「なんとなく、そうな気がする」――そんな直感を、私たちは毎日のように頼りにしています。でも、その「なんとなく」は脳のどこで生まれ、どうやって新しい情報に書き換わっているのでしょうか。理化学研究所の研究チームが、マウスを使った実験で、その仕組みをついに突き止めました。鍵を握るのは「視床」という脳の奥の領域。過去の経験を保存し、今の情報とのズレを見つけて、古い思い込みをそっと更新する――そんな精巧な回路の姿が見えてきたのです。しかも同じ仕組みは、AIのシミュレーションの中にも現れました。認知バイアスや幻聴の治療、そして「自分の脳を整える」未来の技術にもつながりうる、この研究。情報があふれる時代に、私たちが自分の直感とどう付き合っていくのかを考えるヒントが、ここにあります。
理化学研究所脳神経科学研究センターの認知分散処理研究チームは、不確実な状況下で直感を働かせる際の脳の情報処理の仕組みを解明した。研究チームは、最近聞いた音の傾向が「感覚経験」として後頭頂皮質と視床枕の回路に保存され、推測の基盤になることをマウスの音刺激判別課題で発見した。
また視床網様核が過去の「感覚経験」と現在の情報を照合する比較器として働き、両者のミスマッチを検知すると感覚経験が段階的に更新されることを示した。同様の回路は人工知能のシミュレーションでも再現された。研究はシュミット・ルーカス・イアンらが担い、成果は2026年5月29日付(日本時間5月30日)の『Neuron』オンライン版に掲載された。認知バイアスの制御や幻聴の治療開発への貢献が期待される。
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直感の更新メカニズムの解明|理化学研究所

【編集部解説】
「直感」という言葉には、どこか非科学的な響きがつきまといます。けれども今回の理研チームの成果は、その直感をれっきとした神経回路の働きとして描き出しました。私たちが「なんとなく」で下している判断の正体が、脳のどこに、どう刻まれているのか。その地図が一枚、確かに書き加えられたのです。
鍵になるのは「視床(ししょう)」という、脳の奥深くにある領域です。これまで視床は、目や耳からの情報を大脳皮質へ受け渡す“中継地点”くらいに見なされてきました。ところが近年、視床は単なる中継役ではなく、思考や判断に能動的に関わっているのではないか、という見方が世界的に強まっています。今回の研究は、その流れを決定づける一例と言えるでしょう。
とりわけ注目したいのが、視床網様核を「比較器」として位置づけた点です。脳は、過去の「感覚経験」と今この瞬間の情報を絶えず突き合わせ、ズレが大きいときだけ古い思い込みを書き換える――いわば誤差を検知して学習する仕組みを備えていたわけです。これは機械学習でいう「予測誤差」に通じる発想で、生き物の脳がきわめて効率的な情報処理装置であることを改めて感じさせます。
この解説で強調しておきたいのは、本研究が医療の話にとどまらない、という点です。
理研のリリースは認知症や統合失調症、幻聴の治療開発を将来像として掲げています。確かにそれは大きな希望です。「感覚経験」がどう取捨選択されて長期記憶になるのかを追えるようになれば、記憶の固定化を促す治療の糸口が見えてくるかもしれません。
一方で、私がより強く惹かれたのは、別の角度からの含意です。本研究は突き詰めれば、「脳がどうやって情報を取捨選択し、思い込みに陥らないよう自分を更新するか」という話に他なりません。フェイクニュースやアルゴリズムが私たちの認知を絶えず揺さぶる情報過多の時代に、これほど切実なテーマもないでしょう。研究を率いたシュミット・ルーカス・イアン氏自身、現代の情報環境が直感の働きを妨げかねない危うさに言及しています。
さらに見逃せないのが、AIとの接点です。脳の回路をまねたシミュレーションでも、実際の脳と同じ「比較器」の型がひとりでに立ち現れたといいます。進化が選び取った仕組みと、AIが学習の末にたどり着く仕組みが一致する――この符合は、脳科学とAI研究が互いを照らし合う「神経×AI」時代の到来を象徴しているように思えます。
もちろん、明るい話ばかりではありません。リリースが描く「次世代メンタルコントロール」、つまり自分の脳の状態を見ながら思考の切り替えを制御する技術は、裏を返せば「外から脳の判断を書き換える」道具にもなり得ます。誰がその制御権を握るのか、同意なき介入をどう防ぐのか。神経技術(ニューロテクノロジー)をめぐる倫理やルール作りは、まだ世界的にも発展途上です。技術が形になる前に、社会の側で議論を始めておく必要があるでしょう。
今はまだマウスでの基礎研究の段階であり、ヒトへの応用には長い道のりが残されています。それでも、「直感は更新できる」という事実が科学の言葉で示された意味は小さくありません。自分の思い込みをどう手放し、変化にどう適応するか――この問いは、技術の未来を語る私たちにとっても、けっして他人事ではないはずです。
【用語解説】
後頭頂皮質(こうとうちょうひしつ):大脳皮質の一部で、視覚や聴覚などの感覚情報を統合し、空間認識や判断・行動の方向づけを担う“司令塔”的な領域。最近の感覚経験を一時的に蓄える働きがあるとされる。
視床枕(ししょうちん):脳の奥にある視床のうち「高次視床核」と呼ばれる部位の一つ。後頭頂皮質と密に情報をやり取りし、皮質内の情報を安定して保持する役割が期待されている。
