindのデミス・ハサビス氏は同ラボの共同創業者でありCEO、2024年のノーベル化学賞受賞者でもあります。Microsoft AIのムスタファ・スレイマン氏は同じくDeepMindの共同創業者で、Microsoftで「CEO of Microsoft AI」の肩書を持ちます。OpenAIのサム・アルトマン氏、Anthropicのダリオ・アモデイ氏はそれぞれ同社のCEOです。

つまり各社は、AIを「独立した事業として、CEO級の権限を持つ人物が率いるラボ」という形で組織しています。ハサビス氏はGoogleのAI研究者をDeepMindに統合し、「彼に直属する軍勢」を拡大させてきました。

対するAppleの選択は真逆でした。2025年12月に後任として採用されたアマー・スブラマニャ氏は、「SVP of Machine Learning and AI Strategy」だったジアナンドレアから肩書きが「VP」に一段階下げられ、しかもソフトウェアSVPのクレイグ・フェデリギ氏に報告する構造になっています。担当範囲も「Apple Foundation Models、ML research、AI Safety and Evaluation」に絞り込まれ、ジアナンドレアが持っていた組織の残りはサビー・カーン氏(COO)とエディ・キュー氏(サービスSVP)に分配されました。

スブラマニャ氏自身はGoogleに16年在籍してGeminiアシスタントのエンジニアリングを率いた実績ある研究者で、直前は数ヶ月だけMicrosoftのAI担当VPを務めていました。能力の問題ではなく、彼が置かれた「VP、しかもソフトウェア部門の下」というポジションが、他社のAIトップたちとは構造的に異なっているのです。

AI時代にApple Wayは機能するのか——「inner circle」思考の代償

ジアナンドレアの退任発表と前後して、AppleはSiri開発の舵取りをVision Pro責任者のマイク・ロックウェル氏に移しました。ロックウェル氏はAI研究者ではなく、長年Appleのハードウェア製品開発を率いてきた生え抜きの幹部です。外部から招いた専門家ではなく、「inner circleの中心に近い人物」にAI戦略の中核を任せる——この人事は、Apple Wayへの回帰として読めます。

同時に、Appleは2026年1月にGoogleとGeminiモデルの採用に関する複数年の提携契約を締結したとも報じられています。オンデバイス処理とプライバシーを旗印にしてきた企業が、競合のモデルを部分的に採用するという選択。これをどう読むかは難しいところですが、少なくとも「自社で一貫して統合する」という従来のApple Wayが、AI領域では貫けなくなっていることは示唆しています。

新Siriの公開は、iOS 18.4(2025年春)からiOS 26.4、iOS 26.5を経て、iOS 27(WWDC 2026で発表・2026年秋リリース予定)まで延期を重ねてきました。iPhone 16のマーケティングで未完成の機能を見せた結果、集団訴訟にも発展しています。

ここには簡単な答えのない構造的ジレンマがあります。「experts lead experts」の文化を捨てればAppleはAppleでなくなり、維持すればAI競争での遅れが続く可能性がある。私たちが目にしているのは一人のエグゼクティブの退社劇ではなく、ある組織哲学が時代の要請と齟齬をきたしたときに現れる症状なのかもしれません。

優秀な人を「入れること」と、組織を「変えること」。この2つを同じものだと考えるのは、人事の話として甘すぎるのでしょう。しかし逆に、組織を変えずに優秀な人を入れ続けることにどんな意味があるのかも、まだ分かっていません。Appleだけでなく、構造的に成熟した企業がAI時代にどう適応するのかという問題は、今後数年のテクノロジー業界を見る上での重要な補助線になっていくはずです。

【用語解説】

Apple Intelligence
Appleが2024年のWWDCで発表した生成AI機能群の総称。文章の作成・要約・校正、画像生成(Image Playground)、Siriの大幅な機能強化などが含まれる。iOS 18以降で段階的に提供されているが、Siriの中核的な刷新は繰り返し延期されている。

Foundation models(基盤モデル)
GPT-4やGeminiのような、大量のデータで事前学習された大規模言語モデル(LLM)の総称。Appleはデバイス上で動作する独自の基盤モデルを開発しており、ジアナンドレアの職掌の一部だった。後任のアマー・スブラマニャ氏の担当範囲にも含まれる。

Resting and vesting
テック業界の幹部が事実上の戦力外通告を受けた後も、ストック・グラント(株式報酬)の付与日まで在籍し続ける慣行を指す俗語。報酬の権利を失わずに次のキャリアの準備期間とするもので、企業側も混乱を避けるために公式な退任まで顧問職として処遇することが多い。

