家の中で、犬でも猫でもない小さな存在があなたを見つめている――そんな未来は、もうSFの話ではないかもしれません。Roombaの父が立ち上げた新会社が、家庭用ロボットの定義を静かに書き換えようとしています。
iRobotの共同創業者であり元CEOのコリン・アングル氏は、2026年5月4日、ボストンにてThe Wall Street Journal主催のFuture of Everythingカンファレンスのステージ上で、新会社Familiar Machines & Magic(FM&M)をステルス状態から発表した。
同社はコンシューマー向けフィジカルAIの新プラットフォームを掲げ、物理的な身体を持つAIシステム「Familiars」を披露した。最初のFamiliarは四足歩行型で、23自由度を備え、タッチセンサー付きコート、視覚システム、マイクアレイ、音響システム、社会的推論に最適化されたカスタムの小規模マルチモーダルモデルを搭載する。アングル氏には共同創業者としてアイラ・レンフルー氏(C2PO)とクリス・ジョーンズ博士(CRDO)が加わる。創業チームは累計5,000万台超のコンシューマーロボットを展開してきた実績を持つ。FM&Mはボストン、ロサンゼルス、香港にオフィスを構える。今回の発表は商用製品のローンチではなく、ステルスからの登場である。
【編集部解説】
iRobotという「家庭用ロボットの巨人」を築いたコリン・アングル氏が、CEOを退任してから約2年。沈黙を破って世に問うた答えが「Familiar(ファミリア)」という、四足歩行の小さな生き物のような存在でした。これは単なる新製品ではなく、コンシューマーロボティクスのパラダイムを「タスクの代行」から「感情の同伴」へと転回させようとする宣言だと、編集部は受け止めています。
FM&Mがプレスリリースで掲げる「フィジカルAI市場5兆ドル」「半分は人間とのつながり」という見立ては、確定された業界統計ではなく、同社が示したビジョンとしての市場観です。ただし、その視点には注目すべき切れ味があります。TeslaのOptimusやFigureに代表されるヒューマノイド競争は、いわば「労働者としてのロボット」を奪い合う産業向けの戦いです。一方FM&Mは、家庭・日常という「労働の対象ではない場所」に賭けています。この市場分割の解像度こそが、Roombaで一度家庭を制した経営者ならではの戦略眼だと言えるでしょう。
技術的に興味深いのは、最初のFamiliarが実在のペットに似せず、抽象化された動物的な形状を採っている点です。これは、日本生まれのセラピーロボット「PARO(パロ)」や、かつての「Pleo」が採った戦略の延長線上にあると読み解けます。実在のペットに似せると、人間は無意識に本物のペットと比較してしまい、AIの限界が露呈する。ところが見たことのない動物であれば、人はその振る舞いをそのまま受け入れる――この「期待値のデザイン」は、ロボティクスが積み上げてきた人間心理学の蓄積です。
頭脳の設計も既存の生成AI製品とは一線を画します。クラウドへの常時接続を前提とせず、社会的推論に最適化されたカスタム小規模マルチモーダルモデルがエッジ(端末側)で動作する設計です。視覚・聴覚・言語・記憶を統合し、表情やしぐさ、声のトーンといった社会的な文脈を解釈する設計だと公式が説明しています。
このアーキテクチャは、家庭という極めてプライベートな空間に常駐するロボットにとって、本質的に正しい選択だと考えられます。常時カメラとマイクをオンにしたロボットがクラウドにデータを流し続ける未来を、果たして私たちは受け入れられるでしょうか。FM&Mが「データはデバイス内に保存し、共有のタイミングはユーザーが制御する」と公式サイトで明言していることは、近年強化が進む家庭内IoTのプライバシー規制を見据えた重要な設計判断と読み取れます。
一方で、潜在的リスクも直視すべきです。FM&M自身は「Familiarは人間やペットの代替ではなく、補完である」と公式サイトで慎重に位置づけていますが、孤独な社会において「いつでも肯定してくれる存在」が常駐することは、人間関係からの逃避を助長する可能性も孕みます。チャットボットへの過度な依存が世界各地で社会問題化している現在、身体性を持つAIはその情緒的引力がさらに強くなり得る。「感情労働」を機械に外注する社会が、人間どうしの絆をどう変質させるか――この問いは、技術の成熟と並行して問われ続ける必要があります。
日本の読者にとって、この動きは他人事ではないと編集部は感じています。AIBOを葬式まで挙げて見送った国であり、PAROを医療現場で活用してきた国であり、そして急速に高齢化が進む社会です。コンパニオンロボットを文化として受容できる素地が、世界で最も豊かに耕されているのが日本だと言えるでしょう。FM&Mがアジアにもオフィスを構えていることは、グローバル展開を視野に入れていることの表れであり、アジア市場をどう位置づけるかは今後の発信が注目されます。
長期的に見れば、これは「画面の時代」の見直しを促す動きでもあります。スマートフォンが私たちの注意を奪い続けた20年が過ぎ、今度は「画面を介さない」存在が、人とテクノロジーの境界を問い直そうとしています。iRobotの旧社名が「Artificial Creatures(人工生物)」だったことは、アングル氏のキャリアの出発点が「人工生命」というテーマにあったことを物語っています。長年温めてきた構想に、彼は今あらためて挑もうとしているのです。
商用ローンチの時期も価格も、まだ明らかにされていません。けれども、コンシューマーロボティクスの最前線で実績を積み上げてきたチームが、Disney Research、MIT、Boston Dynamicsなどの知見を結集して挑むこの賭けは、たとえ商業的にどう転んでも、ロボットと人間の関係史に深い刻印を残しうる挑戦です。Tech for Human Evolutionを掲げる私たちにとって、追い続ける価値のあるストーリーがまた一つ始まりました。
【用語解説】
フィジカルAI(Physical AI)