視床網様核(ししょうもうようかく):視床を薄く取り囲む神経細胞の層。他の視床核へ「抑制(活動を抑える)」の信号を送る。睡眠や感覚情報のふるい分け(ゲート制御)に関わり、統合失調症との関連も指摘されている。本研究では、過去の経験と現在の情報を突き合わせる“照合装置(比較器)”として機能することが示された。
感覚経験:脳が直近の出来事から作り上げる内的な情報のこと。直感や推測の判断材料となるが、強く固まりすぎると判断に偏り(バイアス)を生む。
比較器:二つの情報を突き合わせ、両者にズレ(ミスマッチ)があるときに反応する仕組みの呼び名。本研究では視床網様核がこの役割を担うとされた。
予測誤差:脳やAIが「予測した内容」と「実際に入ってきた情報」の差のこと。この差を手がかりに内部の情報を更新していくという考え方は、機械学習の基本的な発想にも通じる。
光遺伝学法:光で反応するタンパク質を神経細胞に組み込み、レーザー光を当てることで神経活動をミリ秒単位でオン・オフする技術。特定の脳領域の働きを精密に操作できる。
認知バイアス:思い込みや先入観によって、判断が無意識のうちに偏ってしまう傾向のこと。
次世代メンタルコントロール:自分の脳の状態をリアルタイムで把握しながら、思考の切り替えを瞑想のように自分で制御する、という本研究が将来像として描く構想。
【参考リンク】
理化学研究所(理研)(外部)
日本を代表する自然科学の総合研究所。物理・化学から生物・脳科学まで幅広い基礎研究を担う国立研究開発法人で、本研究の発表主体である。
理化学研究所 脳神経科学研究センター(CBS)(外部)
遺伝子・分子から神経回路・行動まで多階層で脳を解き明かす理研の中核拠点。認知症や精神疾患の病態解明にも取り組んでいる。
認知分散処理研究チーム(外部)
本研究を担った理研の研究チーム公式紹介ページ。シュミット・ルーカス・イアン チームディレクターらが研究を率いている。
学術誌『Neuron』掲載の原論文(DOI)(外部)
本成果が掲載された学術誌『Neuron』の査読済み原論文へのリンク。英語の論文本体を確認できる一次情報である。
日本学術振興会(JSPS)(外部)
本研究を助成した機関の公式サイト。科研費など日本の学術研究を幅広く支える独立行政法人である。
【参考記事】
History-based action selection bias in posterior parietal cortex(外部)
後頭頂皮質の神経細胞が過去の選択履歴を反映し判断の偏りを生むことをマウスで示した研究。感覚経験の保存という前提を裏づける。
Sensory History Drives Adaptive Neural Geometry in LP/Pulvinar-Prefrontal Cortex Circuits(外部)
視床枕に当たる領域と前頭前野の回路が過去の感覚履歴に応じ活動を変えると論じたプレプリント。視床枕の役割と方向性が一致する。
Higher-Order Thalamus is Pivotal in Schizophrenia-Associated Pathophysiology(外部)
高次視床核が統合失調症の病態で中心的役割を果たすと大規模記録から示した2026年の研究。治療応用の展望と接続する。
Thalamic regulation of reinforcement learning strategies across prefrontal-striatal networks(外部)
視床が状況に応じ学習戦略を切り替える調停役を担うと示した論文。視床が判断に能動的に関わる近年の潮流を裏づける。
The Cognitive Thalamus as a Gateway to Mental Representations(外部)
視床が脳内の表象を更新する入り口として働くという観点を整理した総説。視床を中継役にとどめない見方の背景がわかる。
【関連記事】
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同じ理研CBSによる無意識学習の研究。視覚とfMRIを用い、自然風景から脳が学ぶ仕組みを解明した別チームの成果である。
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脳の言語処理と大規模言語モデルの仕組みが一致すると示した研究。脳とAIの符合という本記事の論点に直結する。
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脳の反応を予測するAI「脳のデジタルツイン」を解説。神経科学とAIが融合する潮流を共有する関連記事である。
【編集部後記】
正直に告白すると、この記事を書き進めるあいだ、何度も自分の「思い込み」を点検することになりました。原稿のなかで「直感は更新できる」と書きながら、では私自身は、古い判断をどれだけ手放せているだろうかと。視床という親指の先ほどの領域が、過去の記憶と今この瞬間の情報を黙々と照らし合わせ、ズレを見つけては静かに書き換えている――そう想像すると、ふだん意識すらしない脳の働きが、急にいとおしく思えてきます。
情報があふれ、誰もが「自分は正しく見えている」と感じやすい時代です。だからこそ、脳が誤りを検知して自分を更新する仕組みを持っていたという事実に、私は小さな希望を感じました。みなさんは、最近どんな「思い込み」を、新しい情報でそっと書き換えられたでしょうか。この記事が、立ち止まって考えるささやかなきっかけになれば、これ以上うれしいことはありません。












