マックス・プランク研究所、ハトの「方位磁針」は肝臓にあると発表|免疫細胞が地磁気を感知

科学誌『Science』に発表された研究で、ハトの肝臓にあるマクロファージと呼ばれる免疫細胞が、地球の磁場を感知する役割を担う可能性が示された。

マクロファージは古い赤血球を分解する過程で鉄を蓄積し、その鉄が酸化物のナノ粒子として結晶化することで超常磁性を帯び、磁場に反応する。研究にはボン大学とボン大学病院の免疫学者、デュースブルク・エッセン大学の物理学者、マックス・プランク動物行動研究所(MPI-AB)の鳥類学者が参加した。調べた組織のうち肝臓が最も高い鉄濃度を示した。ドイツのコンスタンツにあるMPI-ABの飼育場へ20キロメートルを超える距離から戻る実験では、マクロファージを除去したハトは曇天時に帰巣できなかったが、晴天時には帰巣した。電子顕微鏡により、鉄を含むマクロファージが神経線維の近くに位置することが示された。

From: Pigeons navigate using magnetic sensors in their livers, say researchers

【編集部解説】

今回の発見でまず驚かされるのは、「磁気を感じる器官」として肝臓が名指しされた点です。私たちは方角を知る能力を、つい脳や眼といった「感覚の中枢」に結びつけて考えてしまいます。しかし研究チームが示したのは、古い赤血球を掃除する免疫細胞、すなわちマクロファージが、その副産物として蓄えた鉄を「方位磁針」に変えているという構図でした。

鍵となるのは「超常磁性(スーパーパラマグネティズム)」という現象です。鉄の酸化物がごく小さなナノ粒子になると、外から磁場がかかったときだけ磁石のように整列し、磁場が消えると元に戻ります。永久磁石のように固まらず、地磁気のような弱い磁場にも素直に応答できる――この繊細さこそが、生き物がコンパスを内蔵するうえで都合がよいというわけです。

この研究が学術的に重い意味を持つ理由は、実は14年前の「敗北」と表裏一体になっています。2012年、別の研究チームが、それまで磁気センサーの最有力候補とされていたハトのくちばしの鉄を含む細胞を詳しく調べ、これは感覚神経ではなく単なるマクロファージだと結論づけました。広く受け入れられていたくちばしの磁鉄鉱センサー説は、鉄に富む細胞が実は免疫細胞のマクロファージであり、磁気感受性ニューロンではないと示されたことで、再評価を迫られたのです。磁気感覚の探索は、その時いったん振り出しに戻りました。

innovaTopia として注目したいのは、この歴史のねじれです。かつて「センサーではない、ただの掃除屋だ」と退けられたマクロファージが、今回は場所を肝臓に移し、「実はセンサーだったのではないか」という主役の座に返り咲きました。否定された手がかりが、別の角度から肯定し直される。科学が直線ではなく螺旋を描いて進むことを、よく示す事例だと言えます。

実験デザインも明快です。肝臓の鉄を含むマクロファージを薬剤クロドロネートで大きく減らした(報道では約80%減と伝えられています)ハトは、太陽が出ていれば帰巣できたものの、曇天では方向を見失いました。太陽という「予備のコンパス」がある日は迷わず、それが隠れた日にだけ迷う。この対比が、磁気感覚の担い手を絞り込む決め手になりました。生き物が複数の航法手段を併用していることも、同時に浮かび上がります。

では、この発見は何を可能にするのでしょうか。直近で商品が生まれる種類の研究ではありません。むしろ価値は「設計図」にあります。生体がどうやって電池も電波も使わずに方角を読むのか――その仕組みが分子レベルで解ければ、GPSに頼らない超低消費電力のナビゲーション技術や、磁場を読み取る新しいバイオセンサーの着想につながる可能性があります。免疫と感覚が地続きだという視点は、医療やニューロサイエンスにも波及しうるテーマです。

慎重に見ておきたい点もあります。第一に、これは現時点で「強く支持された仮説」であり、肝臓のマクロファージから脳へ磁気情報がどう変換・処理されるのかは未解明のままです。電子顕微鏡で神経線維との近さは示されましたが、信号の中身まで捉えたわけではありません。第二に、研究には薬剤投与による細胞除去が伴います。動物実験の妥当性と倫理は、報じる側も等しく見据えるべき論点でしょう。

規制という観点では、本研究そのものが何かを直ちに規制対象にするわけではありません。ただし長期的には、磁場と生体の関係が「無関係」ではないと分かってくるほど、人工的な磁場環境の評価軸が問い直される余地は出てきます。記事の最後で研究者が「人間も未知の形で磁場に反応している可能性がある」と述べた点は、過度に不安を煽る話としてではなく、今後の検証課題として受け止めるのが妥当です。

長い射程で見れば、この研究は「Tech for Human Evolution」の格好の題材です。私たちは方角を知るためにスマートフォンの地図を開きますが、ハトはおそらく数千万年かけて、体の中に答えを育ててきました。生物が完成させた省エネで頑健な仕組みを読み解き、人の技術へ翻訳していく営みは、テクノロジーが向かうべき方向の一つを指し示しています。空を行く鳥の「勘」の正体に、物理と免疫学が手を伸ばし始めた――その入り口に、私たちは今立っています。

