XRや3Dコンテンツへの関心は高まっているのに、「実際どう見えるのか」「ビジネスにどう使えるのか」を確かめる場がない——そのギャップはずっと、この領域の普及を静かに妨げてきました。デバイスは高価で、体験できる場所は限られ、意思決定者が「百聞は一見に如かず」を実感できないまま、プロジェクトが止まるケースは少なくありません。4月下旬、そこに一つの応答が生まれました。
株式会社コンセント(東京都渋谷区、代表:長谷川敦士)は、XRや3Dコンテンツを実際に体験・プロトタイピングできるクリエイティブスタジオ「.UN(ドットアン)by Concent, Inc.」を2026年4月24日、恵比寿に開設した。3Dプロジェクターや各種3Dディスプレイ、Apple Vision ProをはじめとするXRデバイスを備え、複数人が同時に体験を共有できる環境を整えている。
スタジオのコンセプトは「0から0.1」を生み出す共創拠点。単なる展示施設にとどまらず、異なる専門性や立場の人々が同一の体験を共有しながら議論を深めるための「バウンダリーオブジェクト」として機能することを目指す。ディレクターはApple Vision Pro向けイマーシブビデオ制作やXR・生成AI活用施策を手がけてきたクリエイティブディレクター/VR映像作家の渡邊徹が務める。
体験できるコンテンツとして、コンセント社内のイマーシブコンテンツ専門チーム「渡邊課」が制作した作品群のほか、株式会社MESONが開発した空間プレゼンテーションシステム「Immersive Pitch」が用意されている。想定ユーザーとして、展示会・ファンマーケティング、工場・医療現場のオペレーショントレーニング、伝統工芸・専門技術の伝承、不動産・製品の空間プレゼンテーションなどを挙げている。
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株式会社コンセント、クリエイティブスタジオ「.UN(ドットアン)by Concent, Inc.」を恵比寿に開設
【編集部解説】
「触れてからでないと判断できない」のに、触れる場所が足りない
空間コンピューティングの普及で最初に詰まるのは、技術ではありません。意思決定の入口です。
Apple Vision Proの国内価格は599,800円から。個人向けデバイスとしては異例の高さで、日本経済新聞は発売当日に「個人より法人浸透」という見立てを掲げていました。実際、その後の市場の動きはこの予測に沿うように展開しています。米国では2025年9月、ウォール・ストリート・ジャーナルが「Vision Proが業務の一部領域で浸透している」と報じ、AppleInsiderはこれを「企業が最大顧客」と紹介しました。トレーニング、設計、営業シミュレーションといった業務用途が中心になっていることが明らかになっています。Apple自身も「Apple Vision Pro for Business」と銘打った専用ページを設け、Microsoft 365 Copilot、Zoom、SAP、Salesforce、NVIDIA Omniverseとの統合を全面に押し出しています。
ところが、ここに非対称な状況が生まれます。デバイスのターゲットは法人なのに、「試す場所」の設計はほぼ個人を前提としているのです。
Apple Storeで体験できるパーソナルデモは30〜40分の一対一形式で、デモ用ソファが置かれているのは日本国内では丸の内、表参道、心斎橋の3店舗のみ。同時に体験できるのも最大8人で、ソファに座れるのはそのうち4人までという仕様です。これは「これから買うかもしれない個人」が空間コンピューティングの基本操作を理解するための設計としては合理的です。しかし、企業がVision Proの導入を検討するとき、必要なのはそれだけでは足りません。自社のデータを持ち込みたい、複数の部門の担当者で同じものを見て議論したい、想定するユースケースに沿った検証をしたい——そうした「業務適用の見極め」を、Apple Storeのデモは構造的に引き受けていないのです。
XR/3Dは、構造的に「共有しにくい」メディア
ここに、もうひとつ深い問題が重なります。XRや空間映像は、その性質上、いまだに「個人体験」の枠から抜け出しきれていません。
HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着している人が何を見ているのか、隣に立つ人にはわからない。誰かが感動した瞬間や、混乱した瞬間を、その場で共有することが難しい。これは技術的な不便というより、メディアの構造的な特性です。映画やテレビが「皆で同じスクリーンを見る」前提で議論を成り立たせてきたのに対し、空間メディアの体験は本来きわめてプライベートなものになりがちなのです。
業務導入の判断は、多くの場合、複数の関係者が「同じものを見て、同じ言葉で議論する」ことから始まります。営業企画と現場、デザイナーとエンジニア、経営層と実務層——立場が違う人たちが共通の参照点を持つこと。この前提が崩れたとき、議論は「誰かの個人的な感想」の応酬に陥り、組織としての意思決定が進まなくなります。
