「アプリはなくなる」と言い切ったNothingのCEO、Carl Peiがスマートグラスの開発に動いていることが明らかになった。AIエージェントが意図を汲み取り、すべてを代わりにこなす世界を見据え、Nothingはスマートフォンを超えたマルチデバイス戦略へと舵を切っている。Meta、Google、Appleが相次いでスマートグラスに参入する2026年、後発のNothingが描く次の一手を読み解く。
ロンドンに本社を置くスマートフォンメーカーNothingが、AIスマートグラスの開発を進めていることをBloombergが匿名情報筋を引用して2026年3月31日に報じた。発売は2027年前半を目標としており、カメラ、マイク、スピーカーを搭載する見込みだ。AI処理はグラス本体では行わず、スマートフォンおよびクラウドに処理を委ねる設計だ。
Nothingは2027年のグラス発売に先立ち、2026年後半にもAI機能を強化したイヤーバッドを発売する計画だ。共同創業者兼CEOのCarl Peiは当初スマートグラスのアイデアに否定的だったが、方針を転換し、スマートフォンとオーディオ機器を超えたマルチデバイス戦略を社員に表明したとBloombergは伝えている。
いずれもNothingによる公式発表はなく、今回の報道は匿名情報源に基づくものである点に注意が必要だ。
From:
Nothing’s AI devices plan reportedly contains smart glasses and earbuds
【編集部解説】
グラスを「嫌い」だったCEOが、なぜ方針を変えたのか
NothigのCEO、Carl Peiは長い間、スマートグラスに懐疑的だった。少なくとも社内では、その方向性を否定的に語っていたとされます。そのPeiが2026年3月、SXSWのステージで「アプリはなくなる」と宣言しました。その2週間後、Bloombergがスマートグラス開発の報道を流した。この二つの出来事を並べると、Peiの思考の変化が浮かび上がります。
Peiが問題にしているのは、スマートフォンの「UI哲学」です。ロック画面を解除し、ホーム画面からアプリを選び、フルスクリーンで操作する——この仕組みは約20年間ほとんど変わっていないとPeiは指摘しています。コーヒーの約束ひとつに、メッセージ、地図、配車、カレンダーの4つのアプリを渡り歩く。この摩擦を解消するのが「ユーザーの意図を理解し、先回りして実行するAIエージェント」であるなら、そのエージェントが動くための場所は「アプリが並ぶホーム画面」である必要はありません。
スマートグラスが選択肢に入る理由は、その「常時性」にあります。眼鏡は、ポケットから出さなくても、ロック画面を解除しなくても、環境の情報をリアルタイムで受け取れる。AIエージェントが「見て、聞いて、代わりにやる」ための感覚器官として、グラスはスマートフォンより適したフォームファクターだといえます。Peiが否定的だったスマートグラスに転じたのは、単にトレンドに乗ったのではなく、「アプリの消えた先」を考え抜いた結果として読むのが自然でしょう。
「処理はスマートフォンとクラウドへ」——軽さの設計思想
今回のBloomberg報道で注目すべき点のひとつは、AI処理をグラス本体に持たせず、スマートフォンとクラウドに委ねる設計です。初代モデルにはディスプレイ(ARオーバーレイ等)も搭載しない方向とされています。
この選択は、開発コストと重量を抑える実用的な理由があります。カメラ、マイク、スピーカー、通信モジュールだけでもフレームへの実装は容易ではなく、さらにAI推論用のプロセッサやディスプレイまで載せれば、重量とバッテリー消費が跳ね上がります。MetaのRay-Ban Glassesも同様のアーキテクチャ(処理をスマートフォンとクラウドにオフロード)を採用しており、ファーストジェネレーションのスマートグラスとしては合理的な選択といえます。
ただし、この設計にはNothingならではの戦略的な意味もあります。スマートフォンを「AIエージェントのハブ」と位置づけるなら、グラスはそのエージェントの「目と耳と口」として機能する末端デバイスです。Nothingが「自社スマートフォンとの深い連携」を前提に設計するなら、Nothing OSとの統合度が差別化のカギになります。Nothingは2026年後半にAI機能を強化したイヤーバッドも投入予定とされており、スマートフォン+イヤーバッド+グラスという「マルチデバイスエコシステム」を自社製品だけで構成しようとしている構図が見えてきます。
デザインという武器——「顔に載せるもの」の特殊性
スマートグラスの普及を考えるとき、技術性能と並んで避けられない論点があります。「かけたいと思えるか」というデザインの問題です。
2013年にGoogleが「Glass Explorer Edition」を発売した際、装着者が一目で「テクノロジーを顔に載せている人」と分かる外見が猛烈な反発を招きました。装着者は「Glasshole(グラスホール)」と揶揄され、バーやレストランでの入店禁止にまで至っています。このとき業界が得た教訓は明確です——スマートグラスは、まず見た目が受け入れられなければ、どれだけ優れた技術も意味をなさない。
MetaがRay-Banとの協業で成功した(2024年に100万台超を販売したと報じられている)のは、EssilorLuxotticaという60年以上のアイウェア文化を持つパートナーのデザイン力に頼ったからです。GoogleもWarby Parker、Gentle Monster、Kering Eyewearと提携し、Google×Warby Parker(最大1億5,000万ドルをコミット、確定7,500万ドル+マイルストーン達成条件付き追加7,500万ドル)、Google×Gentle Monster(複数報道によると約1億ドルの出資)と合計2億5,000万ドル以上を投じています。テック企業がファッション業界と組むことが、スマートグラス参入の標準的なアプローチになりつつあります。
Nothingはこの点で独自の立ち位置にいます。同社はTeenage Engineeringとの協業で確立した透明デザインと、「プロダクトをロゴのようにデザインする」というチームの哲学によって、テック企業としては異例のブランド力をデザインで築いてきました。一目でNothingと分かるデザイン言語を、外部のファッションブランドに頼らず自社で持っているのは、Meta・Google・Appleのいずれとも異なる強みです。