【用語解説】

マクロファージ
体内に侵入した異物や、寿命を終えた細胞を取り込んで分解する免疫細胞である。古い赤血球を処理する過程で大量の鉄を体内にためこむ性質を持つ。

超常磁性(スーパーパラマグネティズム)
鉄などの磁性体がきわめて小さなナノ粒子になったときに現れる磁気の性質を指す。外から磁場がかかったときだけ磁石のようにそろい、磁場が消えると向きがばらばらに戻る。永久磁石のように磁気を保持しないため、地磁気のような弱く変化する磁場にも応答しやすい。

鉄の酸化物ナノ粒子
鉄と酸素が結びついて結晶化した、ナノメートル単位の微小な粒子である。マクロファージの内部でこの粒子が形づくられることで、細胞が超常磁性を帯びる。

磁鉄鉱(磁鉄鉱センサー説)
強い磁性を持つ鉄の酸化鉱物である。かつては、ハトのくちばしにあるこの鉱物を含む細胞が磁気センサーだとする説が有力だったが、後にその細胞はマクロファージだと判明し、説は再検討を迫られた。

クロドロネート
マクロファージを選択的に減少させるために用いられる薬剤である。本研究では、肝臓の鉄を含むマクロファージを除去する目的で投与された。

地磁気(地球の磁場)
地球そのものが持つ磁場である。方位や緯度に応じて向きや強さが変化するため、渡り鳥や伝書バトはこれを航法の手がかりの一つにしていると考えられてきた。

【参考リンク】

Science 原論文(Homing pigeon navigation relies on superparamagnetic macrophages under overcast conditions)(外部) ハトの肝臓にある超常磁性マクロファージが、曇天下で磁気を頼った航法に必要だと報告した、本ニュースの根拠となる査読済みの原論文。

マックス・プランク協会 プレスリリース(外部) 研究を主導した機関による公式発表。発見の要点や実験画像、研究者のコメント、原論文へのリンクまでが一通りまとめられている。

マックス・プランク動物行動研究所(MPI-AB)(外部) 今回の帰巣実験を担った鳥類学チームが所属するドイツの研究機関。野生動物の行動や移動の仕組みを専門に研究している。

ボン大学(外部) 免疫学的な研究を主導したリソフスキ博士や、共同責任著者であるクルツ教授が所属する、ドイツの総合大学の公式サイト。

分子医学・実験免疫学研究所(IMMEI/ボン大学病院)(外部) 共同責任著者のクルツ教授が所長を務める、ボン大学病院の研究所。免疫が働く分子レベルの仕組みを専門に扱っている。

デュースブルク・エッセン大学(外部) 肝臓組織の磁気応答を測定した、物理学者ヴィートヴァルト教授が所属するドイツの大学の公式サイト。ナノ科学の研究で知られる。

【参考動画】

【参考記事】

Bird navigation: How pigeons use liver cells for magnetic sensing(外部) クロドロネートの投与で肝臓の鉄を含むマクロファージが約80%減ったと画像説明で明示。細胞除去の規模を確認するために参照した。

Pigeons use their livers to sense Earth’s magnetic field(Popular Science)(外部) 帰巣実験の距離を12.4マイル(約20キロメートル)超と記載。肝臓が最も強い磁気応答を示した点も伝え、換算の確認に用いた。

Clusters of iron-rich cells in the upper beak of pigeons are macrophages not magnetosensitive neurons(Nature, 2012年)(外部) くちばしの鉄を含む細胞は磁気感受性ニューロンではなくマクロファージだと結論づけた論文。14年前の否定という視点の根拠とした。

Homing pigeon navigation relies on superparamagnetic macrophages under overcast conditions(Science)(外部) マクロファージ除去後のハトが曇天で方向を見失い、太陽が見えれば問題なかったと報告する原論文。結論の正確な表現を確認した。

Homing pigeons may use a surprising navigation mechanism(Science News)(外部) 研究に至る経緯や、従来の眼のタンパク質による磁気感知説への研究者の懐疑を紹介。発見の歴史的背景を補うために用いた。

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【編集部後記】

スマートフォンの地図アプリを開けば、私たちは瞬時に自分の現在地と向かうべき方角を知ることができます。けれどハトは、電池も電波も使わず、体の奥でひそかに地磁気を読み取っているのかもしれません。

みなさんは、自分の体に眠っているかもしれない「未知の感覚」について、考えてみたことはありますか。生き物が長い時間をかけて磨いてきた仕組みは、これからの技術にどんなヒントをくれるのでしょう。よければ、空を行く鳥たちの「勘」の正体を、これからも一緒に追いかけていけたらうれしいです。

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Ami
テクノロジーは、もっと私たちの感性に寄り添えるはず。デザイナーとしての経験を活かし、テクノロジーが「美」と「暮らし」をどう豊かにデザインしていくのか、未来のシナリオを描きます。 2児の母として、家族の時間を豊かにするスマートホーム技術に注目する傍ら、実家の美容室のDXを考えるのが密かな楽しみ。読者の皆さんの毎日が、お気に入りのガジェットやサービスで、もっと心ときめくものになるような情報を届けたいです。もちろんMac派!