10月16日【今日は何の日?】世界食糧デー:テクノロジーが切り拓く、80億人の「食」の未来

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42カ国が集った日

1945年10月16日、カナダ・ケベック市。シャトー・フロントナックの会議室に、42カ国の代表が集まっていました。第二次世界大戦の終結からわずか2ヶ月。世界中で農業生産が混乱し、飢餓が人々の命を奪い続けていた時代です。この日、彼らは国連食糧農業機関(FAO)の憲章に署名し、人類史における新たな一歩を踏み出しました。ラテン語のモットー「Fiat Panis(パンあれ)」を掲げて。

あれから80年。世界人口は3倍以上に増加し、80億人を超えました。しかし今も約6.5億人以上が栄養不足に直面しています。

けれど今、培養肉、垂直農法、精密農業、AIとブロックチェーン。これらの技術は単なる未来の夢物語ではなく、すでに市場を形成し始めている現実です。技術は、食をどう変えるのでしょうか。

80年の闘い

FAO設立の背景には、戦争がもたらした深刻な食糧危機がありました。工場は破壊され、肥料や農薬、農業機械の生産は停止し、食品の流通網は寸断されていました。

1943年5月、まだ戦争が続く中、フランクリン・ルーズベルト大統領は44カ国をバージニア州に招集し、「国連食糧農業会議」を開催しました。この会議が、後のFAO設立への道を開きます。初代事務局長ジョン・ボイド・オア卿は、世界の飢餓撲滅への功績が認められ、1949年にノーベル平和賞を受賞しています。

その後の数十年、人類は「緑の革命」を経験しました。高収量品種の開発、化学肥料と農薬の普及、灌漑技術の向上により、1960年代から1990年代にかけて世界の穀物生産量は2倍以上に増加しました。多くの専門家が予測した「人口爆発による大規模飢饉」は、回避されたのです。

しかし、成功は新たな課題も生み出しました。集約的農業は土壌劣化を引き起こし、化学物質の過剰使用は環境を汚染し、単一作物栽培は生物多様性を脅かしました。そして何より、生産量の増加だけでは飢餓を解決できないという現実が明らかになったのです。2025年のFAO報告書によれば、世界では毎年生産される食料の約3分の1が失われるか廃棄されています。

この認識が、次世代の食糧システムへの転換を促しました。

2025年の最前線

培養肉:動物を殺さない「本物の肉」

研究室で培養された細胞から、本物の肉が生まれる。培養肉市場は2025年に約12億ドルの規模に達し、2033年までに107億ドルへと成長すると予測されています。

シンガポールは2020年、世界で初めて培養肉の商業販売を承認しました。2023年には米国、2024年にはイスラエル、2025年6月にはオーストラリアも規制承認を完了。採用国は着実に増加しています。

AIと機械学習が細胞培養プロセスに統合され、生産時間とコストの削減が実現しつつあります。かつて不可欠だった高価な牛胎児血清(FBS)は、植物由来の代替物に置き換えられ始めています。

従来の畜産業は、世界の温室効果ガス排出量の約14.5%を占めています。

垂直農法:都市の中の農場

高層ビルの中で、野菜が育つ。垂直農法の2025年市場規模は62〜85億ドルに達し、2030年までに倍増すると予測されています。

水耕栽培システムは、従来の土壌農業と比較して水使用量を90%削減します。除草剤や農薬は不要で、年間を通じて安定した生産が可能です。LED照明技術の進化により、植物の成長段階に合わせた最適な光スペクトルを提供でき、エネルギー効率も向上しています。

シンガポールは「30 by 30」目標——2030年までに食料の30%を国内生産——の達成に向けて、太陽光統合型の垂直農法タワーを積極的に導入中です。米国では、Bowery Farmingが2024年第4四半期、Whole Foods Marketと供給契約を締結し、米国北東部の店舗に葉物野菜を提供しています。

輸送距離の短縮は、鮮度の向上だけでなく、カーボンフットプリントの削減にも貢献します。

精密農業:データが導く農業

ドローンが空から農地を監視し、AIが作物の健康状態を分析し、ロボットが必要な場所にだけ水や肥料を与える。精密農業の市場規模は2025年に105億ドルに達し、2034年までに年率11.5%で成長すると推定されています。

衛星画像、ドローンによる多光スペクトル撮影、IoTセンサーが収集した膨大なデータを、AIが解析します。農家は畑の「どこに」「何が」「どれだけ」必要なのかを、リアルタイムで把握できるのです。

インドでは2024年9月、政府が精密農業の導入に約6.5億ドルを投資すると発表しました。大規模農場の60%以上がすでにAI駆動の精密農業技術を採用しており、平均収量を15〜20%増加させ、投入コストを最大25%削減しています。

スマートフォンアプリを通じて衛星データにアクセスできるサービスが登場し、技術の民主化が進んでいます。

代替タンパク質:選択肢の拡大

植物由来の「肉」、発酵技術による「卵」、昆虫タンパク質。代替タンパク質市場は2025年に1,081億ドルで、2035年までに5,899億ドルに達すると予測されています。年平均成長率は18.5%です。