.UN by Concent, Inc.が「複数人で同時に体験を共有することができます」と明示し、その体験を「バウンダリーオブジェクト」として位置づけているのは、この構造課題に対する応答として読むことができます。バウンダリーオブジェクトは、社会学者のスーザン・リー・スターらが1989年の論文で提示した概念で、異なる専門領域の人々の議論を媒介する「境界上の物体」を指します。組織論や知識経営の文脈でも広く援用されてきた言葉で、要するに「立場が違う人たちが共通の足場にできるもの」のことです。3Dプロジェクターやディスプレイによる複数人同時体験は、HMDの個人性を補完し、その足場を物理的に作り出す試みと言えます。
先行する系譜と、.UNの独自性
「ショールーム型のB2B体験施設」という業態自体は、空間メディアの分野でも前例があります。たとえば八丁堀には2022年から、ROE VisualとdisguiseによるバーチャルプロダクションのショールームxR STAGE TOKYOが存在し、in-camera VFXやLEDボリュームを体験できる事前予約制の拠点として機能してきました。映像・放送業界向けの常設拠点は、市場形成期の「触れる場所」として一定の役割を果たしてきたのです。
その系譜の上に置いたとき、.UNの位置づけが見えやすくなります。.UNはハードウェアベンダーや映像機材メーカーが運営する拠点ではなく、サービスデザイン会社が運営する点に特徴があります。
ホストである株式会社コンセントは1971年創業、1973年設立の老舗デザイン会社で、代表の長谷川敦士は情報アーキテクチャとサービスデザインの分野で日本を代表する一人です。武蔵野美術大学造形構想学部の主任教授も兼任し、Service Design Network日本支部の共同代表も務めています。サービスデザインは「顧客体験を起点にビジネスの仕組みを設計する」方法論で、複数のステークホルダーが議論を重ねながら、まだ存在しないサービスをかたちにしていく——その実践の延長線上に、空間体験を媒介とした共創拠点を構想する流れは、自然なものとして読めます。
スタジオを率いる渡邊徹氏が掲げる「0から0.1」というフレーミングにも、その思想は表れています。0から1ではなく、0から0.1。すでに完成したアイデアをXRで表現するのではなく、「アイデアの粒」がまだ言葉になる前の段階に、空間体験を介在させる。0から1を生み出す前段にある概念形成・仮説生成の段階——いわば0から0.1へのフェーズに光を当てる発想に重なります。完成品の披露ではなく、思考の足場としての空間体験——コンセントの本業であるサービスデザインのデザインプロセス(リサーチ→可視化→プロトタイピング→検証)に、空間メディアを組み込む試みと見ることができます。
「個別開催」から「常設拠点」への移行という意味
もうひとつ補助線を引いておきます。コンセントの渡邊課は、2025年7月から「イマーシブコンテンツ無料体験会」を継続的に開催し、同年10月のXR・メタバース総合展秋には「未来のイマーシブプレゼンテーション」体験で初出展しています。展示会や個別の体験会という単発の取り組みから、常設のスタジオを構えるという段階への移行——これは、コンセント単体の戦略であると同時に、市場の温度を反映した動きでもあります。
単発のイベントは新規顧客との初接触には有効ですが、検討プロセスの長い法人案件には向きません。検討フェーズの担当者が、必要なときに必要な関係者を連れて訪れ、自社のユースケースに即して試行錯誤できる——そうした「持続的な検討の場」を求める法人需要が、一時的な催しでは満たせない段階に達しつつあることの裏返しと読むこともできるでしょう。
国際的な動向と重ねればこの解釈は補強されます。IDCは2026年3月、2025年のXRデバイス出荷が前年比44.4%増に達したと発表しました。ただし、この成長の主因はディスプレイ非搭載スマートグラスの急拡大であり、従来型のVR/MRヘッドセットは軟調。業務用途としてのMR/VRは設計・トレーニング・遠隔コラボレーションといった専門領域に引き続き限定される見通しとしています。コンシューマー市場が踊り場にある一方で、業務用途は限定的な領域で着実に定着しつつある。市場形成期に特有のこのねじれを引き受ける拠点が、東京・恵比寿に常設化されたという事実そのものに、メッセージがあります。
残された問い
もちろん、ショールーム型拠点が常に成功するわけではありません。空間メディアの分野でも、過去にいくつかの体験施設がオープンと閉鎖を繰り返してきました。「触れる場」を維持するには、コンテンツの更新、運営コスト、来訪者を実際の案件に結びつける営業設計など、地味で継続的な努力が必要です。.UNがそれらをどう設計しているかは、現時点では外からは見えません。
また、「複数人での同時体験」と一口に言っても、HMDによる個別体験と、プロジェクター/ディスプレイによる共有体験では、得られる没入感の質が大きく異なります。Vision Proのイマーシブビデオが提供する密度の高い体験を、共有環境でどう翻訳するのか——技術的にも演出的にも、まだ確立された方法論があるわけではありません。
私たちが見届けたいのは、.UNがオープンしたという事実そのものよりも、この拠点を経由した法人案件がこれからどう生まれ、どんな共創が起きていくのか、その経過です。空間コンピューティングの普及が「触れる場」のインフラ整備に支えられて進んでいくのか、それとも別の経路で進むのか。その問いの答えは、恵比寿の一室から静かに積み上げられていくはずです。
【用語解説】
イマーシブビデオ(Immersive Video)
