AIグラスの命運は「部品」が握る|光学スタートアップLetinARが累計4,170万ドル調達、2027年IPOへ

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AIグラスをめぐる競争は、MetaやSamsung、Appleといったブランド名で語られることが多い。しかし、それらの眼鏡を「普通の眼鏡に見えて、実際に機能する」ものにする部品——視野内に映像を投影する光学モジュール——を誰が作るかという問いは、まだほとんど表に出てこない。韓国スタートアップLetinARが10年間かけて積み上げてきたのは、そのボトルネックを解く技術です。AIグラス市場が本格的な量産フェーズへと移行するなか、新たな資金調達を完了した同社の今を追います。


韓国の光学スタートアップLetinARは、韓国産業銀行(KDB)やロッテベンチャーズなどから1,850万ドルを調達した。累計調達額は4,170万ドルとなり、2027年の韓国IPOに向けてスケールアップを加速する。

同社はAIグラス向け光学モジュールを手掛け、独自のPinTILT技術で既存方式が抱える薄さ・輝度・省電力のトレードオフに挑む。顧客には日本のNTT QONOQデバイスとdynabookが含まれ、ETHチューリッヒ発のスイス企業Aegis RiderのAR対応バイクヘルメットにも同社のモジュールが採用されている。既存出資者のLGエレクトロニクスも独自AIグラスの開発に着手したと現地報道は伝える。Omdiaによれば、2025年のAIグラス世界出荷台数は870万台(前年比300%超増)に達し、2026年には1,500万台を超えると予測されている。

From: 文献リンクSouth Korea’s LetinAR is building the optics behind AI glasses

【編集部解説】

TechCrunchの記事は、LetinARの日本での顧客として「NTT QONOQデバイス」と「dynabook」の2社を挙げています。固有名詞だけを並べると、別々の企業が偶然このスタートアップに行き着いたかのようにも読めるのですが、その背景を辿ると、ひとつの輪郭が浮かび上がってきます。

シャープを介して結ばれる2つのAIグラス

NTT QONOQデバイスは、NTTドコモのXR事業を担う子会社NTT QONOQと、シャープのジョイントベンチャーです。同社が2024年秋に発売したXRグラス「MiRZA(ミルザ)」には、LetinARのPinTILT光学モジュールが採用されており、同等機能の従来製品と比較して最大66%軽量化したとLetinARは説明しています(LetinAR発表値)。価格は248,000円。明らかにコンシューマー向けの値付けではありません。

そしてdynabookは、2018年10月に東芝クライアントソリューションズの株式80.1%をシャープが取得し、2020年8月に完全子会社化した企業です。日本経済新聞は「シャープ傘下のダイナブック」と明記しています。同社が2025年3月に受注開始した法人向けXRグラス「dynaEdge XR1」もまた、LetinARのPinTILT光学モジュールを採用しています。重量は約89g、視野角は対角約45度、解像度はFHD(1920×1080)——スペックの多くがMiRZAと重なります。

つまりLetinARの日本における2大顧客は、いずれもシャープが何らかの形で関与している製品です。鴻海(ホンハイ)傘下に入った後のシャープが、テレビや白物家電とは別の領域として、AIグラスというカテゴリーに静かに張っている——そう読むこともできる構図です。

日本市場の独特な立ち位置:コンシューマーではなく、現場へ

ここでもうひとつ気になるのは、MiRZAもdynaEdge XR1も、その想定用途が明確に「業務」だということです。

MiRZAはエンタープライズ向けの位置づけが強く、Sharp×NTTドコモのJVが企業パートナーを募集する形で展開されています。dynaEdge XR1はさらに踏み込んで、製造・物流・建設・医療といった現場のデジタルトランスフォーメーション(DX)を主戦場に据えており、想定ユースケースには倉庫でのピッキング作業、リモート作業支援、マニュアル表示、現場教育などが並びます。

これは、Meta Ray-Banグラス、GoogleのAndroid XR、SamsungがGentle Monsterと共同設計するというAIグラス、そしてAppleが参入を見込まれるという——いずれもファッション性と日常使いをめぐる勝負を仕掛けてくる海外勢の戦い方とは、ずいぶん性格が違います。

なぜ日本では業務用が先行するのか。要因は複合的でしょう。20万円台後半という価格はコンシューマーには高い一方、現場の生産性向上や人手不足解消への投資としてなら回収シナリオが描ける。日本の製造業や物流業が抱える高齢化・熟練工不足は、AR/XRによる作業支援との相性がよい。加えて、コンシューマー向けデバイスで失った主導権を、業務領域でなら取り戻せるかもしれない——そうした実利的な判断が、各社の選択の背景にあると見るのが妥当そうです。

「日常使い」と「業務用先行」のどちらが本道か

ただし、この日本のポジショニングが戦略として持続するかは、まだ分かりません。

LetinARのCEOは「AIグラスは次のプラットフォームになる」と語っています。プラットフォームになるということは、最終的にはコンシューマーの日常に入り込むということです。SamsungがGalaxy Unpackedで発表すると報じられているAIグラスは、おそらく7月以降に日本市場にも投入されるでしょう。そのとき、248,000円のMiRZAや法人専用のdynaEdge XR1は、どのように位置付け直されるのでしょうか。

シャープと日本のメーカー群が、業務用での先行を足場に、最終的にコンシューマー市場でも独自の立ち位置を築けるのか。それとも、業務用というニッチに留まり、日常用途では海外勢の後追いになるのか。光学モジュールという最も難しい部品でLetinARに頼る構図——それ自体は合理的な選択ですが、その依存が将来の交渉力にどう作用するかも気になるところです。

