自動販売機で飲み物を買う。財布も小銭も出さず、スマホをかざすだけ。ここまでは、もう見慣れた光景かもしれません。でも、そのとき動いているお金が「日本円そのもの」ではなく、ブロックチェーンの上を流れる日本円ステーブルコイン「JPYC」だとしたら――。京都のとある3か所で今、そんな少し先の日常が静かに試されています。しかも、対象商品はなんと半額。まずは何が始まったのか、順番に見ていきましょう。
INSPAY株式会社は、JPYC株式会社、HashPort株式会社、チェリオコーポレーションと連携し、2026年7月1日から9月30日まで、京都市内で日本円ステーブルコイン「JPYC」を用いた自動販売機決済の実証実験(PoC)を実施する。
自動販売機の実消費シーンにおける日本円ステーブルコイン決済としては日本初となる。利用者はHashPort Walletを通じ、京都市内のチェリオ自動販売機でJPYCにより商品を購入できる。初期展開は京都市内の3か所で、期間中は対象商品を半額で購入できるキャンペーンも実施する。
2026年7月1日に京都で開催されたIVS2026での展示を皮切りに実証を開始し、今年9月末まで継続する予定である。
From:
【日本初】INSPAY、日本円ステーブルコイン「JPYC」による自動販売機決済を京都で実証実験
※アイキャッチはINSPAY株式会社PRTIMESより引用
【編集部解説】
自動販売機でジュースを買う——この、あまりに日常的な動作が、実は日本のデジタル通貨史における一つの節目になるかもしれません。今回の実証実験が持つ本当の意味は「京都で半額でチェリオが買える」ことではなく、ステーブルコインが取引所やウォレットの内側から、私たちの生活動線のど真ん中へ降りてきた、その一歩にあります。
まず前提を整理させてください。JPYCは、いわゆるビットコインのような値動きする暗号資産ではありません。2025年10月27日に正式発行が始まった、資金移動業型の「電子決済手段」であり、1JPYC=1円で日本円に償還できる設計です。発行元のJPYC株式会社は、2025年8月18日に、円建てステーブルコインを発行できる国内初の資金移動業者として登録を受けています(登録主体は関東財務局長)。裏付け資産の保全と額面での償還が発行者に制度上義務づけられている点が、投機的な暗号資産との決定的な違いだと考えておくとよいでしょう。
では、なぜ最初の実消費の舞台に「自動販売機」が選ばれたのか。ここに設計者の慧眼を感じます。自動販売機は、少額・高頻度・無人という三拍子がそろった決済接点です。実は現在のJPYCは第二種資金移動業に区分され、1回あたりの送金上限は100万円とされています。数百円の飲料購入なら、この制約はまったく問題になりません。つまり、法制度の枠内で無理なく回せる「ちょうどいい実験場」なのです。
この技術が根づくと、何が変わるのでしょうか。最も現実味があるのは、訪日外国人の消費体験です。海外で発行されたデジタル資産を、両替の手間なくそのまま日本国内の支払いに使える未来が視野に入ります。もっとも、今回のPoCで扱うのはJPYC決済であり、海外発行のコインをそのまま使える段階は、これからの構想です。世界のステーブルコイン市場は時価総額で数十兆円規模に膨らんでおり、その巨大な購買力を国内消費に引き込む「入り口」として、自動販売機が機能し得るわけです。
もっとも、「それならPayPayでいいのでは」という声も当然あるはずです。ここは記事の後半であらためて考えますが、ポイントだけ先に言えば、PayPayがその経済圏の内側で完結する仕組みなのに対し、JPYCは事業者の壁を越えて動ける「開かれた円」だという点に、両者の性格の違いがあります。
一方で、私がお伝えしたいのは、期待と同じ量の冷静さです。今回採用されたHashPort Walletはノンカストディアル型、すなわち資産の管理責任が利用者自身にあるウォレットです。鍵やパスコードの管理を誤れば取り戻せない、という自己責任の重さは、現金にはなかった新しい負担でもあります。価格が安定していることと、運用が簡単であることは、必ずしも同じではないのです。
規制面から見ても、これは示唆に富む一手です。第二種の送金上限が示すように、企業間の大口決済へ広げるには第一種資金移動業の壁が残り、流通を担う電子決済手段等取引業(電取業)の担い手もまだ限られています。今回のような小口・実店舗のPoCを積み重ね、実績と安全性を可視化していくことは、次の制度整備を後押しする現実的な布石になり得ます。
長い目で見れば、米国のGENIUS法成立に象徴されるように、ステーブルコインは各国が主導権を争う次世代決済インフラへと位置づけが変わりつつあります。日本円建てのJPYCが日常の隅々に浸透するかどうかは、「デジタル円経済圏」を国内発の設計で持てるか否かという、静かで大きな問いにつながっています。京都市内3か所に置かれた自動販売機は、その問いを試すための最初の一歩なのだと、私は受け止めています。
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【編集部後記】
このニュースを読んで最初に浮かぶのは「いや、それPayPayでもよくない?」という一言だと思います。私も同じでした。スマホをかざして自販機で飲み物を買うだけなら、もう慣れた動作です。わざわざステーブルコインを持ち出す理由が、パッと見では伝わってこない。ここをどう説明できるかが、この話のいちばんの肝だと感じています。
以前、「PayPayは通貨なのか」という記事で、PayPay・ステーブルコイン・暗号資産が法律上まったくの別物であることを整理しました。あのとき見えてきたのは、PayPayが「閉じた輪」だということです。残高もポイントも友だちも、すべてPayPayという壁の内側で完結する。便利なのは、閉じているからこそでもあります。裏を返せば、その円はPayPayの外へは自由に出ていけません。