機能別組織(Functional organization)
製品ラインや事業部ごとに独立したP&L(損益責任)を持つ「事業部制」とは異なり、ハードウェア、ソフトウェア、デザインなど「機能」ごとに部門を束ねる組織形態。Appleはスティーブ・ジョブズが1997年に復帰した際にこの構造を確立し、P&Lを会社全体で一本化した。全製品を横断した密な連携を可能にする一方、外部からの新参者が根を張りにくい文化的土壌も生む。

SVP / VP(上席副社長 / 副社長)
大手テクノロジー企業における役職のヒエラルキー。Appleでは通常、SVP(Senior Vice President)がCEOに直接レポートし、戦略的な判断権限を持つ。VPはSVPの下に位置する。ジアナンドレアはSVP待遇だったが、後任のスブラマニャ氏はVPとして採用されており、直接の報告先もCEOではなくソフトウェア担当SVPのクレイグ・フェデリギ氏となっている。

WWDC(Worldwide Developers Conference)
Appleが毎年6月に開催する開発者向けカンファレンス。iOS、macOS、その他OSの次世代バージョンや新機能が発表される場で、Appleの今後の方向性を示す重要なイベント。Apple Intelligence関連の発表もここが中心となる。

【参考リンク】

Apple Intelligence(外部)
AppleによるApple Intelligence公式紹介ページ。搭載機能の概要や対応デバイス、プライバシーへのアプローチが確認できる。

Power On — Bloomberg(マーク・ガーマン)(外部)
今回の記事の発端となったグーマンのニュースレター。Apple関連のリーク・分析を継続的に配信している(一部有料)。

Google DeepMind(外部)
デミス・ハサビス氏が共同創業・CEOを務めるGoogleのAI研究部門。記事で言及した「CEO級のAIリーダー」の代表例として。

“How Apple Is Organized for Innovation” — HBR(PDF)(外部)
Apple大学元学長ポドルニーとハンセンによる論文。「experts lead experts」原則など、Apple固有の機能別組織のロジックを体系的に解説している。

Apple Newsroom — Amar Subramanya 就任発表(2025年12月)(外部)
AppleのAI人事発表の公式リリース。ジアナンドレア退任とスブラマニャ就任が一次情報源として確認できる。

【参考記事】

Former Apple AI boss John Giannandrea officially leaving Apple this week — 9to5Mac(外部)
後任のアマー・スブラマニャ氏採用に関する詳細と2025年12月の人事発表の経緯をまとめた記事。元記事と相互補完する情報源として参照。

Apple Appoints Amar Subramanya as VP of AI — Business Standard(外部)
スブラマニャ氏の肩書き(VP)、フェデリギ氏への報告体制、担当範囲の公式確認に使用した記事。

Amar Subramanya: Apple’s new AI veteran — Fortune(外部)
スブラマニャ氏のキャリア(Google 16年、Gemini Assistantエンジニアリング統括、Microsoft AI VP)を詳述した経歴記事。格下げが能力の問題でないことを裏付けるための参照。

Apple’s Siri Revamp Reportedly Delayed Again — TechCrunch(外部)
新Siriの機能延期を報じた記事。iOS 18.4から繰り返された遅延の文脈を補強するために参照。

iOS 26.5 Won’t Include New Siri Features — MacRumors(外部)
iOS 26.5でもSiri刷新が見送られたことを報じた記事。延期タイムライン(iOS 27まで持ち越し)の確認に使用。

Examining Angela Ahrendts’ Five-Year Tenure as Head of Apple Retail — AppleInsider(外部)
アーレンツ氏在任評価と前任のジョン・ブロウェット氏解雇の詳細を扱った記事。Appleの外部採用歴史パターンの裏付けとして参照。

“How Apple Is Organized for Innovation” — Harvard Business Review(Apple公式PDF)(外部)
Appleの機能別組織・「experts lead experts」原則の一次資料として参照。編集部解説の組織論セクションの根幹をなす文書。

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【編集部後記】

「優秀な人を入れれば組織が変わる」という発想は、私たち自身の職場にも重なる問いではないでしょうか。新しい視点を持つ人が加わったとき、組織はその視点を本当に受け入れているのか。それとも、いつの間にか既存の重力に引き戻されているのか。

AIの普及は、この問いをこれまで以上に鋭く突きつけてきます。人を「迎え入れる」ことと、その人が影響力を発揮できる余白を組織に用意することは、別の作業だからです。海の向こうの人事ニュースを、自分たちの組織のあり方を見直す入口として読んでみる。この記事が、そんな時間のきっかけになれば嬉しく思います。

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乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。