「眼鏡型デバイス」の歴史を振り返れば、Google Glassが2013年に登場してから10年以上、何度も「来年こそが本命」と言われ続けてきました。今回はその「次」が本当に来るのか、それともまた一段、現場の慣れと法整備と社会受容のあいだで停滞するのか。日本企業の業務用先行戦略が、その答えの一部を握っているのかもしれません。

【用語解説】

光学モジュール(ARグラス用)
ARグラスにおいて、マイクロディスプレイの映像を眼の前に虚像として投影するレンズ部品の総称。光学設計の方式(ウェーブガイド、バードバス、PinTILTなど)によって、重量・輝度・消費電力・フォームファクターが大きく異なる。スマートグラスの実用性を左右する中核部品。

PinTILT™
LetinARが開発した独自の光学技術。微小なミラー素子をレンズ内部に傾けて配置(TILT)し、ピンホール効果(Pin)を応用することで、実際に眼に入る光だけを効率的に誘導する。ウェーブガイドの薄さとバードバスの高輝度・省電力を組み合わせた「ハイブリッド構造」と説明されている。量産性を考慮してプラスチック射出成形で製造できる点も特徴。

ウェーブガイド(Waveguide)
ARグラス用光学系の主流方式のひとつ。光をガラス基板の内部で全反射させながら伝播させ、回折格子(DOEまたはHOE)で眼に向けて取り出す。レンズを薄く保てる一方、光の利用効率が低く輝度が出しにくい。MicrosoftのHoloLensやMagic Leapが採用。

バードバス(Birdbath)
ARグラス用光学系のもうひとつの方式。ハーフミラーを使って光を直接眼に向けるため高輝度かつ省電力だが、光路を確保するために部品が大型化し、通常の眼鏡フレームには収めにくい。早期のスタンドアローン型ARグラスに多く採用された。

スペーシャルアンカリング(Spatial Anchoring)
ARにおいて、表示する映像情報を現実世界の特定の位置・物体に固定する技術。ヘッドマウントの向きに関係なく、情報が「そこにある」ように見える。Aegis Riderのバイクヘルメットでは、ナビゲーション矢印が路面上に固定されて表示される。

【参考リンク】

LetinAR公式サイト(外部)
韓国の光学スタートアップLetinARのコーポレートサイト。PinTILT技術の概要、製品ラインアップ、会社情報を掲載。

LetinAR PinTILT技術詳細ページ(外部)
PinTILT™の仕組みと、ウェーブガイド・バードバスとの比較を図解で解説。光学設計の原理を理解したい読者向け。

dynabook dynaEdge XR1製品ページ(外部)
LetinARのPinTILTモジュールを搭載した法人向けXRグラス。製造・物流・建設・医療の現場DX向けユースケースを掲載。

Aegis Rider公式サイト(外部)
ETHチューリッヒ発のARバイクヘルメット「Aegis Rider Vision」の製品サイト。スペーシャルアンカリング技術の動作デモ動画あり。CHF 1,499で予約受付中(2026年5月時点)。

DigiLens公式サイト(外部)
LetinARのウェーブガイド系競合企業。自動車・産業・軍事向けのウェーブガイド光学モジュールを開発するアメリカのスタートアップ。

Lumus公式サイト(外部)
イスラエルの光学スタートアップ。反射型ウェーブガイド技術に強みを持ち、大手スマートグラスメーカーにモジュールを供給。

【参考動画】

LetinAR PinTILT™ イラスト解説(公式)——PinTILT技術の原理をアニメーションで解説した動画(英語、約2分)。ウェーブガイドとの違いが視覚的に理解できる。

【参考記事】

LetinAR、NTTドコモグループのXRグラスMiRZAへのモジュール採用を発表(PRNewswire)(外部)
LetinAR公式プレスリリース。NTT QONOQデバイスとのパートナーシップ、MiRZAへのPinTILT採用、重量削減効果を公表。2024年11月。

dynabook dynaEdge XR1 受注開始プレスリリース(dynabook)(外部)
2025年3月10日のdynabookによる公式発表。dynaEdge XR1とC1の仕様、想定ユースケース(製造・物流・医療・建設)を掲載。

dynabook dynaEdge XR1レビュー・仕様詳細(NotebookCheck)(外部)
LetinARのPinTILT光学モジュール採用を明示した英語メディアの詳細記事。重量・解像度・視野角などのスペック情報も充実。

Sharp × NTT Docomo MiRZA XRグラス詳細(Road to VR)(外部)
MiRZAの詳細仕様とエンタープライズ向けポジショニングを報じた英語メディア記事。NTT QONOQデバイスがシャープ×NTTドコモのJVであることを明示。

NTT QONOQ Devices MiRZA仕様まとめ(NotebookCheck)(外部)
MiRZAのハードウェアスペック(約125g、FHD、1,000ニト、Snapdragon AR2 Gen1、248,000円)を詳しくまとめた記事。2024年秋の発売情報を含む。

【編集部後記】

AIグラスをめぐる競争の語り口は、ブランドとデザインとOSに集中しがちだ。光学モジュールの名前が出ることはまずない。しかしそのレンズが映像を正確に結ばなければ、残りはただの眼鏡にすぎない。スマートフォンの時代、画面を作る会社よりもチップを作る会社が命運を握ったように——AIグラスの行方も、ブランドよりも部品のところで決まるのではないだろうか。私たちはまだ、そこを見ていればいいのかを探しているところだ。

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乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。