立体視と広視野角を組み合わせ、まるでその場にいるような没入感を生み出す映像コンテンツ。Apple Vision Proでは180度の空間映像として体験できる。通常の360度映像と異なり、奥行き感を持つ立体映像(ステレオスコピック)であることが特徴。
空間コンピューティング(Spatial Computing)
現実空間とデジタル情報を融合させ、空間そのものを入出力インターフェースとして利用するコンピューティングの形態。XR(拡張現実・仮想現実・複合現実)デバイスを用い、ジェスチャーや視線で操作する。Apple Vision Proがこの言葉を広めた。
HMD(Head Mounted Display、ヘッドマウントディスプレイ)
頭部に装着し、目の前に映像を表示するディスプレイデバイス。XR体験の主要な視聴デバイス。装着者だけが映像を見るため、隣の人と体験を共有しにくいという特性がある。
ハンドトラッキング
カメラやセンサーで手の動きをリアルタイムに認識し、デジタルコンテンツへの入力として用いる技術。コントローラーなしで空間内のオブジェクトを操作できる。Apple Vision Proの主要な入力方式の一つ。
バウンダリーオブジェクト(Boundary Object)
異なる専門性や立場を持つ人々の議論を媒介する境界上の物体・概念。社会学者のスーザン・リー・スターらが1989年に提唱。専門領域が異なる人々が共通の参照点として使うことで、相互理解と協働を促す。サービスデザインや知識経営の分野でも広く援用されている。
バーチャルプロダクション
映画や映像制作において、巨大なLEDディスプレイウォール(LEDボリューム)を背景に使い、CGの仮想環境をリアルタイムで表示しながら撮影する手法。in-camera VFXとも呼ばれ、後処理のグリーンバック合成を不要にする。
サービスデザイン
ユーザー体験を起点にサービス全体の仕組みを設計する方法論。製品の機能設計にとどまらず、提供プロセス、関係者の役割、接点のあり方まで含めて設計する。コンセントが専門とする分野。
【参考リンク】
株式会社コンセント(外部)
サービスデザイン・UXデザイン・コミュニケーションデザインを手がけるデザイン会社。1971年創業。.UN by Concent, Inc.の運営母体。
Apple Vision Pro(日本)(外部)
Apple Vision Proの日本向け公式製品ページ。仕様・機能・購入情報を掲載。
Apple Vision Pro for Business(外部)
企業・業務向けのApple Vision Pro活用を紹介するApple公式ページ。エンタープライズ対応アプリや導入事例を掲載。
株式会社MESON(外部)
空間コンピューティング技術を用いたサービス・プロダクト開発を行う企業。.UNで体験できる「Immersive Pitch」の開発元。
Immersive Pitch | MESON(外部)
Apple Vision Proを活用した法人向け次世代3Dプレゼンテーションツール「Immersive Pitch」の紹介ページ。.UNで体験可能。
LiVS 公式サイト(外部)
.UNの体験コンテンツ「イマーシブ推し活」で映像を提供しているアイドルグループの公式サイト。
【参考記事】
Apple Vision Pro、日本で6月28日に発売。価格は599,800円から(Apple Japan ニュースルーム、2024年6月)
日本国内でのApple Vision Pro発売発表。599,800円(256GB)という価格と、直営店でのデモ形式について記載。本稿での価格情報の出典。
Apple Vision Pro’s biggest market is enterprise, in spite of obvious limitations(AppleInsider、2025年9月)
WSJの報道を引用し、Vision Proの企業向け用途の拡大を報じた記事。トレーニング・設計・営業シミュレーション用途が主軸であることを確認。
IDC — XR Market Expands 44.4% in 2025 as Smart Glasses Take Center Stage(IDC、2026年3月)
2025年XRデバイス出荷の最終実績(前年比44.4%増)と2026年の市場見通しを発表。成長主因はスマートグラスであり、MR/VRヘッドセットの業務用途は専門領域に限定される見通しを含む。
渡邊課イマーシブコンテンツ制作サービスを開始(コンセント公式ニュース、2025年7月)
.UN開設に先行する渡邊課の体験会開始を告知したページ。スタジオ常設化への経緯を把握するための参考。
ROE Visual and disguise join forces to open xR STAGE TOKYO(ROE Visual、2022年)
八丁堀のバーチャルプロダクション体験拠点xR STAGE TOKYO開設を告知。日本におけるXR体験拠点の先行事例として参照。
【編集部後記】
HMDをかぶった人の隣に立っても、その人が見ている世界を覗き込むことはできません。空間メディアにつきまとうこの不思議な孤立は、技術の制約というより、「同じものを並んで見る」という共同性に私たちが長らく寄りかかってきたことを、ふいに照らし出します。完成品の披露ではなく、まだ言葉にならない何かを一緒に眺める足場を、これからの「触れる場」はどう設計していくのでしょうか。












