New York University Abu Dhabi(NYUAD)の研究者が、火星の地表下にかつて水が流れていたことを示す新たな証拠を発見した。研究は2025年11月10日付でJournal of Geophysical Research – Planetsに掲載され、2026年3月15日にScienceDailyが報じた。
調査対象は、NASAのCuriosityローバーが探査するゲール・クレーター内の古代砂丘で、これらは数十億年前に地下水との相互作用によって岩石へと硬化したとされる。調査はディミトラ・アトリとヴィグネーシュ・クリシュナムールティが主導し、UAEの砂漠の岩石地層との比較分析を行った。地下水が砂丘に浸透した痕跡として石膏などの鉱物が確認されており、有機物の保存に適した堆積物であることが示された。
研究はNYUAD Research Instituteの支援のもと、Center for Astrophysics and Space Scienceにて実施された。
From:
Scientists discover hidden water beneath Mars that could have supported life | ScienceDaily
【編集部解説】
今回の研究が示すのは、「火星はいつ乾いたのか」という問いの答えを書き直す必要があるかもしれない、ということです。これまでの定説では、火星の表面水はノアキアン期(約41億〜37億年前)の末期からヘスペリアン期(約37億〜30億年前)にかけて急速に失われ、その後は不毛な砂漠へと移行したと考えられてきました。しかし今回の研究は、表面が乾いた後も地下ではしばらく水が動き続けていた可能性を、岩石の「記憶」から読み解いたものです。
注目すべきは研究手法の巧みさです。ゲール・クレーター内の「スティムソン累層(Stimson Formation)」と呼ばれる風成砂岩の地層に残された鉱物を、地球上のアラブ首長国連邦(UAE)の砂漠地形と比較分析するというアプローチを採っています。UAEの砂漠は、乾燥環境でありながら地下水の影響を受けた岩石が豊富に存在することで知られており、火星との地質学的な類似点が高い。同じ「砂が水に浸されて岩になった」という現象を地球で追うことで、遠く離れた惑星の過去を再構成できる——この発想は、惑星科学における「地球類推」手法の有力な実例といえます。
発見された石膏(硫酸カルシウム二水和物)は、単に「水があった証拠」にとどまりません。石膏は有機物を結晶の内部に閉じ込めて保存する性質を持ちます。つまり、もし当時の火星に微生物が存在したとすれば、その化学的な痕跡(バイオシグネチャー)がこの岩石の中に今も封じ込められている可能性があります。地球では、砂岩の地層がおよそ35億年前の微生物の痕跡を保存してきた実例があり、この点で今回の発見は将来のサンプルリターンミッションにとって具体的な「掘る場所」の候補を与えるものでもあります。
一方で、研究の射程には慎重に目を向ける必要があります。今回の発見はあくまで「地下水の流動があった形跡」であり、「生命がいた証拠」ではありません。石膏などの硫酸塩鉱物は、水と岩石の化学反応だけでも生成されます。研究チーム自身も「生命を支えうる環境があった」という表現にとどめており、生命の実在を主張してはいません。この点は、メディアによっては過剰に強調されがちな部分ですので、冷静に受け取ることが重要です。
長期的な視点で見ると、この研究は火星探査の戦略そのものに影響を与えうるものです。現在、NASAとESAが共同で進める「マーズ・サンプル・リターン」計画は、Perseveranceローバーがジェゼロ・クレーターで採取したサンプルを地球に持ち帰ることを目指しています。今回の知見は、地下水の痕跡が残る岩石・地層を優先的にサンプリングすべきという判断基準を、より強く裏付けるものといえます。「どこを掘るか」が、生命探索の成否を大きく左右するからです。
また、火星の居住可能性の「タイムライン延長」という観点は、太陽系外惑星探査にも示唆を与えます。表面が乾燥した惑星であっても、地下環境が長期間にわたって生命を支えていた可能性があるとすれば、宇宙における生命存在の条件を再評価する根拠となります。「乾いた惑星=生命なし」という図式は、もはや成立しないかもしれません。
【用語解説】
ノアキアン期(Noachian Period)
火星の地質時代区分のひとつ。約41億〜37億年前に相当し、大規模な隕石衝突と豊富な表面水が存在したとされる時代だ。河川や湖が形成され、生命誕生に適した環境があった可能性が高い時期として、惑星科学の研究において最重要の対象となっている。
ヘスペリアン期(Hesperian Period)
ノアキアン期に続く火星の地質時代区分。約37億〜30億年前とされるが、境界年代には不確実性がある。大規模な火山活動と大気の急速な喪失が起き、火星が湿潤な環境から乾燥した惑星へと移行した「転換期」にあたる。
スティムソン累層(Stimson Formation)