もちろん、スマートフォンのデザインとアイウェアのデザインは別物です。眼鏡は重量バランス、フィット感、長時間装着の快適性といった、EssilorLuxotticaのようなアイウェア専業メーカーが数十年かけて蓄積したノウハウが求められます。Nothingにはアイウェア製造の経験がなく、デザインの美しさだけでは解決できない課題があることも事実です。この点をどう補うか——外部パートナーとの協業か、社内にアイウェア設計の専門家を招くか——は、公式発表の段階で確認すべき重要な論点です。
2026〜2027年:スマートグラス大戦前夜
Nothingがスマートグラスを狙うタイミングは、業界全体のシフトと重なっています。MetaはRay-Ban Glassesを複数世代リリースし、処方箋レンズ対応モデルを3月末に発表しました。GoogleはサムスンとのAndroidXR搭載グラスを2026年内に投入するとみられ、AppleもARグラスの2027年発売が噂されます。Even RealitiesやRokidも市場参加を続けています。
Nothingが参戦する2027年前半は、すでに複数の先行プレイヤーがいる市場です。しかし逆に言えば、市場が「スマートグラスとはこういうものだ」という共通認識を形成しつつある段階で参入できるとも言えます。Peiが語る「AIエージェントが使うためのインターフェース」というコンセプトと、Nothingのデザイン言語が先行機種との差別化軸になるかどうかが、成否の分かれ目になるでしょう。
リスク:プライバシーと「見られる側」への配慮
カメラを搭載したスマートグラスには、つきまとうリスクがあります。装着者が意識せずに周囲を撮影できるという性質は、Google Glassの時代から繰り返し問題視されてきました。「見る側」のプライバシー設計だけでなく、「見られる側」の権利への配慮がなければ、どれだけ優れた製品も公共の場で受け入れられない可能性があります。
Nothingがこの問題をどう設計に織り込むか——たとえば撮影中のインジケーター表示、顔認識の制限、データの保持ポリシーなど——は、製品の発表が公式化した段階で確認すべき重要な論点です。
なお今回の情報はすべて匿名情報源に基づくBloomberg報道であり、Nothingの公式コメントはない点を改めて強調しておきます。
【用語解説】
Nothing(ナッシング)
ロンドンを拠点とする消費者向けエレクトロニクス企業。OnePlusの共同創業者Carl Peiが2020年に設立。透明なデザインと背面発光の「Glyph Interface」を特徴とするスマートフォン・イヤホンを展開。2025年にTiger Global主導のシリーズCで2億ドルを調達し、AIデバイスの開発を加速している。
マルチデバイス戦略
スマートフォン単体ではなく、イヤーバッド、スマートグラス、スマートウォッチなど複数のデバイスが連携してひとつのAIエコシステムを形成する製品戦略。AppleのAirPodsとiPhoneとApple Watchの連携が典型例。NothingはNothing OS上でこのエコシステムを構築しようとしている。
【参考リンク】
Nothing 公式サイト(外部)
ロンドンに本社を置く消費者向けエレクトロニクス企業。Phone、Ear、CMFシリーズを展開。AIプラットフォーム「Essential」も提供。
Meta Ray-Ban スマートグラス(外部)
現在のスマートグラス市場をリードするMetaの製品ライン。今回Nothingが参入するとされる市場の先行事例。
Even Realities G1(外部)
競合するディスプレイ搭載スマートグラスブランド。ARオーバーレイ機能とファッション性を両立した設計。
TechCrunch:Carl Pei「アプリが消える」SXSW講演(外部)
今回の記事の背景思想を理解するための、Carl PeiによるSXSW発言の詳報。
【参考記事】
Nothing plans to release AI smart glasses next year after CEO Carl Pei changes mind — 9to5Google
ディスプレイなし・スマートフォン連携設計の詳細分析。「コンパニオンデバイス」としての位置づけを考察。
Nothing CEO Carl Pei says smartphone apps will disappear as AI agents take their place — TechCrunch
SXSWでのCarl Pei発言の詳報。「アプリが消える」論のコンテキストを理解するための重要一次資料。
Nothing eyes AI glasses push — Arabian Post
Peiの戦略転換の時系列分析と、プライバシー問題・ブランド戦略の考察。本記事の編集部解説の背景調査に活用。
Nothing’s AI processing approach — Prism News
スマートグラスにおける「処理オフロード」アーキテクチャの市場標準を解説。競合比較に活用。
Big Tech and Fashion Think They’ve Finally Figured Out Smart Glasses — Business of Fashion
Google×Warby Parker、Google×Gentle Monster、Kering Eyewearとの提携を報じた、スマートグラスとファッション業界の協業動向。
Why Nothing designs its phones “like logos” — Creative Bloq
Nothingのデザインチームへのインタビュー。「プロダクトをロゴのようにデザインする」哲学の詳細。
【編集部後記】
「アプリが消える」という宣言は、刺激的なプレゼンの言葉として聞こえるかもしれません。しかしCarl Peiが指摘したコーヒーの約束に4つのアプリが要るという現実は、スマートフォンを使う誰もが感じている静かなストレスです。私たちは問いたいのです——道具がいつの間にか複雑になりすぎて、道具を使うためにエネルギーを消費していないでしょうか。AIグラスが「アプリをなくす」のではなく、道具と人間の関係そのものを問い直すきっかけになるとしたら、それはどんな景色でしょうか。Nothingの2027年が楽しみです。









