植物由来タンパク質が市場の73.3%を占めていますが、最も急速に成長しているのは昆虫タンパク質です。年率29.4%で拡大しており、環境負荷の低さと高い栄養価が注目されています。

2023年、米国農務省は培養鶏肉を承認。欧州でも、ドイツ、英国、フランスを中心に植物由来製品の発売が急増しており、2024年には欧州全体の新製品発売の23%をドイツが占めています。

英国では、人口の39.5%がフレキシタリアンであると自認しています。

ブロックチェーンとAI:透明性がもたらす信頼

食品がどこで生産され、どのように輸送され、どんな品質管理を経たのか。ブロックチェーン技術は、食品のサプライチェーン全体に透明性をもたらしています。

ウォルマートは2018年から、マンゴーや豚肉の原産地追跡にブロックチェーンを導入しました。従来は数日かかっていた追跡作業が、わずか数秒で完了するようになったのです。

IoTセンサーとの統合により、輸送中の温度・湿度データが自動的に記録され、適切な条件が保たれているかを監視します。AIは膨大なサプライチェーンデータを分析し、需要予測の精度を向上させます。過剰生産と食品廃棄を削減できるのです。

未来展望

FAOの予測によれば、現在の傾向が続く場合、2030年までに6.5億人以上が栄養不足に陥る可能性があります。しかし、これは「何もしなければ」のシナリオです。

培養肉と植物由来タンパク質が市場の30〜40%を占め、都市部では垂直農法が普及し、精密農業とAIにより農薬と肥料の使用量は70%削減される——。そんな未来は可能かもしれません。一方で、技術へのアクセスが限られた地域では「デジタルデバイド」が課題として残る可能性もあります。

課題も存在します。培養肉の生産コストは、2025年現在、従来の肉の5〜10倍です。垂直農法の電力消費は、運営コストの50〜65%を占めています。

しかし、LED照明の効率は年々向上し、培養肉のコストは急速に低下しています。技術の民主化により、小規模農家でもスマートフォンを通じてAI分析にアクセスできるようになりました。

手を取り合って

2025年10月16日、世界食糧デー。この日、世界150カ国以上で様々なイベントが開催されます。今年のテーマは「Hand in hand for better foods and a better future(より良い食とより良い未来のために、手を取り合って)」です。

1945年、戦争の廃墟の中で42カ国が集まり、「飢餓のない世界」という夢を掲げました。80年後の今、私たちはまだその夢を完全には実現できていません。しかし、諦めてもいません。そして今、私たちは過去のどの世代よりも強力な道具を手にしています。

皆さんの選択が、未来を作るかもしれません。


【Information】

参考リンク

国際機関・政府関連

フードテック関連

用語解説

培養肉(Cultivated Meat / Cell-Based Meat) 動物の細胞を培養して生産される肉。動物を殺すことなく本物の肉を生産できるため、倫理的・環境的利点が注目されている。ラボグロウンミート(Lab-Grown Meat)とも呼ばれる。

垂直農法(Vertical Farming) 従来の平面的な農地ではなく、建物内で垂直に積層された環境で作物を栽培する農業手法。水耕栽培、気耕栽培、魚耕栽培などの技術と組み合わせることで、省スペース・高効率な生産を実現する。

精密農業(Precision Agriculture) GPS、センサー、ドローン、衛星画像、AIなどの技術を活用し、農地の状態をリアルタイムで監視・分析し、必要な場所に必要な量だけ水や肥料を投入する農業手法。資源効率と生産性の両立を目指す。

代替タンパク質(Alternative Protein) 従来の動物性タンパク質の代替となるタンパク質源。植物由来(大豆、エンドウ豆など)、昆虫由来、微生物由来(発酵技術)、培養肉などが含まれる。

フレキシタリアン(Flexitarian) 完全な菜食主義ではないが、意識的に肉の消費を減らし、植物由来の食品を多く取り入れる食生活スタイル。「Flexible(柔軟な)」と「Vegetarian(菜食主義者)」を組み合わせた造語。

IoT(Internet of Things / モノのインターネット) センサーやデバイスがインターネットに接続され、データを収集・送信・分析できる技術。農業分野では土壌湿度センサー、気象センサー、家畜健康モニタリングデバイスなどに活用されている。

ブロックチェーン(Blockchain) 分散型台帳技術。データを「ブロック」として記録し、それを「チェーン」のように連結することで、改ざんが困難な透明性の高いシステムを構築する。食品のトレーサビリティ(追跡可能性)向上に活用されている。

SDGs(Sustainable Development Goals / 持続可能な開発目標) 2030年までに達成すべき国際目標として国連が設定した17のゴール。特にSDG2「飢餓をゼロに」は食糧問題に直結しており、FAOが中心となって取り組んでいる。

投稿者アバター
Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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