ソフトウェア上のAIではなく、ロボットなど物理的な身体を持つ存在に搭載され、現実世界で知覚・判断・行動するAIのこと。ヒューマノイド、自律走行ロボット、産業用アームなど身体性を伴う形態全般を指す概念だ。
コンシューマー向けフィジカルAI(Consumer Physical AI)
工場や物流など産業用途ではなく、家庭や日常生活で人間と関わることを目的としたフィジカルAIの分野。タスク実行能力よりも、人とのコミュニケーション能力や情緒的な応答が重視される。
ステルスモード(Stealth Mode)
スタートアップが製品やサービスを公にせず、水面下で開発を進める段階を指す業界用語。FM&Mは2024年の創業から約2年間この状態にあった。
四足歩行型ロボット(Quadruped Robot)
4本の脚を持つロボットの総称。Boston Dynamicsの「Spot」が産業向けで知られるが、Familiarsは社会的な対話のために再設計されている点が異なる。
自由度(DoF:Degrees of Freedom)
ロボットの関節や駆動部が独立して動かせる方向の数。23自由度は、首・脚・尻尾・耳など複数の部位を細かく制御し、生命らしい表情や動作を実現するための設計指標となる。
マルチモーダルモデル
画像、音声、言語、テキストなど複数の異なる種類の情報を統合して処理できるAIモデル。Familiarsは視覚・聴覚・言語・記憶を組み合わせて社会的状況を判断する。
小規模マルチモーダルモデル(Small Multimodal Model)
クラウド側の巨大モデルに依存せず、デバイス上で動作するように最適化された軽量なマルチモーダルAI。レイテンシ低減とプライバシー強化に寄与する。
エッジAI(Edge AI)
処理をクラウドに送らず、デバイス本体(端末=エッジ)で完結させるAIの実装方式。応答速度の向上に加え、機微な家庭内データを外部に送信しない点で、プライバシー保護の観点から重視されている。
ヒューマノイドロボット
人間に似た形状のロボット。TeslaのOptimusやFigure社の機体に代表される産業労働向けが現在の主流で、FM&Mのアプローチとは方向性が対照的だ。
【参考リンク】
Familiar Machines & Magic 公式サイト(外部)
コリン・アングル氏率いる新ベンチャーの公式サイト。Familiarsのコンセプトと創業チームを紹介。
iRobot 公式サイト(外部)
アングル氏が共同創業した家庭用ロボット大手の公式サイト。Roombaシリーズなど製品情報を掲載。
The Wall Street Journal「The Future of Everything」(外部)
今回FM&Mがステルスから登場した舞台、WSJ主催のテクノロジー系カンファレンス公式ページ。
Sony aibo 公式サイト(外部)
1999年初代発売、2018年再ローンチを果たしたソニーのエンタテインメントロボット公式情報源。
PARO Robots 公式サイト(外部)
産業技術総合研究所発、医療・介護現場で活用されているアザラシ型メンタルコミットロボット。
【参考記事】
Inside Colin Angle’s bid to build companion robots with Familiar Machines & Magic(The Robot Report)(外部)
ロボティクス専門メディアによるアングル氏への直接取材。Sony AIBOの販売台数推移など市場史的な数値が豊富で、本社所在地や35年のキャリアにも言及している。
iRobot Founder Wants to Put a Robotic Familiar Into Your Home(IEEE Spectrum)(外部)
Familiarの所有コストをペット飼育水準(猫で月65ドル前後、犬で月100ドル前後)に想定する経済設計や、Disney Researchから参画したモーガン・ポープ氏の証言を収録。
iRobot’s Former CEO Wants to Reinvent the Home Robot(Association for Advancing Automation)(外部)
全米の自動化産業団体A3による業界インサイト。iRobotの旧社名「Artificial Creatures」の背景や、アングル氏の自己評価を掘り下げている。
Roomba Creator Unveils ‘Familiar Machines & Magic’ Robotics Startup(iPhone in Canada)(外部)
創業メンバーの来歴に踏み込んだ記事。初代Roomba 200万台の製造を統括したハーマン・パン氏の参画や、Familiarのデザイン詳細を伝えている。
Roomba pioneer aims to crack the household market again with an AI-powered pet robot(AP / WFMZ-TV)(外部)
AP通信配信記事。プロトタイプ「Daphne」「Winston」の存在、退職世代を狙うターゲット戦略、USCマヤ・マタリッチ博士のコメントを収録。
iRobot Corporation 公式サイト(外部)
アングル氏らによる1990年共同創業の家庭用ロボットメーカー。本記事の表記正確性確認に使用した。
【関連記事】
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【編集部後記】
スマートフォンが手放せない時代に、「画面を介さない存在」が暮らしに入ってくる――そんな未来を、皆さんはどう感じるでしょうか。便利な道具としてのロボットから、心を寄せる相手としてのロボットへ。
Familiarsが投げかけているのは、私たち自身が「テクノロジーと、どんな関係を結びたいのか」という問いそのものかもしれません。あなたの家に、犬でも猫でもない小さな存在がやってきたら、どんな名前を付けて、どんな日々を一緒に過ごしますか。私たち編集部もまだ答えを持っていません。一緒に考えていけたら嬉しいです。