JPYCは、ここが根本から違います。1JPYC=1円で日本円に戻せる「開かれた円」であり、ブロックチェーンの上を、事業者の壁を越えて動いていける。今日は自販機で缶コーヒーに、明日は海外発行のコインと同じ土俵で、来月はプログラムに組み込まれて自動で――と、使い道が閉じていないのです。だから「PayPayで買えるのに」という問いへの答えは、たぶんこうなります。「この一本は、PayPayでも買える。でもJPYCで買えることの意味は、この自販機の外側に広がっている」と。
とはいえ、その”外側の価値”は、自販機の前に立った瞬間には、まだ見えません。今日はまだ、半額につられて一本買ってみる、それで十分だとも思います。便利さで並んだとき、人が新しい方を選ぶ理由は、たいてい理屈のあとからやってくるものだからです。今回のPoCは、その理由が生まれるかどうかを確かめる、最初の小さな実験なのだと受け止めています。
みなさんは、どうでしょうか。「PayPayで足りる」と感じますか。それとも、壁のない円が動きはじめることに、何か引っかかるものを感じるでしょうか。正解を出す話ではないので、それぞれの感覚を持ち寄って、一緒に考えていけたら嬉しいです。
【用語解説】
ステーブルコイン
法定通貨などに価値を連動させ、価格を安定させるよう設計されたブロックチェーン上のデジタル資産。JPYCは1JPYC=1円で日本円と連動する。値動きの大きい暗号資産とは性質が異なる。
電子決済手段
2023年6月施行の改正資金決済法で定義された区分。法定通貨を裏付けとするステーブルコインがこれに当たり、暗号資産とは法的に区別される。発行は銀行・信託会社・資金移動業者に限られる。
資金移動業者(第二種資金移動業)
銀行以外で送金(為替取引)を行える登録事業者。JPYCが登録された第二種は1回あたりの送金上限が100万円とされる。少額決済には十分だが、大口の企業間決済には制約が残る。
償還
ステーブルコインを発行体に返し、額面通りの法定通貨に払い戻すこと。1JPYCを1円で日本円に戻せる仕組みが、価値の安定を支える根拠となっている。
ノンカストディアルウォレット
利用者自身が秘密鍵やパスコードを管理し、資産を自己保管する方式のウォレット。事業者が資産を預からないため自由度が高い一方、鍵を失うと復元できないなど、管理責任は利用者に帰する。
電子決済手段等取引業(電取業)
ステーブルコインの発行ではなく、その流通・仲介を担う事業者に必要な登録制度。監督対象として資金決済法に位置づけられており、現状で認可を受けた事業者はまだ限られる。
GENIUS法
2025年7月に米国で成立したステーブルコイン規制法。発行者の条件、裏付け資産の担保・開示、監査義務などを定めた、米国初のステーブルコインに関する連邦規制枠組みである。
PoC(実証実験)
Proof of Concept の略で、新しい技術やサービスが実環境で機能するかを検証する試験的な取り組みを指す。今回は京都市内3か所の自動販売機を舞台に行われる。
暗号資産(仮想通貨)
ビットコインやイーサリアムに代表されるデジタル資産。多くは裏付け資産を持たず価格変動が大きく、価格安定を前提とするステーブルコインとは目的も規制も異なる。
インバウンド(訪日外国人)
日本を訪れる外国人旅行者、およびその消費。海外発行のデジタル資産を両替の手間なく国内決済に使える点で、ステーブルコイン決済との親和性が将来の可能性として注目されている。
【参考リンク】
INSPAY株式会社(外部)
ステーブルコイン時代の次世代決済インフラを手がける企業。本実証で決済端末と加盟店連携を担当する。
JPYC株式会社(JPYC EX)(外部)
日本円ステーブルコイン「JPYC」の発行・償還プラットフォーム。1JPYC=1円で交換できる国内初の資金移動業型。
株式会社HashPort(外部)
「ノンカストディアルウォレット国内実績No.1」を同社がうたうWeb3企業。本実証でHashPort Walletを提供する。
株式会社チェリオコーポレーション(外部)
京都市に本社を置く清涼飲料メーカー。独自の自動販売機網を持ち、本実証で消費接点と飲料を提供する。
IVS2026(外部)
2026年7月に京都で開かれた国内最大級のスタートアップカンファレンス。本実証の展示の舞台となった。
【参考記事】
日本では初の円建てステーブルコインが発行へ(野村総合研究所)(外部)
JPYCが第二種資金移動業で送金上限1回100万円に制限される点や、裏付け資産の仕組みを解説する。
金融庁、JPYCを資金移動業に登録(日本経済新聞)(外部)
2025年8月18日にJPYCが資金移動業者に登録されたと報道。1JPYC=1円、3チェーンでの発行予定に触れる。
JPYC 岡部典孝代表「デジタル円」を国際決済手段に(日刊金融通信社)(外部)
岡部氏が3年間で10兆円分のJPYC発行を目指す方針を語り、世界の流通規模の数値も提示する。
TIS、JPYCとステーブルコイン決済で基本合意(TIS)(外部)
2024年の国内キャッシュレス比率42.8%や世界のステーブルコイン市場30兆円突破に言及。最新の2025年比率は経産省の新指標で58.0%。
ステーブルコイン:導入状況と市場の期待(EY Japan)(外部)
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「JPYC」発行開始で話題のステーブルコイン関連銘柄を解説(ダイヤモンドZai)(外部)
JPYCが3年間で1兆円規模の発行を目指すと2025年8月に報道(後の報道では10兆円に更新)。