ゲール・クレーター内のマウント・シャープ(エオリス山)の斜面に露出する風成砂岩の地層。かつて風によって運ばれた砂が堆積し、その後地下水との相互作用によって岩石化(石化)したとされる。今回の研究の主要な調査対象だ。
バイオシグネチャー(Biosignature)
生命活動の存在を示す化学的・物理的・形態的な痕跡の総称だ。有機分子、特定の同位体比、微生物の形態的痕跡などが含まれる。石膏などの硫酸塩鉱物は有機物を内部に封じ込める性質を持つため、バイオシグネチャーの保存媒体として注目される。
石膏(硫酸カルシウム二水和物 / Gypsum)
化学式 CaSO₄・2H₂O で表される硫酸塩鉱物。水が岩石中のカルシウムと硫酸イオンと反応することで生成される。地球の砂漠環境にも普遍的に見られ、有機物を結晶構造の中に保存する能力を持つことから、火星における生命痕跡探索の重要な手がかりとなっている。
風成砂岩(Aeolian Sandstone)
風によって運搬・堆積した砂が固結してできた堆積岩だ。地層の構造(斜交葉理など)から当時の風向きや気候を復元できる。スティムソン累層はその代表例であり、堆積後に地下水と相互作用した痕跡が今回の研究の鍵となった。
【参考リンク】
NASA Mars Science Laboratory(Curiosity Rover)(外部)
NASAが運用するCuriosityローバーの公式サイト。2012年からゲール・クレーターを探査し、最新の科学的成果を公開している。
New York University Abu Dhabi(NYUAD)(外部)
今回の研究を主導したディミトラ・アトリが所属する大学。Center for Astrophysics and Space Scienceを擁し、宇宙探査分野の研究成果を発信している。
Journal of Geophysical Research: Planets(AGU Publications)(外部)
今回の研究論文が掲載された査読済み学術誌。アメリカ地球物理学連合(AGU)が発行する惑星科学分野の主要ジャーナルだ。
NASA Mars Sample Return(外部)
NASAとESAが共同推進する「マーズ・サンプル・リターン」計画の公式サイト。Perseveranceがジェゼロ・クレーターで採取したサンプルの地球帰還を目指している。
【参考記事】
Ancient Underground Water Suggests Mars May Have Been Habitable Longer than Previously Thought | Universe Today(外部)
スティムソン累層の形成過程を詳述。ゲール・クレーターがノアキアン期(約41億〜37億年前)の洪水期に形成され、地下水との相互作用で岩石化した経緯を伝えている。
Gale Crater’s Extended Hydration Challenges Mars Timeline | SpaceDaily(外部)
火星がヘスペリアン期中期(約37億〜30億年前)に表面水の大半を失った後も、地下水がゲール・クレーター周辺に残存した可能性を報じた先行研究の解説記事だ。
Mars Was Habitable for Far Longer Than We Thought, New Study Reveals | SciTechDaily(外部)
論文DOI(10.1029/2024JE008804)や掲載号(JGR: Planets, 2025; 130(11))など書誌情報を正確に伝えるNYUAD研究の解説記事だ。
Underground Water in Martian Dunes Points to Hidden Habitable Zones | The Brighter Side of News(外部)
地層構造と地下水の浸透メカニズムを図版付きで解説。石膏が有機物を封じ込める仕組みとスティムソン累層の保存機能を具体的に説明している。
Evidence of Ancient Underground Water Reveals Mars May Have Stayed Habitable Longer Than Believed | NYUAD(外部)
研究機関NYUADによる公式プレスリリース。ディミトラ・アトリのコメントや研究背景が一次情報として掲載されている。
【関連記事】
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同じくNYUADのディミトラ・アトリ氏による関連研究。宇宙線が地下水を分解し微生物にエネルギーを供給する可能性を論じている。
【編集部後記】
「火星に生命はいたのか」——この問いは、私たちが宇宙における自分たちの孤独さ、あるいは豊かさを問い直す問いでもあると思います。
乾ききった惑星の地下に、かつて水が静かに流れていたという事実は、なぜか胸に響くものがあります。みなさんはこの発見を聞いて、どんなことを感じましたか?







































